「秋篠宮さま 誕生日迎え50歳に」
朝のニュースでやっていました。
戦後70年経過したので、後世に戦争を語り継がなければいけない、みたいなことを言っていました。 教科書的で、模範解答なんですが、本気でそう思っているでしょうか。 たぶん、思っていません。口先だけです。 戦後70年というキーワードから単に、語り継ぐという言葉を連想し、そのまま言っただけで特に何かを強く思っているわけではないと思う。自分のことを思い返すと、小学校、中学校、高校の頃に戦争って、どんな感じなのか? なぜ、ダメなのか? 子ども心に、自分自身本気で疑問に思ったが、大人が「戦争は悪いことです」と一方的に言うので、その言葉のひとつ覚えになっている。 「悪いことだということはわかるが、いったい何がそんなに悪いのか?細かい部分は、何も理解できていない。」 いろいろ吸収できる年代の少年時代に、自分に興味があるんだけど、情報ソースがなかったという経験をした。 成人して、ある程度、本とネットで勉強して、軽い感じのミリタリーオタクになりました。 教科書の歴史の授業はおもしろくないですが、戦国時代とか太平洋戦争とか第二次世界大戦(ドイツの戦争)とか歴史には面白いことがたくさんあります。 文系の学校(専門の勉強)に行くと将来の職業が営業になってしまう。 なので、その道に進まなかったが、子どもの頃にこういう児童向けのいい本にめぐりあえたら、人生が変わっていたかもしれない。
で、 世の中にある児童用とか少年少女用の戦争の本はあるか?とネットで検索してみた。 そこにあったのは、 ・広島、長崎のの原爆体験 ・アメリカ爆撃機の空襲の体験 ・ひめゆりの話とか まあ、いわゆる、アメリカの爆撃と艦砲射撃のために、家が燃えて、人が大勢死んだという話です。 日本本土の爆撃の話は、さすがにたくさん聞きます。 ようするに、感情ですね。情に訴える戦争体験です。 戦争はなぜダメなのか? 戦争になると、敵の爆撃機がきて、街が焼かれ、家族が死に、焼野原になって、大変な目にあう。 だから、 戦争は、やってはダメというのは筋が通らない。 だからという接続詞は何も意味をなしていない。 学校の数学で習った、ゆえに、三角形ABCは、三角形DEFとは、合同です。 というのとは違う。 ストーリーがめちゃくちゃ。 私が子どもの頃、大人が言う論理がおかしいおかしいと疑問に思っていました。だけど、子どもなので、自分の頭を整理できなかったが、最近になってやっとわかってきた。 自分が、どんなことに疑問を持ちどんなことを知りたかったのか? 大人たちが言うことが正しいのか?やっぱり間違っていたんだなあと今になって思う。
敵のB-29が爆撃し、街を焼き、家を焼き、家族が死んで悲惨だから。 というのが日本の一般的な情報ですが、それは、B-29が日本本土まで飛んできて、空爆をするからであって、 戦争は、マレーシアやフィリピンやインドネシアやその他、南の島で戦闘が行われていて、 それが、まず、第一の戦争行為だと思うのである。 で、日本本土に爆撃機が飛んでくるのは、制空権がアメリカ側であったからでって、日本が制空権を持っていたら、 そんなことは起きない。 アメリカの例を見れば明らか。アメリカ本土に日本軍の弾が当たったか?(爆撃があったか?)ほとんどなかった。 じゃあ、敵の爆撃機が来なければ、戦争をしてもいいのか?ということになる。 なので、B-29が飛んできて、街を焼き、家を焼き、家族を殺すからダメよ、という感情に訴える論理は通じない。 もっと、理論的な理由で第三者も納得する内容をみんながしるべきだと思う。 今の日本人は無知過ぎます。 だから、安倍さんが強行にやった、集団的自衛権の行使の法律を簡単に通してしまったように思う。
で、もうひとつ言いたい。 広島や長崎に原爆が落とされて、大勢の人が死んで、焼野原になった。 だから、原爆の悲惨さを語り継いでいって戦争はやっていはけない、という人がいるが、 再度言うが、その、だから、という接続詞がまったくの間違いである。 原爆を落とされる、だから戦争はダメというが、今の時代、アメリカもロシアもいろいろな国も核兵器を持っているが、 実際に使う国は、たぶんいない。 実際に使うと敵国からも核が飛んでくるし、飛んでこなくても、国際的に大変マズイ立場になる恐れがあるので、 基本的に使わない。 広島、長崎の原爆の被害をどんなに説明しても、今後の戦争推進、戦争抑止、とにかくそんなものには無関係であると言いたい。
今日は時間がないので、このへんにするが、今後、戦後7年を期に、いろいろな自分の思いを書いていくことにする。
特に児童向けのわかりやすい本を作りたいと本気で思っている
もう、大人になってしまってからでは遅いので、児童の頃から理解できる本を本気で作りたいと思っている。
自分が少年時代に飢えていた、求めていたものを作りたい。今、そういうジャンルは空白だと思います。 その分野については、業界で有名になれば学校の先生が生徒に、この本は、いいですよと、推奨してくれる本にはずである。 特に学校の夏休みは、ちょうど終戦記念日8月15日なので、自由研究にもってこいである。研究テーマが決まらない人は先生の推奨する本を図書館なりで借りて勉強すると思う。 参入するならチャンスだと思うんですよ。学研の歴史群像(C)の子ども版(簡易版)で、太平洋戦争で10巻。 ドイツの第二次世界大戦で10巻。合計20巻ほどつくれば満足しそうな気がします。 本の編集者さん、編集長さん、その他、出版関係の社長さんの方、ぜひ、これは!と思ったら、 私に声をかけてください。今は、ある会社の社員ですが、転職活動中であり、速攻で辞めます。今日は時間がないので、このへんにするが、今後、戦後70年を期に、いろいろな自分の思いを書いていくことにする。
ナチス・ドイツのユダヤ人迫害について
ドイツがアウシュビッツなどの強制収容所を作って、ユダヤ人を迫害したのは有名です。 で、迫害した理由は、優秀なアーリア人の血を汚さないというのを勉強(学校ではなく自分で)しましたが、 まあ、特定の民族を虐殺するというのは、さすがに理解できないので、さらに調べたら、 ヒトラーが出てくる前の大昔から、イスラエルとか、いろんな関係で、迫害されていたということが わかりました。 ヨーロッパでは、なんか昔からそういうことがあったので、当時、迫害も歓迎されて、民衆も盛り上がって、 ヒトラーのやることに賛成したというような内容でした。 まあ、日本人の私にとって、あまり納得できないんですが、100歩譲って、理解したとして、次の疑問がわいて きます。
じゃあ、ユダヤ人が邪魔だと思うのなら、ポーランドとか自分が住んでいる場所でそのまま殺害すればいいと 思うんですよ。 だけど、わざわざ、アウシュビッツとか、その他複数の収容所を作って、家畜用の列車で運搬しますよね。 で、収容所では強制労働とかあるんですが、その場にいるドイツの軍人のきまぐれとかで、 殺されたりします。 強制収容所まで運搬して、そこで殺すという意味はあるんですかね? ポーランドの自宅とか、ドイツ軍が入ってきたとう同時に、家を爆破してそのまま殺すという方が、 よっぽどシンプルじゃないか?と思うんです。 強制収容所の監視員とか、軍人とか、管理費がかかりますよね。それと、十分じゃないにしても、 囚人の食料を供給しますよね。 なので、どうしても管理費、人件費、食費といった経費がかかるわけです。 ヒトラーは当然、戦争をしているわけですから、余計な費用がかかるのは困ると思うんですが、 あえて、お金をかけて、そういう施設を維持・管理していくというのは、どんな意味があるんですかね? ネットで調べても出ていないんですよ。 ヒトラーを研究している方がいらっしゃいましたら、是非、教えていただきたい。 できることなら、大学に入り直して、研究したいです。 自分が学生の頃は、文系に進むと将来企業に就職すると、営業になると思い込んでいたので、進みませんでした。 で、この前、NHKで、ホロコーストを生き抜いた人という番組をやっていて、 Aという収容所、Bという収容所、Cという収容所というように、何年かおきに移動したと言っていました。 移動は徒歩の場合もあり、ユダヤ人の多くは、途中の道端で死亡し、道の両脇には死体がたくさんあった、 と言っていました。 まあ、徒歩はいいとして、列車を使って移動する場合もあります。 で、列車を使うと、列車のダイヤを管理しなければいけないし、運転手とかやっぱ、いろいろ管理する人が 必要であり、これも、囚人を移動させるために費用がかかります。 上記と同じで、なぜ、わざわざお金がかかるようなことをするのでしょうか? また、同じことを書きますが、殺害したほうが、費用がかからなくて済むはずなのに、なぜ? ネットで調べても情報はありませんでした。 最近、気になって、気になって、知っている人がいれば、是非、教えていただきたい。 また、大学に入り直して、研究をやってみたい。 で、自分が学生の頃は、文系に進むと将来企業に就職すると、営業になると思い込んでいたので、進みませんでした。アッツ島の玉砕の絵を描いた藤田ナントカ
アッツ島の玉砕って、日本人はあまり知らないんでしょうね。 私は、いろいろ情報収集しているので、以前から知っていました。 あまり有名じゃないけれど、こういう番組もやるんだなと思って、ワクワクして見ましたが、 玉砕がメインではなく、藤田ナントカという画家の話がメインなので、ちょっとズレたなあという のが感想です。 で、藤田サントカはある時期、パリでものすごく有名になり、画家としてトップに登りつめた ものすごい人なんです。 で、その人が日本軍の依頼でアッツ島の絵を描くわけですが、そこに至るまでの彼の経緯を 説明していた時に、あれっ?!と思って、昔(子どもの頃)を思い出したわけです。 最初の頃の藤田ナントカが西洋画風を真似て、裸婦の絵を書いた。 それは、当時、まだ、有名じゃないので、西洋風の手法で書いたという説明があった。 で、それをみた時、はっ?!としたわけです。 そもそも、裸婦の絵って、ヌードですよね。それが写真であれば、普通子ども達の目に見えるようにしないし、 わいせつなはずなんです。 だけど、裸婦の絵というのは、子どもでも誰でもよく見るし、芸術として評価されるみたいです。 それが、まったく子どもの頃理解できなくて、心の中で悩んでいました。 その疑問を誰にも言えなくて、モンモンとしていました。 で、そもそも、裸婦って裸ですよね。 裸を描く、第三者も理解できる合理的な理由ってあるんですかね? 裸を描くのが流行したとしたら、なぜ、洋服を着ている絵はダメなんですかね? なぜ、世界は、裸婦の絵はよくて、裸婦の写真はNGと決めたんですかね? さっぱりわからないんですよ。 なので、この理由を知っている芸術大学の方がいらっしゃいましたら、是非、連絡をお願いします。 また、大学に入り直して、研究をやってみたいと思いますよ。 で、自分が学生の頃は、文系に進むと将来企業に就職すると、営業になると思い込んでいたので、進みませんでした。
ジャック・キボキアンについて
なんだか、もう、HTMLファイルを新規に作成するのも手間がかかるため、ここに書いてしまう。 テレビで、キボキアンについての特集をやっていた。 まず、医者の先生が、自殺ほう助と安楽死、積極的安楽死、消極的安楽死の説明をしていたが、 さっぱりわからない。もっとわかりやすく、もっと差をつけて説明してほしい。 で、キボキアンの話。 まあ、この人は、死亡していくのを見るのが好きとか、異常な面があります。 ただし、この人は、さすがに行き過ぎているが、この考え方は決して間違いではなく、 この考え方をマイルドにすれば、人間の平等とか、自己の尊厳みたいなものになると思う。 日本人は、死ぬのは悪いこと!みたいに、頭ごなしに言う。 上記にも書いたが、戦争はダメ!と頭ごなしに言うのと同じで、まったくもって短絡的である。 もっと冷静に頭を冷やしてほしい。 日本では、電車に飛び込んで自殺する場合もけっこうたくさんあります。 自分の最寄りの駅では、もう、3人くらい死んでます。 ホームはキレイに掃除しているので、どこで死んだかは知りませんが、確実に、 このホームのどこかで死んでいます。 で、特に、今日は、ナントカ線、明日は、ナントカ線、、みたいな感じで、首都圏では、 けっこう、朝のラッシュ時とか、みんなが忙しい時に死んでくれるので、みんな大変迷惑しています。 なので、キボキアンのような人で、合法的に対応してくれる人がいれば、そういう何万人もの人が、 電車が止まって、苦労しなくても済むことになります。 やっぱ、みんな、おおかれ少なかれ、苦痛を感じています。 身体障害者とか、精神障害者とか、高齢者のボケとか、ただ単に貧乏で生活できないとか、 それぞれの理由がありますが、死にたいと思っても不思議ではありません。 なので、そういう人の希望に答えるため、ある程度の制限をつけて、合法化してほしいと思うわけです。 20歳以上、親の署名、本人の署名、精神的に責任を負えるという医師の署名、、、とか、 そういう書類をそろえることで可能になる、みたいな。 頭ごなしにダメじゃなくて、こういう方法だったらいいよねとか、うまくやっているスイス、オランダ とかの例を参考にするとか、そういう研究も必要だよねと思う。 まあ、こんな文章をホームページに書いても、学会とかに影響はないし、無意味なんだよね。 悲しいね。
あの〜 座間の首吊り士について
座間のアパートで9人が殺され、クーラーアーボックスに入れられた殺人事件。 世の中では、毎日のように、容疑者が残忍な殺人鬼とか、そういう恐怖をあおる報道を するわけです。 NHKも日テレもTBSもフジテレビもテレビ朝日もテレビ東京も。大騒ぎするんですが、 私は一点疑問なんですね。 この殺人者は、SNSで人をたくみにだまし、自宅だかどこかに誘って殺したわけです。 で、今、SNSの炎上とか世の中で問題になっていますが、 今回の自殺のSNSのサイトに出入りしていたとみられる人が多いんですが、 自殺サイトに行く、書きこむことはダメですとはニュースで言わないんです。 それは個人の自由なんだろうなあと思うんです。 で、その次に、昔、子どもの頃、知らない人についていってはいけませんと、 親に言われた人って多いと思うんです。 なので、今回の事件も、良い子のみなさん(小学校、中学校、高校)知らない人について いってはいけません。 とニュースで一言も言わないんですよ。 相手は殺人犯だし、凶悪なんです。その凶悪な犯行の流れを説明して、 こんなに野蛮で極悪人なんですというのをアピールするんです。 だけど、知らない人についていかないでね。となんで言わないのかなあ?と疑問なんですよ。 じゃあ、ついて行くのは個人の自由なんですかね? そしたら死ぬのも自由になってしまう。 そういうのは、世の中的に問題ないのかなあと疑問に思うわけです。 まあ、誰が死んでも自分には関係ないんですが。