独り言のページ08
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いてもタダなので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、世の中の矛盾というか理不尽というか何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。
2019年03月06日(水)(Wed.)
今回サイコパスというワードが気になり、そのワードで書きたくなった。世の中に護身術というものがある。若い女性が痴漢に襲われた時に暴力をかわすとか、こうやって逃げましょうみたいな格闘技道場みたいなものが子どもの頃からあるのは知っている。子どもの頃から格闘技限定というイメージがあった。しかし、それよりももっと日常的で身近な危険なものから身を守る必要がある。それが企業内のサイコパスである。企業内のサイコパスは、けっこう大勢いる。しかし、世の中ではこういうサイコパスから身を守りましょうという言葉はほとんど聞かない。だからオレも無防備であった。しかし、痴漢や暴力から身を守る護身術よりももっと大事である。なぜ世の中で、もっと強調して言ってくれないのか?俺は疑問でならない。俺は一部上場企業でサイコパスに初めて会って、自分が思うように生きていけないと理解・認識した以降は、こいつとは絶対に関わらない、関わっても最低限の関係という戦術をとってきた。それでなんとか50歳近くまできた。そして、転職を重ね日本のある中小企業でついに53歳で人生最強のサイコパスに会うことになる。想像以上の最強の悪人であり社会のガンである。こいつにかかると、精神的ダメージがハンパなく大きく、クビにもなり仕事を失った。自分が正義を貫いていると思って実施していることが裏目裏目に出て、ついには自分が抹殺される。こんな理不尽な事があって良いものか?と非常に疑問がわくのだが、この会社の役員・社長は騙されているのか?知っていて放置しているのか?わからないが、流れのままに見ているだけであり放置状態である。有害である以外に何ものでもない。今までサイコパスに対し、距離を置く対処法を駆使してきた人生が間違いであったということを証明したようなものだ。正式な犯罪かと言えばそうではないが完全に世の中のガン細胞であり、どんどん周囲の善良な市民を腐らせていく。今回の場合は、理不尽な言動であるが、その一部がメールとして証拠に残っていたりして、本気で裁判に持ち込めば勝見込みはある。勝つ自信はある。しかし弁護士を雇って訴えるほど裕福でなはない。仮に弁護士雇って戦って、勝ったとしてもその会社に残る気はサラサラないし、法の力でヤツを倒したという自己満足感・達成感だけしか残らないのではないか?と思うと無駄だなと思ってしまう。学校の勉強や教科書に書いていないが、人生で最大・最優先・最高・最重要な事項だと思う。なぜこういう問題を放置しておくのかなあ?おれ、この狂気にさらされ犠牲になったんですが。本気で護身術を勉強させてくれる塾に行きたい。金があれば本気で行きたい。以前のひとり言に、アフリカの草原でライオンのオスが1頭でメス1頭を取り合いするという、人類の法則を書いたことがある。それと同じで、サイコパスに対応することが困難であり、その餌食になるような精神的に弱い連中は後世に子孫を残す必要はない。そういう品種は滅亡してもよい。弱いものは死ね、強い者は勝って後世まで繁栄してくれという流れの一環であるならば、逆に最初からそう言ってくれ。先にそう宣言してくれると人生苦しまずに済む。能力がなくても努力で人生頑張ればきっと上のランクへ行ける。上のランクへ行けないのは、お前の努力が足りないからだ、もっと努力せよと言われるのが苦しい。苦し過ぎるから、本当にそのような言葉を人類から奪って欲しい。努力したって、そこそこのランクしか到達できやしないよ。こいういう言葉が世の中にあふれるような世界を作ってくれ。本当に本気で生きて行くのが苦しくて仕方がない。
2019年03月07日(木)(Thu.)
映画デトロイトを見た。黒人差別の映画だが、世の中には冤罪とか当たり前にあって、理不尽な事も数えきれないほどある。世の中の大勢の人が信じていることは、間違いが多いのかなあ?と思う。アメリカが日本に原子爆弾を落としたのは戦争を早く終わらせるため。と誰もが信じているが、本当はソ連に世界のリーダーを取られてはいけないから、どんなことがあっても先手を打つべきであった。レノアゲイが落としたのが最初だが、7個だか8個製造の計画があったと記録がある。映画デトロイトも警官が殺人をやるわけがないという常識に沿っているものであり、世の中には常識ではない事もたくさんあるし、陪審員が捜査資料を読んだとしても、その当時の現場の狂気には、どんなにがんばってもガチで感じることはできない。さすがに警官だから、暴行は若干やむを得ず実施したかも知れないが、抵抗する犯人を前にして、強引・強行に行うことしかできなかった。仕方がなかったという結論を出すのは、自然であり不思議には思わない。この世の地獄とか本人にしかわからない苦痛を感じた時に、どうやって第三者に理解・認識してもらえるのか?が課題となる。おれもこの部分が苦手でいつも苦い思いをさせられる。うまく第三者に伝えることができないから犯人になってしまう。仕方ないけれど、そういう冤罪も多々あると思う。世の中の闇は深く暗黒の世界だなあと感じるとともに、おれ自身はその解決策・突破口は、死ぬまで解決できそうもないなとあきらめている。自分の運命なんだよ。
2019年03月08日(金)(Fri.)
えーと。また書きます。子どもの頃から不思議に思っていることがあるんです。アメリカでは一般市民が銃を買うことができますよね。その理由は、自分の家に強盗とか殺人鬼が来たら自分・家族の身を守らなければいけないから。というものです。自分以外の第三者は信用できない。世の中には悪人がウヨウヨいる。そんな思考の過程の中から導かれた発想ですよね。別に批判していませんよ。冷静に当たり前の内容を書いているだけ。で、それを国に拡大すると、アメリカやその他の国で軍隊がいますよね。それは、他の国が攻めて来た時や自国の何らかの利益が損なわれる時、その他のいろんな危険が迫ってくる時に、武力で対抗するという意味ですよね。これも批判していませんよ。以前言ったように、俺はミリオタなので。で、子どもの頃学校で憲法9条について習いますよね。日本は戦争はしません。だけど自分の国を守るための最小限の武力は必要だから自衛隊があります。自衛隊は軍隊ではありません。って言いますよね。これも批判していませんよ。で、ここからが本題に入って行きます。自分ではない第三者の強盗などが自宅に押し入ってくるから自分を守るとか、他の悪い国が自分の国に攻めてくるとか、自分以外を信じない発想だと思いませんか。周りにいる人間は悪人ばかりなので武器を持つ必要があると言っている。これ、自分が小学生か中学生の時に感じたんですが、他人のせいにしているなあと感じました。他人のせいにする。あいつが悪いから仕返しをしてやったとか、あいつが悪いから攻撃されるのが当然。悪いやつはみんな死ね。みたいな理論で進んできますよね。じゃああいつが悪いヤツであれば、何をやっても良いのか?殺しても良いのか?殺人はダメだんだけど、悪いヤツだったら、戦争を仕掛けて殺しても良いのか?ということになる。これね、純粋な心を持った小学生、中学生の頃の私にとって非常にショックだったんですね。戦争はダメなんだけど、悪いヤツらは死んでも良い。俺は子ども心にショックでしたね。じゃあ、AさんBさんCさん、みんなが武器を持っていなければ、あいつが攻めてくるというのはなくなりますよね。全員が武器を捨てれば、あいつが持っている武器の性能よりも高機能の武器を開発し、たくさん作らないと負けてしまう。という連鎖になります。みんなが武器を捨てればその連鎖がなくなります。心が純粋だから、少年時代の俺はそう考えていた。でも、現実は違っていて、醜い大人の争いなわけです。世の中の人の考えは、自分が正しくて相手が悪人であれば、血で血を洗うことが正当化される。だから戦争が延々と継続する。なんというんですかね、理想を掲げて美しい方向へ向かっているのではなく、人と人との醜い争いに明け暮れる、それが人間なわけです。最初からそういう教育をしてくれれば、少年時代に悩まなくて済むわけです。なんかねじ曲げられた思想が複雑に絡み合う世の中なんですよ。だから我々はもっと誠実に向き合わないといけません。というような教育にして欲しかったわけです。私は戦争は否定しません。人口増加とか高齢者社会とか雇用問題とか、武器開発で最先端技術が進歩するとか、いろいろな問題が解決することもある。人生というか世の中というのは、善悪は紙一重、表裏一体なわけですねえ。あれはダメこれはダメと言っていると何もできませんよ。それともうひとつ書きます。私はベトナム戦争の映画や写真を見るのが好きです。その頃の武器M-16A1。M-16の初期型が好きですし、UH-1汎用ヘリを見るのも好き。UH-1汎用ヘリがヘリボーンで兵士を現場まで運び、ポイントで降ろして基地へ帰投する。発煙筒を使いヘリの着陸地点をマークし、ホバリングしながらUH-1がゆっくり降りてくる。とにかくこんな場面、こんな写真を見るのがとても好きでワクワク・ドキドキします。私は1965年生まれなんですが、なんだかベトナム戦争の米軍兵士の生まれかわりなんじゃないか?と思うほど非常に親近感親密感を覚えます。人殺しという単純でシンプルな仕事。あまり難しい事を考える必要ないじゃないですか。何が目的か?目の前のベトコンを倒すこと。実にシンプルで周りの人間関係とか会社での見栄・体裁・外聞なんか気にする必要ないし、気にする余裕ないでしょ。殺すか殺されるかの世界で毎日生活しているので、他の事を考えずにこの仕事1本に集中できる。さらに、この仕事で給料がもらえるということに安心感というか、この仕事を天職としているようなそんな感覚があるんですねえ。本当に俺はベトナムのジャングルにいた方が生きている充実感を得られる。そう思うんですよねえ。ちなみにベトナム戦争も、どんどん南へ押されて軍が引いて行きますよね。最後はサイゴン陥落となるんですが、ジャングル戦から市街戦に変わっていきますよね。私は市街戦ってあまりワクワクしないんですねえ。第二次世界大戦のドイツとソ連が戦ったスターリングラードのような戦いとか、終盤のベルリンがソ連軍に包囲されて、ベルリンの街中でワンブロック・ワンブロックの死闘が繰り広げられていた、というのは興味なくはないんですが、ジャングル戦だどうしても第一に脳みそに映りますねえ。あと、俺が2歳3歳の時にマレーシアで生活していたので、南方の土地なのでベトナムとの距離は近いですよね。戦闘機とか輸送機がもしかしたらマレーシア上空を通過してベトナム方面へ飛んで行ったかも知れないと主うと、その当時、今のような家庭用ビデオカメラが大量に出回っていれば、そんな軍用機の撮影もあったかも知れないなあと思うと、ベトナム戦争が身近に感じてゾクゾクしますね。おれ個人的には戦争めちゃくちゃやりたいですねえ。やらせて欲しいです。日本企業で周囲の人間に気をつかうことなく、M-16A1を振り回しヘリボーンで降下する、そんな仕事をやりたい。そういう人生を送りたいと切望しますね。
2019年03月08日(金)(Fri.)
えーと。連投いきます。今YouTubeを見ていた。シアトルに18年間住んで今日本にいる人の動画。アメリカは人と人との距離感が遠い。日本は近い。アメリカは距離が遠いというのは、ドライなので個人の事に干渉して来ないこと。しかし、友人が本当に困っていたら助けてくれるという本当の意味での人間関係じゃないかなあと思うんですよね。日本は関係が近いので、良い事も悪いこともみんな周囲に筒抜け。日本は良い人に恵まれれば良いが、以前書いたようなサイコパスとか個人の弱点を見つけ、スキを突いて攻撃したやろうという連中が多いのだろうな。ドライにたいするウエットな関係が嫌いですねえ。俺、そんな密な関係を持ちたくないもんね。いつも目の前で批判されているようで、うっとうしいですよねえ。そう考えていて、更にこんなふうに思える。太平洋戦争が終わって、アメリカに追いつくために頑張って働く世代っていましたよね。高度成長期時代。その時は、会社は終身雇用で、あまり優秀じゃなくても、まあ中の下くらいなら適当な仕事を探して社内にさせてくれて、クビにしなかったと思う。リストラという言葉が出たのは、バブルの後ですから。会社をクビにならないので、まあある程度、長いものに巻かれろとか、そういう風潮は理解できますよね。会社にしがみついていれば、なんとかなるという認識です。しかし、今は違いますよね。能力主義だとか言って、終身雇用はなくなりリストラが当たり前になっている。なので、今まで能力が低くてギリギリ雇っていた人をリストラする方向になる。当然ですよねえ。俺のように、オヤジに教わった通りに一部上場企業で定年までいて安泰になるため、イヤなんだけど、まあ適当に長いものに巻かれたり、巻かれたフリをしたりしている、能力が低い中途半端な社員は邪魔なわけで、リストラの対象になる。なので、某保守作業のような過酷な仕事を押し付けて、いつか辞めるだろうというイヤがらせをしたわけだ。表面的には嫌がらせはできないので、なんとなく苦痛を長期間感じるような、今考えれば本当にうまいやり方だったと思う。オヤジに終身雇用を洗脳された脳みそなので目の前の現象について行けなくて、困惑し悩んでいる間にあれよあれよと言う間に脱落させられていた。世の中うまくできています。日本はもう終身雇用という安定したものはないし、この先年金も出るか?もしくは少額になっていく中で将来の希望がないまま突き進んでいる。もう戦争終了直後のしくみは通用しないし世界情勢も変わった。アメリカのように最初から、あんたの人生はあんた自身の責任でやってください。国は援助しません。自力でやれ。と厳しいことを言ってくれたら、学生時代に何かのきっかけで覚醒し、自分の人生を歩めたんじゃないかなあ?と思う。今俺にとって過渡期の一番苦しい中に立たされているなあと感じ、おれの能力では未来はないと簡単に判断できてしまう。このYouTube動画配信やっている友人は、日本で人間関係が苦しくて、アメリカに行ったら生きるのが楽しく生き生きしていると言っていた。なんかオレも行きたくなった。
2019年03月09日(土) (Sat.)
えーと。関連でどんどん連投いきます。仕事のモチベーションというか、やる気というかやる気を出す際の馬力のかけ方というようなテーマでございます。家内はカピバラ派で平和主義なのでよくわからない。理解できないと言いますが、親戚知り合い中には俺と同じ人もいる。仕事をする時のパワーの出しかたですが、何か気に入らない事があったり、能力を下に観られたり、なめられている場合、頭に血が上って熱血マンになり、その怒りの反動で前進するパワーを引き出す。一旦後ろに後退するかも知れないが、一度後退して反動をつけて前に振りだすみたいな、野球のバットのように、一度テイクバックをすることにより更なる強力なスナップと遠心力を生み出し、ボールを遠くへ飛ばすみたいなパワーを利用します。したがい以前記述したような、職場にいるサイコパスに攻撃された場合、こいつにだけは負けないとか、この逆境を絶対にぶち破るとか、そういうパワーを燃やすことで前進する。なので、サイコパスvs俺の場合、熱いバトルになるわけですね。家内の場合は、カピバラなのでなんとなく、あいまいな感じでアサーションを無意識のうちに仕掛け、激戦とならずに流されていく。脳科学者中村信子さんは、サイコパスにうち勝とうとして攻撃してはダメで逃げるが勝ちであり、距離を置くことを推奨している。俺の場合戦ってはいけない相手とガチで戦闘状態に入レリ。。。大本営発表。大日本帝国陸海軍は、本日未明米英の連合艦隊と戦闘状態にイレリ。となるわけであります。戦ってはダメな相手と戦うところなんかは、日本の大本営に近い思考なのかも知れない。
2019年03月10日(日) (Sun.)
えーと。連投いきます。まずこれはネットでの誹謗中傷・批判・文句などではないです。もうひとつ足りない感があって非常に惜しい。できれば俺がその続編を柳田国男先生(勝手に名前呼んでいます)と一緒に、もっと深く研究したいなと思います。お金があれば石油王であれば、大学の授業料を払えるので行ってみたいですねえ。本題に行きます。東北学院大学の人が幽霊の話を論文に書いたというのをテレビでやっていた。テレビだから尺が制限されているので詳しい情報はない。そもそもどんなテーマで、どんな結論を導きたいのか?はまったく知らない。知らない中でも、やっぱ気になるので書きます。この論文は幽霊が存在するという前提で書いていますよね。幽霊の存在をまず明らかにし、誰もが納得できる情報と理論で説明したあと、このような体験談がありましたと、200名のインタビューを是非したいなと。私はガチで幽霊肯定派です。絶対にいます。しかし今の人間の能力ではそれを理論的に説明するのは厳しいと思っています。世の中には幽霊はいないと信じている人はたくさんいます。そのような人でも論文を読めば納得するというような起承転結ストーリーにしたいというのが希望です。東北学院大学の論文のテーマの掲げ方によっては、災害を経験した人間の心理状態、家族や親せきや知り合いを思う気持ちを表現したものであり、幽霊が実在することとはまったく関係ないと前段で謳っているのかもしれない。しかし、そうなると、単なる災害を経験した人の気持ち、感情、心理的傾向、心理動向といった内面的な話になり、幽霊がいようがいまいが、災害が起きる前から知り合いだったあの人への悲しい気持ち、やるせない気持ち、苦しい気持ちが表面化したという結論で終わってしまう。人間の悲しい感情から来たんでしょ。と言われたら幽霊肯定派の俺としては反論しようがないんですね。人間の感情的なものは当然ありますが、その亡くなった人との関係で何かのエネルギーで引き寄せられ、自宅に来たり職場に来たり、路地で見かけたりします。人間の世界を越えた何らかのパワーがあります、みたいな流れに持っていきたいなと。悲しい感情であの人と会いたいと思う気持ちと、何かが通じ合うという糸口、きっかけがなんとなくわかってきたら、このストーリーの突破口になるんじゃないかなあと思います。この研究を参考文献にして過去の研究事例として、次のステップへ上がっていって欲しいということを言いたくて今書いた次第であります。もっと誰もが納得し、世の中の大勢の賛同を得、反論がほぼ出ない幽霊の論文が書けたら世界でナンバーワンになれるんじゃないかな。思考がぶっ飛んでいようが非常識と言われようが、未来の新技術、新理論なんて今は誰もわからないですから、SFチックでも何でも言ったもん勝ちであります。
2019年03月16日(土)(Sat.)
今まで文句を言ってきたが一言で言うと、ソーシャルスキルを身につけず勉強だけできてもダメ。逆に勉強ができなくてもソーシャルスキルが高かれば人生生きて行ける。そっちの方が何十倍も良い。俺のオヤジの貞男は何十年も生きていて、それを知らない。いまだにガンコに自分を主張している。クソが。前の一部上場企業にいた時、ムラカミキヨタカっていう後輩がいた。彼は高卒だが出世し今はマネージャーになっている。その後もっと出世しているかも知れないが。東北の漁師の街で育ったらしく、漁師のジジイの中でソーシャルスキルを極めたのだと思う。いつも言っているが、学校の勉強と仕事はまったく関係がない。学歴は関係ないのだが、また貞男のやつは学歴重視をいつまでもこだわっていたし、非常にうるさかった。で、ここで昔の話。自分は学校で、周りとちょっと違うなあとか、合わないなあと違和感を感じていた。違和感を感じていないくらい、無関心・無反応な人間ではない。そこまで脳みそは腐ってないしバカじゃない。で、周りの人との意見が違う時、自分がこれを言ったら周りからおかしいと思われるとか、空気感は読めるんです。でも、どうしてよいかかわないんですね。なので自分で決めた結論は、黙っていること。です。今これを言ったらみんなドン引きする。何を言って良いかわからない。だから言えない。だから黙っているしかない。声を発してはダメということです。それじゃ人間同士コミュニケーションが取れないじゃん、と思うかも知れないがその場でもめるより、とりあえず黙って時間が経過しスルーして欲しいと願う。これは人間として間違いですか?うまく話せないので、争いとかケンカとか波風立てたくないので黙っているって、ダメですかねえ。俺はダメじゃないと思う。だってこれしかできないんだもんね。じゃあ、お前解決策を教えてくれと言いたい。お前が全部その都度、おれに解決策を教えろ。これからの人生全部の会話についてサポートしろ。と言いたい。それと泰子さんを見ていて学んでしまったんですが、自分はそう思っていないんだけど、周りが騒ぐから仕方ない我慢することってあるよね。その選択をすることにによって自分が不利益を受けたり、イヤな事だったり、損したりすることってあるよね。その時も損して相手に譲れということを学んだ。俺がこんなに自分を殺して、他人に譲るのも泰子のせいである。だって他に手がないんだもんね。これ聞いて世の中で生きて行くことがつらいと思いますよね。じゃあ、だったら、この世に存在する意味ないじゃん。存在価値なし。世の中に必要とされていないのなら、苦しみたくない。本気で苦しいんですよ。先ほどの村上キヨタカはたぶん苦しくないんでしょうね。うまく他人を交わすスキルがあるから。おれはないから厳しいって理解してもらえますかね。
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