独り言のページ06
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いてもタダなので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、世の中の矛盾というか理不尽というか何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。
2018年12月30日(日)
少し前に、仕事でムカついてムカついて仕方がない事があった。要するに俺はイジメと受け取った。その本人がこの文章を読んだら気が付くのだろうなあと思ったので当時は書けなかったが、今となっては読む可能性もないし、アカの他人になって時間が経過したので時効だろうと思うので書く。仕事で若いくせにエラそうに正義感を振りかざすヤツがいた。一応チームのリーダーの立場なのだが、朝会社に出社して来ない。9:30開始なのだが定時に会社に来たた試しがない。1度もない。10:00にチーム内の朝会というミーティングを実施するのだが、これにも大部分が遅刻。どうかなあ?半分以上は11:00出社とか昼出社なので、朝会に出られないために、その日のメンバーのタスクが把握できない。当たり前だが、その個人タスクの進捗でトラブルになることも多い。あのタスクは遅れてもいいとチーム内の了解を取った。言った。言わないとか。本当にくだらない。朝定時に来れば良い。しかし絶対に来ない。そんな感じで自分にクソ甘いくせに、他人の仕事については、意地悪、差別するかのように間違いを指摘してきて、もう、その攻撃をしている時の快感の顔を見て、こいつ変態だなと感じた。自分が正義感を振りかざして、悪いヤツをこらしめている。なんて自分は良い行いをしているのだろう?という陶酔感なんだろうと思う。本当にバカでくだらない。そのくだらない満足感のために、俺のタスクが遅れる。そしてまた怒られる。最初のうちは向こうが正義を言っているので、まあ仕方なくつき合っていたわけです。歳下だし。指摘され資料を修正し、再度内部レビュー実施。そして再度直される。延々と同じタスクを1か月やらされた。さすがに疲れてくるわけです。普通の企業であれば、正確な方が良いには良いが、ある程度のところで妥協して、終わらせて、次のタスクに行くのが普通です。指摘されている内容は、そんなに重要な部分ではなく、方向性はほぼみんな理解している。しかし、細かい部分を突いてくる。その一例、文章の粒度を指摘されること。改版履歴があって、過去にいろいろな人が書いている。中には適当に書いている人もいる。要するに内容がわかれば良いわけで、改版履歴を見て目次のように判断できるような、かっこいいというか、正確な文章が書ければ最高です。だけどわかればいいじゃん。過去の人もある程度省略しているんだから、いいじゃん。と言ったんですが、過去の人が適当だから、今適当に書いて良いという理由はない。とまた正論。クソですわ。改版記録を修正し直している時間、この無駄な時間はどうなりますかねえ。本気でこいつ変人・変態だと思った。次の例。資料の備考欄に書くコメントの条件がよくわからなかったんですね。これも過去に書いた人がその理由を記録していないから、今わからないのですが。備考欄なので、一旦後回しにして、タスクを前に進めいたいと言ったんです。備考は備考で重要なんだから、ちゃんと調べて書け。と言うんですね。確かに正論で言ってくる。その備考の文章を書くための調査を長期間やって、本編の資料作成が遅れたら本末転倒じゃないですか。それでもやれと言うんですよね。頭おかしい。そのせいで、さらに1か月そのタスクが遅れたわけです。1か月かけても解決せず、ついに俺は営業に言いましたよ。それで、その仕事はやる必要ないと判断された。そして別のタスクを開始した。その直前まで、あんなに指摘し注意し、遅れていることにも文句を言っていたが、そのタスクの切り替えタイミングで、そのリーダは、いいです。僕がそのタスクを巻き取ります。チーム内で宣言前しているんです。しかし、そのタスクは放置ですよ。何カ月も放置。そんなに急ぐこともないしそんなに重要ではないタスクをずっとやらされていたことになる。さすがにムカつきますよね。何ですかね。この業務管理。やっぱヤツは狂っています。その怒られている時にPERSONZのFUTURE STARという曲があるんですが、歌詞の中に、泣かないでYOU'RE MY FUTURE STAR、負けないでYOU'RE MYFUTURE STAR目をそらさずに戦って、というのがあります。この独り言の前の方で、ギターを弾いて歌詞はあまり聞かずに、元気と勢いの良いものを弾く。。。詳細はもっと語りたいですが別のページ参照。と書いたと思います。確かに今まで歌詞は聞いていませんでしたが、一応日本語なので、世の中は理不尽なことがあるけれど、その流れに負けずに頑張ろうぜ、みたいな歌詞は自動的に脳に到達し、何らかの元気につながっていたと思います。それで、この当時のこのイヤなクソ野郎の説教の時に、自然にPERSONZのFUTURE STARの負けないで泣かないで戦って、というのが脳みそに出てきた。そして無意識のうちに体でリズムを取り小さい声で歌っていた。相手に聞こえていたかも知れない。たぶん小さい鼻歌程度に聞こえていたと思う。聞かれたところでまあどうでもいい。リアルに声に出したという行為が、当時の俺を救ったと思う。あの頃、俺の頭の中は24時間PERSONZのFUTURE STARが響いていた。異常なくらい連続で曲が流れていた。特にサビの泣かないでと負けないで戦っての部分は強調され繰り返された。あの時は自分を救う念仏がPERSONZのFUTURE STARだったのだろうと思うとPERSONZにお礼を言いたい。学校の合唱コンクールのように、文部科学省が決めるような課題曲は正直おもしろくない。そんなんじゃなくて、自分の人生の中で、その現場で自分に最適な曲が自分の人生を救うというか変えるというか、脳内のアドレナリンの魔法なのか?何だか知らないが、とにかく脳の能力に驚いた。自分の身体を守るために自動的にそれが発動したのだと思う。最寄り駅の都営浅草線のホームでながらスマホをしているヤツを突き落とすか、自分が能動的にホームから飛び降りるか、そんな限界まで追い込まれていた俺は本当に逃げ場がなかった。どうしようもない場合は人生逃げてもいいんだよ。という事を学んだ一例です。
2019年01月03日(木)
ちょうど話題が関連するのでその続きで書いてみる。正月なので年賀状が来る。自分のオヤジからも当然来た。その文面に、人生苦しいことがあるので、歯を食いしばって耐えることが大事、という内容が書いてあった。以前にも同じようなグチを書いたが、ここでもあえて書く。この紙面はタダなので。自分で言うのもアレなんですが、私は忍耐強いことは結構周りの人よりもレベル高いと思うんです。じっと耐える。ひたすら耐える。周囲にアサーションを実施する能力がないために誰よりも強力に耐えます。それ以外に手段を持たないのでそれしかできない。そして、最後に限界値に来て爆発する。上記のPERSONZのFUTURE STARの事例のように、これ以上限界でダメです。とことん我慢するんです。人間そこまで我慢すると精神、人間崩壊しますよ。ヤケくそになって犯罪犯したりしますよ。そういうのに耐えて犯罪を起こさないことが人間として大切だ。と言いたいのだろうが、そんな仙人のようなヤツがいるだろうか?神のような精神力を持った特別な存在なら、そもそも自分の人生もっとうまくいっているはず。うまくいかないのはわざとではなく、そういう不器用な言動しかできないから。そもそも論をすっ飛ばして、お釈迦様のように強い精神力を養え。というのはただのアホが言う暴論。世の中正論、理想論を言えば済むなら警察も自衛隊も軍隊もいらない。良い事悪いことは理解できるが、自分がたどり着けないから苦しんでいる。正解方向には進めないし、悪への進行は止めるべき。では今俺は何をすべきか?他人に迷惑をかけないために死にますか?という流れになりますよね。そいういう発想がダメなんだと言うんでしょうね。だったらこの苦しみを取り除いてくれと言いたい。そんなの自分で考えろ。と言うでしょうね。考えてもわかりません。だったら人間やめろとなってきます。出口がない状態で前方からの攻撃が激しい時は人間どうしますか?その場で自害するか、全員突撃して部隊全滅するか、こんな選択肢しか残っていませんよね。脳力のない人にただただプレッシャーを与え続ければ何か新しいものが開けるのか?答えはNOであります。他人はその人の経験を全部引き継ぐことはできない。なのでそいつが悩んでいるレベルが正確にはつかめない。正確につかめない中で、精神力が足りないと罵倒する連中は、無能としか言いようがなく、世の中にとって害である。が理想論、正論を言うもんだから、なんとなく民衆はそいつが正しい、とか、立派だとか勘違いし、その配下にいる悩める弱者は悪である。改めるべきだなどとほざく。これが正論をさけぶ連中の正体であります。そして、俺がこの歳になっても、その正論を押し付けることが正しいと信じ、年賀状までに文章を書いてくる、うっとおしい自分のオヤジがそこにいるわけです。その考えは間違いなので、俺は関わりたくないんです。放置して欲しいんです。あえて、こうやって絡んできて俺の心をかき乱す。本当に余計なことをやってくれる。邪魔しないで欲しい。俺は自分の精神をかき乱されるのが一番イヤなんです。あんたの考えは聞きたくない。今その考えを聞いて何か人生の解決策になりますか?まったくなりません。うるさいからやめてください。本心。本気でやめてください。正月そうそうイヤな空気感でスタートしてしまった。クソが。と文章を終えるはずだったが、1月1日に年賀状をもらって気分が悪くてしかたがない。年末はいい事はなかったかも知れないが、今後の希望も込めてなんとか良い人生に転換していければいいなという気持ちも少しはあった。今3日だが心身疲れてしまっている。こんなふさぎ込んだ気持ちで来週、仕事再開できるのか?あの年賀状の一文がどれだけ俺の気持ちを逆なでしたかわかるか!クソが!忘れかけていたこの気持ちの乱れハンパない。オレに言9歳のガキに言うような一般論は言うな。いつまでもガキの思考ではない。何十年も経験し自分で判断している。いまさら何をコントロールしようとしているのか?余計な言動は迷惑だから本当にやめてくれ。逆に嫌がらせなのか?この紙面に本名を書いて呪いの言葉とし永遠に念を情報発信し続け、地獄行きの特急列車に乗ってもらう事を望む。貞男。本気で恨み呪う。Fucking Man!!今本当に体調悪い。という文句の後に、さらに言いたい事があるので追記。会社の仕事でAさんにあるプロジェクトを任せたとします。そしてAさんにまだ余裕があると認識した管理職は、別のプロジェクトも任せた。しかしAさんは自分の能力では、この仕事はできないと断わったとします。しかしその言葉を無視し継続して重い仕事を与え続け、残業が多くなって過労死で自殺したとします。パワハラ認定されるのが通常だと思います。それと同じ事をしていると言いたい。事例のこの上司は、Aさんはもっと仕事が可能だと思った。そんなに苦しんでいるとは思わなかった。そんな事になるとは思わなかった。そんなつもりではなかった。と言うでしょうね。そんなつもりじゃなくても管理責任を問われますよね。それと同じ。あんたの基準では大丈夫だと思った。だけど結果は大丈夫ではなかった。いくら言い訳けしても死亡した事実は変わらない。どんな言い訳けも通用しない。同じなんですよ。自分がどれだけの事を強要しているか認識がない連中が多くて、迷惑を感じている人が大勢いる。本気でムカつくし本気でクソ野郎だと思います。イジメですよパワハラですよ。昔はそうだった。とか戦争時代はそうだった。と言う言い訳けも通じませんよ。今戦争時代じゃないので。昔はやっても良かったが、今やると犯罪になる法律はたくさんあります。今の時代の法律・ルールに従えない人は死亡してもらうしかない。昔はそうだった。しかし今はそうではない。昔が懐かしいくて昔に戻りたいのであれば、勝手にタイムマシンに乗って、勝手に消えてください。勝手に行方不明・失踪してもらってかまいません。まったく問題ないです。害だもんね。時代の変化を感じない老人は本当に死亡してもらうしかないです。
2019年01月21日(月)
あまりにも理不尽な思いをするので、改めて考えてみた。過去の独り言では、自分を育てた親や先生や環境がマジメ人間を作ってしまった。融通が利かない変人に成長してしまった。と書いた。遅刻をするというのを例に挙げることが多いが、単純で分かりやすいので書いてみる。遅刻をするのは悪である。学生だろうが社会人だろうが、アメリカ人であろうがロシア人であろうが、遅刻は悪である。しかし、サラリーマンは結構、遅刻を黙認される。そして仕事ができる人ほど、遅刻しても減給されず、気をつけろよくらいの軽い注意で済む。社会人で遅刻する人ってもう決まっていて、しょっちゅうするんですね。またあいつか。みたいな。仕事がちゃんと結果が出ていれば文句言われないパターンが多い。というより経験で言わせてもらうと、ほぼ100%である。遅刻は悪である。アメリカ人もドイツ人もインド人も悪であり、疑いようもない。しかし、社会人になって、仕事上とかあいまいな部分ってかなりあります。その部分を独自の解釈をすると、間違いだのバカだの何だのと批判される。あいまいな事項だから、若干違う事もあるじゃないですか。それに真剣に考えてその意見にたどり着いたのですから、ふざけてるんじゃないしマジメなんです。それを、ここぞとばかり批判する非難する人間が多い。どんだけお前らエライのか?先ほど言った、遅刻は世界の中、地球全体の悪なんだけど、そういうのは放置して、マジメに考えた案を蹴散らす。なんてむごい世の中だ。むご過ぎる。いい加減にやってダメなら、まあなんとか自分の反省とかもありますよね。マジメに答えてるんですもんね。そうしたらバカにする非難するんじゃなくて、わからないから優しく教えて欲しいわけです。本気でわからないんです。最初からバカにしているので非難は思い切り全力でやってきて、教えるのは適当。っていう場合が多い。それって差別ですよね。本当に世の中生きて行くのが苦しいと思います。差別ってこういう中から生まれてくるんだなあと思います。これって自分が悪いんですかね?自分でも制御できないんですが。それでも悪なんですかね。生まれながらにしてついた特徴という解釈はされないのでしょうか?生まれながらに手がない人は見て分かります。生まれながらにして、他人とは感覚が違うと思っていて、小学生時代とか中学生時代とかクラスで苦労した。というのは、単に脳の考え方が少し違うだけであって、それを非難され悪と言われても、どうしようもない。そのどうしようもない事を繰り返すと、またやったな。となる。だってどうしようもないんだからね。大人が悪意のある子どもを叱るようなことでは解決しないわけですよ。それがわからないから。また再度同じ繰り返し。悪人じゃないんです。悪意じゃない。生まれつき手がない人と同じと思ってもらえませんかね。息苦しくて仕方ないんですわ。
2019年01月22日(火)
私は貞男さんから子どもの頃から、長男だから勉強しろ、長男だから我慢しろ、長男だから○○しろ、と何百回も言われていました。子ども時代に本気で思っていたのは、長男って最初に生まれたから長男ですが、先に生まれたから○○しろと言うのはおかしい!と前から思っていました。後から生まれた人には甘やかすのか?さすがに考えがおかしい。でも頭ごなしに言う貞男さんに反抗すると怖いので言えませんでした。戦国時代や江戸時代じゃないんだから、長男が家を継ぐとか、そういう風習はもうないから頭がおかしい。恐怖で従わせるのは、戦国武将の大将の歴史を読むとわかりますが、さすがにNGです。織田信長は暴力を使い恐怖で従わせて最後死にます。人の心理を読み説得とか説明によって家臣がついてくる例はいっぱいあります。黒田官兵衛とか黒田長政とか真田幸村とか伊達政宗とか、武力だけではない知恵を駆使して乱世を生き抜く姿はかっこいいと思います。本気であこがれます。ジジイになって人生がどういうものなのか?自分が歩んで来た人生、自分に対する過去の教育は間違っていたなあと痛感しています。まあもう歳なのでやり直すにはジジイになり過ぎました。大昔、賢吉さんの葬式に札幌に行った時、私はまだガキでケツが青く、浮足立っていたので理解できませんでしたが、今となってなんとなく想像できます。あの時Tさんがお経を読む坊さんに何らかの理由で激怒しどなった。経緯はわかりませんが、遺族の気持ちがわかるのか!、みたいな感じで怒っていた。その隣には貞男さんがいましたが、なんかボーっとしていて、自分は関係ないみたいな顔をしていたのを覚えています。あの瞬間は理解できずにそのまま流れて行きましたが、今考えると、貞男さんがおれに言っていた、長男だから○○しろ、というのとはかけ離れていると感じます。何が言いたいのかと言うと、貞男さんは長男なんだけど過去に長男らしくして来なかった。その教育をそのままおれに押し付け、強制的に従わせようとした。しかし失敗に終わった。そもそも貞男さんが自分できなかったものを、おれに押し付けていたと気づいた。許せない!激昂の嵐であります!何だそれ?ガキだと思ってなめんなよ!
次の話題。ここでも再度、遅刻の話題になりますが。昔、遠藤チヨさんに聞いたことがあるんです。貞男さんは時間をちゃんと守る人です。良い人ですと言っていました。その時は子供だったので理解できませんでしたが、今思うと時間を守って遅刻しないように行くのは当たり前であり、それはほめる理由にはならない。今本気でそう思います。時間を守るのは普通。一般的な内容であります。自慢になりますか?なりませんよね。そんな理由で結婚相手を選んだのか?と思うとなんだか寂しく感じます。
2019年02月10日(火)
今回はなんとなくいつも感じていることを思い出したので書く。何かを始める時、初心者なら基本を教わりその基本通りにやって、あとから応用編に入っていく。しかし、稀に天才がいて、その基礎の部分をすっ飛ばして自己流で最短距離で達成できてしまう人がいる。セオリーはセオリーなんだけど、それが自分に合っていなかったり、自分なりにアレンジした方が良い結果が出てしまう。スポーツ選手とかはそういう芸術的な人が多いと思う。ゴルフでは青木功さんだと思う。あの猫背のショットは、通常素人さんには教えない。しかし、それが本人にとって合っていたということ。最近思うのは、土屋圭一さん。ドリフトで人気が出てきたんだけど、昔は普通のサーキットのレーサー。若い時、原付で鈴鹿サーキットまでレースを見みきて感動したと言っていたように記憶している。その後、レーサーになるのだが、トヨタAE86に乗ってものすごい活躍をする。コーナーは、グリップではなくドリフトした方が速い。という理論。派手な見せるドリフトじゃなくて、グリップからタイヤが滑るか滑らないかのギリギリを攻め、他の人よりも若干ケツ滑っているかなあ?くらいなんだけど、それが真骨頂なわけです。レイン時はほとんどのコーナーでドリフトしていたらしい。タイヤの滑る限界を体で感じているから、どこまで攻めれば良いか、どこまで踏めば良いか、どこまでブレーキを残すか?というような感覚のセンス人並優れていたからだと思いますよね。晩年の土屋圭一さんがどこかのサーキットで走った動画を見たのですが、一般的レーサーというんですかね。定石で走っている選手と違うなあと感じたんですよね。コクピットカメラに切り替わるとそれがよく理解できるというか、直観的に頭に入ってきましたね。タイヤのグリップ感に敏感なので、ちょっとした無理をするとか、ここはこのラインで行くとか、そういうデータがあるんじゃないかなあと思うんです。で、前置きが長くなったのですが、私もそんな感じがする場面が多いんですよね。レースじゃなくて一般的な日常のことや仕事のこととか。このやり方が正しいんだけど、若干ここを少し変えたい。変えることによって、自分にさらになじんでくるんじゃないか?みたいに思ってきて、研究心みたいなものがこみ上げてくるんですね。なので、一人試行錯誤していると、上司に怒られたりするんです。私は天才じゃないかも知れないけれど、自分なりにやりやすく工夫しているつもりなんですが、どうも、その独自性が気に入らない人が多いみたいなんですね。基本路線を外れていなければ、若干変わったやりかたでもいいじゃないですか。そういう頭ごなしのルールがあると、反発したくなりますね。
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