独り言のページ04
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いても基本なので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、生きていく事、世の中の矛盾というか、理不尽というか、何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。
2018年11月 17日(土)
油井正雪の乱というのを改めて知った。学校の教科書に書いていたので、名前は覚えていたが、正直、何をやった人
かは忘れていた。そうかクーデターとかテロなんですね。油井正雪の行動を未然に防げた。そのおかげで我々は非常に安定した徳川幕府の世の中を手に入れた。副作用としてかえって、社会の流動性は落ちた。大名家がずっと取り潰されることがない。大名家は大名家でずっと継続すると、これまで武士になっている人たちは、ずっと武士の地位を保証されるんです。浪人・牢人のようなフリーランスは生じない代わりに、拾われることはなくなった。一方既に武士の椅子に座ってしまった人たちは安定志向が増長されて重要ポストが世襲されていく。何かを成すということじゃなくて、失敗しないと言う事が目的になってしまう。これは新しい日本です。ここから、安定思考の日本人という社会になっていく。新しい日本安定志向の日本人社会になっていく。慶安事件というのは、日本の社会のあり方にとって、極めて重要なきっかけになった。現代の正社員と非正規社員の話に聞こえますよね。正社員に採用された人は、もう安泰・安定志向である。若い人たちは正社員になれないという事が、今問題になっている。安泰という名の間違えた思考で、ただただ何もしない。現状維持。動かない。この今の座を死守することが最大の目的であり、挑戦のカケラもない。この世の大人たちの風潮に、クソだなあと思う。オレもいつの間にか大人になってしまったが、こんな連中の仲間に入るのはイヤだと言わせてもうらう。油井正雪は間違っていたのではなく、権力が大きすぎて自分の手に負えなかった。そこそこの政治力・軍事力があれば、可能だったと、本気で残念に思う。自分のオヤジがこんな保守的な思想を持って、世の中へ自分の子どもを送り出そうとしていたと思うと、本当に情けないし、恥だなあと思う。ギリのお父さんは、こんな職場にいたら、だらけてしまう、と思って転職したと聞いている。考えが180度違う。ぬるま湯に入れば良いという教育を、オレがされてここまで年齢を重ねて、転職を繰り返すわが子を、ののしりバカにする自分のオヤジを見ると、やっぱオオカミのような、間違った獣のような顔しか見えない。今は、そんな気がする。
2018年11月 23日(金)
日露戦争って戦争って興味なかったんです。今でもあまり興味ないですが。日露戦争の世界最強のバルチック艦隊を破ったことだけは、前から知っていました。何で世界最強の艦隊を撃破できたのか?前から、その一点だけ気になっていました。名前だけ聞いたことのある東郷平八郎。最初、東条英機と親子か?と勘違いするくらい似た名前だなあという印象があった。で、東郷平八郎は丁字戦法をあみだした。戦艦と戦艦の決戦時の究極の戦術だと思う。日本軍って戦術を考案するのが得意だと思います。太平洋戦争のアウトレンジ戦法も同じで、空母を運用する際、研究しつくされた戦術。歴史を見ると、日本人は戦術を考案するのは得意だが、戦略を立てるのは、とことん下手だと思う。日露戦争である程度運も味方したところもあるので、過去の経験を真摯に受け止め、次の戦略を計画していれば、無謀で危険な世界戦争に突入しなかった?イヤ、仮に戦争に突入しても、日本軍は神が味方するので負けるはずがないというテングの思想にはならなかったと思う。なので戦線を拡大しても兵站が可能な範囲で効率的な防御をするとか、いろいろな手を打ち、実践し、別のシナリオを後世に伝えられたかも知れない。戦争でも仕事でもテングになって油断するほど怖いものはない。
2018年11月 24日(土)
このホームページにも書いてあるし、SNSやいろいろな場所に戦争好きと書いている。しかし、戦争は戦争でも、キライな戦争もたくさんある。で、キライな戦争、というか、明治維新とか幕末のストーリーは、いつもつまらないなと思っていて情報収集しない。今回はたまたまテレビ番組があったので見た。しかし、さすがに、ああいう戦争は無理だと改めて認識した。今後は絶対に番組は見ないし、情報収集もしないと心に誓った。で、何かと言うと、以下に記す。戊辰戦争のきっかけとなる鳥羽伏見の戦いの戦い。圧倒的な兵の数と最新式のボルト式ライフル。そして外国の近代的要素を取り入れた軍事訓練。何を取っても旧幕府軍が負ける要素はひとつもない。で、それが負けてしまう。その理由は、上記に書いた日露戦争のバルチック艦隊と同じで、敵をなめていた。油断していた。テングになっていた。東郷平八郎は弱小国の日本がどうすれば勝てるか?を考えた。それと同じで、旧幕府軍は田舎者の薩摩軍をナメていた。戦わずして相手が譲歩して、無傷で勝つんじゃね?くらいの本当に油断があった。このテレビ番組では、最新式のボルト式ライフルに弾を込めていなかったという事実がわかった。というもの。さすがにおかしいでしょ。戦争なのにボルト引いて弾入れないと撃てない。薩摩をどんだけナメていたか?がよくわかる。その後も、淀城に入場できないとか、いろいろな不運、徳川慶喜が逃げたとか、まあ、いろいろあって負ける。ライフルに弾を入れないものおかしいし、総大将の徳川慶喜が逃げるってあり得ないですよね。徳川慶喜は頭が良かったらしいです。頭が良いというのは、今現代で言う、勉強ができる。ってことですよね。いつも言うんですが、勉強と仕事は別物なんです。勉強よりも現場で経験積んで、修羅場をいくつも超えてきたヤツが一番強いと思っている。勉強ができて現場で修羅場を見てくるのが一番良いのだが、まあ、世の中あまりそういう人はいない。現場たたき上げ。現場の空気を読み、そして自分が行動し、より良い条件や環境に持っていく。自分が不利な条件で戦わないようにする。不利ならば一旦、退却をすることも視野に入れる。それが賢い者のやること。まあ、ようするに、幕末、明治維新ものストーリーはつまらないという話。これが戦国時代だったら違いますよ。少しでも判断が甘いと戦国の世を生き抜いていけませんから、戦国大名はみんな真剣勝負ですよ。相手をナメた時点で、死亡フラグが点灯します。日本史はやっぱ戦国時代が面白い。それと、もうひとつ言いたいのは、徳川15代将軍、最後の将軍の名前は何か?という問いにはみんな回答できます。オレも子どもの頃、自分のおふくろが、最後の15代将軍は、徳川慶喜ってすぐに答えて、ヨシノブなんだけど、ケイキと言っていました。テスト問題であれば、読み方なんてどうでもよくて、慶喜ケイキと書けばテストは合格する。それは、勉強ができるというダメな証明である。子どもの頃、おふくろはケイキと回答し、自慢していたように思う。しかし、徳川慶喜は総大将なのに逃げてしまうし、その後も徹底抗戦はせず、オレ将軍辞めます。と自分から逃げていく。そんな総大将さすがに士気さがりますよ。で、何がいいたいのかというと、自分のおふくろが徳川慶喜が逃げたり、謎の行動を取り最後はあきらめてしまう、腰抜け野郎ということを知っていたのかなあ?って今は疑問に思います。名前を答えるならテストは合格するが、その後の不可解な行動やヘンテコな言動をする、オレから見れば、一番愚かな将軍であるというふうに映る。幕府のかつての各大名、家臣も最悪だと嘆いたと思う。このリーダーについていけるか?自分の命をかける気になるか?ならないよね。という内容も含めて、テストの解答用紙に徳川慶喜と書いて欲しいなあと、今は思う。本気で世の中勉強じゃない。と改めて声を大にして言いたい。自分の両親のように、人生経験積んでも、自分の子どもにまともに人生論を教育できないような大人もいるので、本気で世の中クソ大人が大勢ひしめいているなと感じる。
2018年12月 04日(火)
この独り言のページは文句が多いと思います。だって、バカマジメに生きてきて、これだもん。言いたくなるよ。で、今日急に昔の事を思い出したので書く。小学生2年生の時、何のキッカケかはわからないが、急に自分の脳の中に響くものがあったんです。「あんたは、サラリーマンに向いてないので、サラリーマンになってはいけない。」という言葉です。小学生がサラリーマンがどういうものかは詳しく知るはずがないですよね。その時は、ああそうなんだ。と思いました。そのあと、時間が空いて何日かしてからだったと思いますが、親に言ったんです。ボク、サラリーマンになっちゃいけないんだって。向いてないみたいだよ。と言いました。オヤジもオフクロも、一旦は聞いたものの、ああそう、みたいな感じでスルーされた。オレも小学生だし内容を理解していないし、さらに親にスルーされて、そんなもんかみたいな感じで放置状態でした。その後、中学生、高校生と行きますよね。その時も自分はサラリーマンに向いてないから、なってはダメであるという意識は脳みその隅にはありました。しかし、今まで語ってきたように、強引な手法で進路を捻じ曲げられてきたので、サラリーマンになってしまった。その時も正直思いましたよ。脳みそへのお告げでサラリーマンになってはいけないと言われたが、経験豊富だし、親の言うことを聞いていれば、まず間違いないはずだ、だから、脳ミソのお告げはあったけれども、それに反してサラリーマンになった。その選択が間違いだと気づくまでにかなりの時間を要した。小学生2年から40年後に失敗と分かる。その時点で答えがはっきりしたとしても、もう手遅れ。自分の今までの50年の人生、どうしてくれるんだ。という後悔というか悔しい思いです。自分の子どもだから強引に自分の言う通りに「しつけ」ではなく「言うことを聞くように仕向ける」「飼育」「洗脳」するのやめてもらえますかね。本当に今、思い返しても悔しい思いしか残らない。責任取ってくれますかね。
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