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独り言のページ18
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いても基本なので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、生きていく事、世の中の矛盾というか、理不尽というか、何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。
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    2023年01月04日水曜日Wednesday (Wed.)
    2023年の最初の書き込み。キム秘書はいったいなぜのドラマの動画を見て、さらにお気に入りの部分を切り取り編集した。タイトスカートは大好物であるが、最初から最後まで同じようなシルエットであったため正直飽きた。その理由を考えてみた。秘書はスーツの上着も着るはずであるが、万年ブラウス。さらに時々、パンツスーツも着るでしょう。でも、万年ブラウスとタイトスカートのみ。同じシルエットのものが最初から最後まで継続すれば飽きるに決まっている。ファッションはメリハリをつけて、いろいろなバリエーションを使いこなしながら、絵てきに視聴者を飽きさせないようにしたいものである。それと直接関係ないのだが、今、日本で流行しているブカブカファッションってありますよね。上着もブカブカ。スカートもブカブカで限界までロング仕様。ズボンも大昔の不良のボンタンのような、自分の足の太さの3倍くらいの布を使っている、ブカブカズボン。これらがドラマの映像の中でまったく出て来ない。エキストラであろう通行人も基本、ミニスカートである。ここまでファッションが偏ると現実味が薄くなり、架空の加工された世界のように見えてきて、自分と同じ空間、同じ地球の物語と認識しなくなってしまう。とりあえず今日は、このへんで。


    2023年01月31日火曜日Tuesday (Tue.)
    昨日、都市ボーイズのYoutubeで前世の記憶をそのまま持った日本人の子どもの話題が出ていた。前世の記憶をもっていて、前に生きていた時の記憶をしゃべったりする少年は海外などでは、何人か報告されている。世界的には、そういう人がいるなあ、くらいに思っていた。今回の都市ボーイズの話は、日本人である。日本人ってあまり話題にならないので、興味深かったので内容を書いてみる。その人は、日本の元海軍の人で戦艦大和に乗って沖縄の方へ出撃し、アメリカ軍の航空機にボコボコにされ、沈没した戦艦大和から放り出され海に落ちたと語っている。自分は19歳で死んだのに、どうしてここにいるのか?と両親に質問したらしい。海に落ちた時は水が冷たかったとか、教えていないのに昔の軍歌を歌ってしまうなど、疑いようもないという感じの人。戦艦大和が見たいと言っていたので、両親が広島の大和ミュージアムに連れていった。そこには、全長26mの戦艦大和の模型が展示されている。少年はそれを見て、戦艦大和はこんなに小さくないと泣きながら訴えたという。通常の日本人が、全長26mの戦艦大和の模型を見たら、模型だけどこれだけでかいと、その実物の大きさを想像し、想像を超えた大戦艦だったのだろう。。。と思うに違いない。しかし、その少年は、こんなに小さくはない。と反論するということは、昔の戦艦大和に乗っていた記憶と比べてあまりにも小さいから、そう判断したんだろうと思う。そういう意味でも、前世は戦艦大和に乗っていた元海軍の兵であったと言うしかない。それを否定する材料がない。それで、その話を聞いて、自分なりに自分の人生を振り返ってみると、このHTMLにも何度も書いているが、俺が何も悪さをしていないのに、集団にイジメられることに関係するんじゃないかな?と思うことがある。それは、大昔のヨーロッパの奴隷貿易である。アフリカ大陸へ行き、現地人を強制的に収容し、船で外国へ運んで売りさばく。奴隷は家畜同様なので、人権なんかあるはずもなく、今の常識では信じられないことが当たり前のように行われていた。もちろん労働者としても使うし、見世物として戦わせたりして人々のエンターテインメントとしての使われ方もされた。奴隷にとっては生きるか死ぬかの状態・環境なんだけど、それを見る側は完全に楽しんでいる。遊びのためのペットのようなもので、その場が楽しければ死のうが、何しようが構わないという状況だったと思う。これは、完全におれの想像だけであり、証拠も何もないのだけれど、学校でも会社でもいいですが、その場の番長が弱者をイジメて、それを見て番長やその取り巻きどもが笑って見ている。それ、もうちょっとやれ!とか、はやしたてるとか、、、そんな光景に似ているんじゃないかなあって思う。今回の話は、前世の奴隷の記憶が残っているというわけではなく、理由もなく単にイジメられる存在という、変なクセ・変な属性が後世のおれにまとわりついているんじゃないかなあ?って思った次第です。


    2023年02月07日火曜日Tuesday (Tue.)
    ポーランドのマチェクという軍人の解説を初めてYoutubeで見た。感動し涙が出た。それについて書いてみる。 マチェクさん、かっこ良すぎる!!ドイツがポーランド侵攻して第二次世界大戦が開始されたのは知っていた。ポーランド軍は装備・兵器も古く、ドイツ軍の電撃戦で赤子の手をひねるように撃破された。。ドイツは、その後、電撃戦で各国をボコボコにしながら進軍していく。。。という歴史は知っていた。だが、ドイツ軍に対し対抗し苦しめ追い詰め、最終的にはドイツ本国への戦闘にも加わりトドメを刺し、ポーランド人として見事に不屈の意思を貫いていった。フランス軍へ編成された時、おれはイヤな予感はしていた。予想通りで、古い考えで伝統を重んじるフランス軍からは、外国から来た「ちょっとめんどくさい人」扱いされ、せっかくドイツ軍の電撃戦のレポートを書いたのに相手にもされず寂しい思いをした。おれなら、他国へ来て冷遇されたら、おれ外国人だし、理解されないようだし、まあどうでもいいや。みたいに開き直って、適当に仕事すると思う。歴史に名を残す人は、完全に人間が違う!!ポーランドは、第二次世界大戦後、ソ連に吸収されてしまい、帰る場所がなくなってしまうことなど、不遇の国だなあと改めて思った。大国によって小国が踏みにじられてきた歴史をみているだけに、2022年から始まったウクライナとロシアの戦争が1年も継続していて、他人ごととは思えないというのを強く感じると思う。ポーランドはウクライナの西側で、ウクライナ国民の難民を受け入れ、NATOからの援助物資を受け入れ、東西の人道的活動の架け橋になっていることは、過去の悲惨な歴史の中から生まれて来たんだろうなあと思う。国の大小は関係なく、優秀な人は世界で認められる。という良い事例だと思う。おれは、悲惨でかわいそうな悲劇のポーランド人である、と嘆き悲しむより、自分の才能・能力を十分に発揮する、悲劇的な状況でもあきらめない、という不屈の精神を貫くことは、世界共通であり絶対に認めてくれる人がいる。(昨今の軽々しいSNSの承認欲求ではない)優秀な人は、きちんと世界で評価される。マチェクさんの伝説の動画で、涙が出て感動し勇気をもらった。自分のできる範囲の事を黙々と一生懸命やれ。世界はお前を見放していない。マチェクさん、かっこ良すぎる。次の話題、ヒトラー・ユーゲントの話。ヒトラー・ユーゲントとは何か基本的なことは知っていた。少年の頃からナチスが教育し、ドイツの国に必要とした若者を集めた集団。基本的に年齢は若いので、まあ少年兵くらいにしか思っていなかった。しかし、連合軍が1944年6月6日に実施したノルマンディー上陸作戦後、ドイツ本国へ攻め込んでくるのを阻止する大量の兵隊が必要になった。この頃はもうすでに、東部戦線の快進撃も押し返され、東西からドイツ本国を守る、防御側へ回ってしまっていて、もはや大規模に連合軍を押し返す力は残っていない。多少は押し返したものの、どんどんベルリン方面へ撤退をしていく途中経過のようなものであった。しかし、ドイツ軍はまだあきらめてはいなくて、かき集めの兵士を部隊再編成し戦わせる。そのなかに、ヒトラー・ユーゲントも含まれている。当初ヒトラー・ユーゲントは、年齢が若いのでそれほど期待されてはいなかった。いろいろな戦歴を書くのは文字が多くなるので省略するが、さすがにナチスの教育という洗脳というか、それだけ士気が高かったので、いろいろな地域での戦闘でものすごい活躍をした。兵士というのは、士気と練度というものが重要になってくる。どんなに強い戦車を持っていても、その戦車に乗る兵士の士気と練度が低ければ、すぐに逃げ出して撤退してしまう。どんなに大軍隊でも、寄せ集めの士気と練度が低い場合は、何の戦力にもならない。むしろ戦車などの兵器が敵側に渡ってしまうので、高価な兵器を使わせるのが無駄、くらいにおれは感じる。ヒトラー・ユーゲントは、果敢に戦い、連合軍に手痛い傷を追わせる事が多かった。しかし、連合軍は数の優位もあり、どんどんドイツ軍を追い詰めていく。ヒトラー・ユーゲントは果敢に粘り強く戦うゆえに、その損耗も激しく最後は、当初の兵士の半分以下に減り撤退することとなる。ここで言いたいのは、日本軍の硫黄島の戦いとか、沖縄戦で米軍をおおいにてこずらせた。それは、日本兵も同じように、士気・練度が高く、どんなに味方が損耗しようともあきらめず粘り強く戦うからである。こういう近代兵器の時代に、精神論かよと思うかも知れないが、兵器を扱うのは人間なので、最後の最後は精神面なんだなと気付かされる。玉砕覚悟で敵陣突撃をはかる姿は、ヒトラー・ユーゲントと旧日本兵が重なるような気がする。


    2023年02月24日金曜日Friday (Fri.)
    泰子をかくまっているように見える、マーシーの対応に疑問があります。本人に確認したわけではないが違和感があります。あくまでもそう見えているだけで、悪意がないかも知れません。そのモヤモヤの違和感を払拭するため理論武装をするため今回、山田玲司の不登校の動画の文字起こしをしました。あえて言うと、後の自分のためっていうことっですかね。もしかしたらそうかも知れません。△ 不登校の学生の話しを語っているので、私が語りたい部分とは完全に一致しません。しかし、この中でおれが言いたいこと。過去にこのHTML内に書いてきて足りなかった部分の補足・補完、さらに、私が表現できていなかった内容についてのストレートでダイレクトな文章表現を見つけましたので感動しました。おれ、こういう事が言いたいんだ。不登校とは自分は無関係なんだけど、この動画には世の中への不満・学校への疑問・学歴社会に対する反発・その他大きなテーマや問題が包含されており自分も賛成ですしガチ感動しました。それで、自分が言いたいことだけを切り取って出すのもありかなあとも思いましたが、せっかく山田玲司さんが不登校について熱く語っていますので、みなさんに見ていただいてもメリットがあるんじゃないかなあと思ったので全部載せました。△まず貞男に関係ない部分で、今学校が荒れているということについてです。私は学生ではないので、不登校ではなく、学校を卒業した自分が経験した会社・社会が荒れているということに触れます。過去に一部上場企業にいましたが、その中でも上品に周囲にあまりわからないように、 イジメを受けていたと認識しています。今で言うと仕事ができない老害社員なので、会社のためにならないので、コキ使って捨てれば良いというもの。さらに強烈だったのは、このHTMLのどこかにも書きましたが、ブラック企業に入ったときの話しで、おれは何もしていないのに、会社辞めろだのお前を辞めさせて新人を採用した方がいい、だの、ストレートなパワハラ、ストレートな強烈なイジメがあった。マイルドかハードかは別としても、パワハラ、イジメなど目に見える見えないなど様々な方法で散々苦しめられた。これは、動画内で学校が荒れている、従って学校を卒業してきた人たちの心が荒れている。従い、動画内で言われている心を殺して学校で勉強してきた連中の大人の姿が、これなんだと思いました。学校で荒れていました。従い学校を卒業しても、大人社会の中で、変な軍団を作ってイジメる構造を維持してしまう。そういう土壌が完成されていて次の階層に引き継がれている。不登校の話というのは、大人の世界の強者・弱者の関係も語れるような大なテーマだとおれは思っています。△ で、 その中で、貞男に対するピンポイントで文句を言いたい内容を下記に記します。 (1)子どもの向き不向きを考慮し育てられない。自分の考えを押し付ける。 (2)職業の差別。 ホワイトカラーになれとか、ブルーカラーになるなとか職業を分類し差別する。そして上記と同様に自分の考えを押し付ける。 (3)他人の話しを聞かない。聞く耳を持たない。 山田玲司さんの動画の中で、不登校の子どもに自分の過去の学生時代の話しをしても無駄であるという話がある。 ではどうするか、子どもと話しをしてよく聞いてやることだと言っている。 貞男は、まあ他人の言うことを聞かない。自分が間違っていても、どこまでも認めない。 変に捻じ曲げて頑固に意固地に固執する。もうね単なる脳みそがおかしいジジイですわ。 (4)学校へ行っていないということへのコンプレックス。 おれは4年生大学へ行っていない。自分自身別に何も感じない。 このHTMLのどこかにも書きましたが、50歳を越えて4年制大学へ入れと貞男が言って来たことがある。 貞男が4年制大学に行っていない俺に対する、自分の子供として恥ずかしいとか認めたくない的な変にねじ曲がったコンプレックスが招いている結果だと思う。大学へ行くのは親ではなく本人であるということを、理解できていない。上記同様、自分の考えを押し付ける。貞男の失敗は、思考・思想が間違っているにもかかわらず、上記の事例の通り、自分の考えを押し付けること。ここが人間としてまったく受け入れられない。子どものの人生、子どもの好きなように人生を選択させてくれない。まるで、戦国時代の武士のお父さんが、自分の娘のために他家の武将と結婚させるため、自分が選んだ人じゃないと認めない。親が決めた結婚相手じゃないと承認しないという、まったくもって、古典的な古さ、古臭さのカタマリで最低最悪。△ そしてその最低最悪な思想・思考の人間に付いていこうとする泰子のなんと最悪のことか。シングルマザーが男を連れてきて、シングルマザーの子供を虐待し死亡させる事件などは多く発生している。子どもに手を出して人を殺すのは、連れてきた男だとしても、それを見て見ぬ振りをする、スルーするお母さんは、殺人ほう助という罪状に問われる。まるっきり悪人、罪人というわけではないが、お助けをしている、手伝ってしまっていることをくみ取ると、ザックリ半分は罪人とみなして良いという判断になろう。泰子は最近、めっきり元気がなくなり、かなり弱って来ていると伝え聞きます。おれに言わせれば、自業自得、身から出た錆であり、ガキの頃、さんざん泰子に言われて来た言葉をこの機会に、ガチでまるごとそのままお返しをする。ざまあかんかんとは、このことである。十分思い知ってもらえれば幸いである。△ 下記に、山田玲司さんの不登校の動画の文字起こしを貼り付けます。 △ ある方の娘が学校に行かなくなってしまったと、小学校3年生の娘が不登校になってしまったと、で、 こういうときに親がどうしたらいいかって悩んでるっていう相談を受けたんですよね。 で、子ども側からも学校へ行きたくないっていう相談もだいぶ受けますよね。 親も親でね毒親になりたくないって思ってるわけですよ。 じゃあどういうふうに対処したらいいのかわかんないから動画出してくんないかっていうふうに言われたんで、 この機会にこういうとき、僕はどうしたらいいかっていう、こういうときどうしたらいいかっていう話をちょっとしたいと思います。 ぼくの意見なんですけどね。 まず、第一に学校行きなさい。学校行かないでいいという議論の前に、前提として親は子どもにどうなって欲しいのか、っていう話を考えるとですよ、基本的には親は子供に幸せになって欲しいと思っているわけですよね。 じゃあ幸せになるにはどうしたらいいか。 普通になって欲しいと思っているわけです。 近所の子はちゃんと学校行っているのに、うちの子だけ行ってないというのは、うちの子は普通じゃないから大変だと言って騒ぐというのが、日本のパターンですよね。 まあ、できれば子供にこの過酷な社会でなるべく安全・幸せになって欲しい。 安全・安定な道に行って欲しい。 そういう職業について欲しいって親は思ってるわけですよ。 なんでかというと、親会社があり子会社があり孫会社があり、下に行けば行くほど頑張ってんのにお金もらえない、ってうね。 それでいつクビ切られるかわかんない、みたいな結構つらい暮らしをしてるんで、ひゃあね、トップの学校に入ってトップの企業に入ったら安心でしょと、とりあえずそこにたどり着くまでは何も考えずに勉強しろっていう。 それで学校というのは、そもそも過酷な社会に出るためのレッスンをするところだと、それなのに、できないって言うのは本人が甘えてんじゃないかと、で、私の頃はそれでも頑張ったんだと、それが生きるってことなんだ、みたいなお父さんいらっしゃいますよね。 そんな感じで子どもを追い込んで行くパターン。 それで子供が壊れるっていう、これが今の日本のパターンですよね。 私の頃はどうのこうの、普通はこうだって言うと子供たちは聞かなくなりますよね。 この人に何言ってもしょうがないんだっていうふうになっちまう。 子どもはどういうふうな状況にあるのかっていうのを整理するとですね。 子どもの方は明らかに80年代とか90年代前半くらいまでの学校とはまったく違う学校になってるんです。今ね。 だから、お父さんお母さんが体験していた自分が行っていっていた学校っていうものと今の学校は違いますよね。 表面的には部活動やってます、みんなが頑張ってマラソンとか校庭走ってたりとかするから一見変わってないように見えるかも知んないですけど、中身は内情はひどい、めちゃめちゃ変わりましたよね。 学校にいる子どもの達ってのが明らかに、その心が荒れてるんですよ。 家でひどい目にあっている子どもは、学校を地獄にしたいんですよね。 何が起こるかって言うとリンチですよ。 イジメなんて言葉じゃないくらい過酷なリンチが行われてるんですよね。 それは精神的・肉体的な迫害っていうか、これは想像を絶するような過酷な状況ですよ。 それに、無理だと、例えばリンチに加担しろと言われるのも無理だし、リンチの被害者になるのみ無理だと、もしくは、こういった雰囲気のところにいたくない、みたいな人が学校に行かなくなるっていう。 まともな子ほどそんな異常な状態に耐えられないっすよ。 誰かがイジメられている。それが当たり前になっている。とかそういった状況ってことに耐えられない。 だから、あの、心が死んでない人ほど学校に行けなくなるんですよね。 こういう学校に馴染むためにどうするかって言うと、どっか麻痺しなきゃダメなんですよね。 ぶっ壊れなきゃいけないっていうかね、壊れて心を殺さなきゃいけないっていうね。 心を壊した人間が支配している空気っていうのは、これはずっと続いていますよね。 もちろんね、地方の学校とかそうじゃない学校もたくさんあるとは思うんですけど、こんだけ現状、学校に行かないっていうことが増え続けるっていう背景は、子どもが甘えてるんじゃないんですよ、やっぱり学校が異常なんです。 そんな狂った状況にあるっていうことを、まず前提として理解した方がいいと思いますよ。 もしくは僕なんか体験していますけど、先生がいても無茶苦茶なんですよね。 学級崩壊なんて言われてもう20年くらい。 根本的な解決がされないまんま、今まで来てるっていうことなんで、じゃあその歪はどこに来るかって言ったら人間の心でしょ。 心が壊れるんですよ。 じゃあね、学校に行かずにフリーでやってってもいいんじゃないの、っていう話ありますよね。 そんで、学校に行かない人たちもたくさんいます。 僕の知っている範囲でねたくさんの人、取材しましたけど、学校行かなかった人ってたくさんいるんですよ。 んで、むしろそれで大成功している人の方が多いくらいなんですよね。 ちゃんと学校行きました。成功しました。というよりは、学校無理でした。成功しました。幸せです。っていう人たちの方がたくさんいます。 それは僕が会ってきた人たちは、そうだったんですよね。 だけど才能の話で言うとね、そんな人は何万人に1人だと、何百万人に1人だと、大谷翔平はそんなにたくさんいない。 藤井聡太はそんなにたくさんいない。 うちの子どもは普通の人間なんだと、だからせめてちょっとでもマシな学校に行って欲しいんだ、って話になるんですけど、学校で良い成績を取るっていうのも才能なんですよね。 成績が良いっていうのは、あれは、ご存じの通りですよね。 記憶と判断力とテストの点を良くするため、直感的にそれをつかめて、それが努力できる人間なんですよ。 これはいるんですよ。 頭が悪くても成績が良いっていう人はいるんですよ、一定数ね。 で、そういう人が結果出して頭良いとか言われたりするんですけど。 例えば勉強にまったく向いていないのに学校へ行かせるっていうのは、あの、猫にね泳げって言うようなもんですよ。 猫を川に放り込むようなもんです、学校に行かせるって言うのは。 もしくは魚に飛びなさいって言っているようなもんですよ。 水の中から引っ張り上げて、それくらい向かないことをやらせてるっていうね。 それで、悲鳴をあげているんですよね。 無理です。泳げません。私、猫ですからってなってるのが不登校ってやつ。 で、その川っていうのはね、ある人にとってはとても居心地の良いところかも知れないけれど、私にとっては地獄です。 さきほど言ったように、学校は荒れ果ててますからね。 そんなところには私いたくないですって言って、いたら壊れます。 もしくは、そこに馴染んで他社を蹴落とし、これで点数上がるだろうって言って割り切り、何も考えずに勝つっていうところで集中して成功したところで、どういう人間になるかと言うと、イヤな奴になるんですよ。 エゴイストを産むんですよ。 で、エゴイストが支配してる国だからねこの国がね、こんなに荒れてんですよ。 自分だけ良けりゃあいいっていう国、そういった政治、そういった産業みたいなね、そういったものが覆ってるから、みんな荒れちゃってるわけですね。 どっかなんとかしなきゃいけない、猫は猫の人生。 それをどうにかしなきゃいけないっていうことですね。 本当に能力っていうのは、わかんないですよね。 何に向いているかっていう話で、例えば野球が好きで野球の世界に行きたいと、だけど、誰もがトッププレーヤーになってね、大谷翔平みたいにスターになれるか、って言ったらそうじゃないですよ。 だけど、例えば球場の管理運営に関してもしくはコーチの仕事だったりとか、まあそういったことに関しては、抜群な能力を持っているとかね。 もしくは、交渉能力とかいろいろな仕事があるわけですね、野球周りにもね。 ジャーナリストもいますしね、野球マンガでもいいんですよね、野球マンガ描くとかね。 そういったその人に合った何かっていうのが見つかって、それがお金になれば幸せですよね。 それが継続するのかどうかって言ったら、会社入ろうがフリーでやろうが、不安定なのはデフォルトなんですよね。 もはや幻想なんですよね、安定っていうのは。 だから、お国の仕事しててもわかんないっていうのが現状です。 それは世界見てればわかりますよね。 そんなわけで、グランドの管理をやらせたら最高の人間に大谷翔平になれって言って、無理矢理鍛えたりとか、 もしくは、藤井聡太さんいるじゃないですか将棋の天才のね、あの人に親が、お前はボクシングをやれと、で、ボクシングで世界チャンピオンなれっつってジムに放り込んだら大変な悲しいことになったと思いますよ。 向いてないことはさせない方がいいんですよ、で、向いてることっていうのは、本人が探し出すしかないんですよね。 それって何かって言ったら、好きにやらせるしかないんですよ。 好きにやらせるうちに、なんかこれすげえできるっていう、これ得意、いつまででもできると、で、それは、親が判断することじゃない。 本人が続けられるか、やりたいかどうかっていうことかどうかです。 これがまず第一なんですよね。 で、それをお金にできる状況にするために、本人が考えるというのが一番良いと思います。 だけど、 それのサポートはできます。 例えばここに行くとこういう人がいて、こういう同じようなことをやっているような人たちがいて、で、そこに1回行ってみるっていうのに付き合うっていうのくらいは、できるかも知れないですけど、基本的には自分でやるしかないんですよ。 とはいえね、山田さんね、私は不安ですと、子どもが普通じゃなくなっちゃうことに対して不安だ、っていうね、それに関して僕が言えることは、あのね、大丈夫だとしか言いようがないですね。 何とかなっちゃうよって、ただ、すぐになんとかなるわけじゃないよ。 環境が生み出している問題なので、そのなんとかなるというのが、例えば学校に行くようになるとか普通になるとかっていう、その感覚とちょっと違いますよね。 幸せになるために本人が考えて人生を生き生きと生きていく、っていう、その状況に行くってことですね。 これは追い詰めなければそんなに時間かからないと思いますよ。 周りの人間が学校にいけないからお前が悪い、お前が異常っていう感じで追い詰めたら子どもは壊れますから、壊れたらなかなか立ち上がるの難しいですよね。 だから学校に行けないんだっていう状態になったら、とにかく徹底的に話を聞くしかないんですよ。 で、話を聞いて意見しないって言うことです。 何でかって、じゃあ親として大人として、たくさんのアドバイスができるんだって言うけど、まったく通用しないですよ。 なぜかというと知らないからです。その子じゃないからです。 その子しか体験していないからです。 できることは気持ちを汲むことしかないんですよ。 そうか大変だったなって言って、今はゆっくりと好きなようにしたらいい。 っていうふうに一旦、その人の人生を好きになっていいよっていう状況にするっていうのが、まず第1ミッションですよね。 だけど、周りの人たちがたとえば普通じゃなくなった大変だ、ってなってるときに、おじいちゃんおばあちゃんの世代も込みでね、一族でね子どもをね、おまえはまともじゃないんだってうふうにして責め始めたらね、これを見ている人は、できれば、それを食い止めるっていうことに全力を尽くしてもらいたいですね。 待とうよとりあずって、で、説得したって無理ですよ、だってそう信じ込んでますからね。 知らないかえですからね、だからとりあず時間。 本当にこう、はっきり言いますけど、僕が言えるのは、この国で自立する1人で生きて行く、ちゃんとした人間になるっていうことに、時間がかかるんです。 35歳までかかります。35歳までは好きにして良い。と僕は思っております。 で、35歳ぐらいになったらなんとかなっちゃうんですよ、ほんとに。 なのに、20歳そこそこで何とかしようって思ってるから、古いんですよその感覚が。 そうじゃないですよ。 学校へ行っている間は死ねって言われてる時間ですから、心を殺してただ従えって言われている状態なので、その時間っていうのはまるまる成長していないんですよ。自分じゃないから。 自分になってからの時間っていうのは、おそらく20歳代中盤くらいから始まると思いますよ。 20歳代中盤から学校っていう呪いの磁場から離れ、親という磁場から離れて、自分になるんですよ。 そこからお金を得て、自分で生きて行くっていう、そこまで行くまで10年くらいかかって当然だと思いますよ。 それくらいインフラができてないです社会的な。 そういう人たちを救うシステムもできてないですからね。 だから35歳くらいまではフラフラして当然だと思います。 それを許さないとどうなるか、って言うと、ぶっ壊れるんですよ。 心がぶっ壊れるし自分っていうものがわかんなくなっちゃうんですよね。 親を呪い社会を呪い、自分自身を呪い、そして自分自身を傷つけ続け、自分を責め続けるんですよ。 まあ、子供の時に、ずっと学校に行けないお前はおかしい、間違ってる。 ずっと言われてた人たちは、自分は間違ってるって思い込まされているんですよ。間違ってないんですよ。 まともな感性があるから行けなかった。 猫が川に放り込まれたら猫は川から出るじゃないですか、川から出ただけなんですよ。 なのに、自分が悪いっていう呪いにかかってるから、ずっと自分を責め続けるんですよ。 で、私は普通じゃないって苦しむんですよ。 こんな呪いを子ども時代にかけることに何の意味があるのかって言うと、ないんですよね。 とりあずコスパが悪い。なぜかというと心の修復に何十年もかかる。 幸せを感じられるようになるため大変な時間がかかるんですよ。 で、まあ心療内科に通ったりとかね、新しいパートナーに頼ったりとか色々するんですけど、その度にパートナーを傷つけたりとか、大量のお薬を飲んだりとか、いろんなあまり良くないことが起こるんですけど、根っこの部分は学校に行かなくたって、学校に行かなくたって別に悪いことじゃないんだぞと、好きにしろと自分で考えたらいいんじゃないか、というふうにしてですね。 一緒に動物園に行ったりとか、美術館に行ったりとか、たくさんその話を聞いてあげて、否定しない、ジャッジしない、アドバイスもしないってね。それだけで十分ですよね。 別に生産性がなくても学校の友達みたいじゃなくても、社会に認められなくても、別に構わないんだよ。 強いて親ができることがあるとすれば、そのままで良いよというふうに、お前はお前のままで最高だと言うと、それしかない。子どもは、それ言われたら頑張っちゃうんですよ、ありがとうございます、恩に報います、っていう、自動的にそうなるわけですよね、 そうやって大事にされた人は人を大事にすることができるんですよ。明るくなりますからね。 だからそういった人を大事にすることができる人を作ったら、どうなるかって言うと、友達ができるんですよ。 助け合いができるんです。 この後、いろんな組織とかシステムズとか、いろんなものがぶっ壊れますから、この国はね。 世界的にそういう流れが起こります。 学校に行って何が良いのかって話。これは、よく俺も言われていましたけど当時、学校に行けなかったっていうことを、コンプレックスに思わなくて済むってだけの話しですよね。 だから、不登校の人たちが後々何に苦しむかって言うと、自分が学校に行っていないってことを、コンプレックスに感じてしまうっていうね。 で、これは昔は大学に行けなかったってことを、コンプレックスに感じてる人がいたんですけど、まあほぼほぼ本当に意味がないんですよね。そんなことどってことないっていうのは、行ってると言えるんですよね。 行ってない人は言えないですよ。 そんなこと気にすんなよって言ったって気になるんだよと、俺は、それ言われちゃうと、自分が言ってんだからそうなんだろうなと思うしね。 だからとりあえず卒業しとけば、そういうコンプレックス抱えないで済むよって言い方に関しては、間違いではないんじゃないかなと思いますよ。 ただ、本当に多くのものを失ってしまうと思うんですね。失ってしまうことと後に抱えるコンプレックスってのは、どっちが大事なのか、自分にとってっていうね。 心がぶっ壊れるよりは学校行ってないっていう方が、どってことないんじゃないの。って、学校に行ってなかった、卒業してなかったって言う方がマシかな、って、僕は思うんですよね。イヤな人間になるよりは中卒でいいじゃん、中学も行ってないっていうのを誇りに思っていいんじゃないのかな。 多くの人がね学校行ってないってことをね、むしろね誇りにしているというところにスイッチ変えてるんですよね。 だからもし、そういう風にさ、コンプレックス抱えてるんだったら、学校行ってなくても余裕でここまで来れてんじゃん、っていう自分を誇って欲しいっていうのは正直な話で、学校に行ってるくせにろくなもんじゃないっていうのは、もう山ほどいますからね。 そいつらに比べたら学校なんか行かなくったって、全然いいんじゃん、っていう大人がたくさん増えれば、まあ、後の子ども達は助かりますよね。救われますよね。 俺なんかも、学校行ってないのに最高の人生送ってる人達を紹介したかったというのはあってね、非属の才能とか絶薬で。 それは、今行ってない人がコンプレックス抱えなくて済むからね、っていうことです。 でね、一方でね、もうひとつ学校に行って心を殺して、周りを全部敵にして、結果出して来た人間は、本当に人間的にエライのかどうか、っていうね、立派なのかどうか、尊敬できるのか、っていう話はちゃんと考えた方が良いと思いますよ。 ろくなもんじゃないって人たくさんいますよ。 なんでかって言うと、そうなるためには心を殺したエゴイストにならなきゃいけないんですよ。 もちろん、それを自覚的に避けて来た人たちで、立派な人達をいっぱい知ってますけど、でも、たくさんの心が死んだエゴイストを知ってます。 そういう人達が権力の座についているっていうのも見ますよね。 それは発言で感じますよね。 この人、なんで人のこと何も考えないで、他人の事なんかどうでも良いと思ってんだな、この発言、っていう発言、いっぱい聞きますよね。 それはね、何が生み出したかって言うと、おれは学校だと思いますよ。 学校がエゴイストを作る、エゴイストを讃える、エゴイストになりなさいって教育する、っていうね、 それで、他者なんかどうでも良いっていう人間たちが作った国が今の日本じゃないすか、そんな国さ、変えなきゃダメでしょ。 なんでかというと、イヤな奴ばかりの国になるからつまんないでしょう。 そこで私はイヤです。って言ってんのが不登校の人なんですよ。 そんな風になりたくないと、それはね、まだうまくしゃべれないからね。 説明できないだけで、そういうふうに体が言ってんの、そんな人間になりたくないって。 だから不登校の子たちを大事にしたいんですよ僕は。 もしくは学校行きたくないなって思って気分をもってる、だけど行ってるっていう人に、俺は、そういう人達を応援したいんですよ。 間違ってねーよって、その感じっていうね。 もちろんね、学校、最高じゃないですか、俺向いているんですよ、大好きなんですよ、っていう人は、良かったねって思うわけ。 それは、あなたが向いているからなんだよ、だったらお前は、向いてない人の事を守ってやれよ、考えてやれよ、出て来いとか言うなよ、好きにさせろと、ね。まあ結論はそういうことです。 自分の人生は自分のものだからね、好きにやればいいんですよってね、それを時間をかけてやったらいいんじゃないかっていう話です。 焦らないで子どもを褒めようということですね。


    2023年02月28日火曜日Tuesday (Tue.)
    今日はこんな事があったなあと思い出したので書いてみる。おれの自慢話を書きます。俺は、社会人になり後輩へ技術的な事など、仕事を教えるのが得意でした。新入社員に対する教育係はいつも俺でした。教えるのはキライじゃないし、あなたの教え方はうまい。わかりやすいって言われるので、さらに嬉しいし元気が出てくる。自分で言うのもアレだが、おれは人に技術的な事、仕事を教えるのが好きで、先生になる才能があると思っている。で、おれは短期大学卒業であり、その学校は電気、機械、建築などの技術的なことを 学ぶ学校である。おれはその短期大学にいた時、寮に住んでいた。英語の授業は当然あるが、技術的な学校なので、英語の先生はどこかの学校から講師として決まった曜日に来る人であった。その英語の先生が、(たぶんだが、英語の成績優秀な人を)2~3人に声をかけて、中学生・高校生の数学の家庭教師のアルバイトをしないか?と誘ってきました。もちろん、遊ぶお金を得るためにそのバイトをやりました。おれは電気科で、電気科の学生おれを含めて3人が毎週、アルバイトで数学を教えました。で、おれは、中学3年生3人、高校1年生1人教えていました。中学生の不良の少年がいまして、これはもう、箸にも棒にも。。。という人でしたが、この話は置いておいて、今回は高校1年生の話。数学1の教科書に、因数分解という項目があります。テキストで表現するのは難しいので平文テキストで書くとわかりにくいですが、数学の方程式などを画像表示するのも大変なので、テキストで通します。(x-2)(x+3)とか、こんな感じで、まあ、ある法則で変換していくわけです。その高校生に、おれが自分の高校時代に、数学の先生にこんなふうに教わった、と言って教えた方法があります。その後、何十年も経過し因数分解の基本も忘れていますので、ザックリこんな感じという内容だけ書きます。それは、解答用紙の余白に、数字をタテ、ヨコに2、3、とか書いて、タテで足した場合、ヨコ計算した場合などで、筆記計算的に視覚的に見える方法です。おれは、自分の高校の数学の先生から教わった方法を、目の前の高校1年生に教えました。高校1年生の生徒は、こういうやり方は習っていないと言い、ものすごくわかりやすい方法であると絶賛していました。おれは、逆に、彼が普通に習っている教科書の内容では、脳内で暗算をするような感じになるので、生徒に余計にわかりにくくしているなと感じました。私が教えている高校1年生は、その因数分解の解き方を自分の学校の先生に言ったところ、その先生もびっくりして、その方法はわかりやすいと絶賛されたと言ってました。おれは、自分の当たり前の解き方を教えたのですが、それが何倍も喜んでもらえて、本当にうれしかったです。 教えた相手が、わかりやすいと喜んでもらうことが教える側の喜びになります。今の時代で言うと、SNSにイイネが付くようなものです。なので、こちら側も教えるのがどんどん楽しくなり、生徒側も同じく楽しくなり、相乗効果となって、その高校1年生の成績はどんどん上がって行きました。その高校1年生の生徒は、実家で自転車屋をしていて、自分のオヤジが仕事をしているところを自分の目で確認できますので、社会人的というか、当時の年上おれからも大人に見えました。実家で自分のオヤジが働くところを見ながら、子どもが育つ環境は良いなと思いました。で、その高校1年生は、自衛隊とか軍事的な事が好きでした。その高校1年生ともどんどん仲が良くなり、M16A1のモデルガンを1万円で売ってくれるというので買いました。定価は2~3万円くらいしたらしいですが、1万円なら買っても良いと思って買いました。今は、モデルガンやエアガン、そのメーカーや銃の種類などほとんど何でもわかりますが、当時は銃なんて初めて見たので、M16A1というものがどういうライフルかも知りませんでした。しかし、モデルガンを自分の手に持っているという、なんだか優越感というか、男はほとんど銃の撃ち合いなどで遊びますので、あこがれみたいなものがあって、結構お気に入りでした。おれは、自分が勉強を教えて生徒と友達になり、いろいろな影響を受けました。歳下であろうと、勉強を熱心に聞いてくれる生徒に、正面で正攻法で真面目に取り組むと、年齢とか関係なしに、心を開いてくれるんだなあという良い経験値を得ました。そして時間が経過し、おれが短大の2年になり、卒業する時期になりました。その高校生は、おれが就職のために東京方面へ向かう電車のホームまで見送りに来てくれて、電車が走り出すと、ホーム上で軍隊の敬礼をしてくれました。勉強を通して少年との仲を深めていったわけですが、電車のホーム上で敬礼して見送ってくれる後輩なんて、あまりいないと思います。正直、おれは涙が出ました。その少年とは良い関係だったという、学生時代の良い思い出です。今思うと、その人の連絡先を取っておけば、何十年後の今、懐かしい話ができるんじゃないかなあ?って思ってしまいます。ちょっと残念だったなあと感じます。おれが、後輩に技術的な内容など教育をするのが好き、楽しいという原点だったんだと感じます。正直教員試験には合格する能力がないので無理ですが、教員の定員減の際の臨時講師のようなもので、どこかの専門学校で雇ってくれたら幸せだなあと思います。転職時、専門学校の求人にも応募し、先進技術を教える自信がある。学生に信頼され気に入ってもらえるはずという履歴書を送ったこともありましたが、不採用でした。まあ、世の中はおれを見る目がないなあとガチで思っています。ということで、今回の自慢話を終わります。


    2023年03月01日水曜日Wednesday (Wed.)
    今回が最後、これが最後、最後と言いながら追加になっております。今回、追記になった理由としては、泰子をかくまっているように見える、マーシーの対応に疑問?不安?があります。本人に確認したわけではないが違和感があります。あくまでもそう見えるだけで、悪意がないかも知れません。そのモヤモヤの違和感を払拭するため、今まで出し惜しみして持って温めていた隠し球があるので、それを記述してみる。おれが小学生5年生くらいだったと思う。我が家の自家用車で富士山の5合目に行った。山登りが趣味でも何でもなく、単に車で5合目に行って、その周囲の景色を見て、そのまま帰ってくるという簡単なものです。その頃、我が家の車はフォルクスワーゲンの丸い例のカブトムシでした。あれは2ドアで5人乗りです。後部座席は狭いので大人3人乗るのは厳しいような車です。泰子が車の後部座席に残り、他4名が外に出て景色を見て楽しんでいた。。。その時、我が家のフォルクスワーゲンが、自動的にバックし始めた。ゆっくり動き出し、少しずつ加速していく。。。幸いの事に車の窓は開いていて、声は聞こえる状態だった。我が家で一番に走って駆け付け、車に一番近い位置にいたのはおれであった。おれが大声で、サイドブレーキ!サイドブレーキ!と大声で叫んだ。後部座席にいた泰子は、後部座席から手を伸ばしてサイドブレーキを引いた。我が家のフォルクスワーゲンは、そこで止まった。場所は富士山の5合目の駐車場だったので、車がそのまま自動で進んでいくと、最後は崖から落ちるというものでした。大惨事になるところでしたが、車はなんとか止まりました。他の車にぶつかる可能性があったかどうかは、覚えていません。サイドブレーキ!と叫んで、泰子がそれを理解してサイドブレーキを引いたから良かった。泰子は自動車免許を持っているので、サイドブレーキの意味を理解した。自動車免許を持っていない人であれば、そのまま崖から落下していた。で、そんな大変な事があったんだけど、何ごともなかったように、家族は車に乗り、国分寺の自宅へ帰ってきた。夕食の時に、貞男がいきりなり何の前触れもなく、あそこで秀樹が、サイドブレーキ!と叫んで良かったね。秀樹の大手柄だ。と言った。何の前触れもなく急に、あの富士山の話をしてきて急だった。一瞬戸惑ったが、なんとか貞男の言わんとするところを理解した。そして、おれがお手柄だと褒められた。おれ自信は、褒められたのでうれしいのはうれしい。しかし、その事故になりかけた経緯とか、結果的に助かったけれど危険であったので、貞男が自分のミスを謝らないとか、それに対して泰子が何も発言しないことについて、なんかモヤモヤがあった。ここで自分がサイドブレーキを引かなかったというミスを起こし、泰子を危険な目に会わせたのだから、泰子に謝るべきである。さらに、泰子は謝らない貞男に対し何も突っ込まない。ただただ黙っている。おれは、その瞬間、自分が褒められているのにバリバリ違和感を感じた。変な空気が家族の間を抜けていった。。。。 その頃はおれは子どもだったのでよくわからなかった。貞男が秀樹の手柄だと褒めることにより、間接的に自分のミスを認めみんなの前で謝ったテイになっているのではなかろうか?そして、この変なまわりくどい、自分の子どもへの誉め言葉の中に全部を含めて語ったのではないだろうか?全部含めたという意味は、自分のミスを認め、泰子への謝罪の持ちの両方を、この変なまわりくどい、自分の子どもへの誉め言葉で全部置き換えているのではないか?とおれは考察した。自分のミスを発表するタイミングがなかったので、褒めることで、全部の意味をそこに関連付けてしまったという暴挙。こんな歪んだコミュニケーションってないよね。日本語には、こんなコミュニケーションは存在しないと思う。貞男は国語のテストは、たぶん正解するのだろうが、しかし、現実のリアルの中では、 まったくもって通じない独自の変な話法を使って来るのでわけがわからない。こんなコミュニケーション能力しか持たない貞男、それが自分の親となると、悲しくてやり切れない。親の能力が未熟すぎて、子どもイコールおれは、不幸を感じて当たり前であると思う。 不幸を感じずにはいられない。そして、こういう不幸な男と結婚した泰子を恨み・呪います。この事例は、以前書いた三木大運の怪談説法・知識人の中でも書いていますが、同じことを指摘したいと思います。貞男が仮に自分がミスした間違った、もしくは間違ったかも知れないと気づいた時に、正直に素直に、謝れないという変な特性・性格を持っている。本人はこれで良いと思っている。勉強ができるとか有名大学を卒業し学歴が優秀とか、一流企業の社員であり、その幹部でバリバリ働いているお父さんは、怪談説法の中でお父さんが間違いに気づき、2階の自分の部屋に引きこもっている子どもに謝るシーンがある。貞男はどこまでも謝ることをしない。人生で謝ったのを見たことがない。何度かは謝ったかも知れないが、家族全員の前で正々堂々と、ミスを認めるということをしていない。そもそもミスを認めることができない。悲しくみじめで情けない、人間性として最悪の悪人であるとここで念を押しておきます。


    2023年03月06日月曜日Monday (Mon.)
    今日は強烈な長編の夢を見たので、記録します。長編ではあるんですが、全部覚えていないので強烈に記憶に残っている最後の部分を 書いていこうと思います。そして夢の分析や占いを調べたわけではないですが、こんな意味があるんじゃないかなあと自分なりに感じたという内容です。自分はN700系の新幹線に乗っている。友人が周囲に2~3人いる。その友人は短大時代の白崎か、国分寺第三中学校時代の岩丸がいたような気がする。新幹線は通常通り300km/hくらいで走っている。白崎か岩丸のどちらか1人が、新幹線のドアを手動で開ける。何をしているんだろうと思ったが、次の瞬間外へ飛び降りた。新幹線の進行方向とは逆の車両の前方へ風で飛ばされる。何?と疑問を感じた。その20mくらい前方に風を取り込む空洞というか穴・通路がある。その穴に吸い込まれて車内に飛び降りた人の体が、車内に入ってくる。この現象をあえて説明すると、飛行機に乗っていて機体に穴が開いた時、風に乗って機体の外に吸い出されますよね。その外の空間に吸い出される現象の逆で、新幹線の車内に戻ってくるイメージ。新幹線の内部になぜか、その空洞とつながっている小部屋がある。その小部屋の自動ドアを開ける。新幹線のドアって自動ドアですよね。スーっと開いたんです。その中を見ると、外からの激しい風が吹いている。中には金網でできたフェンスがあり、その中に電気設備の変電装置のようなものが設置されている。 その設備の周囲の金網に体がへばりついて、血だらけでかなりぐしゃぐしゃになった体の形が半分残っている肉のかたまりのようになっている。新幹線が走っているので、その小部屋の中は強い風が吹いている。その風のせいで、廊下にいる私の手や顔や服に血がどんどん飛んでくる。自分の手がどんどん赤くなっていく。。。。ここまでが夢の話。この話は電車のホームから飛び降り自殺する人のメッセージかも?と勝手に思いました。首都圏のJR・私鉄で人身事故の頻度って多いと思います。特に朝とか夕方の時間に集中するように感じています。ああ、またか、会社に行くのが遅れるとか、別のルートを通るために電車賃が高くなってしまうということがありますので、毎回、もう勘弁してくれよと、ムカついていました。で、それと関連して、怪談師の夜馬裕さんは、電車の駅で飛び込み自殺をする人がいるが、この駅だけ多いなあとか、不思議な事がたくさんあるので、駅員に取材しているそうです。で、事故が起きると当然、駅のホームに設置してある監視カメラの映像を、警察と一緒に確認します。ホームから落ちた人が自分の意思で落ちたというより、誰かにタックルされて落ちた、誰かに引っ張られて落ちた、監視カメラの映像には映ってないのですが、明らかに透明な誰かと会話している、ような映像を見ることがあるそうです。自分の意思で線路に飛び込むのではなく、明らかに他人にやられたということであれば、亡くなった人が悪いのではなく、この世のものではない何かのせいということになります。だとしたら、何でもかんでも、自分の意思を持った飛び込みと呼ぶのは、ダメかもしれないと思うきっかけになりました。今後、電車の人身事故が発生しても、もう勘弁してくれよとは、言わなくなると思います。


    2023年03月10日金曜日Friday (Fri.)
    かなり前の話なんだけど、mixiで占いを信じるかというタイトルの記事があり、これを思いだした。占いを信じますよ。これは2020年6月29日の話。ネットで無料の占いをやった。その結果が下記。無理をする。我慢する。必要以上に謙虚に振る舞うという行為により、 運勢のストレス、スピリチュアルなエネルギーが停滞している。我慢強く頑張り過ぎてしまう素質。自分に厳しい一面、人に助けを求めるのが苦手。子どもの頃、強い孤独や劣等感を抱くことについて、長期的な積み重ねがあると思われる。相手の心情を理解し迷惑をかけることを避け、謙虚でいられるあなたはとても素晴らしい事。この先2~5か月の間に大きな好転を迎える。しかし、運勢のストレスを背負ったままだとうまく行かない。人生はなぜ生きているのでしょう。苦しい思いをするためでしょうか。涙を流すためでしょうか。揺るがすほどの衝撃を受ける。少し油断して生活していた。あなたの足元を見て騙そうとする人が近づいてくる。救ってくれる友人が現れる。前世で何かしらご縁があった。。。。で、この中の過去の部分は驚くぐらいドンピシャ!!まるで天から見られていたかのような当て方!!なんだけど、後半の文章はあまり当たっていないように思う。前世でご縁があった友人に助けられるみたいなことが書いてあるのだけれど、そういうヒーロー的な友人は頭に浮かばない。


    2023年04月21日金曜日Friday (Fri.)
    伊山亮吉という怪談話が好きな芸人がいます。その人の話の中で、おもしろそうというか、自分にも少しは関わっているかも?と思うことがありましたので、書いてみます。怪談を話してくれたAさんがいまして、そのバイトの友人Bさんという2人が登場人物。2人とも会談好きなので仲が良いのですが、2人とも霊感がありません。怪談を披露しあって、怖がっているという状態でした。ある日、Aさんが思いつきました。霊感がある人はいつもいつも幽霊を見ているので、生活に支障が出るので、霊感スイッチというものを自分の中に作りまして、ONとOFFを切り替えて生活するという話をよく聞きます。じゃあ、俺たち2人は霊感ないのだけど、霊感スイッチというものを自分の中に作り、そのONとOFFを切り替えれば、逆に見えるんじゃね?ということを提案しました。バイトの休憩時間内に、霊感スイッチをON、OFFを試したのですが、うまく行きません。Aさんの霊感スイッチのイメージは、普通の電気のボタンで、押すと赤く光るというもの。しかしボタンを押してもスイッチが入らず、赤く光りませんでした。Bさんの霊感スイッチのイメージは、ブレーカーのようなもので、ブレーカーを上げると、自動的に下にさがってしまうというものでした。そして、バイトが終わり、いつものようにAさんは、Bさんを自分の車に乗せて帰ろうとしたとき、Bさんは、ゆっくり歩いて帰る。と言い、夜の道を歩きながら、霊感スイッチの練習をしながら帰宅することにした。Bさんは、ブレーカーを上げても自動で下がってしまう、というのを繰り返していましたが、 ある歩道橋に差し掛かりました。事故の多発する場所でした。その時、Bさんは、霊感スイッチがONになりました。やった。と思っていたら、歩道橋の方から首が曲がった女性が歩いてきて、ねえ、私の事見えているんでしょ。と言いながら、こっちにどんどん向かってきます。Bさんは、あわててブレーカーをOFFにしたのだが、何かの手が出てきて自動でONになってしまうとのことでした。Bさんは、何度OFFにしても自動でONになるので、自宅への道じゅうの幽霊が見えてしまっていて、怖くて自分の家に帰り布団をかぶって震えていました。Bさんの自宅内に、首が曲がった女性が入って来ているんですが、とりあえず、布団をかぶって震えていた。Aさんは、Bさんからの携帯の着信があり、Bさんの部屋に行き、、、、、、この続きもあるのですが、途中省略します。その結果、Bさんは3日後に自宅で首をつって自殺してしまうという内容です。前置きが長くなったんですが、私が書いているこのHTMLのひとりごとのページの どこかに、自分の本体がいて、今自分が演じているのは仮の皮をかぶったもので、あることを頭の中で念じると、ほんの2~3秒間、本体の自分と仮の皮をかぶった自分との境界線がなくなり、2つに分かれる。。。その境界線の前と後ろの自分が、2人いるというか、 前後にダブって存在しているように見えるということを書きました。霊感スイッチとは、若干違うものかも知れませんが、伊山亮吉の怪談を聞いていて、ちょっと似たような現象なのかも?と思った次第です。心の中のスイッチをON、OFFするというのは同じですので、共通点があるのではないか?と思いました。今回は以上です。


    2023年05月05日金曜日Friday (Fri.)
    100分de名著の番組を見ていたら、ヘーゲルという学者の精神現象学という考え方を知った。主人と奴隷の関係の話で、主人は自分の欲望のまま奴隷に命令し、奴隷はその命令に従うだけであって、奴隷に自由はない。主人は奴隷の上にいるため、奴隷はすべてを左右される。しかし、奴隷の提供するサービスに依存しているため、主人は奴隷の提供する品質に依存するため、実は奴隷が上で主人が下という逆転現象が生まれるというのが、ヘーゲルの考えである。しかし、自分自身の事を考えてみると、自分は社長など、その組織のトップになれないというかなりたくないという考えが、以前から根底にある。その心の中を見てみると、自分がアカの他人で構成されている組織の中で、リーダーシップをとれるか?というのが自信がないというのもある。しかし、ヘーゲルの思想を知ったあと、下記のように考える。仮に奴隷の提供するサービスが低品質であった場合、主人はその奴隷を入れ替えることができる。奴隷なんてモノと同じなのだから安価であり、そいつの代わりはどこにでもいるし、何度でも変更可能である。そのことは会社のひとつの駒であるサラリーマンも同じで、そいつの代わりはどこにでもいるし、何度でも交換可能である。従い、この世の中で一番上の立場にいるのは、主人であり会社で言えば社長であるということを言いたい。ヘーゲルの考えは一瞬正しいように見えて、実は味方を変えると自分自身の首を絞めるものなんじゃないかなあ?って本気で思う。


    2023年05月07日日曜日Sunday (Sun.)
    たまたまYoutubeで、ホンダNS-Xで土屋圭市がルマン24時間レース挑戦する動画を見た。あれ?土屋圭市ってトヨタでルマン24時間レースに出ているんじゃなかたっけ?と自分の記憶を振り返ってみた。トヨタで出場する前にホンダNS-Xで出場していたんですね。で、その初挑戦で初完走というのを見て感動した。そのつながりでホンダの別のオススメ動画が出てきたから見てみた。内容的にはイマイチであったが、最後にホンダ社の社訓なのかなあ?何だか知らないけれど、次のような文字が流れる。たいてい努力は報われない。たいてい正義は勝てやしない。たいてい夢はかなわない。そんなこと現実の世の中ではよくあることだ。けれど、それがどうした。スタートはそこからだ。新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。きのうまでの自分を超えろ。きのうまでのHONDAを超えろ。という文章である。相変わらず熱い会社だなあと思ったし感動した。何かを始めた時がスタートではなく、挫折した時がスタートであると言っている。まあ、普通の大企業の社訓などにはこういう文章は書いていないし、こういう事を言うとダサイとか、今どき昭和的で古い。みたいに言われるかも知れない。その先のリスクは当然考え・検討するのは当たり前なんだけど、何度でもやる。という言葉にスマートではないドロ臭いアナログ感がある。今の若い人は、やみくもに努力するだけじゃなくて、AIなどの技術を使ってコンピュータシミュレーションなどを実施してから、その先のリスクとメリットを可視化してから取り掛かれ、みたいな、ある意味クールでシンプルで冷静な回答が返って来るようなイメージがある。だけど、AIやコンピュータが予測できない事って実際には多々あるので、ドロ臭く何度でもやってみたその先に、人間としての発展や技術の発展や、何かの進歩がある。。おれは、そんな気がしている。粘り強く何度でも繰り返していると、単なるそこらへんの人間が、ある瞬間にゾーンに入り、コンピュータでは答えが出ないとんでもないアイディアが浮かぶかも知れない。ほんの一瞬でも野性的・動物的な感といいますか、説明のつかない領域に入ってしまうこともあると思います。デジタルを駆使しスマートに進むことは悪いことではないですが、暑苦しく野性的に仕事をやる瞬間っていうのも、令和の2023年に入った今でも必要なんだろうなと思います。


    2023年05月08日月曜日Monday(Mon.)
    このHTMLの中のどこかで、映画ボヘミアン・ラプソディーの感想を書いていたと思う。感動して涙が出たと書いたような記憶がある。本当にかっこ良かった。たまたま、山田玲司のYoutubeの中で、フレディ・マーキュリーや映画ボヘミアン・ラプソディーの話が出ていたので、気になる部分だけ文字起こしをした。中途半端だったり文章がつながっていないかも知れないが、無視してください。ここで何を感じたか、ひとつ上のHONDAの話ににているかな?HONDAは、失敗をしても良い。失敗をした時がスタートである。という、挫折とか人生どん底になった時、どうやって上を向いて這い上がるか?その這い上がり方は、スマートなものではなく、アナログ的でドロ臭いものであるというもの。それに近いような気がしたので書いてみた。フレディ・マーキュリーはコンプレックスがあった。しかしその事を克服そてある意味自分自身を解放したというか、開き直った先に答えがあったみたいな感じだと思う。以下、多少アレンジもあるが文字起こしを記載します。この国ってさ年賀ら年中ルックスの話してんじゃん。すぐ劣化するしさ、当ためーだっつーのそんなもん。そういうかっこ良さじゃねーんだよ。それ全身で体現してるのがフレディなんだよ。自分のコンプレックスというものを全身で受け止めて、愚痴らずそれを武器に変えていくっていう。なんかねビートルズが色々試行錯誤して開拓するというか、アバンギャルドな事をやるじゃないですか。それが型になって行くじゃないですか。でも、フレディのやったことって、もうフレディしかできないから、型にならずに、この1人だけで、あの、ヒゲでレオタードで、マイクの下の土台外してこうやって歌うとか、誰も真似をしたくないんです。クイーン的な楽曲はみんな真似したがるかも知れないけれども、フレディ・マーキュリーみたいになりたいっていう人は、なかなか。。。人間としての、すごく理想的な完成形ではあるんですよね。いろんなことを勉強して自分と違うものになっていく、そのまさしくその変身っていう、違う自分になろうとする行動は、すごく迂回して本当の自分に辿り着く道。この人はわりと短距離で本当の自分を見つけたのかも知れない。まさにボヘミアン・ラプソディーじゃん。で、この映画に出て来るけど、フレディ・マーキュリーってインド系なんだよね。ザンジバル出身だからね。いろいろあってイギリスに住むことになる。それでちょっとまえばが出てるから、それがコンプレックスだったみたいな感じで、そして決して豊かじゃないしさ、両親はなんとゾロアスター教ですから。ややこしいんだよ本当に、そこでイギリスにいるっていうからさ、だからイギリスにいるけど、定住しているように見えて完全に存在がボヘミアン(放浪者)っていう。それでボクシング子どもの頃にやらされててさ、それで、ものすごいクラッシックとか基礎教養がすごくある人だよね。この人、デザインの勉強してんだよね。英才教育を受けたんですよ。インドのゴアかどっかのすごい学校で。その辺の事、グダグダやらないで本当にさらっとだけ出てくる。晩年のフレディきつかったなということもいいよな(不要だよな)みたいな。 全部だからその辺のチューニング、全部カットしてある。フレディがちゃんと語られているかどうかが問題で、実際にちゃんと語られている。ドラッグ関係ウンヌンとかいろいろなグチャグチャしたフレディは、本当にいい感じてアク抜きされた感じで出てくるから。 だから、そういう風にして作られた映画として、いいか、昔なフレディ・マーキュリーっていうなすごい最高の男がいたんだぜっていう話なんだよ。だからさ何か、おじいちゃんが語る昔物語みたいなものを、最高級に贅沢にやってるという映画なんで、俺はなんだろうな、このバランスの良さっていうのが、安心してフレディを知らない人に見てもらえる映画っていうか、これでフレディ体験してくれれば、ようこそフレディ・マーキュリーの世界へっていう。イケメンじゃないんだよ、俺イケメンじゃないヤツがかっこつけてるの大好きなんだよ。本物のかっこよさに見えちゃうんだよ。ルックが良くないのに、ルックがいいヤツはかっこつけてるとカッコ悪いんだよ。この人は、心にものすごい繊細な人だからさ、傷かかえてるんだけどさ、それを振り切ってさ、その、フレディ・マーキュリーっていう名前自分でつけてるんだけどさ、本当にマーキュリーになっていくっていうさ、過程が描かれているからさ、本当、ここでヒゲみたいな、この曲からとかさ、この曲からタンクトップとかさ、知ってるからさたまんないだよ。あ、こおでボヘミアン・ラプソディー。


    2023年05月13日土曜日Saturday (Sat.)
    自分の人生で一番良かった上司の名前は、増田秀雄さんということを以前このHTMLに書いた。そのページを読んでもらえばわかるのだが簡単に言うと、優しいという意味ではない。人生に関する有効で重要な情報を教えてくれた。しかも、人生という重苦しい空気感ではなく、軽い日常の雑談のような感じで言う。軽いんだけど、内容はめちゃくちゃ濃い。以前にも書いたが、人生を揺るがすというか、人生の方向性を決めるくらいの内容を教えてもらった。自分のオヤジなんか、増田さんの教えてくれた1%も語っていない。自分のオヤジを尊敬できない理由はそこにある。オヤジに関しては悪口が多すぎるので、ここに書ききれないので別ページを是非読んで欲しい。で、人生で出会った人シリーズで、今回もう一人挙げたい。政野さんである。下の名前は書かない方が良いと思うので、あえて書かない。仕事内容を公に公開してはいけないということだったたので書きませんが、政野さんはその道のベテランで何年も経験がある。おれは、2022年11月に初心者としてその現場に入った。初心者だから、当たり前だけど、仕事はまったくダメダメであった。この調子ならすぐにこの現場をクビになるどうと本気で思っていた。完全に危機感を感じていた。あきらめていたし、年末年始のキリが良い時期に契約を切られると思っていた。しかし、政野さんは、この素人のおれに熱心に指導してくれた。おれは普段は、自己否定から入る。自己肯定感がゼロという状態で、どうせダメなんだからと言っていた。どう見てもド素人のおれに、この仕事ができるとは考えられなかった。しかし、おれの良いところを伸ばし、データ入力が早いから頑張って欲しい、という指導をしてくれた。それも根気強く継続的にやってくれた。おれの人生の中で、あれだけ低レベルのダメダメなおれに根気強く熱心に教えてくれる人に初めて会った。おれにとっては、輝く神とか輝く太陽に見えた。そのエネルギーは、どこから来るのか?正直疑問であった。政野さんのおかげで、すぐにクビになるであろう現場に、ある程度の期間残ることができた。この仕事・この現場の恩人のように思う。大げさに言えば人生の恩人くらい言っても言い過ぎではないと思える。そこまで素人を指導したところで、政野さんには何もメリットはない。ここで言うメリットというのは、指導して評価Aになったとか、良い成績になったからといって、政野さんにインセンティブなど何も入ってこないから。政野さんの時給が上がるわけでもない。何って言うんですかね?利益・不利益を度返しした、表も裏もない純粋な美しい心なんでしょうかねえ。ものすごく感謝しています。まあ、人生で、もう2度と会わないと思いますが、完全に記憶の中に刻まれました。大変お世話になりました。ありがとうございました。


    2023年05月16日火曜日Tuesday (Tue.)
    Youtuber山田玲司というか、多摩美術大学を卒業しマンガ家になったんだけど、今は、マンガ描いていないし仕事ないみたいなので、Youtubeをやっているのかなあ?って勝手に思っています。独自の目線が面白いので時々見ます。で、今回は森高千里の解説動画の話をします。この令和の時代に平成のアイドルを語っているって、なんか変だなあと思った。森高千里はそこそこ好きだし興味ないわけではないので動画を見ることにした。説明は長くなるので、手短にまとめると、女性の社会進出のシンボルみたいな感じと言っていました。まあ、そんなもんかなあ?って見ていたら、いつも動画内に出てくる奥野さんが、ガチの森高千里ファンらしい。それも、アイドル現役当時ではなく、今衝撃を受け急激にファンになったので、その魅力を語っているのである。奥野さんが好きになったのは、なぜ今なのか?と疑問に思った。確かに森高千里は脚細いし、スタイル良いし男から見たら、極上の女性という見方にありますよね。それを公の場所(動画内)で語るのはなぜか?と思ってしまいます。動画内でも照れているのか、恥ずかしいのか、終始赤面状態でした。視聴者やスタッフに、いい歳してスケベジジイみたいな視線を受けている自分の立場が恥ずかしくなったのだろうと思う。で、奥野さんが森高千里のコンサートのDVDの話を始めた。あるコンサート(コンサートのタイトル:鬼が出るか蛇が出るか)のオープニングで、 森高千里が小袖を着て町娘に扮して、ステージに出て来た鬼を倒すシーンとなる。その歌が、鬼たいじという歌。歌詞の内容もガチの鬼たいじで、サル、キジが出てきたりする。サビのところは、鬼たいじ、おーーーーにたいじ、おーーーーにたいじ、と繰り返す。なんじゃこれは?ってなりますよね普通は。。。奥野は、わけがわからないと言っています。理論的な説明がまったくできない。まったくわけがわからない事をやっている森高千里は、すごい。という事を言いたいのである。ここで奥野は、作詞でも良い、脚本家でもよい、雑誌のコラムとか、いろいろな物書きを生業としている人に言いたい!!と声がでかくなり、この森高千里を見てください。これ見たら死ぬよ!!これ見たら死ぬよ!!と何度も繰り返します。奥野さんが言いたいことはわかります。森高千里の曲って、ほぼ本人が作詞しています。アイドルが書く詩じゃないと言いたいんですね。奥野の言葉がおれには強烈に響いた。物書きを生業としている人に言いたい!!これ見たら死ぬよ!!という、心霊スポットのような感じで、この幽霊を見たら呪いにかかって死ぬ。見ただけで死ぬっていう話はそこそこ聞きます。おれは、それほどインパクトのある衝撃的な感動を覚えた。というのは、ここから自分と自分の弟の話になっていきますが、弟は過去に森高千里のCDをほぼ全部買っていた。その時おれは、さっきも言ったように、脚細いし、スタイル良いし男から見たら、極上の女性というように見える。単なるスケベ心で買っているのかな?って思ってたわけです。私は見た目はものすごく完成された美人であるが、何しろヴォーカルの声として発声がダメダメで、おれは聞くつもりはなかった。おれ、ASMR好きというか、音フェチというか、音オタクというか、音に心地よさを求めるんですね。目で見た美人の顔よりも、声のみで女性の甘ーい声の方が断然好きなんですね。美人は良いに決まっていますが、優先順位としては顔は1番じゃないんです。なので、森高千里の発声方と全然上の音が出なくなって、苦しくなる部分が耐えられないんです。話はちょっとズレますが、ZARDのヴォーカルは、声が高音も出てキレイという世の中のネットの感想をよく見ますが、高音が出てキレイというのではない。ZARDもそれほど広域が出るっていうわけではなく、比較的低めのキーです。高い音になると、少し苦しそうに歌いますが、程よく息苦しそうに歌うのは、J-ROCKの歌い方としては正解です。で、森高千里のヴォーカルは、そういうレベルじゃないっていう意味です。レベル低の低です。ドラムができたりしてマルチの音楽才能があるのは理解できますが、歌はねえ。。。と思っています。で、話が横にそれましたが、実は、弟は、上記の奥野の語っている、わけがわからないという事を重視して聞いていたのかも知れないと思うと、あいつどこまでもセンスあるなあと感じます。2023年の現在、森高千里の曲を聞くと歌詞は、わけがわからない。理路整然と説明がつかず、わからないながらも、なんか人生を語っているんじゃないかなあ?っていうのが感想です。世の中は、わけがわからない、意味不明なんだけど、苦しくても前を向いて生きようじゃないか、という森高千里自信の自分への鼓舞なんじゃないか?彼女自信の経験を歌詞にして歌うことにより、自分もそうだし自分を応援してくれるファンへ、この思いを伝えたいということかも知れないって思うと、そら恐ろしい存在だなということに気づいた。森高千里の応援歌、自分を鼓舞する歌をCDで繰り返し聞いていた、おれの弟は、それなりに詩の意味がわかっていて、弟の心に刻んでいたのではないか?だから、サダオの変な毒に屈することなく、サダオの指示する範囲外で成功したのかも知れない。で、おれは、2023年の今、森高千里の曲を聞くと相変わらずヴォーカルがへたくそで聞いていられない。したがい、森高千里の曲をカバーしている人が大勢Youtubeに動画をアップしているので、カバー曲の方で比較的マシなヴォーカルを探して聞いていく。さらに自分のギター演奏の中にも森高千里の曲(カバー曲)を増やしていきたいと思います。


    2023年05月19日土曜日Saturday (Sat.)
    中世ヨーロッパの牢獄の話のYoutubeを見た。自分が何の罪で牢獄にいるのか、わからないという人も大勢いた。不衛生でかなりのダメージを受ける場所であり、悪徳看守が大勢いて、足枷を外して欲しければ金を払えとか、まあ、金・金・金の場所であった。1700年代の英国のジョン・ハワードが、刑務所内のとんでもない環境を知り、改善するように各方面に働きかけ、少しずつ環境が良くなっていった。しかし、囚人を調べて何もなかった場合、あなたはそもそも犯罪を犯していない無実だから、刑務所を出ても良いと指示が出た場合でも、看守は、お金を払わないと出さないと言ったそうです。その後、100年くらいかけてまともになったとのことなので、1800年くらいまでなんですかね。前に、このHTMLに自分のイジメられ体質が異常なほどであるため、前世は、大航海時代の黒人奴隷だったのではないか?と勝手に想像した。そして、この刑務所の話を聞くと、自分は中世ヨーロッパで、無実の罪で、刑務所に入れられた、理不尽極まりないことをされた囚人だったかも知れない。さらに、囚人ではなく、理不尽な行為をする側の看守だったのではないか?その看守の生まれ変わりで、何百年後に生まれてきたおれは、過去の罪を償うというか、その報い、呪いというか、なんだか、そういう大きな宇宙の因果関係・因果応報的なパワーに支配されているのではないか?なんだか、本気でそう考えるようになってきた。 そう考えるのが自然のような気がしてきた。あまりにも異常なほどの理不尽で信じられないほどの強烈なイジメ・パワハラに会う理由ってきっとこれなのかも知れない。


    2023年05月26日金曜日Friday (Fri.)
    たまたまファンキー中村さんのYoutubeを見た。ファンキーさんは、生まれは北海道の人なんだけど、いろいろな事情で沖縄に住んでいたことがある。沖縄にいた時に、せっかく来たんだから観光しようということでいろいろ回った。その中で、ひめゆりの塔が印象的であったという。ひめゆり学徒隊の詳しい話は有名すぎるので、内容は他で確認してください。ひめゆりの塔の石碑と、ひめゆり学徒隊の資料館があります。その資料館には、ひめゆり学徒隊全員の顔写真が貼ってある部屋があるそうです。それから月日が流れ2014年に、ファンキー中村さんが、個人的にものすごく悩み、落ち込んでしまった時期があったそうです。そのタイミングで、ひめゆりの塔に行きたいと思ったので、沖縄に行った。そして、あの、ひめゆり学徒隊全員の顔写真が貼ってある部屋に入った。部屋の写真を1人1人見ていく、そして全部見てその部屋から出ようとしたその瞬間、自分の後ろから大勢の女性の声で、中村さん、、、、頑張ってください、という声が聞こえたそうです。ファンキー中村さんは、空耳と言えば、そうかも知れませんが、そう聞こえたと言っています。 おれは空耳なんかじゃなく、ひめゆり学徒隊の人が落ち込んだファンキーさんを応援している声であると思っています。で、この話を聞いて、ああそうかと自分のことを思い出した。ちょうど去年ですね。無職だったので気晴らしに、羽田空港へ飛行機の撮影に行きました。ビルの屋上に出て飛行機の撮影をしていた時に、知らないおじさんが寄ってきて、いろいろな話をして来ました。当時は、コロナだったのでマスクを着用する必要がありましたが、そのおじさんはマスク着用していませんでした。自分は元気なので、コロナに感染しないと豪語しており、変なおじさんだなあという印象でした。そのおじさんは、飛行機に詳しいわけでもなく、羽田空港に来るのは、昔はバスで来たなどという昔話をしたりしていました。羽田空港の昔話は興味がなかったので、正直真剣には聞いていませんでした。そしておじさんが去る、その去り際に、おにいさん頑張って、と言った。無職であるということは、そのおじさんには言っていないし、自分は悩みを抱えているとか、気分が落ち込んいるというような話は、一切していないのに、去り際に、おにいさん頑張って、 というのは、後で思うと不自然な挨拶のような気がしてきて、神様かご先祖様か何かが、おじさんの姿をして励ましに来たのではないか?と思うようになった。。。。。という経験があった。今、その記憶が蘇って来た。勝手に結びつけているが、ファンキー中村さんがひめゆり学徒隊の女性から応援の言葉をもらった。ひめゆり学徒隊は、戦争という悲惨な状況の中で必死に生きようとした。しかし、米軍がどんどん迫ってきている戦況の中で、自分たちにはどうすることもできない。自分たちにはコントロールできない運命の中で、苦悩しもがきながらも必死に生きた。ファンキー中村さんは動画内で、2014年にひめゆりの塔へ行った理由は語っていませんが、明日死ぬ、今日死ぬかも知れない日々の中で、今目の前にある自分たちのできる役割をまっとうする、理不尽な出来事しかない戦争の中で、一生懸命に前向きに生きるひめゆり学徒隊に、彼女たちからの何かしらのメッセージを請うというか、アドバイスというか、勇気・元気をもらおうというような目的があったのではないか、と思っている。そして今、ファンキー中村さんのひめゆりの塔の話を聞いて、 羽田空港で会った知らないおじさんを思い出したのも、何かの運命、何かのつながりなのではないか?と勝手に思う。まあ、おれはこの世で必要とされないのなら、いつ死んでも良いと日頃思っている。これは、紛れもない事実であるが、今この一瞬だけ?ファンキー中村さんのひめゆりの塔の話の余韻が残っている期間だけは、一生懸命に生きるという仕事をしなければいけないなあって思いました。 私が無職のタイミングで、このような気持ちにさせてくれたファンキー中村さんの話は、偶然じゃないのかも知れない。


    2023年06月11日日曜日Sunday (Sun.)
    最近、電気自動車が世の中で注目されている。日本でも何年後に、新車は電気自動車のみにすると宣言している。おれはいつも言っているが一生、電気自動車は買うことはない。車を買うのであれば、中古のエンジン自動車のみ買うつもりである。エンジン式の車は、乗っていて楽しい。その楽しみが電気式にはない。だから一生買うつもりはない。で、自分の考えを書いてみたい。おれは、今さら書くまでもないが、この自分のweb内に大量に書いてあるのですがサバゲが好きです。で、エアガンにはおおまかに、電気式とガス式がある。おれがサバゲを始めた当初、電気式の銃で使うバッテリーは、ニッケル・水素蓄電池、Ni-MHだった。しかし、最近の主流は、リチウムポリマーイオン電池、Li-Poである。今は小型で大出力のLi-Poが主流である。電動式銃のバッテリーは、数年で切り替わってしまった。さらに、バッテリーの充電の仕方によって、バッテリーの充電能力が低下し、満タンではなく、半分くらいまでしか充電できない場合もある。私はバッテリーの専門家ではないが、自動車用のバッテリーも技術の進歩が激しく、どんどん新型が出てきて、新バッテリーが出てくる可能性もある。今のバッテリーは使えませんとか、充電能力が低下して満タン充電できません。というようなことが発生しないとは限らない。今から電気自動車を買うヤツは、先の事が考えられないんだろうなあと、つくつく思う。


    2023年06月12日月曜日Monday(Mon.)
    前から書きたいと思っていましたが、郵便局(郵便配達とか従業員の)の相談窓口の話を書きたいと思います。郵便局と言っても内勤の正社員もいるし、どうなんだろう?って考えた時、郵便配達などの外務の人、さらに契約社員向けの相談窓口を分けているかも知れない。まあ、何しろよくわからない謎であり闇を感じましたので、書きます。郵便外務の契約社員で働いていました。その班長はパワハラいじめで有名で、前にも何人かの新人を辞めさせているという人でした。私も前任者と同じように、イジメに会いました。 歯を食いしばってなんとか残ろうとしましたが、このHTMLのどこかに書いた通り、理解できないような不思議な現象も起きて、人間のイジメのリアルな怖さと、目に見えない何かの怖さもあり、結局辞めてしまいました。その時に、職場相談窓口がありました。セクハラやパワハラを受けた時に、相談する窓口です。平日の9時~17時の時間帯だけ受付けています。通常の日勤をやっている人は、相談したくても電話をかける時間がありません。バイクで配達行った先の路上で、相談している時間なんてない。仮に相談時間が20~30分とした場合、その日の郵便物は配達できず、郵便局に持って帰ることとなり、次の日の仕事に支障をきたすからです。この文章の冒頭に書いたように、内勤とか外務とか、社員用とか区別されていたかもしれません。窓口の番号が複数あったように記憶しています。 ただし、その分類が何だったかは残念ながら、覚えていません。で、私は昼休みの短い時間を縫って、相談窓口に電話をかけました。 そうしたら、出たオペレーターが、何か変な事を言うんですね。相談窓口は、こちらではありません。とか、相談は受けていませんとか。。。。部署が違うと言ったかもしれません。何を言ったか正確には覚えていませんが、とにかくこちらの話を聞く耳を持ったない。 こちらが窓口でなければ、どこにかければ良いかと言ったと思います。しかし、それも明確な案内は、なく、とにかく間違った場所である、ここは、そういう電話を受ける場所ではない。知りません的な話を一方的にされたように記憶している。ここで書き忘れていましたが、確か、セクハラ・パワハラ窓口の名前は、郵政相談窓口なんとかという名前ではなく、民間の業者名が書いてあったと思います。民間のコールセンタか何かが業務を請負って、電話受付をしているのだろうなと思っていた。電話をかけているコールセンタは、民間の企業かも知れないが、郵政の業務を請負っているというか、代行しているならば、相談を受け付けるべきだと思うののだが、こっちの話に取り合ってくれない。昼休みのわずかな時間に、勇気を出してセクハラ・パワハラ相談窓口に電話したのに、変な回答だし、電話を切ったあと調べ直して、電話をかけ直すには無駄な時間を費やしてしまった。昼休みの時間が終わり、午後の仕事の時間が始まる。おれは、その日、てセクハラ・パワハラ相談窓口に電話することをあきらめた。その後、いろいろな業務で忙しくて、セクハラ・パワハラ相談窓口の事は頭から忘れさられてしまっていた。そんなこんなで、イジメで有名な班長のせいも(優しい人はもちろん何人かいましたが)あって、郵便局を辞めることになりました。で、今言いたいのは、もしかしたら、イジメで有名な班長が当たり前に存在したわけですから、そういうイジメは他の郵便局でも文化として日常茶飯事であり、本社の方も対応しきれないので、相談窓口に電話が来たら、一旦、けむに巻いてくれという依頼を、コールセンタを請負っている民間企業に言っていたのかも知れない。もちろん、そんな依頼書類なんて存在せず、闇の依頼です。おれは、某一部上場企業を辞めてからも、夢や希望を持って、頑張れば頑張っただけ年収が上がるし、自分の生活は楽になると信じてやって来た。世の中の人は、悪人ではないはずだから、きっといつかは自分の努力が報われると、信じて生きてきた。某一部上場企業ほどじゃないかも知れないが、当時の年収の半分くらいは行けると思った。世の中はそんなに甘くはないが、しかし、そんなにブラックでもないと信じてやってきた。しかし、現実はブラック一色であった。他の会社でもイジメが横行しており、誰もが認めているのだが、まあ、自分がクビにならなければ良い的な発想です。イジメについても、このHTMLにさんざん大量の文章を書いてきたので、このへんにします。ああ一点、一部の会社では優しく指導してくれた人もいましたので、ここに書いておきます。ただ、おれの肌感では、90%以上という高確率でイジメがまん延しているという現状を自信を持ってここに書きます。で、今日の最後の締めです。おれが電話した、セクハラ・パワハラ相談窓口は正解だったかも知れない。または、間違っていたとしても、別の連絡先を案内しないところを見ると、怪しい闇が存在するとしか言いようがない。私は、何度も言いますが、おれを不幸にした特にイジメをしてきた、または、今後してくる全てのものに抵抗します!そっち側に全振りです!今さら、失うものなんて何もない!徹底的に抵抗します!戦います!戦う方向へ全振りします!


    2023年07月19日水曜日Wednesday(Wed.)
    今回、世の中の矛盾。単なる体裁を整えるだけの謎と闇の事例について、熱く語って行こうと思う。前から矛盾や不公平感を感じていたのだが、心の傷が癒えず正直、文章にして書くことができなかった。3月に起きたことなので、5か月経過してやっと文章がかける心の状態になった。ある派遣の現場で、セクハラ・パワハラ委員という人が3人いた。普通に仕事をしているのではなく、1日じゅう監視しているだけの3人を置いておくというのは、人材活用としては贅沢な話だなあ。こんな現場なら気持ち良く働けるに違いない。と胸を高めながら期待していた。いままでいた部署から、別の部署へ移動した時のことである。50代の年配のおばちゃんが、その組織のSVであった。今までの部署でやって来た基本的なことをやると、その50代の年配のおばちゃんは、棒読みで感情がない。とか、メモを見ていただき、復唱していただけますでしょうか。というセリフに対し、どのメモを見ていいかわからないから言うな!ときつい口調で命令する。その文言の前に、メモを準備していただき、〇〇と〇〇を書いておいてください。という前置きがある。前置きがあるにもかかわらず、おれに対して、どのメモかわからないのでその言葉を言うな!と強い口調で言われた。それって、あなたの間奏ですよね。前置きの話を聞いていないからそうなるんですよね。と思ったが、グッとこらえた。何でもハイ、ハイ!と返事をして涙が出そうになり、苦しかったけれど歯を食いしばって、その現場でケンカになることだけは我慢した。50代の年配のおばちゃんは声が大きいので、その周辺の人々に聞こえている。おれが激しいパワハラに会い、一方的に攻撃されているのを、必死で堪えているのはわかる。さきほど言った、セクハラ・パワハラ委員の3人は、フロアの反対方向にいるため、声はとどいていないし、こっち側に見回りにも来ない。これだけ派手にパワハラ攻撃をされているのに、セクハラ・パワハラ委員の3人は完全無視。ああ、ここのセクハラ・パワハラ委員は形だけであり、単なるお飾り。誰も助けてくれないのかあ。。。おれは自社の営業に、あのSVの仕事の仕方はおかしいと言った。自社の営業はその行為をパワハラであると認識し、部下を壊す悪質で典型的なSVであると批判した。おれの考えと同じである。そして、営業経由で、上位派遣会社へ申し入れをしたところ、即、退場命令を受けた。こういう理不尽なことってありますかね?客観的に見て、どう見てもパワハラなんだけど、ケンカするのは得策じゃないため一旦我慢した。営業経由で正式なルートで、意見を言ったらクビっておかしいよね。何度も言うけれど、パワハラ・セクハラ委員は3人もいるのに、この件に関しては何も仕事をしていない。見て見ぬふりをしているのか?そもそも見ていないのか?いずれにせよ、パワハラ・セクハラ委員は3人はただのマネキンと同じ。ただそこにいるだけ。このHTMLの独り言のページは、世の中の矛盾・理不尽・グチを基本的に書いていくページです。このHTMLに過去にどんだけの世の中の矛盾・理不尽の事例を書いてきたのでしょうか?それだけ世の中が腐っているということです。パワハラ・セクハラをやられる側・弱者側はいつもヒノメを見ない暗い洞窟の中にいる。上位にいるほんのわずかな強者によって、強者の都合とわがままによって世の中がまわっているという、闇のブラック企業が多数存在するということであります。まあ、ストレートで言うと、学校のクラスでのイジメ側とイジメられる側の構図と全く同じであります。ブラック企業を多数経験してきて、もはやここまで来て、人生に明るい未来などないことは明らかである。何度も繰り返すが、おれは開きなおって世の中を進んで行くことにする。悪の世の中に遠慮していたら、ただ、自分が壊れるだけ。遠慮なんかいらない。そっちが来るなら、こっちもやってやる!目には目をである!ケンカ上等である!!


    2023年08月14日月曜日Monday(Mon.)
    今回は夢の話です。最近、長編大作の夢を見ても朝になると忘れてしまいます。本来は夢の日記帳というページがあるので、そこに書くのが正しいです。そっちにも書きますが、なにしろ量が少ないので、ひとりごとのページにも書きます。私は2023年8月現在している仕事をしている。神奈川県庁の事務の仕事である。しかし、なぜか夢の中では、NEC〇ッ〇〇ス〇イ株式会社時代の仕事をしている。MMMというマルチメディア多重化装置(略称MMM)のSEをやっていた。深夜の切り替え作業をやっている。当時担当していたお客様で、い〇〇自動車の藤〇工場か、日〇情〇の現場のように感じた。感じるだけで実際には、そっくりなマシン室の中にいるわけではない。深夜、いざ切り替えを実施する時間になり、作業開始しようとするが、何かしらの事前準備の不具合のためストップがかかる。(夢の中では不具合の理由はわかっているのであるが、今は忘れてしまった。)不具合の何かの調査をしていて、不都合が解消されたので、ようやく切り替え作業が始まった。作業中のシーンはかなり長い尺であったが、内容は覚えていない。切り替え作業が終了し、朝になり帰宅するため駅の方へ歩いていた。い〇〇自動車の藤〇工場か、日〇情〇の実際の現場には存在しない、芝生というか河川敷のような場所を歩いている。前方というか、前方右側から協力会社の〇〇さんが歩いてくる。顔ははっきり覚えているし、前の仕事では大変お世話になった、技術力の高い優秀な人です。顔は完全に覚えているんですが、名前が出てきません。。。で、その○○さんが、不機嫌そうな顔をしているんですね。内容は、切り替えのために新規に設定したiインターフェースの1.5MAIF盤のハードストラップが間違っていて、切り替えがうまくいかずトラブったというものである。協力会社の〇〇さんから説明を受けていないのだが、なぜか1.5MAIF盤のハードストラップの設定ミスであるということがわかった。自動的に頭の中に内容が入ってきた。その後の夢の続きは不明。


    2023年08月15日火曜日Tuesday (Tue.)
    三木大雲さんが良い事を言っていたので、文字起こしをしたいと思います。お経の中には失本心故という風に出てくる。これどういうことかと言うと、本心を失うが故に人は色んなものに迷うんだというふうに書かれている。心とは何かというと、私たちが生まれる前世から根性に生まれるその間の世界があるんですよ。前世と今世との間。これをお経には求名霊というふうに出てくるんです。 私たちは求名霊という霊になって彷徨うらしい。名前を求めて彷徨う霊になって、まず場所が決まります。銀河系の地球の北半球の日本の京都の上京区というところで生まれているんですけれど、ここらへんの町内でお母さんを探しなさいと言われて、母親を探して生まれて来る。その時に名前をどうか付けてくださいって、お願いをするんです。つけてあげてもいいよとなった人が母親である。生まれてくるんですけれども、その親が仮に虐待する親かどうかは、生まれてみないとわからないんです。ですから、親の方も実は選んでもらったという責任を持たないといけないんですけれど、できたという言い方をしてみたり、作ったという言い方をしてみたりして、 本質をあまり捉えられないようになってきています。これは授かったんじゃなくてできたんだという風になっていったりしています。 求名霊の時に私は、こういう理由でここに生まれてきますと宣言して、実は生まれてきているんですけれど、それを本心と言うんですけれど、その本心を失っているが故に、人は色んなものに迷うんです。じゃあどうやって、この本心を探すんだということも、これもまたお経の中に書いてある。この本心の探し方が非常に面白いんですけれど、例えば得いなもの、私兄がいるんですけど、兄は非常に絵がうまいんです。絵がうまいという兄と、まったく一緒の環境下で育ったにもかかわらず、私は絵が下手で、全然絵が描けないんです。3次元のものを2次元に落とすということができなくて、兄弟で一緒に育ったのになぜ違うかっていうと、前世、前前世で、兄はやっぱり絵を描いてきた。ところが私はまったく絵に興味を持たずにこの世まで来てしまったので、前世から積んできたものがないんです。故に私は絵が下手で、こういうのを習気という言い方をするんですけれど、習気といのは何かというと、自分の向上したいという、例えば絵がうまくなりたい、人を助けたい、これをよく間違えて、それは欲でしょと言われる人がいるんですけれど、これは欲ではなくて向上心とか、他に対する布施というものは、すべて習気なんですね。習気というものは来世に持ち越せるんです。人間は息を引き取る寿命ギリギリまで努力をしないさいというふうにお経にも出てきて、今世からこの習気というものを積んで、それがまた来世 に行くんだというんです。ですから私たちというのは、何となく仕事が終わって、定年退職したりすると、もう、それで仕事が終わりかというと、仕事は終わりでも役目は終わりではないんですよね。その役目を見つけるためには、まずご自身ができること、何が得意か、あるいは、今まで社会で培ってきたことを、生かす方法はどすうるべきかといって、私はできれば社会とのつながりだけは、ずっと持ち続けていただきたい。最後バトンを継いでいくような形、それがなぜそうですと言い切れるかと言うと、求名霊は必ず縦軸が1本あるんですよ。全人類に共通する人間に、これはお経の中に、衆生をあわれむが故に、と出てくるんですけど、簡単に言いますと、人の役に立つためにこの世に生まれてきていると、お経に書かれていて、ですので、最後まで誰かに喜んでもらえるような人生を送り続けるのが私たちの人生で、決して自分の欲を満たすために生まれては来ていないので、人とのつながりだけは持っていただきたいですね。そして、ここまで文字起こしをして自分なりに思うところ感じるところがあるので書きたいと思います。私は人生であまり語ってはいませんが、上記の三木大雲さんに関連した中で、やっぱそうだよね。ということがあります。周囲にあまり語っていないので、まあ、なんというか、ちょっと恥ずかしいという気持ちがありますので、あまり語ってはいません。で、それは何かというと、求名霊の時に自分のお母さんを探し、そのお母さんが了解したから、自分が生まれてきたと語っているところです。自分は、生まれる前周りがよく見えない中で、うろうろ彷徨っていまして自分のお母さんの顔が見えて、神様なのか案内人なのかはわかりませんが、この人がお母さんでよいですか?みたいな会話をしたかすかな記憶があります。その場にお父さんはいませんでした。三木大雲の言う通り、お母さんを探しお母さんを選び、お母さんから生まれた。お父さんはいなかった。見えていなかった。この話が、自分のモヤモヤした過去の記憶と一致したので、自分が体験したことは、実際にあったことであると確信した。さらに三木大雲は、その親が虐待する親かどうかは、生まれてみないとわからないんです。と言っています。さらに、親の方も実は選んでもらったという責任を持たないといけないんですけれど、できたという言い方をしてみたり、作ったという言い方をしてみたりして、本質をあまり捉えられないようになってきています。と語っています。このことで言いたいのは、泰子への抗議文章の中に、五体満足で産んであげたという言葉を100回聞いたというのがあります。やはり、上から目線で傲慢であることがわかると思います。そうではなく、自分が産んであげたのではなく、求名霊の時に、神様との巡り合わせ案内人のなどの巡り合わせなどがあって、そういう縁で生まれてきたのであって、自分自身の力だけで産んだのではないということである。はやり、その親が虐待する親かどうかは、生まれてみないとわからないんです。というのは本当のことでした。で、次に、習気の話を語りたい。自分が得意とすることで、来世にも持ち越すことができる能力であるが、それは、兄弟同じ環境で育っても前世、前前世からの積み重ねが違うので、得意不得意があるのが当たり前である。泰子がいつも口癖で言う、3人の子どもを同じように育てたのにねえ。。。という言葉は、人生で1000回聞きました。この言葉もまた誤りであり、その誤った知識や言葉を自分の子どもの心に、刻み付けるなどもってのほかであると言いたい。泰子が自分は悪くない。別々の人間になった原因は知らないと言えばいうほど、自分は愚かな言葉を繰り返しているのである。これは、そういう事を言っているのだよと、教えてやらないとたぶんわからないと思う。だから、ここに書いた。最後に、自分勝手な解釈だが、上記の三木大雲の定年退職した後の習気の話で、ひとこと書いてみる。おれは28年間、まああえて言ってみれば、徹夜作業やら人間の生活ができないような、NE〇ネ〇〇〇スア〇株式会社での仕事がイヤであった。技術的な内容を追求するのは楽しいが、寝ないで障害対応をするのは、とことんキライであった。この流れを28年間で断ち切り、次の自分のできる仕事は何か?自分のできる習気は何か?自分の得意とする来世まで持ち越せる習気は何か?神や仏の絶大なパワーで、断つきっかけを作ってくれたのではないか?と思うようになった。おまえは、NE〇ネ〇〇〇スア〇株式会社で徹夜とか休日出勤とか連発する障害対応などではなく、もっと違うものに目を向けて行け。その為に、今までのレールをあえて崩して、新しい人生を歩くように仕向けたかもな?ただし、おれは脳みそがないので、そこを深く考えたところで何も答えは出てこない。今は、その長い旅の途中であり、いつゴールするかもわからず、もしかしたらゴールしない可能性だってある。三木大雲の話を聞いて、半分理解し半分不安になるという状況になった。今日はこのへんで終わる。


    2023年09月16日土曜日Saturday (Sat.)
    世の中の理不尽を描いた映画は多数ありますが、戦争映画がそういう面が強いと思います。これから語る内容にふさわしいのは、映画プラトーンです。新しい少尉が来るのだが、現地でいろいろな事を経験した古参の軍曹の方が、知識は豊富だしチームメンバーを引っ張って行く力も持っている。少尉の命令よりも軍曹が先に命令をするので、少尉からも俺に命令させてくれと軍曹に言うシーンまである。これが世の中の常と言いますか、象徴なのかなと思うのは、今、ある現場で20歳と思われる人が現場責任者をやっていて、部下のメンバーとの隔たりが大きくなるばかりであります。最初は経験不足だけなかな?と思っていたが、何をするにもとにもかくにも、トンチンカンな指示をするもんだから、どんどんメンバーとの距離が離れていく。まあ当然と言えば当然。自分が現場責任者だから!という理由だけで、平気で冷たい言葉を浴びせまくる。さらに、うわべの体裁を整えたいがために本質を議論せず、きちんと理解して発言せず、人から聞きかじりの情報を右から左へ流すだけ。そこには、自分の考えや検討・考察はない。おれは、そういう人が責任者に任命されるべきではないと思っていますが、上記のように、映画も含めて世の中的には、優秀だからリーダーになるとは言い切れないというのを目の前に見せつけられる変な違和感・変な風習がイヤなんですね。じゃあ、お前、人間やめてくださいと言われれば、すぐやめる気は満々です。世の中は上の人のために存在する。。。政治家などを見ていると、本気でこう思ってしまいます。別に貧乏な庶民、貧乏な農民のまま高い年貢を要求され、苦しみながら生きるのは疲れたというのは何度も書いていますが、今回もガチでそう思いましたので記録に残したいので書きました。


    2023年10月05日木曜日Thursday (Thu.)
    今日は亀田誠治について書いてみます。まず、おれは以前から書いているように、織田哲郎作曲のコード進行が王道の曲が好きでカラオケなどで、盲信する信者になり、それがおれの音楽の原点なので現在も信者です。で、最近、Youtubeで某アーティストが歌っている曲、良いと思う曲の作曲を見ると、亀田誠治になっていたので亀田誠治のファンになってしまった。おれはお気に入りミュージックというより、お気に入りの作曲家を発見したら、作曲家を中心に検索していくという手法を取る。歌う人、バンドなどが変わっても、その人の作る曲は基本的な部分は同じであるので、良い曲であると感じることが多いからである。亀田誠治は昔、NHKの音楽番組をやっていて布袋寅泰をゲストに呼んで、マリオネットの曲のリフについて解説し大絶賛したり、織田哲郎はBメロの魔術師であると言ったりして音楽は詳しいのは知っていた。そしてベーシストでもある。正直、ベースって音が地味だから亀田誠治という名前はあまり一般的には聞かない。亀田誠治は作詞もするし作曲もするので、自分でシーケンサー使って、何でもバリバリ作れるんだろうと思うので、あえてベースに特化した話ではないのだが、あまり派手な印象がない亀田誠治が、世の中のJ-POP、J-ROCKにこれほどまでに進出してきているのはびっくりした。亀田誠治の曲の特徴を書いてみる。基本は織田哲郎とほぼ同じように、王道的コード進行ではある。しかし、ちょっとした部分で、ここでこっちのコードにあえて振っていくの?みたいな驚きというか、ドキッとするというか、これが世で言うエモイ曲ということになるのだろうと思う。このコード進行は王道だけど、ここにこれ入れてくるの?ちょっとしたスパイスを入れてくるみたいなそんな曲なので、ギター弾いているとゾクゾク・ドキドキする。これが弾いていて楽しいということになる。亀田誠治は、改めてスゲーなと思う。


    2023年11月15日水曜日Wednesday(Wed.)
    夢の日記帳というページがあるのだが、最近あまり頻繫に夢を見なくなった。さらに長編の夢を見ても目が覚めると、ほとんど覚えていない場合が多い。なので、ひとり言の方にもメモとして記載しておきたいと思う。去年死亡した父・貞男が夢に出てきた。11月15日の朝がたに覚ええていた夢なので、ちょうど丸1年後の夜の夢である。夢の内容は、おれが、2階の窓から外を見ている。その家は、本当の自分の家ではなく、旅行中に宿泊している親戚の家か、または、宿のような一時的に泊まる場所である。その22階の窓から外を見ている。2階にいるのは、おれ1人である。下の方には、道路があり周囲に住宅もある、普通の一般的な住宅地である。周囲の住宅には、親戚ではないが、知り合いのような感じの、見慣れたような人が道を行き来している。なんというのだろうか?表現が難しいが、この2階は単なる2階ではなく、遠く向こうの方まで空中の道でつながっているイメージである。その2階の玄関にいきなり、父・貞男が入ってくる。玄関は通常は1階にあるはずなのだが、今回は、いきなり2階の玄関らしき場所からいきなり出現する。父・貞男はもう死亡しているのだが、おれの感覚は、特に驚くでもなくいつもと同じ対応である。空中から2階に来たことも、別におれは驚いてはいない。父・貞男は、何もなかったかのように、おれに話かけた。話の内容の詳細は忘れたが、今この一時的にいる宿を出発する。。。。というような内容。まあ、別に何も驚くこともなく、普通におれは対応している。この先の記憶があいまいなのだが、今はなぜかクリスマスの時期であり、周囲の店などはクリスマスの飾り付けをしているようである。そのクリスマスの飾りつけをしている店を抜け、いくつかの道を通り、移動していく。その先で過去のN〇C〇〇〇〇〇の社員の人なども何人か出て来て、クリスマスの飾りの通りを抜けていく。。。。。その先は、よく覚えていない。


    2024年1月3日水曜日Wednesday(Wed.)
    島田秀平の今悩んでいる全ての人へ捧ぐ、一番心に響いた話。ある20歳代の女性の方が話してくれた話。この人のお友達の方が体験した話。この方、新宿のあたりで1人暮らしをされている方なんですけども。お仕事がキャバ嬢。歌舞伎町のキャバクラで働かれているという女性の方がいるんですね。毎晩いろいろなお客さんむかえてお酒飲んでということされているんですけれども。ある夜ですね。初めてお店に来られた40歳代半ばくらいの、すごく身なりの良いニコニコされてああ、もう明らかに成功されているんだろうなというくらい素敵な紳士が、1人でふらっと来られたんです。で、まあその方につくわけですけれども、明らかに余裕があるんですよ。 ニコニコされてガッツいてないし、ああ素敵な方だなあ。成功されていて余裕があってというような素敵な大人の方だなあと思って話をしているんですけれども。お酒を何杯か飲んでいたところで、この男性の方が、ああ僕の以前と今の写真2枚出すので、見比べてもらえません?って言うんですって。意味わからないじゃないですか。見比べてってどういうことだろうか。あ、はい。2枚写真出されるんですよ。で、たぶん5~6年くらい前と今の写真なんですね。で、ある意味ビフォーアフターだから、もしかしたら整形手術とか されて何かそういう違いがある、整形手術とかがうまくいったから誉めて欲しいとか、そういう事なのかなあ?って見たら、特に違いはかわらないですよ。やっぱりね年齢を重ねているので、以前はお若いし今はそれなりに歳を重ねているっていう、2枚の写真なんですけれど、特に違いってわからないですねえ。と言ったら。ああ、わからないですか、ここ違うでしょう。。。。というのはですね。 5~6年くらいの写真は目の横当たりにホクロがあるんですよ。今の写真、そのホクロがなくなっているのか?更にここに(口の横に)ホクロがあるんです。ああ、除去したんですか。そしてまた新しホクロ出てきたんですかって聞いたら。いや違うんですよ。すごい不思議なんですけどねと言って話してくれた話なんですけれど。僕ね5~6年くらい前かなあ、今は仕事を独立して会社やっているんですけれど、当時はある会社で営業職をやっていたんです。ただ僕ね本当にダメなやつでね全然契約も取れないし、毎回会社に帰ると上司から怒られて、俺はなんて向いていないんだ。俺はなんてダメな人間なんだ、本当に毎日、毎日落ち込んでたんですよ。その日もね仕事で失敗して上司に怒られて、家に帰ってくるともちろん1人暮らしで誰もいない部屋。ああ自分の人生ってなんてダメなんだろう。 もうこんな事だったら、自分で命を絶ってしまおうと思ったんです。自分で命を絶つ前に、最後に冷蔵庫にビール1本あったなと。 ビール1杯ので人生を終えたいなって、そういうふうに思ったらしいんですよね。で、冷蔵庫に行ってビール1本持ってきてグラスについで、ああ、これが最後のビールかあって飲むと、ああうめ~なって思うんですって。ああ、これが最後のビールか、それでは命を絶とうって思うんですけど、僕もね、その時にそういうふうに思うんだって思ったんですけど、お酒飲んだら口の中が多少気持ち悪くなるじゃないですか。これから命絶つんだったら本当に身ぎれいなサッパリした状態で、終えたい。だから、歯をみがいてから命を絶とうって思うんですかね?そういうふうな方たちっていうのは、清めてから清めて切腹前みたいな事なんでしょうかね。で、洗面所に行って歯ブラシに歯磨き粉つけて、歯を磨き始めるんですよ。洗面所なんで鏡ありますよね。自分の顔が映っているんですよ。それ見て情けなくなってくるんです。ああ覇気もないしこんな暗い顔になっていたんだ。おれの人生って本当にいい事なかったな。仕事でもいつも怒られて、もう本当にこれで命を絶ってしまおう。ああ、おれの人生何だったんだろうか。何げなく鏡を見ていたら、急に目の横にあったホクロがスーーーと、口の横に移動したんだそうです。え???何?何?って思うんです。意味が分からなすぎて突拍子もない出来事なので、命を絶つという気持ちが飛んじゃったらしいんです。え?不思議な事あるなあと思ってその日、寝たんです。 朝起きたら気持ちがめちゃくちゃ晴れ晴れしていて、なんで昨日はあんな事、思っていたんだろう。いやそれよりも、自分の命を終えたいと思うくらい仕事で追い込まれているってことは、そもそもこの仕事むいていなかったんだよ。だったら別の仕事やった方がいいよ。すぐに会社に辞表を出してそこから別の仕事を探すと、どん底を味わったので、もうこれより下はないと、すごく頑張れてとんとん拍子にうまく行って、今なんです。これ人相的な話で言うと特に右側の目の横のホクロは良くない。口元の右のホクロって金運に恵まれるっていう結構良い人相のホクロなんです。どういうことなのか、自分の命を絶とうと思ったからホクロの意味が変わったのか、 ホクロの意味が変わったから人生が変わったのか、わからないんですけれども、人生が一夜にして変わったっていう話なんです。 僕鳥肌が止まらないのは、手相って本当に変わるんですよ。自分が考え方変えたり努力したりすると。逆にサボると悪い線が出てきたりするんですけれど。このあと島田秀平さんが手相の本を半年かけて書いた話をする。その手相の本が広まっていったという、自分にとって人生を変えられた本なんですけど、それ書いている最中、手のひらの皮がズルズル剥けてきて、薬品かけたっていうくらい手の甲関係ないのに、手のひらだけ皮がズルズル剥けてきて、何だこれ?病院行っても治らない。薬塗っても治らない。半年後くらいに本を書き終わったなという時に、ああ、なんか治ったなあと思った時に、見たら、手相がまったく変わってたんですよ。人生が急激に変わる時に手相が急激に変わることってあるんですよね。。。。。この話を聞いて、おれもこれを真似して一旦は、手相が変わる変わらないは置いておいて、ちょっとゆっくり手相変わるかなあ??程度の余裕が持てたら良いかあって思った。人生、一旦、休憩。一休さんになるべきだな。


    2024年1月11日木曜日Thursday (Thu.)
    城谷怪談というYoutubeがある。語りがうまいので内容に引き込まれる。大好きな語り手さんです。で、この人の怪談で女性に取材をして実体験を怪談にしたものがあって、タイトルは忘れたが、おれ本人としては非常にスッキリする。弱者の復讐がよく出ている内容なのでこれは気に入っている。城谷怪談は独特の語りで視聴者を恐怖のどん底へ落とすため、Youtubeを見ることをオススメするが、何しろタイトルを忘れてしまった。簡単に内容を書く。少人数の店舗で店長が悪人で、ある人をイジメ・パワハラを継続的に やっていく。店長の取り巻きには2~3人の部下がいて、いつも店長の側に立つ。日本の典型的なイジメの構図である。この怪談を語っている女性は、どちらかと言えば中立なのだが、グループが対立している時には、なぜか、どちらかの勢力に加わる。ということが暗黙の了解というか、店長からしたら、あんた、味方なの?敵なの?と追い込まれるので、一応、店長側に着いている。パワハラ・イジメが過激になって結局、そのイジメられていた人は駅のホームで電車事故によって死亡する。自殺じゃないように見えたらしいが、連日の疲れもあってフラフラと線路側を歩いていた可能性はある。結果として事故として処理された。その人の葬式(通夜と告別式)が開かれる。まあ、少人数の店舗であるため、店のスタッフは全員葬式(通夜)に参加し、告別式は不参加というようなスケジュールで、被害者の自宅まで行く。被害者の実家は、かなり田舎でバスを使って行くこととなる。通夜の最中は、悪人の店長でもさすがに、良い人であった。などと故人を懐かしむセリフなど吐いていたという。電車事故のため首が見つからなかったようで、体の方も被害がひどいので、棺桶のフタは閉じたままであった。通夜は一通り終わり、お店のスタッフ連中はバス停に行き帰路に着く。悪人店長はバスでの帰り道で、被害者に対して暴言を吐く。店長の指示を聞かなかった罰だよ。みたいな事を言ってみんなで笑っていた。停留所でもない場所でバスが急に止まり、知らない男が木箱を持ってきて店長に渡した。店長がそれを開けると被害者の頭が入っていた。店長以下、店長の取り巻きは順番に箱を開け、バスを降りていき、徒歩で山を降りて滑落して下半身不随になったり、気が振れて病院に入院したり、死亡した人はいたかなあ?忘れた。。。。この怪談を語っている、店のスタッフの女性は、ものすごい目には合わなかった。それでもこんな店は辞めようと思い、入院している先輩のところにお見舞いに行く、そして辞めると伝える。その先輩は少し容態が良くなったらしく、あんた、あの箱の中を見たの?と聞かれた。見ました。と答えた。何が入っていた?と聞かれ、中にはネコが入っていましたと答える。ねえ、あんただけ許されたみたいだね。とひとこと言われたという。この怪談はイジメを苦に、自死ではないにしろ亡くなってしまった人の逆襲です。明らかに弱者が強者に対する抵抗です。そしてそれが明確な形で実行された。おれはこれは美しいとガチで思う。多勢に無勢であり、弱者は堪えるしかなかった。生きていた時に対抗できなかったので、その後にその目的を果たした。そして明確にイジメ・パワハラを実行した連中に恐怖を植え付けることに成功した。おれも、このHTML内にぶっ殺すリストを記載したが、こういう明確でストレートな結果が出れば満足である。何度も言うが、弱者は耐えるしかないんです。対抗する手段や武器は持っていない。だから必至に耐える。しかしその忍耐力にも限界がある。そこを補うのが超常現象である。おれは明確にピンポイントでリストの連中を恐怖に陥れてみたいと願っている。その時の連中の顔や言い訳けなどを見たいものである。しかし言い訳を言ったからと言っておれは絶対に許さないからね。それを許すと、悪人がどんどん増える社会になってしまうからね。















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