電話でのお問い合わせはTEL.080-xxxx-xxxx

〒213-0001 川崎市高津区xxxxxxxxx

独り言のページ17
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いても基本なので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、生きていく事、世の中の矛盾というか、理不尽というか、何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。
  • 【ひとりごとの目次 へ戻る】http://home.h04.itscom.net/anne0109/hitori00.html.html
  • 【Top page へ戻る】http://home.h04.itscom.net/anne0109/youtube.html


    2022年04月23日 日曜日Saturday (Sat.)
    今回、自分一人で自問自答し、少し落ち着いて考える時間ができたので、今までの理不尽な戦いを振り返って、世の中の事が少し理解できてきたかな?と感じたので書いてみます。だからと言って、そういうズルイ世の中が正しいとは全く思いません。で内容に入っていきます。私は職場で、こいつはエンジニアとして技術的にかなわないと思われることが多いようです。多いような気がします。多いと感じざるを得ません。これは自分を過剰に評価しているつもりもないし、自慢しているつもりもはないです。某IT一部上場企業を退職してから、特にそう感じます。こう言って多少問題ありますが、紳士的に書くとわかりにくいので、わかりやすくストレートに書きます。IT企業の現場でエンジニアの派遣社員などが多く働いています。その中で優秀な人は、もちろんいます。優秀で、自分の収入を上げながらどんどん上に行く人も当たり前にいます。しかし、あまりIT技術の能力が高くない人も多くいます。技術力の高くない人は、その職場に特化した、この仕事を5年10年15年やってきています。その分野が得意で優秀なのではなく、その仕事ピンポイントだけは誰よりも自信があり、誰よりも早く仕事ができます。その仕事から範囲が少し離れてしまうと、もともとの基本技術を理解しているわけではないので、他の職場に行ったらたぶん何もできないと思います。逆に私は技術的には、基本から長い経験を積んできましたので、技術範囲が若干それても、まあある程度は可能かな?あと思っています。基礎技術がなくて、その現場の同じ仕事だけ繰り返している人にとって、基礎技術がある私なんかは、嫉妬というか脅威というか、別人種のように感じるのではないでしょうか。私は自意識過剰なのではなく、そう考えると、自分へ降りかかって来た多種多様な理不尽な待遇・対応などが明かになるような気がしてきました。会社には嫌いな人ももちろんいますが、私は仮に嫌いでも、正論で技術的根拠をお互いにつきつめれば、技術面では明らかになると思っています。技術面とその人の性格やクセなど、嫌な面はまったく別だと理解しています。そういう事が仕事をするという意味だと思っています。しかし、何か違和感があるなあと長期間感じていた違和感がそれです。技術面を突き詰めるのではなく、なんとなく嫌いとか、なんとなくという曖昧な気分で人を排除する習慣。そういう事を重視している連中は、技術中心で考えられません。自分中心で考えます。仕事でも自分が得意な仕事だけ見ていて、私がミスしたら好機ととらえ、ボロクソに非難します。そしてあいつはダメだと職場で吹聴します。自分が勝てる内容に絞る。自分の陣地の中で戦うと自分の正義が主張できます。ある意味かしこいです。私は基礎技術を基本に考えます。その理由は、その人の人間性とかに関係なく技術はウソをつかない。技術は世界共通だから、お互いに理解を深めることができます。日本語、英語など言葉の違いはまああるにせよ、根本部分では悩むことがないんです。基礎技術を知らない人は、自分の知っている狭い部分で勝負しなkればいけません。狭いエリアのなかで争い合っていている連中です。日本語で言うと井の中の蛙です。彼らは基礎技術を知らないので、自分たちが過去にやってきた事を正論化し神格化し主張することで自分たちの正義を主張します。それが世の中の技術的常識とズレていたとしてもね。日本語に郷に入っては郷に従えという言葉がありますが、それも程度の問題があります。度を超えたものがあったとしても、愚かな彼らはそれに気づきません。だってそれを10年20年継続してきたわけですから。バートランド・ラッセルの言葉に以下のものがあります。愚かな人間は賢い人が言った事を正確に理解できない。それは人間というのは自分が聞いた事を自分か理解できる範囲の内容に変換してしまうからである。私は自分は賢いとは思いませんが、この場合、私が長い間やってきた基礎技術に基づいて語っても、その土台を持たない愚かな彼らにとっては、理解し難いものになる。という意味になろうかと思います。まあ、この排除するという根深い闇が深すぎます。そこで行われている日常的なイジメなどは、正義感を振りかざして、その人を辞めさせようとします。私がこの職場にいた短い時期で、4人辞めさせられました。なぜ辞めさえられたのか?わかるのか?というと、その愚かな連中・愚かな集団の中でいつも、その当人の文句を言っていました。ああ、また言っているなと思いながら聞いていましたが、案の定、辞めて行きました。辞めさせるように仕向けるのは、この職場を清潔にするための正義であると本気で信じているんでしょうね。本当に低レベル過ぎて話し合いをしたり、改善案を求めたり、説得する気にもなりません。レベル感が違うのは話していればわかります。ああ、こいつはこの話にはついて来れないだろうなって。そういう無駄なエネルギーは使わないようにしています。本当にやらなければいけない仕事にパワーを入れたいからです。また、このHTMLのどこかに書きましたが美輪明宏さんの人間関係腹六分というのにあこがれています。この中で美輪明宏さんが語っています。ゴマをすってみたり、上から押さえつける、いろいろ小細工するじゃありませんか。駆け引き。そういうものよりも、いい人間同士でいましょうね。それを心掛けていればいいです。全員良い人間であれば、小細工することは不要で世界じゅうが平和になる。これが一番です。今日の文章の最初の方に書いたものは、全部小細工。小細工がうまいと人生やっぱ有利になります。しかし汚い手を使ってうまくやるより、美輪明宏さんの言ういい人間同士でいましょうね。というのを心掛けたいです。これが人生の正論であると確信しています。


    2022年4月28日木曜日 Thursday (Thu.)
    今NHKで星新一のショートショートの番組を放送している最中である。星新一の本は過去に何冊か読んだことはある。しかし具体的に何と何を読んだかは忘れた。そうい中で、星新一の生涯の歴史っていうんですかね。それを民放が作った番組をYoutubeにUPしている人がいた。たまたま偶然見たのだが、一生は知らなかったので動画を見た。星新一の書く時は、丸文字っていうんですかね?独特の文字を書く人なんだなあって思いました。その番組の中で星新一は変わった人であったようで、周囲にいた作家友達などが証言している。証言したのは誰か忘れたし、どんな流れで以下の話が出てきたのかは、忘れた。とりあえず書いてみる。毎日新聞の記事だったと思う。南極に残された犬ソリの犬。タローとかジローとか言うんでしたっけ?そのへんはどうでも良いです。内容に触れていきます。1年だか2年だか、南極観測隊の人が、その犬を放置して日本に帰ってしまった。次のタイミングで、南極観測隊の人が南極の島に来た時、放置した犬がペンギンなどを食べて生き残っていた。日本じゅうみんなが、生きていて良かったね。という、そういう毎日新聞の記事であった。その時、星新一は食べられたペンギンの立場はどうなるんだ?と言ったそうである。おれも、このオチを聞く前に同じ事を感じた。犬は生きていて嬉しい。しかし、そのために食べられて死んでしまったペンギンも多数いるわけで、犬とペンギンの扱いに差別があるなあと感じた。人間も犬も猫もペンギンも地球上にいる動物は、みんな平等であると思った。。星新一と同じ感想を持ったから、。星新一のように偉大な作家になれると自慢しているわけではないし、おれが上でお前が下とか言いたいというものではない。同じような発想の転換ができる能力があるという事は、生活に使えなくても、これはひとつの能力である。批判したり誹謗中傷されるものではない。そういう発想をする人も世の中にはいるよね。地球上の人間みんな多様性を認め合い、お互いに多様性の能力を発揮しながら、地球上で生きていきましょう。という、おれからのメッセージである。犬が主役であるので、多数派の人は喜ぶ。しかし少数派の人もいるんだぞ。という事を認識して欲しいので、ここにあえて書いた。不寛容の時代とか言われ、人間が生きていくのが苦しい世の中だと、ガチで思います。


    2022年05月04日水曜日 Wednesday (Wed.)
    今回はギターの話題。今までIbanez S seriesというギターを使ってきた。楽器屋の店員さんに初心者向けで弾きやすいということでオススメだった。実際にネックは薄い。ボディーも薄い。そのため軽い。軽くて扱いやすい。音も悪くないと満足していたのだが、壊れてしまった。その後、新しいギターを買うことを考えるが、通販よりも店舗で買った方が良いと思った。ギターを見る目はあまりないのだが、自分の目で見て明らかにダメそうなものは除外したいので、やはり自分の目で見たい。自宅から近い渋谷の石橋楽器に行った。Ibanez S seriesで良いと思っていたが、Ibanezのギターは20本くらいしか置いてなかった。ぱっと見、展示品は自分には弾にくそうな感じであった。フェルナンデスも20本くらい。ヤマハも20本くらい。フェンダーが200本くらいあった。メーカーによって本数が極端に違いがある理由は知らないが、この店はフェンダー専門というか、そういう系列なのだろうと思った。フェンダーの中で、価格と弾きやすさと、デザイン、色などを吟味した。覚えていないが、1時間くらいか?結構時間がかかったと思う。自分が決めたのは、Fender PLAYER STRAT HSH PF BCRである。5万円台だった。10万円未満で探していて、まあ8万円くらいと、覚悟していたが、かなり安価に買えて良かった。デザインと色も良かった。家に持ち帰ってくると、ネックの太さに気づく。Ibanez S seriesはかなり薄かったんだと再認識する。しかしこれくらい太くないと、ネックが曲がってしまうんだろうなあというのも感じる。ボディーの厚さも厚い。だからかなり重い。Ibanez S seriesは軽かったので、Fender PLAYER STRAT HSH PF BCRは、倍くらいかそれ以上の重量感がある。剛性も高く。ガッチリしている。さっそく音を鳴らすと、確実に前のよりも良い音がする。下手な俺が弾いても良い音がする。たぶんネックが太く、ボディーが厚くしっかりしているので、安定した良い音が出るんだろうなと、素人でも理解できた。プロは音にこだわると、重くなっていくんだなあと感じた。ギタリストの松本さんは、レスポールだが見た目、かなり重そう。あれを弾く体力も必要だし、改めてプロがすごいということを理解する。で、今回、実名を出しますが萩野さんというバンドでキーボードをやっている人のアドバイスで、ブリッジミュートやった方がいいよと言われた。おれのYoutube動画を見たとは言ってなかったが、とにかく技術的な事を知らないので、教えてくれるだけ助かる。さっそくブリッジミュートの練習をする、が、今まで右手を浮かせていたので、適度な距離感がつかめなかった。しかし、なんだかんだ2週間くらいで、まあできるようになった。これができるようになると、普通に弾いていて急にブレイクする場所で、右手でブレイクできるようになった。前はブレイクはできなかった。以前SCANDALの人の右手でブレイクの仕方の動画を見たが、さっぱりできなかった。しかし、今回ブリッジミュートができるようになると、普通のブレイクは簡単にできるようになった。弦と手の間隔・感触がわかってきたんだと思う。昔、単なるブレイクやる時は、エフェクターのペダルを踏んで強制的に音を止めていた。これは、わざわざ足を動かすという、余計な動きになるので、右手でブレイクできる方が良いに決まっている。これは、ブリッジミュートを教えてくれた萩野さんのおかげです。かなり感謝しています。前の職場にいた協力会社さんなので、今は会うこともないですが、感謝しています。


    2022年06月10日金曜日 Friday (Fri.)
    子どもの頃、ナポレオンの名言で、私の辞書には不可能という文字はない。という言葉を聞いた。日本人は、この言葉をほぼ全員聞いたことがあると思う。おれ子どもの時、ガチでナポレオンが持っている辞書の中に、不可能という文字がないんだと思い込んでいた。なぜか大人になってナポレオンの辞書の事ではなく、ナポレオンの言動などを例えて言っているということが理解できるようになる。大きなノッポの古時計の歌は、古時計が動かなくなったと思っていた。しかし、大人になってなぜか?知ったのは、動かなくなったのは時計ではなく、おじいさんが動かなくなった。すなわち死亡したということである。なぜだ?なぜ、こんなに変な比喩を使うのだろうか?おれは不思議でならない。次に、まったく別の話題。ギター歴は長いんだけれど知らない事って、かなりあるんだなあと思います。逆に無知過ぎて恥ずかしいくらいである。Ibanezのギターが壊れてFender PLAYER STRAT HSH PF BCRを買ったのは以前書いた。Ibanezの時には、ERNIE BALLの黄色。ようするに、ERNIE BALLの10-46を使っていた。太い弦とか細い弦とかあるのは知っていた。しかし、このギターにはこの規格の弦を使うって決まっているんですねえ。世の中で定番の弦は、ERNIE BALL、D'Addario、Elixirの3社。Elixirはコーティングされているとか、いろいろ工夫されているので、この中では高い。貧乏人はERNIE BALL、D'Addarioの2択。Ibanezのギター使っていたERNIE BALLの10-46を、Fender PLAYER STRAT HSH PF BCRに張ってみた。普通にチューニングしたら、ブリッジが浮き上がった。なんかおかしいと思い、このタイミングでいろいろ調べた。 ギターを買った石橋楽器にも質問した。太い弦を張ってブリッジが浮いたり、ひどい時にはネックが曲がったりする。その時は、ブリッジの裏のネジを取って、バネを調整することで、ブリッジの浮きがなくなる。という説明であった。弦の半音チューニングとか、ダウンなんちゃらチューニングをすると、音色が変化するのは知っていた。しかし、その都度最適な調整をする必要がある。ということ。ブリッジやいろいろな場所を素人が仮に調整して、音がまともに出なくなる事が怖かった。エレキギターは電気の力で音が出るのだが、電気を通さない時は、生楽器と同じ。生楽器にたまたま電気を通しました。という楽器であることを理解しているので、素人がギターの重要部分のブリッジを触るのは危険と判断。石橋楽器に私のモデル名を言って、お店では何の弦を張っているか聞いてみた。D'Addarioの09-42を張っていると言われた。楽器屋で使っているメーカーとその太さの弦を張れば間違いはない。このギターを使い続ける限り、D'Addarioの09-42を買い続けると思う。


    2022年06月12日日曜日 Sunday (Sun.)
    いろいろ事情があって、今運送業の仕事をやっている。チャーター便を依頼する仕事も多い。その中で日本では有名な赤帽という業者がいる。軽トラで小回りがきくというか、どこでも行きます的な会社。運送するのは、赤帽の配下にいる個人事業主が登録されている人。で、大昔の話で、ネットワーク機器の保守をやっていたとき、現場に予備機材を運送してくれる業者は、ほぼ赤帽であった。障害の現場が都内など近い場合は、電車で移動して現場に着くのが早いので、私が現場で保守部材を待つことが多い。逆に地方の障害対応に行く時は、移動が長いので、赤帽が先に着く場合が多い。今、改めて冷静に考えてみると、社員のコキ使いかたがハンパないなという思い出話を書いてみる。この事例に限らず、人使いの荒い会社であり、管理職になっていけない。管理職になりたくない社員は常にこの危険性と向き合うことになるため、就職する前に調査し自分に向いているかどうかを熟考する必要がある。で、話がソレたが、話を戻すと。自分は飯田橋の事務所にいる。障害連絡が入ってきて、東京駅発の21時半の新幹線に乗り、三島駅へ行き、そこから現場に行くという、信じられない指示である。イヤだけど仕事だから行くしかない。で、新幹線に乗っている最中に赤帽のドライバーから電話がかかってきて、現場に着きました。と言われる。おれは新幹線の中で、東京から移動しているんだからそんなに早く行けるはずがないじゃん。という気持ちもあり。冷たい口調で、新幹線の中で、まだ〇〇駅なんです。と言っていたのを思い出した。今考えると、赤帽のドライバーに当たるのは、かわいそうだったなあと感じる。過酷な仕事を指示されて、夜中に新幹線に乗って障害対応をさせられる。。。のはイヤなんだけど、その仕事を指示しているのは会社であって、赤帽のドライバーではない。今、運送業の仕事をしていて、いろいろな運送業者と会話したり、メール送ったりしています。その中で赤帽に関する業務の時は、なんか、あの時はゴメンな的な気持ちになります。


    2022年06月19日日曜日 Sunday (Sun.)
    いろいろ事情があって、今運送業の仕事をやっているのは前回書いた。今年の3月末まではネットワーク機器の運用監視をやっていた。運用に使われているのはCisco891とか、Catalyst2960とか、3750とか3800とか、その辺が定番であった。私がCisco機器を触り始めた頃とモデルはほとんど同じ。こういう機器のコマンドを覚え、CCNA試験を受験し合格した。しかし今、Cisco機器を新規構築用に配送やっていると、知らない機器名が出てくる。C atalyst9000とかCatalyst1000とか。。。ネットでちょっとだけ調べてみると、スタックケーブルを使用せず、光ケーブルやUTPケーブルを接続してスタック構成が組めるとか、それを組んだら、ポートチャネルは使えないので、スパニングツリーの設定をしなければいけないとか。。。もはやジジイにはついていけません。まあなんとか運用保守業務であれば、古い知識でも最低60歳までは働けるであろうと思っていたが、もはや世界が変わっていました。私には世界が一夜にして変わったかのような衝撃があります。自分が勉強した上の上の技術力がないと無理だなあ。もうネットワークの業務には一切携われないなあとガチで感じてしまいました。


    2022年07月18日月曜日 Monday (Mon.)
    ちょっと前から気になっていたので、大田区について今回書いてみる。おれは使い捨てというか、ボロ切れのようにコキ使われ疲れ果てて某一部上場企業を辞めたのは過去にも書いた。その後、約3か月間無職であった。この時は初めての無職経験だったので、何が何やらわからなかった。ハローワークに行ったり、ネットで求人に募集をしたりした。この時、3か月で約150社に応募した。前にも書いたが、合格か不合格かを通知すらしない会社が7~8割と多く、世の中のクソ闇を見た。なんだかんだで、IT系の仕事をあきらめ製造業の会社に入ったのが、大田区の雑色駅下車の会社である。この時は何も感じなかったが、今後大田区との関係に気づく。この会社は給料が安かったので入社時に、もっと欲しいと言ったら個人の能力を評価し昇給していく会社であると説明を受けた。しかし、実際に働き始めるとそんな社風はなく、逆に労働意欲を低下させる事が日常的に起き結局やめた。今回のこの独り言は、辞めた理由を深く追求していく文章ではない。関係ないと思われる部分はどんどん簡略化して文章を進める。その後いろいろあって、家内の仕事も大田区であった。家内の仕事なので詳しく書かないが、何年か仕事をしたが辞めた。そして時が過ぎ、2022年になり、おれは大田区のある会社に派遣で働くことになる。今回も前回と同じような感じで、無職が2.5か月くらい続いた。失業保険をもらうのが3か月後なので、3か月間無職で耐えるのはかなり厳しいし苦しい。今回の就職活動は、約90社に応募した。今回も前回と同じで、7~8割の会社が合格不合格の通知をしない。就職活動をする上で、採用担当者が落とすのは仕方ないとして、連絡をくれと言いたい。自分勝手な採用担当者が大勢いることは最初からわかっていたので、今回は怒りは感じなかった。その中間時期にも一時期無職の時があった。無職で就職活動をした会社数は、150+100+90=340社になる。昔3~4年前、安倍さんが求人は1.2倍なので働く場は十分確保されているというエラそうな発言があったが、これはまったく逆であると声を大にして言いたい。で、今回の3か月の無職の期間、ある会社の試験で文京区の応募であったが、面接の時に大田区でもいいですか?と質問された。なんで大田区?って疑問に思った。おれは、文京区の方が上品な感じがしていて良かった。しかし面接で大田区はイヤですと言えるはずもなく、大田区でもどこでも働ければ良いですと答えた。結局その試験は落ちたのだが、そんなこんなで人生で大田区に関わることが多いような気がしている。自宅は溝の口なので飲み屋やパチンコ店も多いので、ガラは良くないです。しかし、大田区はもっとガラが悪くて汚い感じです。半分年金生活で半分浮浪者のような人も大勢見ます。この汚い街に何か呼ばれているのだろうか?と本気で思っています。このHTMLのどこかに2022年の4月5月頃の無職の時に、羽田空港へ行き飛行機の撮影をしていた時に、ちょっと変なおじさんが話しかけて来た話を書きました。羽田空港は大田区です。そのおじさんの不思議さもあって、大田区に呼ばれている。もしくは、大田区のおじさんが自分の何かしらの先祖で何かを伝えたかった。そして、その土地に呼び戻された?というような気がしてきた。これは考えすぎであると言われるかも知れないが、ここに書き残した何年か後に、その原因が判明するかも知れないし、判明すると面白いかも知れない。自分の人生の中で大田区というキーワードを少し考えながら、今後の人生を進んでいきたいと思う。


    2022年08月08日月曜日 Monday (Mon.)
    大田区の話を書いたが大田区ではなく、京浜急行に変な縁があるかも知れないと、考えを変えるようになってきた。その話は自分の考えが固まったら改めて書こうと思う。で、今日は岡田斗司夫の話について。時間があれば、文字起こしをして詳しく語っていきたいと思っている。今はあまり時間がないので、ポイントだけ、そのきっかけだけを書いておく。岡田斗司夫がひろゆきの話を例に挙げて、世の中の弱者について語っていた。強者が弱者をイジメるのはダメなんだど、なぜか直接的な暴力ではない言葉の暴力は、なぜか世の中が暗黙の了解で認めている。弱者は言葉の暴力を受けて、反撃の手段がないので自殺してしまう場合が多い。だからイジメはダメみたいな話なんですが、イジメる側は、数日後か何年後か何十年後に復讐される覚悟をもってイジメをしろというような事も言っている。バットを持って家に入ってきて住民をボコボコにするとか、ナイフを持って刺されるとか、そういうリスクがあるよということを理解しろと語っている。しかし、上記のように世の中では、言葉の暴力は見て見ぬフリをされ、直接的な暴力は警察に逮捕され犯罪者となるしくみになっている。弱者が言葉の暴力に対抗する、反撃する手段って、犯罪行為しかないんですよね。イジメる側もそれをよく理解しているので、あいつは包丁持って、おれの家に来るはずがないと思い込んでいる。そう決めつけてイジメをしている。実際はこんな感じで泣き寝入りを強いられる状況なので、おれはこの世の中を劇・不公平に感じている。江戸時代とかにあったルールとして、親兄弟を殺された若い娘が、路上で会った侍に切りつけて、親の仇!とか兄の仇!とか言って侍に向かって切りつけて行くというのがある。親を殺されたりして孤児になった娘は、不幸にした殺人犯の侍を殺しても良い。。。的な発想がそこにはあると思う。現代のイジメも同じ考え方でいけば、おれをこんなに不幸にしたヤツは、あいつだから殺しても良い。という理解であれば、もっとイジメは減るんじゃないかなあって思う。今の社会は、強者、弱者の差が激しいので、そもそも戦いにはならない。武力暴力という最終手段を取って、やっと釣り合うかなあ?って俺は思っている。不公平・不平等の格差が広がる原因って、上の人が有利になるルールが存在するからであるとガチで思う。おれ何度も言うが、世の中の下層で虐げられてイジメられて苦労して生きるのであれば、無理してこの世にいたくはないと思う。そこまでして、ここにとどまっている価値はないと思う。自分が望んだわけじゃねーーし。イジメられる側に、金属バットや包丁を持ち、そいつの家に行って復讐することを許可してくれるルールを熱望する。今日はこのへんにしておく。後日時間があれば岡田斗司夫の話をもとに、もっと書きたいと思っている。


    2022年10月06日木曜日Thursday (Thu.)
    PCが壊れていたこともあり、いろいろ忙しい日々が続いてたのでなかなかUPできないまま日が過ぎていきました。今回、いくつかたまったものを一気にUPします。小学生の時だったと思うが、算数の問題で、Aさんは何時何分に家を出ました。Aさんの歩くスピードは、時速〇〇です。その15分後にBさんが家を出ました。Bさんの歩くスピードは、Aさんより速い時速〇〇です。2人が道の途中で出会うのは、何時何分でしょう?というような問題ってありますよね。おれ、その問題を読んだ瞬間、Bさんの方が速いスピードなんだからいつかは追いつくに決まっている。いつか追いつくので正確な時間を計算しなくても良い。というふうに脳みそが判断してしまうんですね。だから計算しようとか問題を解こうという気持ちになれないんです。マジで本気で計算する気になれなかった。こういう問題は超苦手でしたねえええええ。。。。。この話で思い出すのは、アメリカのNASAの優秀な女性エンジニアがいたそうです。岡田斗司夫のYoutubeの話にも出てきます。地球の軌道上を周回している宇宙船、月の軌道上を周回している宇宙船は、その軌道を外れるためにジェット噴射します。ロケットをどこで何秒噴射すると、宇宙船はこの方向へ移動します。という計算をします。宇宙船が地球に帰還するルートに戻すために、ある時間噴射するわけです。しかし、動いているものなので、正確な計算が難しいんです。その時、NASAで働いていた女性エンジニアの人、名前は忘れた。。。が、場所と噴射の時間を計算します。そしてアポロ計画は成功するわけです。女性とか男性とか関係ないんです。能力が高い人は高いし、低い人は低い。男でとんでもなく使えない能力の劣っているヤツなんか大勢います。そういう威張っているカス男に限って、手に負えないクソ野郎が多いです。世の中クソです。で、次の話題。今回、前からなんとなく感じていたんだけど、なかなかまとまらなかった事を1件書いてみる。中国やロシアの飛行機が日本の領空侵犯をしてくることがよくあります。航空自衛隊のF-15のスクランブル発進は年に200回あると言われています。航空自衛隊のスクランブルは主に小松空港から発進するらしいです。そして、韓国や中国の海の方の侵入には、海上保安庁の巡視船が対応します。なんで?前から違和感を感じいました。空は海上自衛隊で海は、海上保安庁って何で分担しているんですかね。空と海を航空自衛隊・海上自衛隊で対応すれば良いと思いませんか。海は海上保安庁って何ですかね。じゃあ空も航空保安庁というのを作って対応すべきなんじゃないでしょうかねえ。対応する組織が違っている。仕事の役割が違うって、一般市民って気づいていますかねえ。たぶんあまり気にしてないと思います。 おれは、前から気になっていたし、違和感を感じていました。なんで???で、次の話題。次も前から思っていたシリーズを書きます。 今回、前からなんとなく感じていたんだけど、なかなかまとまらなかった事を2件書きたい。2件書き終えたら次に、戦争について過去に自分の書いたコメントに間違いがなかったことと、改めて知った事実を踏まえて書いて行きたい。まず1番目。鏡で自分の顔を見ながら、お前は誰だ?と毎日のように語っていると、頭がおかしくなる的な都市伝説というか、言い伝えというか、そういうのがあるらしい。鏡に向かって言っていると、自分が自分じゃないように感じてしまうらしい。鏡に向かってやったことはないんですが、おれは小学生1~2年の頃から、チョコチョコやっていたことがある。小学生の頃が全盛期でしたね。中学、高校くらいまでやっていたと思います。今考えてみると、自分で編み出したこの方法は、鏡の上記の方法と同じなんじゃないだろうか?おれ、天才だ!すげー!と自画自賛、自己満足をしたい。このためにここに書いているのである。以下に内容を書くが、自分でもうまく説明できないが頑張って書いてみる。若干姿勢をうつむき加減にして、ボクはボクはボクはボクは。。。。。。と脳内で繰り返す。そうすると、自分の核の部分と外側ガワの部分が少しずつ分離していくような感覚になる。そのまま続けていると、ガワの方が5cmとか10cmとか、分離された自分を感じる。ガワが自分のホンモノであり、核は周囲の人に見られても良い日常の自分である。ガワが自分というのは、幽体離脱したら自分を遠目で見ている感覚に近いんじゃないかなあ?って思う。自分のホンモノは、実はこの顔ではない。。。ということを自分自身感じる。感じるだけであり、確証はないが、確実に外から見ているまったく別人のオレ。ホンモノのオレは、顔も性格も全部違う別人である。オレの日常の言動や性格を外側から見ると、なんとオロカで幼稚ではかない芝居なんだろうと本気で思う。自分のガワの本質を感じれば感じるほど、このおれの本質は、いったいどこから来て、どこに行こうとしているのか?なんか心配になるくらい不安になる。 おれの本質は自分勝手にこの世で、勝手なことを言い、勝手な行動をしている。ように感じる。だって別人のオレが、日常のオレを冷静に見ているんだから。日常のオレはホンモノのオレではないが、この世の中では、こうやって生きていくしかないと自分に言い聞かせている。この世で生きて行くための仮の自分であり、単なるワクである。単なる中身のない、空洞な人形みたいな感じ。その空洞の自分を世の中の人たちは、おれと認め感じ、認識している。自分は過去からすでに、この手法で世の中を歩いてきた。だからこの継続こそが正しい選択であると自分に言い聞かせる。。。そんな変な気持ちになる。この行為は、長時間は続かない。せいぜい5~10秒ほどである。これ以上やると、自分が自分でない。。。ような。。。気分が悪くなる。。。。吐きそうになる。。。。分離させている気力が継続できない。とか、まあいろいろなことになってしまうので、秒単位しかできない。秒単位ではあるが、ものすごく気持ちが悪く、しかし、何か本質を見てみたい感じてみたいという好奇心みたいな感じで時々実行している。歳を取ってきてその手法も難しくなってきている。パワーがないのか?何なのか?理由はわからない。しかし、57歳になった今でも、回数は減ったしパワーも弱いながらもたまに実行している。これは自分自身まったく未知の世界と接する場というかツールのような気がしている。で、次。次は、自分の人生で長期間よく見てきた夢。もう千回、一万回、繰り返されてきたと思う。いつも同じでワンパターンであり短い夢である。しかし、その夢は短いながらに何かのメッセージを含んでいるのではないか?と思っている。今日、その夢を見て改めてこの夢を記録したい。 まず記録したい。この夢の意味を知ることはたぶんないだろうが、こういう変な夢を人生で繰り返し見るという記録をしてみたい。で、その夢とは。紙をいれる・はさむファイルってありますよね。バインダーというんですかねえ。それが上から空間に固定されているわけです。その固定方法は不明なんですが、ナナメに固定されています。その固定されている1つの辺に、もうひとつのファイル・バインダーの辺を合わせるというもの。。。。夢の中では理解できているんですが、実際に文章にすると難しい。アニメ制作ができるのでれば、そっちの表現の方がわかりやすいのだが。。。。大げさに例えれば、ファイルとファイル、バインダーとバインダーの合体。 宇宙ロケットが、宇宙空間でドッキングしますよね。ああいう映像に似ています。ファイルの1辺をゆっくり接近させていき、距離を詰めていきます。ゆっくりドッキングするイメージ。だから何?と言われると厳しいのですが、それが人生で千回、一万回、繰り返されてきたのは、何か意味があるからだとオレは思う。意味を研究するのは、あとの人生にとっておきましょう。で、次の話題。むすび大学小名木善行さんのYoutubeの話を聞いて、自分のモヤモヤした疑問が晴れましたので書いてみます。このHTMLのどこかに以下のような事を以前書きました。毎年8月15日終戦記念日近くになると戦争関連のテレビ番組が増えます。その番組のほとんどは、アメリカ軍の空襲で家が焼け逃げ惑って、親兄弟・親戚が死んだ。防空壕にアメリカ軍が来て、一般住民を殺害した。だから戦争はやってはいけない。という論調・結論に至っていることがおかしい・不思議・あまりにも短絡的と書いてきた。アメリカ軍の空襲を受けて家族や知人が死ぬから、戦争はダメ。昔数学でやった図形の証明問題のように、〇〇である。ゆえに相似である。ゆえに合同である。というような理論的につながらない。とおれは何度も書いてきた。理論的ではないということ、自分の考えが正しいこと、その答えがむすび大学小名木善行さんの動画にあった。前にも書いたが、アメリカは日本軍やドイツ軍からの爆撃を受けていない。日本は若干の爆弾は落としたが、戦況を覆すほどの効果はまったくない。アメリカ国民は、爆撃機からの大量爆弾投下を経験していないため、日本人ほど戦争に恐怖感はない。アメリカはいつも地球の裏側で戦争しているようなもので、自国に被害はほとんどない。話はズレるが9.11の同時多発テロ事件で、アメリカは自国に強力で衝撃的なダメージを受けることになる。で、第二次世界大戦・太平洋戦争に話を戻す。 アメリカ軍は最初、日本の軍需工場だけを狙って爆撃しようとしていた。しかし、高性能標準機を進化させ開発しても、爆撃の精度はそれほど上がらなかった。アメリカは、最初は精密爆撃が不可能な幹部を左遷したりして、強力に精密爆撃の道を模索していた。 しかし、技術が向上しても劇的な向上率には至らなかった。そのうち、アメリカは精密爆撃ではなく、全面的に焼いてしまえば簡単だよね。ということに気づき、そっちの方向へ大きく舵を切る。だから日本の家屋を広範囲に焼き尽くす焼夷弾というものが重宝されるようになる。安くて簡単に大量に作れる。それは軍にとって最高の爆弾である条件である。そして、ここで戦争とは何か?定義を改めて問いたい。戦争というものは国と国の争い、戦争である。国と国との戦争にはルールがある。軍服を着て軍帽または鉄兜をかぶり、武器を携えてこちらに攻撃してくる人同士の戦いを戦争と言う。反撃をして来ない一般市民は殺してはいけない。これが国際ルールである。一般市民を殺した場合には、戦争ではなく大量虐殺と呼ぶ。アメリカ軍は爆撃の精度を上げることに失敗し、いつしか全面的に焼夷弾により焼け野原にした方が手間がかからないし、お金もかからない。だからそういう手段にどんどん移行してきた。そしてB-29で全面的に焼け野原にすることが日常化した。これは、大量虐殺なのだが当時はこれが許されていた。広島や長崎に原爆投下されたが、トルーマン大統領が、原爆投下のあと以下のようなコメントを出している。広島にいる日本陸軍の本部を攻撃するために新型爆弾を使用した。そして新型爆弾の性能試験は成功した。と言っている。日本人でこのトルーマン大統領のコメントを知っている人は少ないのではないか?広島の原爆で20万人が死んだが、その20万人は陸軍ではない。民間人である。そういう明かなウソの発表したというのは、今の日本人のほとんどは知らない。今の日本人は、二度と戦争はしません。仮に戦争したら?という仮説をすることも拒絶するくらい、 思考停止する国民になってしまった。アメリカの作戦勝ちである。殺したもん勝ち。勝ったもん勝ち。勝てば官軍である。太平洋戦争初期にイギリスの最新鋭の戦艦、プリンスオブウェールズが撃沈された件についても書く。日本軍は当初は一式陸攻などの爆撃機で、プリンスオブウェールズを中心とする艦隊を迎え撃った。当時、そんな航空機で戦艦なんて沈没させられるはずはない。とみんなが思っていた。しかし、ものの1~2時間くらいでプリンスオブウェールズを撃沈。勝負は決してしまう。これに世界はびっくりした。 しかしそこで、日本海軍は海に浮かんでいるイギリス水兵を救助・回収している。イギリス兵に対して敬意を持って接している。 これは世界的に日本海軍の紳士的な対応として、有名なエピソードである。逆に太平洋戦争の終戦が近い頃、オーストラリアとかニューギニアなどの日本兵を輸送船に乗せて大量に移動させようとした。アメリカ軍によって輸送船は、ことごとく沈没。日本兵は大量に海に投げ出され、海に浮かんでしまっている。その無抵抗な日本兵をアメリカ軍は、上空から機関銃掃射している。その海はサメが多く住んでいるので、血の匂いに誘われ大量の日本兵の命が失われた。まあ、ようするに、アメリカ軍は大量に殺せばなんでも良い。というようなノリで、日本兵を殺していた。さらに、上記のように民間人も大量虐殺した。そんなこんなで、アメリカ軍の大量虐殺が闇に消え、単に戦争はダメである。戦争を起こすなど、もう間違いは犯しません。みたいな風潮になってしまっている。戦争の事実を語る機会すら、今の日本人にはない。本当に悲しい出来事だと言わざるを得ない。


    2022年11月18日金曜日 Friday (Fri.)
    今回のひとりごとは短い。少し前に横須賀保健所で働いていた。派遣なので単なる寄せ集めの集団であり、求心力などはない、みんなバラバラであった。その中でいつもと違うと感じた。それはおれも含めて全員、神奈川県民であるという事。なんとなくではあるが、地元意識みたいな空気感っていうんですかね。どこに住んでいるかと聞くと、横須賀周辺だったり横浜であったり、平塚だったり逗子だったり鎌倉だった。こういう職場は初めてでした。東京都の会社で働いていれば、自宅が神奈川、千葉、埼玉という人は大勢いる。別のエリアから東京に仕事をしに来ているのが当たり前であったが、神奈川県民のみの環境。だからと言って団結力があるとか求心力があるというわけではないが、なんとなく地元の連中の集まりという雰囲気を感じた。


    2022年11月27日日曜日 Sunday (Sun.)
    今日は、夢の大作を見たので記録してみたい。しかし夕方になりほとんど記憶から消えそうになりながら頑張って書いた。もっとディティールを細かく書きたかったが、この辺が限界でした。ベトナム戦争のような水びたし泥沼状態の道路。なぜか陸上自衛隊の集団約100人ほどが行軍の訓練中でありその集団に出会う。訓練だからもちろん敵はいない。隊員たちの顔は20歳代前半くらいの若い人が多かった。その泥の道を進むと、ある宿営地というかある程度の設備が整った建物の中にの風景に変わった。部屋がいくつもあり民宿というかホテルのような感じである。その廊下と壁がすべてダンボールで作られている。ダンボールはなのだが、なぜか強度があり人間の体重を支えている。ある数人の部屋に入る。隊長というか伍長というか陸曹というか、階級章は確認していないが、ある程度の上官が話してきた。その人の顔は学生時代の電気科の先輩・木村さんに似ていた。その人が宿営地内を案内する。どこまでもダンボールでできた廊下と壁になっている。その廊下を進むと受付台が見える。その奥は厨房となっていて食事の時間なのだろうか、湯気が出ている。その受付には民宿によくいるようなおばさんが立っている。ここは下宿で若い学生が生活しているんだよねエ的な雰囲気がある。 自衛隊駐屯地ではない雰囲気がある。木村先輩と2人で、その受付の前に立ち、そのおばさんに話かける。トイレはどこですか。トイレ?トイレはここだよと、すず右横のドアを開けた。トイレの中も同じで、床・壁・天井がダンボールでできていた。ダンボールに用を足すとダンボールが濡れてしまうが、おばさんは、そこにしても良いと言った。しかし、そんなことはできないので、おしっこを我慢してしまう。結局、おしっこしたくて目が覚める。時間は6時半であった。別の話題。ナナフシギのYoutubeチャンネルを見て、下記の感想を書きました。下書きもぜず修正せず一発で書きました。この文章は一発で書いたわりによくできた文章であると自画自賛したい。簡潔に第三者に分かりやすく書いていて、文章力優秀だよねと思う。今日の時点で、19人のイイネがついていることもあって、共感してくれる人が19人もいるんだと感謝いたします。以下、文章を貼り付けます。そもそも性格が悪かったかも知れませんが、小学生・中学生からのイジメ体験がが根底にあり、性格をさらにネジ曲げ、こじれて世の中への恨みになったということも事実だと思っています。正直、私はこの少年の恨む気持ちや悔しい気持ちはよくわかります。私もよくいじめられました。世の中の弱者は、その悪のスパイラルから抜け出すことができず、本気で悩み苦しんでいます。だからと言って殺人をしたり、関係ない人を事件に巻き込んで良いということではありません。この事例で言うと、学校の非常階段の踊り場から飛び降りろ!とけしかけたイジメている側の加害者は、単なる遊びです。しかし、イジメられている弱者側は、人生を左右するくらいの大きな問題なんです。世の中には悪質なイジメが横行しています。私の過去のひとつの事例では、こんなことをされたと報告すると、その内容があまりにも悪質で過激なので、そんな酷い事をするわけない的な思考になり、度を越えたイジメがスルーされます。そうなるとイジメられている弱者側は、さらに立場が悪くなります。こういう変な歪んだ悪循環に陥り泥沼化して精神的に追い詰められます。外国では知りませんが、日本では加害者側につく人が多いため味方する人がなく孤立していきます。そしてさらに追い詰められます。私は、そんな悪質なイジメを受けながら、こんな苦しい人生なら死にたいと思いました。もちろん親も恨んでいます。バスジャックの犯人と違うのは、無関係な人を殺そうと思っていないことです。過去に自分をイジメた連中の名前と顔は覚えていますので、手段があれば本気でぶっ殺したいと思っていますが、自分がそこに手を出すと、本当にガチで人生のゲームオーバーを迎えるので、さすがに手を出せていません。その裏返しとして、自分はこの世にいても仕方ない、死んだ方がマシという発想になります。北海道旭川市の中学生のイジメの自殺事件やら、いろいろなイジメ事件が発生しますが、根本的な解決には至っていません。単にもぐら叩きのように、出てきた事件を上から叩いているだけです。こんなことを50年も100年も続けていても解決しないだろうなあって本気で思います。弱者側は、何を希望に生きていけば良いのでしょうか。と自分や世の中に問い続けながら、今も仕方なく、ダマシダマシ生きている最中であります。根本解決したら世界じゅうの全員が笑顔でいられると思いますが、残念ながらイジメる強者側は、単なる遊びに興じることで、その遊びの延長戦上で今日も、この日本のどこかで弱者を地獄へ突き落としているんでしょうね。と思うと本当に悲しいなあと思います。長文失礼致しました。以上です。















    Copyright© 2015-2025 hideki hayashi's web site All Rights Reserved.