2022年02月27日日曜日 Sunday (Sun.)
以前このHTML内でもWANDSの上杉昇と織田哲郎の話を書いたかと思います。書いてなかったとしたら、これから書く話が見えないので簡単に書きます。織田哲郎の作曲のスタイルがものすごく好きで、Aメロはエイトビートのバッキングが似合う王道のコード進行。Aメロは曲の初めなので、民衆を引き付けるものが必要なので、その通りの役割をしている。良い気分でAメロが終わったら次はBメロ。Bメロは転調・転調当たり前のような、若干無理があるような奇抜なコード進行。ちょっとおかしいんじゃないか?くらいの変則的なBメロなんですが、これはサビへ向かう準備のためのタメの時間なんです。タメとはバネなどを使い物を遠くへ飛ばすために、一旦縮めます。縮まってエネルギーを貯める。その次のサビで大爆発する。一旦タメているのでサビでの爆発力がハンパないものになります。その手法に乗って上杉昇の高音まで途切れず違和感を感じない、キレイでパワフルなヴォーカル。このように作られた当時のWANDSの曲は最高でした。大好きなのでカラオケで歌いたかったのですが、キーが高すぎて歌えませんでした。キーが高すぎで歌えない。しかし代替案として歌でない別のやり方を模索し、のちのギター演奏につながっていくわけです。ギターの話は横に置いておいて、人生で聴いた曲の中で上杉昇と織田哲郎のコンビの曲が一番好きです。その他、ZARDとかBOOWYとか影響を受けたバンドも多々あります。しかし、その中でも上杉昇と織田哲郎のコンビの曲がナンバーワンです。で、おれに、そうやって人生で一番になるくらい、そしてその後のギター演奏をYouTubeにUPしていくのにもつながるくらい影響された。上杉昇と織田哲郎のコンビの曲がなかったら、今の趣味も変わっていたかも知れないほど人生に影響があった。で、最近、上杉昇の近況報告的なweb情報を見ると、WANDS時代のいかにも日本人好きで売れそうなPOPな感じの曲は好きではなかった。イヤイヤやっていた。だから人気絶頂期にWANDSを辞めたといいます。上杉昇はもっとゴリゴリのロックをやりたかったと言っています。今、上杉昇は自分の信じるゴリゴリのロックの音楽活動をしていますが、今彼が爆発的に売れていないのは万人の好みの庶民好みの曲ではないからだということだと思います。万人受けが正しいのか?何が良いかなんて正解はありません。おれは、イヤイヤやっていた上杉昇がいなかったら、自分の人生が変わっていたかも知れないと思うと、人生のめぐりあいとか影響度とか、本当に不思議だなあと考えさせられます。次の話。ゲルダタローです。あの有名なキャパとともに仕事をやってきた人です。キャパと出会ってカメラを覚え、戦場の写真を撮り続けます。危険だから撮影を辞めるという選択肢を持たない人です。自分の好きな仕事だから、どこまでも貫いていく追究していく。キャパと仕事をやっていたので、自分の信念に忠実というか貪欲なところは全く同じです。ゲルダタローという名前は、途中で改名した名前です。そもそもは、ポーランドだかオーストリアだかの生まれで、ユダヤ系だったとの事。本名はその地域の人らしい名前でした。ドイツのヒトラーの軍事的な活動も活発になってきて、安全なパリに逃げていて、国籍など分からないようにするために改名したそうです。そういうところからも、こだわりを感じます。平和ボケした日本人、今のおれには想像ができないほどの強力な精神力というか、覚悟というかパワーを感じます。そもそもタローって何だよって思います。タローは日本語の太郎だと想像します。改名した後、タローと名乗るというだけで俺は、敬意を表します。国籍、国、民族にこだわらない、国がどこであろうと写真を撮る。自分の目を信じ自分の感覚を信じ、目の前に起きている事象・現象・空気感の一瞬を切り抜き写真という媒体を通じ、世界に発信していく。美しいものも悲惨な風景も何もかもが、自分が見ている現実・リアルである。目の前の現実をありのままに記録していくことは、究極の真理なんじゃないかなあと思ったりしています。フィクションではなく、歴史上にその人が存在した。というだけで俺は感動する。おれのような人間には、世界で評価されるこのような人の足元にも及ばないが、少しでも近づきたいと思う。ガチかっこいいと思う。
2022年04月12日火曜日 Tuesday (Tue.)
あまりにも理不尽で衝撃的な内容(パワハラ、イジメ、嫌がらせ)で、今無職になってしまった。さらに、この事により次の就職活動が困難に直面している。おれをこのような環境にさせた悪人連中のあまりにも幼稚なイジメは、今後、彼らの人生の中で罰を受ける事でどんどん狂っていき、最終的に全員不幸になれば良いと思っています。この内容は機会があれば、煩悩全開で詳しく書くだろうとは思いますが、今日はそれに関連するかも知れない。ちょっとした体験を書こうと思います。ここから。今日は羽田空港へ行き、飛行機の写真撮影をしようと思った。D1グランプリで設定を追究したCanonのマニュアル設定で飛行機を撮影したが、まったく絵になっていなかった。D1グランプリの車の躍動感を出そうと思い、流し撮り的な撮影をしたのだが、まったくもってお話にならなかった。次回、本気で撮影する場合にはもっと研究する必要がある。で、ここから、羽田空港の展望デッキにいた変なジジイについての話。羽田に着いたらやみくもに第1ターミナルの展望デッキに行った。前にも来た事があるが、こんな狭かったかなあ?と思った。それ以外の理由としては、逆光がすごくて一眼レフカメラはなんとかなったが、SONYのハンディカムの液晶画面では、まったく見えない。見えないから感で操作するしかなくて、なんかイヤだった。たぶん前に来たのは、第2ターミナルの展望デッキだったと思われ、第2ターミナルへ移動した。第2ターミナルの展望デッキは広い。目の前が海で、お台場のフジテレビや千葉の方がよく見える。前に来た時はB滑走路側に出たが、今回はD滑走路側に出てみた。程よい中間地点に空きを見つけて荷物を置き、Canonのカメラを構えていた。知らないおじいさんが、するするっとこっちへ寄って来て急に話しかけてきた。おれが、Canonのボディと500mmレンズを構えていたからだと思うが、カメラとレンズは、どこのメーカー?と質問してきた。ボディはCanonでレンズはSIGMAですと答えた。Canonのレンズは高くて買えないので、SIGMAです。と言った。高いとか関係なくて、撮影する設定を悩んだり工夫したりして、良い写真を撮るという事が良いことであると、そのおじいさんは言った。その展望デッキには、一眼レフとCanonの白いLレンズを付けた人も何人もいた。カメラの事を話したいのであれば、他にたくさんいるはずなんだけどおれに話しかけて来た。この場所は良いねえ。飛行機が離陸するところは見えるし、海が見えるし最高だね。私は70歳近いが、頭は子どもなので離陸するところ見て拍手してしまうよ。と言った。年齢関係なしに、そういう感動する心、純粋に楽しむ心は重要ですと、私は言った。70歳のおじいさんは、自分は健康だけが自慢。2万歩でも3万歩でも歩ける。100メートルを12秒で走れる。えっ?12秒ですか? 12秒台ね。と言ったが、12秒台後半だとして仮に13秒だとしても速すぎるのではないかと思った。こんな場所で急に話しかけて来た人に、12秒台ウソだろうと言ったところで意味ないので黙っていた。今まで体を壊したことがない。時々歯医者に行くくらいで、入院した事がない。70歳のおじいさんは、話し好きなんでしょうね。どんどんしゃべる。今まで営業をやってきて、自分は大学行ってないけれど、ダントツで1位だった。六大学を卒業した連中もいたけれど、プライドだけ高くて全然ダメ。仕事と勉強・学歴は関係ないですと、おれは言った。70歳のおじいさんは続けた。お客さんの前でプライド出してはダメ。わからないから教えてください。これ教えてください。と何でもくらいついていく努力・熱量が大切であると言った。そして、おれは、仕事はドロ臭い事が大事、勉強・学歴はほとんど使えない言った。この滑走路は離陸だけだけど、着陸はどこ?ああ、風向きで使う滑走路を変えるので、ああ、あそこ着陸体勢に入っていますね。(B滑走路にお台場の方、東側から進入して来ていました)羽田はもう何十回も来ているんでしょう?写真は何千枚も撮ったんでしょ。ええ、まあ、でもボクは横田基地とかで戦闘機を撮影する方が多いです。横田基地か、最寄り駅は何ていうの?牛浜駅です。牛浜ね。はい。立川で乗り換える青梅線の駅です。写真は自分で現像するんでしょ。いや、デジカメなので現像はしません。デジタル一眼レフでもRAW現像というのがある。しかし、この70歳のおじいさんは、カメラの事を知らないと何度も言っている。RAW現像の事を言っているとは思えない。印画紙に焼き付ける、昔ながらのアナログ式の現像の事を言っていると思う。いやあ、デジタルなんで、下手な鉄砲数撃ちゃですから。。。。単なる趣味なので。。。。70歳のおじいさんは、プロはそれで食べて行かないといけないので難しいよね。だけど、プロも何百枚、何千枚と撮影してその中の1枚が傑作となるんだから、プロと言っても私は、プロでもたいしたことはないと思っている。
そのカメラ重いんでしょ。重いです。何kgくらいあるの?えーと、たぶん2~3kgはあると思うのだが、とっさに数字が出てこなかったので、カメラを70歳のおじいさんに渡した。重いねえ。はい。重いです。この重さで撮影するのがイヤになる人もいます。この重さを感じながらも、撮りたい写真を撮るという気持ちがないと撮れません。そうだよねえ。。。。。あなたは、何歳?40歳?56です。ああ、あなたは良い趣味を持っている。35歳くらいに若く見えます。70歳のおじいさんが言う、こういう趣味を持って人生を楽しむことが大事です。出世なんかしたところで、体調崩してしまったら終わりだし、趣味を楽しむことが自分を若々しく保つ秘訣。良い趣味を持ったね。ありがとうございます!70歳のおじいさんが言った、どういう写真が好きなの?着陸体勢に入って、徐々に速度を落として高度を下げて、少しずつ旋回しながら滑走路の直線の延長線上に機体を合わせて行く感じが好きです。。。。。。この話は10~20分くらい?しゃべったかなあ?おれは飛行機を撮影しに来ているんだけど、正直、この70歳のおじいさんの話が長い。。。。と半分思っていた。。。。ああ、今飛行機が着陸体勢に入ってきた!(B滑走路の方に進入して来た)と70歳のおじいさんが言った。撮らないの?撮ります。撮ります。2~3枚撮影したが、距離が遠すぎて画像にシャープさがないのと、周りの空間面積が多すぎて、機体が小さいので使うとしたら、トリミングしないと使えない。というような事を説明した。ああ、こっちの滑走路離陸するよ。撮らないの?撮ります。撮ります。私はCanon一眼レフを構えて離陸する飛行機へ向ける。その70歳のおじいさんは、今まで俺の右側にいたが左側に移動し、どんどん出入口の方へ歩いて遠ざかって行く感じがした。最後に大きな声で、おにいさん!がんばってな!と言った。私は先程の離陸する機体を追いかけている最中だったので、
70歳のおじいさんの声しか聞こえていない。そして、なんとなく自然に撮影中に離れて行ったので、別れの挨拶をしていない。離陸する機体を撮影し終わって左側の出入口を見たが、70歳のおじいさんの姿はなかった。見えなくなるのも速いなあとは思ったが、100mを12秒台で走るのであれば、そのくらいの時間ですぐ見えなくなっても不思議ではない。最初は、70歳のおじいさんが話し好きで、話しが長くて、撮影をしたかったのに我慢して会話していた。急に70歳のおじいさんがいなくなると、急に寂しさを感じるというか、なんか温かみというか余韻を感じる。おにいさん!がんばってな!という最後の言葉が妙に耳に残った。最初は話好きな単なるおじいさんだと思っていたが、今思うと、この最後の言葉、おにいさん!がんばってな!を言いたかったのではないか?今おれは、いろいろな信じられない理不尽な事があり過ぎて、無職である。70歳のおじいさんが言っていた事を思い出すと、自分の今の状況にあまりにも当てはまる。社会に出たら学歴とか関係ない。仕事はドロ臭くやる事が重要。会社で出世したところで、人生としてはあまり意味がない。健康でいつまでも自分の趣味を極めていくことが、人生にとっては重要であり幸せである。この言葉が今の俺の心にしみる。。。。さらに思い返せば、写真を自分で現像するのか?という質問は70歳としては、あまりにも無知過ぎる。90歳、100歳の人がボケてしまってデジカメを知らずに、昔の現像する写真しか記憶がないならわかる。しかし、自分で現像するの?という言葉は、70歳にしては、違和感がある。私はこの違和感を抱きながら、ひとつの仮説を考えた。神様が、このタイミングで現実のおじいさんか、自分のご先祖様か知りませんが、羽田空港で自然に会話するように仕向け、今、理不尽なできごとで無職になったが、そんな事は人生のうちでたいした事はない。自分の趣味にこだわり自己満足になったとしても、そっちの方が人生幸せである。おにいさん!がんばれ!と励ましの言葉を聞かせてくれたのではないか?おれは、きっと何かの力が働いてこのような巡り合わせ、出会いを設定してくれたと理解している。今これを書きながら涙が流れてくるのは、そういう意味があるからであると思う。今日は良い経験をしたなと思う。今日は羽田空港に行って良かった。
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