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独り言のページ16
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いてもタダなので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、世の中の矛盾というか理不尽というか何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。



2021年7月27日火曜日 Tuesday (Tue.)
ボーイング社は従来型の操縦桿を残したというネット記事が出ていたので書いてみる。理由の1つがパイロットの過去の訓練と経験を重視するという設計思想。パイロットの基礎訓練では操縦桿の飛行機が多く、不測の事態に遭遇した時には、訓練時代からの感覚から身についている操縦桿の方が良い。 自動化はあくまでも援助であり、全部置き換わるものではない。 というもの。俺はこの記事を読んで車のAT車、MT車の問題に似ているなと感じた。昔、ある会社の課長の森田という人がエラそうなことを言っていたので、ムカついた。それは、新しく開発されたものは、技術的に最新で優れているに決まっている。 従い、AT車の方を買うべきであると言っていた。彼は後輩なんだけど優秀なので、当時課長であった。優秀なので今頃部長になっているかも知れない。部長だろうと何だろうと、この考えはNGということを声を大にして言いたい。このボーイング社の事例に沿って考えてみると、高齢者が間違ってアクセルとブレーキを踏み間違えて、死亡事故を繰り返していることを踏まえると、MT車にするべきであると思う。俺は、アクセルとブレーキとかそういう問題ではなく、自分がこの車を操っているという感覚が楽しいし、自分のタイミングで操作することにより、自然と車の荷重移動なんかを無意識にやっている。そのことは、乗っている人への乗り心地も左右されることになる。スポ―ツ走行はしないまでも、低速でもアクセル、ブレーキ、クラッチ、ハンドル、シフトノブ、などを丁寧に操作し動作をつなげていくことにより荷重移動が自然で、気持ちよく曲がれる。気持ち良く止まれる。運転が可能であると大声で言いたい。俺は絶対に間違っていない。その気持ちに具体性をもたせてくれたのが、今回のボーイング社の記事である。


2021年7月29日木曜日 Thursday (Thu.)
土屋圭市が新トヨタ86について語っている動画の言葉である。AEハチロクと新トヨタ86を比較し、どんだけ進化しているかを語っている。動画そのまま、なるべく加工したくなかったので、接続詞や言い回しなどおかしい面もあります。そこで私が、国語として正しく正確に書き直してしまうと、土屋さんの言葉ではなくなってしまうので、なるべく忠実に書きました。この上の文章が古い車と新しい車を語っているので、ちょうど良いかなという理由で書いた。さらに、この文章はは感動します。ミニバンとかワゴン車、SUV車のハイブリッド車とか、電気自動車しか走ってないこの時代に、2.4リッターのスポーツカーを買えって言う人は、あまりいない。土屋さんは自分の経験を語りながら、ぜひ若い人に車好きになって欲しい。車を買って欲しい。という思いが伝わってきます。車を売る営業コメントなんか、一言もないです。自分のドライバーという職業の中で、経験をもとにしているから、言葉が生きている。生きている言葉を発するから、感動を与える。土屋圭市さんは、D1グランプリの会場で生で見たことはありますが、会話を交わしたことはないです。車好きがいなくなってきた世の中に、自分の熱い思いをぶつける。この言葉がかっこいいです。2030年にガソリン車、ディーゼル車をゼロにするという世の中の流れのなかで、自分の意志で語るこのコメントは感動します。若干、自分のショップの宣伝もさりげなく入っています。自分がテストして良かったパーツを売っているんですが、それはご愛敬です。以下に記載。1984年にメイドンジャパンが出した。スーパーカーですよ。それまでは、こういう面白い車ってなかったですからね。時代はやっぱりサニーとか、KP61のスターレットとか、そういう低排気量の車で、みんな遊んでる。レースもしている。楽しんでもいる。そこにこういう1600のこういうFR。時代がだいたいもう、FFに切り替わろうとしている時代の時に、トヨタがあえてこのFRで、1600で出してきた。そこに我々が飛びつきましたよね。世界的にやっぱFF化していく中で、トヨタがこういうFRでFRで出した。そこでやっぱり我々としては、車好きですよね。車好き。走り屋好きにとっては、やっぱりFRなんですよ。そこでやっぱり我々が、遊びっていうかまあ、我々にとってはスーパーカーでした。その頃の20代の若者にとっては、スーパーカー。それがやっぱり我々にとっては、ほんとに今どき、まあ、言い方は悪いですよ。マツダのRX-7とか日産のZとか、スカイラインRSターボを追いかけ回せるコンパクトスポーツ。そこでやっぱり20代の若者は、ここに飛びつくわけですよ。それに対して、我々に提供していただいたのが、TRDが、まあレース、ラリー、ジムカーナ、ダートラ、こういう4パターンのギア比からサスペンションから何から給排気系から作ってくれた。それを我々は組み合わせることによって、まあ、ゲームのパズルみたいなもんです。そうするとハチロクが更に光輝く。だからやっぱりそこは、我々が楽しんだ以上に、TRDがいろんなパーツを出してくれたっていうところが、強いと思う。どこのメーカーにもないですよ。ほんとにもう、世界中探しても、ここまで1台の車に対して、いろんなパーツを作ってくれるメーカは、見たことも聞いたこともない。まあ人生のパートナーですよね。嫁の次ですね。それくらい大事なもの。燃える思いは2007年からありましたよね。なんで出さないんだ。それをずっと言い続けてきて、多田さんがようやく動いた。だから多田さんが恐らく社長を口説き落とさなければ、この世にこの車は存在していない。間違いなくそうだと思いますよ。2013年って僕ホンダと契約してますからね。ホンダの契約ドライバーを名古屋に呼びますか普通。そのくらい彼は情熱を持ってた。だからその、ホンタと契約しているレーシングドライバーの土屋圭市じゃなくて、ジャーナリストとしての土屋圭市の意見を聞かせてくれっていう、ものすごく熱いものをあの人から感じた。ハチロク作れよ。その頃は、2007年はまだ漠然としていたんですよ。多田さんと僕の中では、1600かな2リッターかな。2リッターのNAかな。僕はやっぱり庶民というか庶民が欲しがってるものは、2リッター、2.5リッター、ターボっていうこの3パターンですよ。それは、トヨタはハンコを押さないよっていうのから始まりましたからね。まあ、AEから始まってますけれども、AEに関してはTRDがいろんなパーツを入れてくれることによって、極端な話ですよ。さっき言ったRX-7だとか、フェアレディZとか、スカイラインのRSターボなんかと互角に張り合える。っていう。下りでね。そういったものがすごく、ハチロクの魅力だったんですよ。で、まあ、FT86になって、その時代の我々がこのAEハチロクを何百万もかけてチューニングしたものをFT86に注ぎ込んで、2リッターとして登場させた。だから間違いなく血はつながっているんですよ。AE86から。だから、ベースとしてはあなた方がチューニングなんかしなくても、ハチロクに何百万もかけた車作りましたよ。っていうのが、FT86。AEなくして、多田さんはFT86は作れない。もう、こと細かく根掘り葉掘りAEの魅力って何ですか。そこから始まりましたからね。AEハチロク好きって世界中にいるんですよ。世界各国にやっぱりハチロクをこう、愛車として大事にして乗ってくれてる方が、その人たちのために間違ったお金のかけかたをしないで欲しいなっていうのが、このAEハチロクですね。間違ったというのは、例えば、マフラーにしろ4AGのエンジンにしろ、5AGのエンジンにしろ、そのコンピューターにしろ、着けたらほんとにこれいいのかな?っていうのが、世の中多々あるわけですよ。そういうのを僕は、この30年間ずっと、いろんなメーカーをテストしてきて、その中でも良かったものを着けて、みなさんにこれだったら、いいですよ。どうぞ。だから、何だかんだで25万で買って、1300万くらいかかったので、みなさんには、そういうバカなお金を使って欲しくない。だから、FT86もそうですけれども、これはほんとにベースとしていじんなくても、ほんとにAEハチロクのチューニングカーと同じくらい楽しいですよ、っていうのを出している。そこがやっぱり魅力ですよ。これに関して、はやっぱり、やっぱ新型が出ることによって、中古車市場に、動きが出るわけですよ。やっぱそういう人たちを大事にしたいな。中古車しか買えない方々も、若い方々は多いんですよ。世界中に。日本は特に。だから、そういう日本の若い子たちに、買って欲しいな。今は中古しか買えないけれど、君たちが大人になって稼げるようになって、新車買おうよ。っていう、まずこれがないと、先に進めない。だから、こっちも手だして、こっちもみなさんが間違ったチューニングに行かないように、僕がいろんなメーカーのものを、タイヤでもサスペンションでも、そうだけどテストをして、あっ、これ良かったよていうものをお勧めしてる。余計なお金を使って欲しくないために、どちらも開発やってます。若い子たちに車好きになって欲しい。で、車を手に入れて欲しい。GR86に関しては、期待しかないですよ。だって、ベースがこれだけいいんだから。これだけいいものから、2.4リッターになって、ディティールまでいろんなところまで、細かく、ましてや中の骨までやっている。こんなのモデルチェンジじゃない。フルモデルチェンジって言っていいくらい、ものすごく進化してしてる。期待しないわけがない。


2021年8月8日日曜日 Sunday (Sun.)
ちょっとした不思議な事は人生でいくつか体験しています。そのいくつかはこのHTMLページのどこかに書いています。今回新しく体験したということと、めずらしいんじゃないかと思ったので記録します。風呂に入り音楽を聴いていた。普通はカラスの行水であるが、明日が月曜日だから早く寝たい。ぐっすり寝たいという時は風呂で1~2時間くらい音楽を聴き、ゆっくり体を休めてから布団に入る。というつもりなのだが実際は、1~2時間くらい風呂にいても、寝られないことも多い。ダメもとなのだが今日は音楽を聴きたいと思う時は、長めに風呂に入る。聴く音楽はお気に入りのバンドや歌手の曲で、さらに自分がその上からギターの音を被せている音。コードしか弾けないのだが、世の中の歌謡曲、J-POPS、J-ROCKは、コードを構成する音を使ってアレンジしているものが多いので、コードを被せることで違和感はあまりない。それほど高等技術を使っていないのに、プロと同じような同じ音を出している感があり、逆にテンションがあがり楽しい時間である。さて、昔から俺の風呂で聴く機器はほぼ同じ。Bluetooth対応のWALKMAに自分が弾いたギター音のmp4ファイルを保存し、Bluetooth対応のSONYの防水スピーカーを鳴らす。SONYの防水スピーカーはもちろん風呂の内部に置く。Bluetooth対応のWALKMAも文房具のビニールチャックがついている300円くらいの透明な入れ物に入れて、風呂の内部に置く。ウオークマンの曲を飛ばしたり、次の曲、そのまた次の曲名を確認したくなることもあるので、自分で考案したシステム全部を風呂の中に入れている。で、今回もそのシステムで音楽を聴いていた。暑い日であったので、風呂の窓を開けていた。窓から一瞬、強い風が入ってきたか?と思った。その風の通り道一直線の場所にSONYの防水スピーカーが設置してある。その時のほんの一瞬、2~3秒の間、ウオークマンから変な音が聞こえてきた。野球などのスポーツ実況のような雑音とアナウンサーのホームラン、盗塁成功などのような張り上げたアナウンサーの声が聞こえてきた。窓を開けていたので外から聞こえてきたということもあり得るが、自分の耳が捉えたのは、SONYの防水スピーカーの方向からである。そして、その直後、脱衣所というか洗面所というか洗濯機がある、隣の部屋から、カラカラ・・・・という音が聞こえてきた。家内がその場所にいて、化粧品のプラスチックの容器を落とした感じの軽い音であった。風呂のドアは曇りガラスなので、電気がついていたらわかる。今電気はついていない。家内がいれば、ドアごしに顔を出したりすることもあるが、何も起きない。曇りガラス向こうの暗闇は、人がいるようには見えない。動きがない。あとで、家内に聞いてみると、その場所にはいなかったという。そのスポーツ実況のような雑音が出た時、森高千里の雨の曲が流れていた。最初、森高千里の雨の中に変な音を間違えて入れてしまったのかなあ?と思った。ウオークマンを操作し曲を巻き戻して再度聞いてみたが、変な音なんて入っていない。森高千里の雨が最初から最後まで流れている。Bluetoothは電波だから、突然何かの条件がそろって、外部からのBluetoothの音に左右された?一瞬だけその周波数に合った?みたいな、ラジオ的な事でも起きたのだろうか。Bluetoothは無線であるが、単にラジオのように周波数合わせだけではなく、ペアリングという動作をしてはじめてつながる。突然何らかのBluetoothのような電波で、周波数が同じものがが近くに存在していたとしても、ペアリングは内部処理、デジタル処理であるから、アナログ放送のFMラジオのように、周波数だけ一致したから聞こえてきました。とはならない。あの一瞬の風。一瞬のスポーツ実況中継のような音。ドアの向こうの何かが落ちたカラカラ音。リリアルに起きた事なので記録しておく。


2021年8月15日日曜日 Sunday (Sun.)
俺は文字起こしか?と思うくらいネットで得た情報を最近書くよなあ。。。と思いながらも今回は、丸山ゴンザレス孫GONGという人がゲストに来た回の感動した話です。だからと言って孫GONGさんが大好きとか、全部諸手を上げて100%賛同するというところまでは行かないな。自分が見るYoutubeのオススメ動画に出てきたので、まあなんとなくクリックしたのがスタートです。みなさんも人の目あまり気にして生きても面白くないんじゃないかな。と思います。SNSでアンチに絡まれることがある。俺見た瞬間ブロックしますから。1000人も2000人もブロックしています。そういうのを見たくないからブロックします。だから人の目はどうでも良いです。そういうものって規模の大小に関係なく、そこで悩んでいる人も結構多いと思うんですよ。特にSNSのね。あのう。。SNSで悩むなんてめっちゃしょうもうないですよ。SNSで悩むならやめたらいいんですよ。アカウント消したらいいじゃないですか。そんなもの、あんなものに左右されたら絶対にダメです。だって俺悩んだら携帯割りますから。いらんもの。むしろどんどん勝手にやってくれ、と思います。俺の知らないところで。うん。知らないところで起きていることは、起きていないのと同じです。本当みんなに当てはまることだと思います。もともとSNSは必要ないからね。俺は俺の事を少しでも好きな人がいるとか、自分の仕事を宣伝するためにSNSをやっている。それでもし悩むことがあるののなら、SNSやめます。なんかためになったと思います。


2021年8月31日月曜日 Monday (Mon.)
そのルールおかしいだろうって、約1年前に言ったのだが、今日はそれをさらに上回るアイディアが浮かびました。かなり画期的なアイディアだと思うので、このアイディアを5000万円で売ります。このページに日付けが書いてあるので、かなり時間が経過したあとに、このアイディアをパクるとたぶん。泥棒の始まりだと思いますのでご注意ください。パラリンピックのラグビー競技ってありますよね。あれ、ボールを持ってない人は、持っていない相手チームの人に向かってタックルを仕掛けても良い。というルールなんです。このルール去年聞いた時はびっくりしましたよ。障害者ではなく普通のルールでは、ボール持っている人には、まあタックルしても良い。ラグビーとアメリカンフットボールは、あからさまにタックルします。その人の体にガチで飛びかかります。しかし、ラグビーとアメリカンフットボールで、ボールを持っていない人にタックルは許されていません。次に、バスケとかサッカーは、ボールを持っている人のそばに行き、ボールを奪おうとして若干体に当たっても、故意でなければセーフというルールがあります。バスケとかサッカーは、ボールを持っていない人にタックルというか、あからさまに体を当てる行為は反則です。日大アメフトの試合で故意に、相手チームのボールを持っていないメンバーにタックルを仕掛けて、退場になりましたし、そのあと日大は、長期間試合に出られませんでした。ようするに、何が言いたいのかというと、パラリンピックのラグビーだけが、ボールを持っていない人へのタックル(突撃)が許されている。ということに、かなりのショックを受けたと言いたい。そしてパラリンピックのラグビー選手が1年前にインタビューに答えていて、普通車椅子で突っ込んだらNGのところ、車椅子で思いっきり突っ込めるので楽しい。と語っていました。なんて乱暴で下品で暴力的なスポーツなんでしょう。私はスポーツと言えない。スポーツと認めないと書きました。しかし、私が認めないと言っても世の中は何も変わりません。そのまま時は過ぎて今日、パラリンピックのラグビーの試合をニュースで見ました。特に興味がないので、テレビのチャンネルを切り替えようとした。その時、ある光景が目に飛び込んで来た。日本の女子の選手が、オーストラリアのボールを持っていないエースの選手にタックルし、車椅子を転倒させた。体重やパワーなど天と地の差があるのに、ものすごいファインプレーだったし、仲間もテレビのアナウンサーも褒め称えていました。そこで私は、ひとつ思いつきました。体重やパワーが天と地の差があるのに、大きな相手を負かせる可能性があるスポーツ、相撲とか柔道に注目しました。柔道で言う足払いという技があります。大きな体の相手の足の甲というか横を軽く蹴ります。サッカーのように思いっきり蹴るのではなく、上半身の重心のバランスを崩してから、この足払いを使うと、ここの足の部分がテコの原理の支点となり、大きな体が一気に崩れるというものです。テコの原理はもともと、小さな力で大きな力を生むという物理的なしくみです。そのしくみを応用し、かるく足を払っただけで、相手がバランスを崩し倒れます。その倒れ方と今回のオーストラリアエースの選手の車椅子の転倒の仕方がけっこう似ていました。日本の女子は、支点になるポイントを尽き、その支点をぐるりと周回するような円を描き、みごとにオーストラリアのエースの選手の車椅子を転倒させました。おれには、あの瞬間が見えていました。これを常時使えるように訓練したら。。。と考えました。かなり大きなメリットになります。パラリンピックのラグビー選手はみんな筋肉を鍛えてムキムキでした。しかし、この転倒させる技を常時発生させることができるのであれば、転倒専門職を2名固定にし、この2名はパワーではなく、技で戦うと決めればよい。何度も言いますが、パラリンピックのラグビーのルールは、ボールを持っていない選手にタックルを仕掛けてもよい。いつ突撃してもよい。というルールを逆手に取って、転倒させる専門ポジションを作る。そして、相手の主力メンバーをどんどん転倒させることにより、相手のボール持っている選手がボールを回せない状況を作りだします。、転倒させる専門ポジションは、大柄の相手に正面で戦ってはいけません。今日のVTRを見ると、ちょうど斜めの角度で、前輪部のハスに入り込んだ時、ちょうどテコの支点の役割をしていました。なので、相手の車椅子が、スピードに乗っていれば乗っているほど、前輪にひっかけてやると、自転車やバイクのジャックナイフのしくみで、前につんのめります。絶対にこの技は有効だと思います。マジメに練習やってレギュラー全員キン肉マンになって戦うより、頭脳を使って楽に勝つ。それも許されているヘンテコリンなルールを逆手に取るという、これまでにない、ものすごい作戦であり、技であると確信しております。このメモを書きながら、全身が震えるような、キーボードを打つ指が震えるような、喜びに包まれております。この無敵の作戦のアイディア、おひとついかがですか。次の話題。たまたま見た動画で考えさせられることが起きたので書きます。この話を書きながら、かなり興奮してきてキーボードを乱暴にたたくように打ってしまい、文章の流れが壊れているかも知れません。しかし、今は清書・精査する時間もないので、とりあえずこのままにします。村上ロックのビンタという話。村上ロックさんは、この話は救いようがない話と言っていますが、俺は救いようがあると言いたい。その部分を強調しておきたいので書いてみる。この話は月曜から土曜まで学校へ行っていたというので、昭和時代の前半かなあと思います。小学校の5年6年の時の先生が2年間、毎日暴力をふるい続けた。という話。昔の事だし暴力が許される時代でもあった。しかし、そういう時代だった。というだけで何でもかんでも解決できるのであれば、警察はいらない。このような話に出てくるのは、小学校の時にイジメられていた。というパターンの方が多いような気がするが、今回は、クラスの生徒からのイジメではなく、先生の暴力であった。村上ロックさんの話の中で、暴力を振るわれた原因とか理由については、語られていない。もしかしたら、暴力を振るわれる原因がそもそもあったのかも知れない。でも、そこは語ってないし、追及しようもないので、それ以上は書けない。で、小学校の5年6年の頃から、社会人になったとの事なので、10年以上は経過していると思います。小学校の5年6年の頃の苦しい思い出を背負って、過去10年の自分の思いというか、悔しさというか、呪いというか、仕返しというか、とにかくイヤな気持ちを当時まで持ち続けて、今目の前にいる元先生に復讐をする。おれは前に語った、高校の漢文の教科書に載っていた、臥薪嘗胆を再度、繰り返し主張したい。臥薪嘗胆とは、自分が戦で負けたのか?具体的には忘れたが、何らかの辱しめを受け、それを何十年もの間、復讐をするべく、薪のベッドの上に寝て苦い胆をなめる。ことにより、当時の悔しさを体に刻み、いつかあいつをギャフンと言わせてやる。あいつの上を行ってやる。という復讐心のモチベーションを保ち続け、そのチャンスが来たときに、自分の思いを実行することができた。自分の信念を貫くことができたというもの。それくらい心の奥深くに信念・怨念を刻み、絶対に達成してやるという執念深さ、粘り強さを身につけよ。実行せよ。と言っていると認識している。世間一般の解釈と若干相違があったとしても、自分のモチベーションを高く保ち継続し、それを実行する。という、この解釈に異論はなかろう。そして村上ロックの話に戻すと、その元先生は自殺した。という内容である。世の中的に、仮にイジメがあったとして、そんな事くらいで自殺を思い悩むか?というような感想を言うヤツもいるが、その当事者になってみないとその苦しみ、痛みは理解できない。もう100回くらい言っているが、某キャリアの24時間保守対応の苦痛を説明すると、そんな苦しみなんてへでもないわ。とか、そんなの楽勝じゃん。とか、我慢が足りないとか、好き勝手な事を言う。おれは、1000回くらい言っているが、我慢・忍耐強いものだから、通常の人が嫌気を感じる、さらに奥まで苦痛・痛みが浸透し、逃げ出せないくらいにダメージを追う。そこまでダメージを追うと、逃げ出すというより、なんとか自分のパワーを回復しないといけない。みたいな、かわいそうなスパイラルに陥る。そういう人に対し、イジメだとか、イヤな行為を続けると、脳の中に復讐と呪いの煩悩がわく。その煩悩をいつかこの手で返してやるという、映画やドラマの殺人鬼のようになる。殺人をすると刑務所に入ってしまうので、それはさすがにヤバイ。殺人ではない、何かの方法でファック・クソの恩返しを大盛で返したいと日常的に思っている。そして、そして村上ロックの話に出てくる人は、過去に先生にやられた同じ方法で、復讐劇を演じている。おれは、そこは自分の美学を貫いているところでもあり、共感できる。やられたらやり返す。目には目を。歯には歯を。 原始的な復讐の方法だが、人間の心理によくかなっていると俺は思っている。最後にまとめると、村上ロックのビンタという話に出てくる、この本人。10年以上も自分の過去の苦しみを覚えていて、それを目には目で実行し完遂している。自分が殺したわけではないので、殺人犯ではない。その元先生を死に追い詰めるくらい、確実に正確に自分の苦痛の赴くままに実施した。おれは、この人を褒めたい。人を自殺に追い込む行為なんて許せない。と教科書通りの正義感溢れる連中が声を合わせて言いそうだが、そこに追い込んだその原因はその人、自ら作り上げていた。その報いとしか言いようがない。何度も言うが自分は殺人犯ではないし、自分の心に忠実に行動した。じゃあ、この主人公は、10年以上経過したあと、元先生を前にして、おれの小学校の時、かわいがってくれたなあ。しかし、今はその罪を許します。とでも言うのか。それは、実際に自分が体験していないので、教科書通りに正義感を振りかざして、言っているに過ぎない。 口だけの正義感を主張するやつほど、信頼できない。信用できない。過去におれの某キャリアの24時間保守の説明をした時、そんなの楽だ。といったヤツがいる。そいつはお調子者で何も考えない、変なヤツであり、その後危ない遊び連中と付き合って、どこかへ消えた。


2021年8月31日火曜日 Tuesday (Tue.)
いやあ、毎日のように他人にムカついていて、バカらしくなります。が、止められないので書きます。今が旬の女子高校生の殺害の事件のニュースありますよね。今mixiニュースを見たら、断片をつなぎ合わせたような、起承転結がない記事であった。文章そのものは文字が多いのだが、おそらく事実を隠しているので、ここまで養護するように文章で固めなければいけなかったと判断しました。そもそも女子高校生は、なぜ犯人の車に乗ったのか?理由は何も書いていない。自分の親には友人に会いに行くとだけ言って家を出ている。さすがに、出会い系アプリしかないよね。と思いますよ。で、車に乗ってどこかへ行き、男の奥さんが逆上してナイフで女子高校生を刺した。そこで当然死ぬわけです。死んだら死んだで、殺したのは奥さんなので任せればよいのに、夫婦2人で死体遺棄を実行している。男は死体遺棄をしなければ、未成年なんちゃら性なんとか罪だけで済んだはずなのに、なぜ罪を重くすることを進んで事項したのか?このニュースの中で、この女子高校生は、あいさつもするし、いつも明るい子である。将来の夢まで書かれていて、そのために大学へ行く勉強をがんばっています。的な事も書いてある。私はもちろん出会い系だと思っているのだが、出会い系という文言がひとつも出て来ないのはおかしい。じゃあ仮に出会い系じゃないとしたら、その理由を堂々と書け。と思う。書けないのであれば、後ろめたさがあるとしか言いようがない。これは被害者を美化しすぎていて、真実を報道しているとは思えないし、こんな隠蔽の仕方は良いのであろうか。被害者が一方的に被害を受けました。かわいそうです。お涙ちょうだい。はい。おわり。じゃねえ。こんな記事誰も読まないし、違和感アリアリです。出会い系の報道するにしても、そのレベル感については軽くすることもできるはず。良い子のみんな。ネットの出会い系は危ないよ。注意喚起するべきであると言いたい。世の中、出会い系で殺人が起こるニューって多いです。これだけ、ニュースで殺人事件を報じているのに、まだ、ホイホイついていく人がいるんだねえ。。。おれには信じられないが。昔、路上にこんな看板があった。気をつけよう甘い言葉と暗い道。知らない人から声をかけられたら、ついて行ってはダメですと言っているのだが、最近見ないねえ。このように書いたら、mixi上でコメントを書かれた。家族や親族がそれを知ったら、悲しいから的な事を書いてきた人がいた。いやいや、それはまずいでしょ。事実は報道しないといけないし、報道のレベル感も低くすれば良い。このニュース女子高校生が一方的に悲劇のヒロインになっていて、何も悪いことはやってないです的な書きかた。意図的に情報を隠蔽するのはダメだと思う。また出会い系で知り合って、殺される女子高校生、女子中学生が出ますよ。おれは注意喚起することが大切だと思う。悪いことだから社会の目から届かないようにしよう。。。というのは極端に言えば戦争と同じ。戦争は二度と繰り返さないって、みんな言うよね。でもね。詳しい内容は全く知らないです。ガダルカナル島とかインパール作戦ととか、硫黄島とか、まだまだいろいろあるがそういう情報を知らずに、戦争はダメだから知らなくても良い。臭い物に蓋をする。ですよ。そんなの反則です。B-52の爆撃で家を焼かれたとか、、、キーボードを打つ手が止まらないので、もうキリがないのでこれくらいにしておきます。2021年9月2日になり、犯人の過去の変な行動や習慣、殺された高校生の話など、少しずつ情報が明らかになってきた。当初からこのニュースを読むとムカつくと書いていた。が、その通りで、ここに3人の登場人物がいるんですが、殺人犯の2人はとんでもない変な過去がある。こんな生活していたら腐った大人になるに決まっている。で、高校生については、出会い系とははっきり名言されていない、SNSという表現である。いかがわしいか、いかがわしくないかは、今の時点で判断できないことを断っておく。そして、この連中の人生がヘナモゲラ人生なので、こいつらの人生を語ることすらバカバカしくなってきた。なので書くのをやめます。


2021年9月20日月曜日 Monday (Mon.)
最近親ガチャという言葉が流行していると言う。ゲームのガチャと同じ意味だが、何が出るかわからない。 レアキャラが出るかも知れないが、レアキャラが出る可能性は低い。だけどあえて課金してガチャを繰り返すそんな意味である。子どもは親を選べないという意味に使われる。それと同じで、子どもガチャという言葉もあると言う。親は子どもを選べないという意味。しかし、子どもを産む意志表示をする側は親側であるため、子ども側は常に受け身にならざるを得ない。従い、子どもガチャという言葉は俺は気に入らないと断言したい。で、親ガチャだが毒親とかいろいろ世間を騒がしくさせている人はけっこういる。ここでは、自分の子どもの頃の自分の考えと、自分の親の話をしてみたい。子どもの頃、親戚のおじさんやおばさんに、顔がお父さんに似ているねえ。とか、目がお母さんに似ているねえとか言われたことがある。誰しも1度や2度言われた経験があると思う。俺は、小学2~3年頃、お母さんのお腹の中から生まれて来る。おかあさんに似ているというのは、まあ、納得できても、お父さんに似ているのは納得できないと思った。お父さんと一緒に住んでいるので、毎日その顔を見ているので顔が自然に似てくるのかなあ?とか、小学2~3年では解決できない疑問が膨れ上がって悩んだ。家内にそういう疑問はわかなかったか?と質問すると、疑問は感じなかったと回答された。おれ個人的には納得できていない。中学生頃になると、なんとなくそのシステムが理解できてきたので、わからなくはない。しかし、何度も繰り返すが、俺のオヤジの貞男には変な考えがあった。自分は親であるから親の言うことをきくことが当たり前。それが、どんな条件でもいつでも上から目線。自分がエライと思っている。前にも言ったが男尊女卑思考で、男がエライ。さらにいろいろな自分よりレベルが低いと思われる連中に対して文句や差別を連発する、とにかく人間的にイヤな正確思考である。おれがイヤだったのは、お前のDNAを引き継いだおかげで、肌が弱い。すぐに何かにかぶれたりして赤くなる。それは、お前のマイナスのDNAがあったからである。マイナスのDNAの引継ぎで最悪なのは、過去に何度も言っているが、長男だからしっかりしろとか、長男だから我慢しろとか、頭ごなしで言うことが気に入らなかった。以前の札幌での賢吉さんの葬式の時の尚司さんのエピソードで書いたので詳しく書かないが、長男の仕事をしてこなかったくせに、おれに厳しく注意する。戦国時代じゃないんだから、長男が家を継ぐのはないし、この家はサラリーマンだから余計にそんなことはない。しかし執拗に攻めてくる。あとで聞いたがおふくろの泰子はそれを見てかわいそうであると感じていた。しかし何も言わなかったと語っている。最悪の夫婦だね。これが親ガチャ。自分が生んでやったとか、自分が育ててあげたとか上から目線で、エラそうな事を人生で100回くらい言われている。しかし、生んでくれと頼んだわけでもなく、まさしく親ガチャ。こっちからしたら、く親ガチャなんだから被害者はこっち側なんですわ。被害者はお前らではない。とここで強力に断言しておく。親ガチャであるので、お前らは完全に加害者である。そして変な人間関係不振というクソレベルのDNAの引継ぎをされて人生を露頭に迷っている。親ガチャの何ものでもない。ここでBLACK LAGOONの話を持ってきて説明する。主人公の男性ロックは、国立大学を卒業し日本の大企業へ就職する。その会社は海外の貿易というか商社なので、海外出張に出たロックが、悪党の仲間に入って、そこからストーリーが展開していくという話。おれね。BLACK LAGOON大好きなんです。ガンアクションがかっこ良いし、いろいろ名言もたくさんある。しかし、いつも自分の人生の境遇が同じだなと思う部分。このBLACK LAGOONの最初の部分が自分の人生に似ていて、なんか人生って激変しても、 俺の人生だから鉄砲を撃とうが人を殺そうが、新組織に入ったら昔の日本の大企業のルールなんてものは吹き飛ぶんだよね。という部分が、自分と重なる。自分は国立大学卒業ではないけれど、一応一部上場企業で28年働き、定年まで無事に何ごとも起きずに定年を迎えたかった。迎えるだろうと思っていた。その人生を揺るがす事件が世界で起きた、ソフトバンクの嵐である。細かいことは、別の紙に書いてあるのでそっちを見て欲しい。で、そこで人生狂わされて、どん底に落とされる。年収も信じられないくらい額。半額以下に落ちる。どうやって生きて行って良いのか?わからず人生お先真っ暗になる。そういう中で、BLACK LAGOONのロックと似ているかなあ?って思っている。ロックは自分の運命を受け入れ、果敢に前向きに挑戦していく。敵に向かって、前に前に進んでいく。このたくましさはおれは、うらやましい。 BLACK LAGOONは、もちろんフィクションである。おれの人生はリアル・現実である。しかし、ストーリーの考えかたは、一緒なんじゃねーーーかなあ?って思うようになってきた。ロックのようにたくましくはないけれど、敵に向かって、強引なんだけど前に前に進んでいく姿を見習いたい。最初の方の話で、戦闘ヘリに追いかけられる話があって、誰が考えても無理っていう場面がある。そこで誰も思いつかないような一か八かの秘策を提案する。マンガなので、その作戦は成功してハッピーなのだが、これがリアル・現実でも2割でも3割でも同じような事ができるのなら挑戦し攻撃し続ける価値はあるのかも知れない。最終的に負けるかもしれないけれど、攻撃し続けることに意義があるのかも知れない。参加することに意義があるという、小学生の頃のクラスメイトの冗談っていうんですかねえ。ギャグって言うんですかねえ。。それを今56歳を過ぎてもやり続ける。負けてもやり続ける。それが大事かも知れないなああって、BLACK LAGOONを通じて思っています。BLACK LAGOONから少し勇気をもらった気がします。


2021年9月22日水曜日 Wednesday (Wed.)
たまたまネットニュースを見たら懐かしいキーワードなどがあって、いろいろ考える事もあって、つい書きたくなったので書きます。単なるジジイの昔話だね。もと富士通の半導体部門のトップだった人らしいです。 なぜ日本の半導体業界は低迷したのか。低迷というか絶滅ですかね。もとの記事に忠実ではないです。富士通、NEC、日立などはもとはNTT仕様のものを作っていた。モデムやら交換機やらはNTT仕様のため品質保証が厳しいらしい。交換機や大型コンピューターなど、独自技術であるが品質を満たすために各社技術開発をして世界の最高品質を維持し、それが世界にも通用した。アメリカにも勝ち日本製品は破竹の勢いであった。通信機器はモデムから始まり集合モデム、もっと小型化しカード化しチップ化されるまでになった。そうしているうちに時代は、IBMが作ったDOSV機へ移行していった。DOSV機は同じ仕様で同じものを安く大量に作れば良い。NTT仕様のように品質は厳しくない。今はスマホの時代で、PCよりもさらに品質は厳しくないらしい。大量生産大量消費の時代なんですかねえ。韓国や中国が作る半導体は、富士通、NECが作るものよりかなり品質が悪いらしい。電子顕微鏡で見ると断面が汚いらしい。汚いとか関係なくて動けば良いし、マシンの寿命も数年でどんどん入れ替わる。おれもNTT回線に接続するモデムやら、光の終端装置・光多重装置を扱ってきたから理解できるが、回線に接続する場合、NTT適合の審査が必要である。その仕様に合致しないものを接続すると、回線装置が壊れたり対向先の機器が不具合を起こしかねないため、NTT仕様というのは厳密に管理されていた。しかし、今の時代光のルータだの家庭用のメディアコンバータとか、国内の適合認定は必要だが、それほど厳しいものではないと思う。壊れたら交換すれば良い。機器は安いから交換してゴミは捨てる。昔はDSUなど高価だったので修理していたと思うが、今家庭用のメディアコンバータなんか使い捨てだと思う。そういう中で、富士通、NEC、日立など半導体の品質が悪くても動く中国・韓国系に押され、半導体事業を放棄していくことになる。東芝なんかもメモリで世界一だったのに、海外に売ってしまった例もある。富士通、NEC、日立、東芝などは半導体のみの会社ではなく、総合電機メーカーである。半導体は儲からないので事業を切り離す。そうなると同時にエンジニアもクビを切られる。エンジニアは中国・韓国へ一本釣りされる人もいる。一本釣りされる人はまだ幸せである。大部分の人は他の仕事で飯を食うことになる。空洞化が起きて一度空洞化が起き遅れをとればもう、世界レベルには追い付けない。世界に誇った富士通、NEC、日立、東芝などの半導体事業はもはや挽回はできない。おれが読んでいて懐かしいと思ったのは、モデムという単語。今の若い人にモデムと言っても通じないだろうし、笑われるだけなんだろう。おれが入社した当時は光装置とアナログ装置の過渡期であった。光多重化装置もわかりモデムも理解できるということで、エンジニアとして自慢であった。ソフト設定も存在したが、ハードスイッチ、ディップスイッチがどの装置にもあり、取扱説明書を見ながら、ディップスイッチでクロックの同期がどうの。。。というのは、難しくて苦しい面もあったが、世界レベルの技術のNECの装置を触っているという自負もある。しかし、今このようなスキルを使う場面はゼロ。まったくのゼロ。さっき書いた半導体エンジニアがクビになる話と同じで、こんなエンジニアを欲しがっている会社なんかあるはずもない。優秀な半導体エンジニアであれば、上記のごとく一本釣りされることもあるだろうが、そんなに優秀であれば、今頃こんなところにはいない。一本釣りどころかコキ使われて捨てられる。日本の半導体の終焉と同じように、光多重・アナログ多重のスキルは世の中で不必要となり、おれのエンジニアの終焉となった。今がその終焉の末路である。


2021年9月24日金曜日Friday (Fri.)
今日ネットニュースで読んだ気に入らない記事について気に入らないと書いておく。こんな事が世の中に拡散していったら俺が悲しくて仕方ない。絶対に許せない。だから今日この機会に反論してやる。ライターの名前は憶えていない。親ガチャ議論に見る隣の芝の青さというタイトル。この記事は、親ガチャという世の中の流行語があるが、自分の親は自分で決められない。親がお金持ちか貧乏かは運任せでコントロールできない。しかし、スヌーピーが言った自分が持っているカードを使って頑張る的な事を言っていて、お金を持っていないのであれば、持っていないものは仕方がない。今持っているカードで頑張ろう。という前向きに見せかけたワナの文章である。ライターの父は昔、浮気した女が自分の家に怒鳴り込んできて、母や兄弟がびっくりした。家族がどうなるかと思った。修羅場であった。しかし、今父は車椅子に乗り自分がそれを押している。とてもみじめで悲しい存在である。昔のように外に女を作って遊びほうけていた頃とは別人である。だから今は、そっとしておいてあげよう。みたいな、優しくもあり情を強調した変な文章になっている。おれは、このHTMLにも散々書いたし、貞男・泰子への手紙にも大量に書いたのだが、おれは一切間違ってはいない。そして、親がどんなに歳を取っておいぼれようとも、過去に行った過ちは過ちである。さらに今現在謝罪もなければ会話をしようともしない。おれは謝罪が欲しいわけではない。まず自分の主張が正しいことを訴え、正しいことは100年経とうと1000年経とうと、正義は正義である。ということを言いたい。歳を取っておいぼれて元気がなくなったから、許してあげるのであれば、世の中に刑務所に入っている悪人はいなくなってしまう。悪はどこまで行っても悪である。おれは絶対に許せないもの、許せるものの区別をしたい。そして、上記のライターのように、自分は浮気をした父の女が怒鳴り込んで来て修羅場になったが、それはそれで耐えて、今は幸せに暮らしている。その忍耐力が足りないために、隣の芝がキレイに見えると言っている。おれはそうではないと断言する。俺は自分で言うのもあれだが、一般人より忍耐強い。忍耐強過ぎて一般人の忍耐の限界を越えてどうしようもなくなるレベルまで我慢してしまう。そのため気づいた時には、自分の精神が崩壊している。そこまで追い込まれている。そういう人生を過ごしてきた。だから、それくらいの苦労で忍耐強くないとか言われたくない。逆にお前らが忍耐強くなく、俺は忍耐強過ぎて通り越してしまい、取り戻せなくなる。そういう人間なのだ。それくらい我慢しろとか、今あるカードで頑張るというレベルを超えていることを断言したい。絶対に俺は妥協しない。許さない。俺の親は俺を強引に自分のレールに乗せようとした。おれは子どもながらに、多少疑問もあった。しかし、自分より何十年も生きていて経験している大人であるので、まあ仕方なくそれにつきあった。その末路が今のおれである。おれは絶対に許さない。人間1人の人生をダメにした。無駄にした。おれが疑問を持っておかしいと指摘しても、聞く耳を持たず強引に自分の考えを押し付けた。時代や周りの環境や世の中の考え方などが激しく変化していく中、いつまでも同じ事をやり続ける。バカのひとつ覚えである。そんなの100年1000年継続するはずがない。それを強引にレールの道を歩かせ、人生に失敗しどん底に落ちたら、それはお前のせいだ的な言い方をする変態野郎。クソが!!おれは絶対に許さない。そして親ガチャだろうが何ガチャだろうが、忍耐力の弱さを指摘されることは不本意であり、今あるカードで頑張ろうなどと甘ったるい思考をしていること自体が、人生を真剣にマジメに生きているとは受け取れない。いや、とにかくおれが否定されていると感じること自体が気分が悪く悪化する原因である。胸糞悪い文章を書いたヤツ、そして、その文章に賛同する連中。おれは絶対に許さない。今日この怒りをぶちまけないと虫が収まらない。絶対に断固反対。断固拒否してやる。


2021年9月26日 日曜日Sunday (Sun.)
家に入るカギを忘れていろいろな場所をぶらぶらしていた。途中省略。溝の口駅のロータリーみたいな場所、キラリンデッキというものがあり、小雨も降ってやんでの繰り返しだったので、屋根もあるし座る場所もあるので、ここで多少時間がつぶせればいいなあと思って座っていた。マルイ・ノクティ―の方向から1人のおばあさん70歳くらいかなあ?が歩いて来た。10mくらいの距離で一瞬俺の顔を見た。目と目が合った。知らない人だし、無視していた。するとすたすたと俺の前3mまで寄って来て話しかけてきた。あのう、すいません。タクシー乗り場はどこですか?と聞いてきた。俺はこのロータリーでタクシーに乗ったことがない。こっちの交番側なのかマツキヨ側なのか、わからなくなった。俺は、ちょっと待ってください。と言い、階段の上から身を乗り出して下を見た。こっちの交番側のちょうどキラリンデッキの中央あたりがタクシー乗り場であった。タクシーが行列をなして数台直線的に止まっている。ちょうどこの辺だと思いますよ。とキラリンデッキの中央部分を指さして言った。その時のおばあさんの顔は、ああ、その場所なら知っている。という顔であった。 ここだよね的な感じであった。知っているのになんで聞くのだろうという、変な会話がこれから続いていく。 ああ、ありがとうと言ったあと、5mくらい離れた場所にエレベータがある。エレベータを見ながら、エレベータがあったわよね。と言って来た。その口調が階段を下りて行くというよりも前から知っている口調であった。 エレベータがあるのは知っているのだが、あえて階段から行く方法を聞き、そのあと、エレベータで行くことができるという、2段階で言いたかった。そんな感じがした。変なおばあさんである。エレベータを使えばタクシー乗り場はすぐなのだけれど、私、目が悪いからボタンをどこを押してよいのかわからないのよ。と言って来た。一緒にエレベータに乗って欲しいという意味なのだろうか?しかし、さっきから会話がおかしい。変な人とエレベータに乗ることで、めんどくさい事が起きる可能性もある。この人は白い杖を持っていないしメガネもかけていない。マルイ、ノクティ側から歩いてきて10m先で、俺の顔を見た。そこから自分の足で歩きここまで来た。目が悪いヤツがそんなことできるはずがない。さらに、このエレベータは、1階と2階しかない。ボタンを押し間違えることなんかあり得ない。幼稚園生でもボタンは押せる。言っている意味がまったく理解できない。このおばあさん詐欺師で何かをダマそうとしているのか、何かはめようとしているのか、何を考えているのか全く不明であった。そのおばあさんは、じゃあ階段で行くからありがとうございます。と言って階段を下りて行った。おれは、この知らないおばあさんに付き添いをすることは必要ないと判断した。そのおばあさんが階段の方向に歩いて行くタイミングで、もう視線は別の場所へ向けていて、レンガに腰かけていた。その人が本当に階段を下りて行ったのか、途中で足を踏み外し転げ落ちたのか、それを見届行けるギリはないので、まったく視界から外した。その後、戻ってくるとか何か話しかけてくるとかは、なかった。目が悪いようには見えないし、足もちゃんとしていて歩いている。タクシー乗り場の場所やエレベータの場所も、事前に知っていた雰囲気である。


2021年10月29日金曜日Friday (Fri.)
なんとなく、自分の趣味の道具に向き合うスタンスが同じだなあと感じたので、今回書いてみます。いつものように長文で、ギターに文句言っているように認識されたらイヤなので、結論を言っておくと、今持っているアイバニーズSシリーズの音は気に入っているし、弾きやすい。壊れたとしたら次もこれを買いたいと思う。このHTMLに書くのはタダだし自由なので。私は今ギターを持っている。貧乏なので1本しかないが、持っているのはアイバニーズSシリーズの青色。これを買ってたぶん5年くらい経過していると思う。5年くらい経過してくると、ネットなどで知恵を付けて変わったことをしたくなる。この行為は俺のクセなのかも知れないなと思った。ギターが上手いわけじゃないんだけど、ピックアップとなんとか回路とか入れると良くなるかも?とか、ネックの木をこの材質にすれば、かっこよくなるんじゃないか?と、脳みそが騒ぐんですねえ。。。アイバニーズを買う前は、詳しくないが、ストラットの白いボディーのギターを持っていた。友人、水永にもらったか?中古なので安く買った?ような気がする。ようは自分で買っていないし、モデルの型式とか全くの無知なので、音なんてこんなもんかなあ?って思っていた。ネットを見ると、こんなピックアップに交換すると、音が太くなる。音が細くなる。歪と相性が良くて、弾いていて楽しくなるというような記事があったりするので、何か交換したいなと思うようになった。俺のノリでは、車のアルミホイルを交換する、マフラーを交換する、タイヤの扁平率を変更し太いタイヤに履き替えるというイメージに近い。しかしギターはガチの素人なので、ああそうかと思うしかない。ネットでそういう風に言われているピックアップを9000円くらいで買った。で、その次に買ったのは、ギターの改造専用の本。ピックアップを交換するのであれば、専門書を買い勉強したいと思った。写真入りで、配線図が親切に書いてあった。ケーブルの色で、白はここ。黒はここ。赤はここ。接続パターンは、何通りかあって自分の好みの音が出ればうれしいよね。という感じ。ピックアップは試し弾きができないので、ハンダ付けするまでどんな音になるかはわからない。その音がキライであれば、失敗であり、ピックアップは無駄になり捨てる。もう、ピックアップだけ交換するようなバカな事はやらない。もったいない。で、この白いストラトキャスターは、ハンダ付けが終わって、弦を付けて弾いたら変な音が出るんです。歪を入れる入れないの問題じゃなくて、素人の俺でも変な音ってわかる。ああ、そうかじゃあもう一度ピックアップ外して、今度は別の配線にしてみようと思った。ギター改造の専門書には、クリーンな音が好きな人、ヘヴィーな音が好きな人、なんとかの周期が反転するのが好きな人、とか、いろいろなパターンが記載されている。ノーマルプレーンの配線をやってみようと思った。そして再度配線を接続し音を出したら、また変な音が出た。正直よくわからないので、最初のピックアップに戻した。ストラトキャスターだし、最初の設定に戻したので太くなるわけでもなく、歪が心地よいわけでなもなく、きっちり前の音に戻っただけ。当たり前と言えば当たり前。ギターはあまりにも芸術性が高いので、ギターのメカ的なものよりも弾く本人の技術が左右する楽器なので、もう二度とこういうバカな事はしないと誓った。次に買うのはアイバニーズのSシリーズが良い。初心者向けで弾きやすい。そして音もそこそこ太くなる場合もある。これはこれで完成品なので手を入れる部分はない。この関係で、サバゲに使うエアガンにも同じような発想があるというお話。このHTMLのどこかのページに、サバゲ専用ページがあって、そこには書いてあると思ったが、あえて書く。俺が最初に買ったのは、東京マルイのM733というエアガン。ブラックホークダウンの映画を見て、特殊部隊が持っていたのが、M733である。かっこ良いので買った。千葉のフィールドに1回目、2回目くらい通っただけで友達ができた。要するに、チームに入った。チームによってそのチームの色があります。銃のカスタムが好きとか、ハンドガンが好きとか、どこに重点を置くか?みたいな感じです。リーダーはリュウさんと言う人。ここのチームは、銃のカスタムが好きな人が集まったチームであった。東京マルイのM16系はクビが弱いので、すぐ折れたり曲がったりするからメタルフレーム、メタルレシーバーにしたほうが良いと言われた。メタルフレームと、メタルレシーバという呼び方があるらしいです。詳しくないですが、どっちが正しいとかないみたいです。なので、私はメタルレシーバと呼んでいました。レシーバの方が、玄人らしい響きでかっこ良いと思っただけ。アキバのアチゴヤに改造を依頼。その時は別に何も考えていなかったが、交換したメーカーはG&P製であった。別に悪くはなかった。クビがしっかりして、撃ちやすいししっかり固定できるので良かった。その後、リュウさんのチームの影響で、ハイサイクルへと切り替えて行く。ハイサイクルとは、1秒間に何発出るかの弾数が多くなる仕様。日本国内では、銃刀法でBB弾は、0.98Jジュールのエネルギー以上は出してはダメ、という決まりがある。ジュ―ルというのは物理の時間に習ったエネルギーの単位ね。なのでハイサイクル化ということは、0.98J以上にパワーアップするのではなく、回転数を上げて出る弾の数を増やすという意味ね。当時はハイサイクルって、あまり流行っていなかったんですが、東京マルイの純正品でもハイサイクル銃が出ていますので、今となっては、当たり前の仕様になっています。当時、ハイサイクルにするには、純正のバネ、純正のモーター、純正のメカボックスなどを、強化したパーツに交換します。ああ、バッテリーも小さいバッテリーではなく、大きいラージバッテリを積みました。電圧も7.2Vじゃなくて、9.8Vとか、11Vとかに上げていました。何度も言いますが、パワーのジュールを上げているのではなく、あくまでも弾を送り出す回数を増やし、どんどん弾が出るようにした。それがハイサイクル。改造ありきじゃないと気が済まなくなった。なんかこれ、ギターの改造の精神と似ていますよね。なんかいじりたくなる。ノーマルでは何か物足りない。みたいな。。。だけど、ハイサイクルに改造すると壊れやすくなります。今貧乏なのでお気に入りだった、SCARの銃はハイサイクルに改造し、メカボがクラッシュした。使うのであれば修理するはずなんですが、貧乏なもんで修理できず。とにかく形がかっこ良いので、壊れたまま壁に飾っています。飾るだけでも満足です。仮に宝くじが当たってまたサバゲ再開したとして、改造はやらない方向で考えています。そのあと別のチームに入りました。リーダーの牧田さんは言うには、メーカーが調整した純正が一番良いはずなので、改造する必要はない。東京マルイの銃を買って使っていればほぼ壊れない。精度も良いしいじらない方が良いと言ってました。それは本当です。牧田さんは東京を離れ実家のある岐阜へ行き、サバゲ場を経営しています。すごいパワーだなと思います。


2021年10月30日土曜日Saturday (Sat.)
YouTube三木住職のあかんという怪談説法を聞いて、またまた思うことがあったので書きます。怪談説法の話の内容は、これを読んでいる人は自分で動画を見た方がいいです。細かいあらすじを書いているとキリがないので。さて、この話に出てくる人の祖父祖母が出てきてその人の口癖で、あかんと言うことをやめなさいと忠告してくるという話。自分の奥さん、自分の子ども、会社の同僚などから嫌がられている。自分がこれやりたいとか、これはやってみるとか、頑張ってみるとか、相手の言うことにほぼほぼ100%、あかん、あかんと否定してくる。んです。何でも否定していたので、子どもは学校に行きたくなくなり、不登校児であった。その人だけの運気ではなく、周りにも悪い気をばらまいていたということです。その口癖を少なくしたら、運気が良くなってきた。この話を聞いて、やっぱ貞男を思い出す。自分の考えや価値観で、なんでもかんでもダメダメと否定する。以前にも大量の文章を書いているので、それを見れば良いのだが、今の瞬間思い出した内容をここに列挙する。専門学校へ行ってはダメ。ラジコンが欲しいと言ったら、大人になれば実物の車に乗れるので、そんなものいらない。長渕剛のライブに誘われたので行きたいと言ったら、あんなところに行くヤツはキチガイだと否定する。飲食店や百貨店の店員など、自分が上から目線でいつもその職業をバカにしている。あんな仕事しかやれなくなるよ。みたいなあからさまに、下に見た態度で上から目線で否定する。人間の常識としておかしいと思っていた。今日、お坊さんの言葉で再確認ができたので、おれは完全にあいつに勝っていると判断できる。貞男はこの三木住職の怪談説法に反論できるのであれば、ぜひして欲しい。まあできるはずがないのだが、自分が正しいと思うのであれば戦ってもらいたい。それくらいに愚かで低レベルであるという具体的な事例が出てきたので今日、書いてみた。


2021年11月03日水曜日 Wednesday (Wed.)
京王電車の中で、放火し刃物を持って犯行を行った人について、ああそうか。と、納得したので軽く書いてみます。この犯人は、映画のバットマンの悪キャラのジョーカーのコスプレをしていた。おれもサバゲでコスプレをするのが好き。コスプレする分には誰にも迷惑をかけずに自己満足に浸ることができる。サバゲ場で誰かにコスプレや装備の事について聞かれたり、褒められたりすると嬉しいし、気分が高揚して、遊びも何倍も楽しくなる。サバゲに行くのに、自分のお気に入りの銃をもって行くのは当たり前。しかし、お金がなかったり、装備に興味がない人もいるので、そういう人は、別に何の変哲もない飾り付けもない服でやっている人もいる。おれは、映画の中のこの人になりたいとか、この人になりきって遊びたい。アドレナリン爆上がりで遊びたい。平凡なサラリーマンおっさんにしては、コスプレだけはこだわっている。コスプレは気持ちの高揚感を引き上げる道具です。で、京王電車の犯人の話に戻す。この人がジョーカーを選んだというのは、正義の味方のバットマンに敵対する、社会の敵であり、破壊の神であるジョーカーになり、悪人になりきって犯罪を起こす。ちょうどハロウィンの時期を狙ったのも、コスプレで犯罪を実行したいという欲求なのではないか、と思っています。サバゲなら、1年中、サバゲフィールドに行けば遊べる。しかし、ハロウィンは1年に1回。犯人なりの考えでこの時期を狙っていた。待っていたと思う。このコスプレが世の中で、一番映える時期ハロウィン。ここにも犯人のこだわりがあると思う。こだわりは、評価したい。しかし、犯罪はNG。当たり前だが、当たり前の事が判断できない人が多くなっているように思う。ここで、少し話が変わるが、京王電車の犯人は、実家は福岡です。人間関係がうまくいかなくて、ジョーカーになった。社会が自分を受け入れてくれない。だから自分がこの社会から消えればよい。だから自殺する。というように、日本人は内に向かう傾向があり、自殺者が多いんだそうです。おれも、その方が簡単だし、自分を抹殺すれば無になるのでそうしたいと過去に何度も思ったし、今も完全にその考えが消えてしまったわけではない。で、海外の例を見ると、社会が自分を受け入れてくれないと、そういう社会は自分が、ぶち壊す。とか、そういう社会に1回だけでも、派手なパフォーマンスで世間を恐怖に陥れ、さんざん嫌がらせ・復讐・破壊などをやり尽くしてから、自分が死ぬという選択を取る人は多いらしい。街中で銃を乱射し、何人か殺して自分は自分の持っている銃で死ぬ。みたいなニュースを、時々見ます。あのニュースを見ておれは不思議だった。駆け付けた警官や軍の銃撃で死ぬかと思いきや、自分の銃で自殺する。そうでないパターン(警察や軍の射撃で死亡)も、もちろんありますが、自殺するパターンもあります。後者の犯人は、殺すのは誰でも良い。自分が大騒ぎして世の中が祭りになって、その瞬間だけ世の名の有名人になる。注目される。捕まったら死刑にしてくれ。社会の秩序を乱す、きわめてやっかいな存在です。やっかいであればあるほど、犯人は喜ぶんだろうなあと思います。何度も言いますが、犯罪はダメです。当たり前の事ですが、そのラインを越えてあえて悪人として挑戦する。学校でいじめられたとか、派遣切りにあって、生活できないレベルまでお金の貯えがないとか、自分以外の周囲の誰か、誰でも良いので攻撃したい。やつら(社会の中に存在する人全員)に、おれの実力を見せてやるとか、なめてんじゃね------ぞ。こら!みたいな反抗心から来るのかも知れない。電車は公共交通機関なので、大勢の人が迷惑します。こういうやり方はNGです。だけど、特定のAさんのおかげで、おれの人生を狂わせやがって!というのは、個人vs個人です。パワハラはイジメの一種です。改めてイジメという言葉は、万能だなと認識しました。日本語のイジメって、陰湿で仲間はずれにする。いじわるをするっていうのが、一般的なイメージなんですが、世の中で一般的に言われているハラスメントを含むなんでもかんでもこの集合に入ってしまうような感じがします。とにかく、何がいいたいのかというと、無差別殺人はいけません。罪もない一般人なので。しかし、Aさんにイジメられた、Bさんにいじわるわれた、Cさんに何何された。そのために、精神的に参ってしまって、自殺しようとしたとか、会社に出勤できなくなったとか、小室眞子さんのように誹謗中傷・暴言でPTSDになってしまったとか、そういうのは、AさんBさんCさんの言動が必ず悪さをしているわけです。加害者側がそれくらい軽いものであると、言い張れば言い張るほど、被害者は心が傷つき悲しくなり、生きて行くパワーがなくなっていくわけです。自分が受けた何かしらの行為に対して、あとで反撃をするのは俺はありだと思っています。そうじゃないと、負けた側は一生負けた側になってしまう。人気テレビドラマでもセリフがあります。10倍返しだ!あれがヒットしたのは、いつもいつも負け組で隅っこに追いやられている視聴者たちが、せめてドラマの中で悪を成敗したい。みたいな応援みたいな気持ちになったからだと勝手に思っています。なので、誰でもそうなんですが、イジメ全般をやっている番長・親分的な立場の人は、被害者がある程度力をつけたら反撃される。そして10倍返しされると認識しるべきだと思います。被害者が弱すぎて死亡したり、消えてしまう場合も当然あります。だけど、何人かは自分の長年の恨みつらみとか、一生呪ってやる!くらいの怨念を持っていますので、絶対に追い詰めてみせる!と思っています。しかし、その手段はわかりやすい殺人では、自分が終われる立場になるので、その手段はきっちり吟味していきたいと思います。何はともあれ、仕返しをやる、やらないに関係なく、やってやるぜ!の気持ちは常に心の中にあります。自分に力があったならば、本当にいつかやってやる!本気でそう思っています。絶対に許さない。


2021年11月05日金曜日Friday (Fri.)
いつも文句を言っているので今日は別の話題。原題Danger Closeという映画があります。日本語題名デンジャー・クロース 極限着弾という映画。ベトナム戦争の時に、アメリカ軍の支援で、オーストラリア軍が来ていました。人数は忘れましたが、そんなに多くはないです。500人とか1000人とか、そんな感じです。この映画は実話で、オーストラリア軍が、ジャングルの中で北ベトナム軍に攻められて、包囲されて全滅になりそうになる。実際には多くのオーストラリア軍兵士が亡くなるわけです。そのジャングルの接近戦みたいな感じの部分がメインです。どこの国の軍隊でも、20kmくらい離れた場所から味方の援護のために砲撃をします。味方の前方の少し向こう側、味方の兵士に当たらないように、方角・距離をあわせて大砲を撃ちます。関係ないですが、映画プラトーンでは、新任の少尉が援護の砲撃をお願いして弾がどんどん飛んできて、味方に当たって、バーンズ軍曹が怒ります。間違った座標をいったな!味方が何人も死んだ!みたいな事を言います。その後、バーンズ軍曹は、ここは全員撤退だ!教会の場所まで下がれ!と言い、部隊は後退します。話をDanger Closeに戻します。後方の砲撃隊に正確な座標を教え、きちんと撃ったとしても、誘導弾ではないので着弾位置が多少ズレるのは当たり前です。オーストラリア軍は包囲されていますし、北ベトナム軍が目の前に迫っているので、味方の前方ギリギリの位置を着弾点として指示します。その後、砲弾が飛んで来ますが、味方スレスレというか、何人かは犠牲になっています。しかし、その砲撃がなければ、部隊は全滅していた。なんとか少数でも生き残って基地に帰れました的なストーリーです。今日ここで書きたいのは、オーストラリアの英語が不思議というか変だなあと思ったという事。軍隊でよく無線を使います。第10中隊は戻れとか、砲撃しろとか、いろいろな命令など無線で言います。無線は、電話のように全二重通信ではなく、半二重通信です。半二重通信を知らない人のために簡単に書くと、片方向ずつしゃべります。自分が言い終わると、オーバーと言います。今言い終わったので、次にお前が言えという意味。どうぞ!的な意味です。オーバーは英語のoverです。Danger Closeの中で、無線のoverの部分がアウバに聞こえました。アウバって何?と思いながら聞いていましたら、無線の言葉の最後に言っているので、overの意味しかないよなあ。。。と思って聞いていました。みんな、アウバ、アウバと発音しています。アメリカ映画に慣れてしまっていると、アウバが少々ダサく聞こえます。映画の中の全員がアウバと言っています。あとでネットで調べてみると、オーストラリアは、もとはイギリス英語から始まっているので、アメリカ英語とは違います。そして、オーストラリアの原住民の言葉と入り混じって、独自のオーストラリア英語になったと書いてありました。へえーーーー。じゃあ、英語を勉強しようとして、オーストラリアに留学するとか、あまり意味ないのなかあ?って思ってしまいました。アメリカ英語がたぶん、世界の言語みたいになっていると思いますので、ちゃんとした英語の勉強になるのかなあ?って疑問に思いました。そして、映画Danger Closeに出演している人は、オーストラリア人なんだなあと初めてわかりました。アメリカの役者であれば、アウバというセリフを言うのは、かなり抵抗があると思うので、アメリカ人ではない。と思いました。


2021年11月17日水曜日 Wednesday (Wed.)
このHTML内でも疑問を投げかけていたのだが、履歴書に趣味・特技を書く欄がある。学生時代に野球部にいたとか、読書と映画鑑賞とか、当たり障りのない内容を書くんじゃないかと思います。私はこれもやりたい、あれもやりたいと、いろいろ趣味に手を出して来た。今は貧乏で休止しているものもあるが、お金がそこそこもらえるようになったら絶対に復活してやると、強く思っている。いつか絶対に復活してやる、という思いでいっぱいです。で、ネットを見ていたら、私の疑問に対する回答が得られたのではないか?今回、ひとつの結論に至った記事があったので、簡単に紹介しながら、自分の意見も書いてみる。ライターの人の名前は忘れた。履歴書に趣味読書なんか書いて、意味あるのか?そもそも履歴書に特技・趣味欄がある事に納得できない人もいるだろう、と書いている。その人の文章をなるべくすっ飛ばし、どんどん簡潔に書いて行こうと思う。その人いわく、共産主義に傾倒していたり、労働運動・学生運動をしていた人が来たらイヤなので、趣味・特技などを介して遠回しに探っていた名残で、現在も継続されているんだってさ。それは、1937年の東京都大森で起きた銀行ギャング事件、日本共産党員による銀行強盗があったため、思想の制限というか振り分けの強化されたらしい。いやあ、しかし、仮に自分がギャングだとしても、履歴書にギャングですと書くヤツはいない。で次に、先輩社員にかわいがられる新人。要するに周囲の人間と合わせられるかということ。周囲と衝突しない人当たりの良さを重視した。能力や適性ではなく、協調性があるかみんなと仲良くなれるかという発想で人を採用する方式は海外では少ない。和をもってサラリーマンとすという、日本独自の採用スタイル。驚くのはそれが太平洋戦争前に書く率していた。戦前・戦中のものを引き継いだ。令和を生きる日本人は、明治の人が作ったシステムにしがみついてメシを食っている。当時の中学卒は今の高校卒。右も左もわからない高卒の若者は、教育次第で低賃金でも喜んで社長のために命を投げ出し従順な社畜に仕立てられる。大学を出て知恵をついている大卒より洗脳しやすい。というもの。昔は大学へ行く人は少なかった。今はほとんどの子供が大学へ進学する時代なので、高卒だ・大卒は関係ないと思う。で、日本の企業・雇用・働きかたなどの文化は戦前からほとんど変わっていない。海外ではほとんど見られない上司との飲みニュケーヨンや忘年会・新年会もすでに戦前からあるそうです。今の日本、働き方改革とか、欧米のマネをした成果主義などを実現するのは難しいと思う。今の日本は単に形式だけをマネして、評価シートだとか、成果測定シートだとか、いろいろな手法を取り入れるだけでは、何も変わらない。根本の気持ちの部分から本気で変革していく覚悟がないと、単に同じこの繰り返しであり時間だけ過ぎて行く。そうなんだあ。。。社畜になるためのものだったんだあ。。。そして、何度も言うが、貞男がサラリーマンになれと言ったのは、社畜になれという意味であった。自分は社畜という人生を生きて幸せで楽しかったかも知れないが、おれは社畜になれなかった。社畜の待遇を28年間我慢したが、とうとう我慢できなかった。何というんですかねえ。太平洋戦争前と戦争後では、価値観や倫理感、人生の考え方がガラリと変わり、同じ日本人・人間とは思えないんです。昔の人が自分たちの頃は良かった、天国であったからお前もそのレールの上を行け命令された。それを信じてレールを尽き進んだだが、まんまと罠にはまった。信じたお前が悪いと言うのだろう。自分で考えて人生を進むべきであると、48歳の時に思い知らされたがあまりにも遅すぎる、運命の仕打ちである。マジメに生きてきた末路がこれだもんね。これからは何も信じない。信じる者は救われない。自分の好きなようき生きる。誤解されてもらいたくないんですが、苦労したくない/楽をしたい、という意味ではないです。まったく違います。このHTML内にも書きましたが、私は今まで他の人があまりやってこなかった過酷な業務をやってきています。そして、バカマジメのため、忍耐をし続け終わりが見えず、どこでギブアップしていいやらわからず、体と精神が限界超えてボロボロになり廃人になりました。ここで悲鳴を上げてギブアップしたら忍耐強くない、弱い人間と見られる、だから我慢するギリギリまで我慢する。。。我慢・忍耐は生きていく上で大事なので、守れと教育されてきて限界がわからず最後、廃人になり人生を棒に振った。そういう事を前提で読んでください。


2021年11月18日木曜日 Thursday (Thu.)
今回、長年疑問に思っていた事があり、その答えがわかりましたので、報告とそれに対する自分の考え・感想などを好き勝手に書きます。大昔、ドイツ軍が第二次世界大戦を始めました。最初はポーランド、次にフランス、イギリスとの戦いはバトルオブブリテンと呼ばれ、両国の国をかけた消耗戦に突入。消耗を覚悟で戦い続け、あきらめた方が負け、というギリギリの戦い。本当にギリギリのところでドイツが諦めた。実際にはイギリスもあともう少しで危ないところであった。ドイツは大消耗戦の末に、不可侵条約を結んだソ連に侵攻します。不可侵条約を結んだソ連から見れば、約束を破ったわけですから、急にドイツが来て驚いた。その頃、ソ連のあの有名な大粛清を実施した時期でもあり、ソ連はちょうど危ない時期に攻め込まれた。もちろんスターリンは怒り、ソ連軍のできる限りの兵士・兵器を投入。ソ連軍は大規模な捕虜を取られたり、いろいろ消耗するのだが、とにかく数で押していく。ドイツ軍はモスクワの手前まで到着していたのだが、冬将軍の到来で、ドイツ軍はその時期を最後に撤退を続ける。ここが独ソ戦争のターニングポイントと呼ばれる。で、前から思っていたんですが、ドイツが西に攻めていってフランス、そのあとイギリスと行って、次に不可侵条約のソ連に攻撃をしかける。おれ軍のプロではないですが、いくら強いドイツでも西と東の両面で戦うことは無謀としか言いようがない。不可侵条約のソ連に攻撃をしたのは、なぜなのか?長い間、謎でした。今日その答えがわかりました。ヒトラーとかナチスドイツの戦争のきっかけは、アーリア人が一番優秀であり、この世界の上に立つべきであり、下の人種の人は、まあ死ね的な思想からの戦争ですよね。人種の血をどう残すかの戦争なんです。そういう意味では、不可侵条約を結んでいたとしても、いつかはソ連に攻め込むつもりであったと語っています。いやあ、それはまずいよねえ。。。それを言ったら、世界中の人種の血を根絶させる必要があり、ほぼ世界制覇をしなければならない。。。。それは無理っす。。普通に考えて無理っす。。。。頭がおかしくて仮に世界征服を考えたとしても、一旦、ドイツの西側の制覇が終わってから、東に手をつけるというのなら、まあわからなくもない。一度に東西両面では戦えない。無理っす。モスクワの手前で冬将軍に出会うのですが、実は、この時期、日本が真珠湾を攻撃する時期なんです。日本はドイツがソ連をやっつけてくれるだろう的な考えで、アメリカとの戦争を始めたんですね。結局、ドイツは、この冬を越して次の春に再度攻撃をするのですが、ソ連が冬の間に準備万端整ってしまったので、思うように進軍できず、ドイツ軍の後退が始まり、ついにはベルリンの街が崩壊していくということになります。日本は日本で、ドイツが弱くなってソ連を釘付けにしてくれなかった関係で、太平洋戦争の終戦間際に、ソ連に不可侵条約を破られ、北海道に進軍されます。ドイツも日本も想定をはるかに超えた結果でしたので、もうどうしようもない状況になります。ヒトラーがソ連に攻め入った理由とか、その後のう後退劇や、日本軍の戦いまで左右してしまった。。。本当に世界規模で、大混乱・大どんでん返しが起こったなあと思います。世界規模で見ると、第二次世界大戦ってものすごい激動の時代だったんだなあと改めて感じます。ここには書きませんでしたが、スターリングラードの攻防とか、アフリカ戦線に戦力を分散した。そのためにドイツ軍がモスクワに到着するのが遅くなった。冬が来る前にモスクワに到着していれば、ドイツは勝ったかも知れないとか、いろいろ言われています。そういう事を書くと長くなるのでここでは、一旦省略しています。西部戦線も面白いですが、東部戦線でどのようにドイツ軍が敗走し、撤退していったか?ソ連軍がどのように進軍してきたのか、このへんも詳しく見ていくと、ものすごく面白いです。とりあえず今日はここまで。


2021年11月28日日曜日 Sunday (Sun.)
殺人事件?殺人未遂事件?だったかは忘れが、学校でイジメられていた人が、包丁を持ってイジメた側の本人に切りつけた。包丁で刺すというのは、傷がつけば傷害罪とか、何だか知らんが犯罪になる。しかし、イジメた側というのは、犯罪に入らないんですね。スマホとか記録が残る場合には、第三者にわかりやすいが、仮に口頭でイジメをしていたとしたら、記録は残らないし、事件後、どのようにイジメられていたのか?と説明をさせられると思うが、その言葉もあいまいだったり、感情的になって内容が盛られていると判断される場合もある。イジメを第三者に知らせるということは、かなり難しい問題だと思う。そういうジレンマの中で、もがき苦しむ気持ちは、おれはよくわかる。そういう行き場のない切羽詰まった気持ちのなかで、おれがあいつに復讐するのは、包丁でやってやるしかないと思い込み、相手に包丁を向けて刺す行為は、おれは完全にその人の身になると、賛同し理解できる。当の本人は、包丁で刺されるくらいの誹謗中傷の言葉の暴力を浴びせられているという感覚である。おれは完全によくわかる。おれの苦痛を逆にお前にぶつけてやる!的な思考である。何度も言うが、イジメられた側としては、それくらいの暴力を受けても仕方がないという認識である。こういう反撃をいつかくらうことを想定して、イジメていたんでしょ?的な、ある意味自業自得の流れであると、当然のように理解できる。イジメた側も何かの復讐劇が来るかも知れないと思えば、イジメをやめていたかも知れない。世の中のイジメは、イジメた側が一方的に攻撃して、相手からは反撃されないであろうという、甘い予想の上に立っていることを声を大にして言いたい。目には目をの精神で語るならば、イジメにはイジメで対抗するのですが、言葉の暴力や実際の物理的暴力の力がない人は他の方法を考えるしかない。今回の時間の場合は包丁であった。犯罪はダメなんだけど、被害者側の立場に立つと、当たり前のことで必然であると言いたい。今後イジメる側は、仮にどんな反撃をしてくるか?それ相当の覚悟を持ってイジメて欲しい。物理の教科書に記載されている作用反作用の法則である。おれも本当にリアルで、出口のない閉塞感で何をやっても変な理論で、正当性を語り人数の多さで強引に正義を語り、こっちが悪魔であるかのように言うことにより、職場で追い詰められていた。名称は書けないが、ある職場でイジメられて自分が頑張っても、どうせダメ人間とレッテルを貼られ、上長までが文句を言ったり怒鳴ったりしてくる。上長が怒鳴る職場というのは、基本的におかしいと考えた。幼稚園や小学生低学年くらいの子供に、どなるのは、その瞬間恐怖で従わせるという、本当にガチ低レベルの方法である。おれがここに来る前から、どなる習慣があったとしたら、どんだけ低レベルの職場であろうかと思う。上長も部下も低レベル過ぎて、世の中のゴミの吹き溜まりに来た感じがする。昨日、クリントイーストウッドの硫黄島からの手紙を見ていたら、二宮和也さんがライフルを撃って、弾が大きく外れてしまって軍の教官に、お前はそれでも帝国陸軍の兵士か!みたいに怒鳴られて、今日はバツとして、全員の靴磨きを命ずる!と言われる。いやあ、帝国陸軍の兵士かと今言われても、二宮和也さんはもともとパン屋だからね。陸軍兵士になりたくないんだけど、拒否すると隣近所に変なうわさを流され、生きていけない。奥さんにも迷惑がかかり、これから生まれてくる子供にも迷惑がかかる。あの非国民の子供か!みたいな感じで、どこまでもイジメられる。仕方ないから徴兵されてイヤイヤなんだけど、輸送機に乗せられ硫黄島に来た。基本イヤなんだけど、仕方なく来た。来たからには、一応頑張ってはいるのだが、今までパン屋だった人が、鉄砲撃つのが上手いか?そんなにうまくないよね。もともとパン屋なので、鉄砲を撃つのはうまくありません。と言えるはずもなく、理不尽に罵倒され、怒鳴られ精神的にも追い込まれる。日本から何千kmも離れている島に連れて来られて本気でやる気ないと思います。基本やる気がなくても、生きていくために仕方なく参加しているんです。そういう本人の気持ちを汲んでもらえるのであれば、二宮和也は何も悩まず、戦闘に集中できると思います。鉄砲が下手なりに、それなりに頑張って一生懸命に鉄砲を撃つと思います。その場面で、罰として全員の靴磨きを命ずる!と聞いた瞬間。上記に書いた、幼稚園、小学生低学年の内容につながると思う。おれが仮に兵士で上官に理不尽に怒鳴られたら、精神を病んで自分でライフルを顔に向けて、裸足になり指をトリガーにかけて引く事を実行すると思う。絶対にすると思う。ここで思い出したことを書く。インパール作戦は、太平洋戦争でもとんでもなくバカな作戦と言われています。テレビで生き残った人にインタビューしていました。名簿を出して、この死亡した同じ部隊のAさんは知っていますか、みたいな質問があり、答えていました。ああ人員管理簿には、病死と書いてありますが、ライフルを口に入れて死にましたわ。と答えていました。おれ、ここで引っかかってしまいました。何何戦争で、戦死000人、病死000人、行方不明0000人、生存者000人みたいなデータを出すときってありますよね。何戦争でもいいです。ベトナム戦争でも朝鮮戦争でも何でもいいです。こいうデータって正式な軍の記録からひぱってくると思いますが、そのもとのデータが自殺、病死とか全然違うものである可能性があるという事です。じゃあ、最終的な数字なんて適当なんだなあと、本気で思いました。


2021年12月02日木曜日 Thursday (Thu.)
つい最近、オーストラリアの英語の発音がアメリカと違うので、違和感があり気になってしまったという事を書いた。今回は、ベトナムの話。ベトナム戦争の映画、ハンバーガーヒルと、地獄の黙示録の2つで、ある言葉に興味を持った。ハンバーガーヒルでは、いかがわしい女性のいる店に米兵が遊びに行く。その店の前で、ママんと出会う。米兵は、オオ、ママサン。と言う。いかにも外国人ナマリのママサンの発音である。これって日本語ですよね。ベトナム戦争の時に、日本語がある程度民衆の間で話されていたということですよね。それと、地獄の黙示録の映画は、ボートの乗組員の黒人の人が、サーフインをしますよね。ボートにロープ付けて、船で引っ張ってボードで波乗りをしている。その黒人兵士が、民間人が洗濯している場所かなあ?に接近して、ボードの波を跳ね上げる。その瞬間、サヨナラと言う。これも外国人特有のあのナマリで、サヨナラと言う。ベトナムの国って日本と関係あるんですかねえ。旧日本陸軍が、フィリピンとかカンボジアに侵攻していったのは知っています。その国とベトナムの国が近いのは知っています。しかし、日本軍のいろいろな作戦命令を探しても、ベトナムという国名が出て来ないんんですよ。


2021年12月03日金曜日Friday (Fri.)
なんか、自己中心的というか結構、自分自身に自信がついたというか、自分は間違っていなかったんだなあ。他の人よりも何十年も先に進んでいる、先取りの思想があるんだなあと、改めて思っているのでその事を書きます。今日、ネットのニュースで読みました。会社のノミニュケーションが必要か、必要でないか?をアンケートを行ったり、集計したり分析したりしているような人の話です。会社の職場単位で異動やら忘年会かやの行事で、居酒屋に飲みに行く時があります。コロナ感染がなかった、2019年までは誰もが会社の飲み会は、あまり気が進まないのだけれど、仕方ないという半分あきらめの境地で飲み会に参加していた。しかし、コロナ感染が拡散してくると、飲食店は感染対策のため、酒を出すなということもあって、会社での飲み会は激減した。実際にコロナ拡大中に、1度も飲み会に参加していない似んの数はかなり多くなっている。40%が飲みに行くことが重要と思っている。しかし、60%は不要であると思っているという結果が出ている。このニュースの中に、何人か取材したようなのでその例を書く。コロナ感染はだいぶ減ったけれど、次のなんとか株が猛威を振るう可能性もあり、油断はできない。そう言っている中で、会社の飲み会に出席した。その時に出たのが、鍋料理である。大勢でひとつの鍋を突っつくので、かなりリスクの高い料理である。最初は、自分の箸で取らないようにするというルールを決めていたのだが、酔ってくるとルールを守らなくなり、自分の箸を平気で鍋の中に突っ込んで来たそうである。その人はもう無理と思って、それから鍋には手をつけないようにしたと言う。別の例では、上司からの説教やら、子どもの自慢話を聞くことになるのは前から知っていた。今回もそういう話に付き合わされ、苦痛を感じているという。自分でお金を払ってあえて、その場に行く必要があるのか?その人は疑問に思ったという。コロナ感染が全盛期であった時、リモートで業務をしていて、飲みに行かない状態であった。にもかかわらず、不便なこともなく、仕事がやりずらくなったわけでもなく、飲み会なしでも普通に仕事は回ると気づいたという。おれは、この考えに賛成です。仕事をすることをオンラインゲームに例えると、仕事中はお金をもらっているし、絶対にやらなければいけない。しかし、飲み会は、オフ会のようなものであると言いたい。オフ会って、今までオンラインでは盛り上がっていたんだけど、オフ会は、別に興味はないという人もいると思う。オンラインとオフ会は、やっぱり次元が違うと思っています。オフ会は基本必要ない派なので、そおっとしておいて欲しいです。次に喫煙の話です。新入社員の時、執務室でも会議室でもタバコが吸える環境であった。執務室は広いので、まあ、若干タバコを吸う人がいても、ある程度は部屋に拡散するし、入り口のドアも開いたり閉じたりして煙は、薄くなります。会議室が最悪でしたね。5人で会議をしていたとして、その中で2人がタバコを吸っていれば、その会議室は煙がものすごく充満します。昔の話ですから、残業もそれほど厳しくなかったので、会議室で夜の20時とか21時とか22時までとか、長い会議をする時もあります。ちょうどビルの省エネの問題もあり、18以降は空調を止めますとか、20時以降は空調を止めますとか、そういうビルが多かったです。空調が止まってしまった会議室のタバコの煙はもう霧の中にいるような感じで、視界は透明感がありません。自分が着ているスーツやら自分の頭の毛にも匂いがこびりつきます。喉は痛くなるし頭は痛くなるし、タバコを吸わない人にとっては、会議どころではないんです。苦痛と頭痛でもう、元気がなくなります。ここで言いたいのは、会社での飲み会というのは、必要であると思われてきたが、コロナのせいで別に必要ないことが判明した。そして喫煙のルールも最近強化され、隣にいる人に煙を吸わせるな!的なポスターもある。これ、おれが何十年も前に思っていた事が、ついに現実となった。おれって先見の明があると自分で自分を褒めたたえる。自分で自分に対し、ノーベル平和環境賞を授与したいと思う。おれは、自分の思いを達成した。偉大な事業を達成したと思い込むことで、自分を美化し自己満足感を得たい。おれの偉大な功績である!!自慢である。


2021年12月30日木曜日Thursday (Thu.)
例のひろゆきさんのYoutubeの動画で、点数至上主義について疑問を投げかけている。ひろゆきさんが神化して、何でもかんでも正しいか?ということでもないが、この内容で、改めて貞男に再度攻撃をしかけたい一心で、テキストおこしをやりました。後半は、内容に関して貞男とか関係なく、自分の経験や考えを若干書いています。日本の場合って能力のないヤツはダメだよねって言う。学校の先生ってテストの点数高い子を褒めるし、テストの点数低い子だとじゃあいい学校行けないよねとか、いい点とっていい大学行っていい就職先に行くっていうのが幸せで、そうじゃない人は幸せじゃないよね、みたいなのを学校で教えちゃうんですよね。いい点数取った方が得だよねっていうのは、裏を返すと悪い点数を取ったら、人生きつくなるよねって言うのを教えているんですよね。じゃあスポーツ推薦とかスポーツとかできる人だったら、いい大学行けるよねと。なのでスポーツができるとか勉強ができるというのは、幸せになるけど、それができないヤツは不幸になるよね。っていうのをずっと教え続けているんですよね。税金で。エリートを育てるところであれば、みんな頑張って、点数高くしてっていうのでも良い。でもエリートを育てるという場所ではないと思うので、義務教育は。みんなで勉強してテストの点数を良くするというよりもっと、大事なことがあるよね。という事を教えた方がいいと思うんですよね。例えば中学生とかが、俺マンガ家になりたいっすって、三者面談なんかで言うと、学校も親もふざけんなとなると思うんですけれど、たぶんマンガ描いていて楽しい人の方が、人生長期的に幸せなんだと思う。じゃあ、大学に行って就職しましたっていう人でもなんか思い通りの就職ができなくて、仕事辞めて1年間プラプラしてて、コンビニの店員になっちゃいましたみたいな人ってザラにいると思うんですよね。大学へ行ったからって別に生活は保障されてなくて、じゃあ、コンビニの店員になるんなら、最初からマンガ家でコンビニの店員でもいいじゃんって思う。大学へ行ったけどコンビニの店員の店員になった人と、毎日楽しくマンガ描いていて、生活費はコンビニの店員で稼いでますというのであれば、マンガ家の方が幸せだと思う。で、ワンチャン、マンガが当たる可能性もあったりするので。点数至上主義っていうのもどうかと思っていて。で、点数至上主義の何が僕良くないかと思うと、学校の勉強側の点数が高いヤツが、社会に出て優秀かって言うとそうでもないんですよ。例えば、古典漢文で100点取っているヤツが、社会に来たとしてもマジうざいんですよね。あ、それ使わねーから、いらねーからみたいな。本当に無駄な事に労力を費やさせていて、子ども達に。古典漢文を一生懸命頑張って、おれはこれで幸せになれるんだと思ったら、いやいや、そんなのいらねーからって言われる。例えばプログラムとかで点数計算できるんだったら、プログラム優秀なヤツって社会に出てもそれなりに稼げるから、プログラム確かにやってよかったねと言われるんですけど。学校の先生の言うどうでもいい事をやった結果、全然幸せにつながらないって言うのがどうなのかなあと思った。ここから自分の意見を書く。中学の時に初めて古典漢文が出てきたと思います。漢文でおれがいつも思い出し怒りだす事例の臥薪嘗胆は、このHTMLのどこかに書いてあるので、このHTMLチャンネルをご覧の人は知っていることと思います。今日は、古典について書きます。たぶん、中学生の一番最初に習う古典は、平家物語だと思います。若干自信がないのですが、一番最初に習うのは竹取物語かも知れないです。まあ、どちらにしても勉強する初期の方に出てくるわけです。正直、おれは古典の勉強というより、自分の脳みそへ入ってきた感覚の方が強烈で、教科書の勉強はどうでもよかったです。当時自分は中学生で、まあ特に生活に困るようなこともなかったし、虐待とかそういうのもなかった。要するに何も疑問を持たずに、平和に平凡に暮らしていた。平家物語を読むと、今の事(平和やお金があって生活に困らないなど色々)は、いつまでも続くと思うなよ平和ボケ野郎がって感じに受け止めました。今感じている良いことや幸せは、そのうち滅びる。どうせこの安定した生活は長続きしない。だから通常時に、そんなにどんちゃん騒ぎをして暴れるな、そのうち崖から転落して、人生真っ暗になるはずである。という脅しに聞こえてきた。中学生の教科書に脅す文章を記載しても良いのか?生徒を急に不安に陥れるような教科書を出版しても良いのか?と疑問に思った。中学時代から自分の世の中の考え方が変わったと思う。どうせ勉強なんかしても無駄だ。明日には無情が待っているから。明日には、世の中が崩壊しているかも知れない。みたいな変な冷静さというか、悟った感がどんどん沸いてきた。世の中を冷めた目で見るようになった。平家物語を教えてくれる先生も、世の中ははかない。明日はどうなるか?わかりません。という感じで、ドロドロの昼ドラマのようなドロドロ感をものすごく強調していた。この先生は生徒への脅しというか、未来はそれほど明るくはないという強引でヘンテコリンなことを言っていた。平家物語の勉強で、こんなに脳みそや気持ちにショックを受けるというか、イヤな気持ちがするのであれば、俺は平家物語の勉強をしたくない。と本気で思いました。人生頑張っても仕方ない的な、マイナスのオーラを授業中にまき散らしてしまうような文章はいらない。おかげで、多感な中学生という時期から以降、自分の性格は暗く考えるようになった。それまでは、割と楽観的で落ち込まないタイプだったと思う。平家物語の陰の言葉オーラに完全にやられた記憶が残っています。おれの青春を返せ!と本気で思います。次に、住商エレクトロニクスの営業の課長さんの話。住商エレクトロニクスのって業界では優良企業だと思うんですよ。だけど、そこで働いている人は安泰ではないし、今の学生の時この思いが継続している。営業の課長さんなので、年齢は40歳代かなあと思います。その歳でもまだ後悔しているように、私は感じ取りました。一緒にいたメンバーがその言葉に気付かなかったとしたら、おれのように精神・神経に敏感ではないんだと思います。鈍感な人は何も感じないので、その言葉の意味を深く考察しようとはしません。そういう思いをしたという事例を下記に示します。この話も、過去にどこかに書いたような記憶がありますが、今あいまいになっています。今回、改めて書きます。当時私はSEをやっていまして、あるお客さんとの打ち合わせに行きました。メンバーは、私と住商エレクトロニクスの営業担当と営業の課長。それ以外に、N社の営業がいたかどうかは覚えていませんが、いたとしたらその営業。お客さんの打ち合わせの帰りに、喫茶店でお茶を飲みながら軽く打ち合わせをしよう。と言われたのか、または、昼時だったのでその辺の飲食店に入り、食事をしたと思います。その時に、住商エレクトロニクスの営業の課長さんのグチというか、学生時代に研究していたであろう、自分の勉強について語っていた。自分は学生時代にマルクス経済学を勉強していて、その内容に感銘を受たらしい。その勉強なり研究をやっているのが楽しかったらしい。自分はその研究をずっとやっていたかったと語っていました。その後の言葉は語っていませんでしたが、今の仕事がつまらないのか、イヤで辞めたいんでしょうね。きっと。なんか無念というか、あの頃は楽しかったなあ。。。というような遠い目で子どもの頃の楽しい思い出を語るような雰囲気で言ってましたねえ。私は営業をやりたくないし自分に向いていない事は理解していた。文系の勉強は興味がなかったわけじゃない。しかし文系の学部を卒業すると、ほぼほぼ営業になってしまうのがイヤだった。だからエンジニア希望で工業系の学校に行ったのだ。ここにも、上記に書いたひろゆきさんの話題に通じるところがあると思う。大学へ行き勉強は楽しかったけれど、卒業して自分の嫌いな仕事に就くかも知れない。世の中は本当に難しいと思います。自分の思い通りに行くとは思ってはいません。ただ、自分のキライレベル100点満点のことろ、40点とか30点ではモチベーションがあがらないに決まっている。モチベーションが上がらない状態で生活のために労働するのか?はたまた転職するのか?人間にとって重大な決断だしかなりシビヤな問題だと思います。世の中には、入社して1っか月で辞めるのはクソっていう人もいる。でもね、ブラック企業やら理不尽な会社や、職場でイジメや誹謗中傷や、変な噂を吹聴されたり、パワハラやセクハラをされる事もあります。そういう条件の中、ここで辞めたら忍耐力がないと批判される。とか今の若い者はクソ的な発言をする人もたくさんいます。じゃあ劣悪な条件で何年我慢したら、忍耐力があると認められるのか?そのなの個人の主観だし、悪条件の会社の状況にもよると思います。そいうふうに一律に根性がない的な事を言われるだろうから、一生懸命に我慢するんです。我慢して我慢して結局抱えきれなくて、どうしようもなくなって自殺したりします。その限界点って共通のものがないから、限界点を越えても無限に我慢し続けるという人が大勢いると思います。批判するのは簡単なんです。その批判が本人へどの程度のダメージを負っているかもわからず、おもしろおかしくバカにしたりする。おもしろおかしく語らなくても、大真面目に怒る。大真面目に注意する。大真面目に過剰に激励する。何というんですかね。本人の問題だし主観的な事なんだけど、あまりにも深く他人のエリアまで入り込んで、批判する。そもそも主観的なエリアに入り込んで批判する人は、その人をどれだけ理解しわかっているのでしょうか。逆に何もわからないと思っています。普段のなにげない事に傷つく人って、結構心が繊細なんです。細かい動きを察知する能力があり、敏感なんです。敏感な人と鈍感な人は決してわかり合えないです。他人の心を読めない人、鈍感な人、楽天的で何も考えない人、は何かしらの影響を弱者に向けて与えていると思っている。コロナ感染の問題もあり世界中が、ずさんというか、温かみや温もりを感じられない方向へ急激に動いています。今までの常識と思われがちな内容も、日々どんどん変わっています。今の日本、今の世界に何を望めば良いのでしょうか。。。。このように語っていると悲しくなります。今日はこの辺で終わりにします。


2022年01月25日火曜日 Tuesday (Tue.)
ついに年が明けました。今回は世の中の文句ではなく、久しぶりに趣味の話。セバスチャン・ローブとセバスチャン・オジェのWRCの話。2022年はWRCも電気自動車用のモジュールですか?よくわかんないんですが、こういうのを使わないと世の中で生きていけないんですねえ。で、セバスチャン・ローブは、もう誰もが知っている伝説の王者。WRCを引退しダカールラリーに参戦していた。ダカールラリーとは大昔、パリ・ダカールラリーと呼ばれていた悪路走行のラリー。三菱の篠塚健次郎さんや日産の増岡浩と書こうと思ったが、今検索かけると三菱にも乗っていたんですね。正直真剣にチェックしていなかったので、チームは置いておいて。篠塚健次郎もそうでしたが、WRCを引退してパリ・ダカールラリーに出ていた。そしてあのレジェンド、セバスチャン・ローブもダカールラリーに出ていた。ああ、みんなWRCを卒業してダカールラリーに行くのね。と思っていた。ネットでたまたま見た。セバスチャン・ローブとセバスチャン・オジェが、伝統のモンテカルロでガチ・バトルしたと書いてあった。さらに、あのレジェンド、セバスチャン・ローブが優勝したと書いてあった。今までナメていました。本当にすみません。セバスチャン・ローブは、WRCを卒業しダカールラリーに参戦していた。WRCというのは、道幅が限られている。狭い時もある。狭い時には、ほんの50cm走行ラインを外れただけで、岩に当たったりコースアウトしたりする。もちろん速く走る事も重要だが、路面コンディションに合わせて、正確な走行ラインを走ることが重要。しかし、ダカールラリーは、砂漠を走るため極端な話をすると、右に50m離れたり左に50m離れたくらいでは何も変わらない。コースは一応あるにはあるが、砂漠なのでここからここまで道路という境界がない。どこを走ろうと自由。しかしショートカットされては困るので、何らかのルールがあると思うが、おれは興味がないのでルールは知らん。コース取りに神経を使うか?否かの違いである。そのかわりダカールラリーは、砂漠の砂にはまって動けなくなったり、でかい山を越えてジャンプしたら車が2回転したとか、ザラにある。実際に自分で走れば難易度がわかるのだろうが、基本興味がない。で、その砂漠の山谷を走った、セバスチャン・ローブが久しぶりにWRCで走った。それも砂漠に慣れた体で、モンテカルロの難しいターマックである。これは180度違う。そのラリーで優勝するとは、レジェンド通り越して神だよ。すげー。おれにすげーと言われたところで何にもならないが、とにかくすげーとしか言いようがない。さらに言うと、M-スポーツ・フォードのチームからエントリーしている。おれの記憶の中では、セバスチャン・ローブは、M-スポーツ・フォード車に乗ったことがない。これが仮にシトロエンの車であれば、まあ、そういう事もあるかも。。。なんだけど、フォード車に乗ったことがない人が、自分の手足のように操ってモンテカルロで優勝するって?やっぱ神だわ。そして、一方セバスチャン・オジェ。去年はトヨタから参戦して、いつものごとくぶっちぎりの年間トップ。そして今年は、自分の成績に満足したのか知らないが、自分の時間を大事にしたいと言って、トヨタからスポット参戦する。スポット参戦なので基本、年間ポイントはトップ取れないと思います。スポット参戦で年間トップを取ったら何やねん?ということになる。今年からドライバーだったラトバラが神マキネンの次のボスとなった。そのラトバラの第1戦モンテカルロは、上記に書いた通りセバスチャン・ローブの優勝なので、初回優勝はできなかったねえ。豊田社長は何と言っているか知らないけれど、残念だったが次の2戦は頑張れと言っていると思うのと、日本人ドライバー期待の勝田だが、8位だっけな?日本人の中では速いんだろうと思う。しかし世界のレベルは、なかなか手が届かないね。今日はセバスチャン・ローブは、やっぱ神だわ。かっこいい。という話をしたかった。


2022年02月06日日曜日 Sunday (Sun.)
1941 モスクワ攻防戦80年目の真実。第2次世界大戦の流れを変えたとも言われるモスクワ攻防戦を描いたロシア製戦争映画について感想を書きたいと思います。まず最初に結論を言うと、まったく面白くないです。全体的にチープ。戦争抜きにして恋愛要素もあるのだが、まったくもって感情移入できない。お金を出して見る戦争映画のレベルに達していません。B級C級映画です。つまらない細かい話は、あとで書きます。全体的に評価できることがない。これは、何なんだろうと自分なりに考えてみました。ドイツ軍をモスクワ市内へ入れなかったというのは、史実でありその部分は理解できます。ドイツ軍をモスクワ市内へ入れなかったのは理解できますが、ドイツ軍の攻撃をあまりにもタンパクに描き過ぎです。ものすごい強いドイツ軍がモスクワに攻めてくる。モスクワ市民としてはものすごい恐怖である。それをソ連正規軍じゃない、寄せ集めの部隊で防御したというラストにつなげていくことが重要です。最後の最後ドイツ軍を追い払った。みんなで達成したんだ、という感動を味わうのが正しいと思いますが、実際には、まったくそう思えません。緊迫感とか危機迫る状況をもっと盛り込むべき。じゃあ、どうするかというと、攻撃側のドイツ軍の内情みたいなシーンを、10分でも15分でもいいんですが、そういう内容を入れるべき。こんなにすごいドイツ軍が迫ってきているんだと視聴者に見せて欲しい。ドイツ軍のシーンはないです。全部ソ連軍側からのカットになっていますので、遠くにいるドイツ戦車、ドイツ兵が見えるだけ。単に接近戦を描けという意味ではないです。ドイツ側のシーンの流れで、こんなにすごいドイツ軍が、攻めてくるんだ、大変なんだと印象付けることが必要。で、ここから具体的につまらない内容を書いていきます。私は戦争ものは好きでドイツ軍の進撃については、だいたい知っています。ソ連軍には興味ないので情報収集していないので、知らない情報なんだけど、これは違和感がある、という内容も書いていきます。ドイツ軍は首都モスクワの近くまで実際に来ていました。しかし、主力ではなく偵察とか索敵レベルでの先鋒がいただけです。ドイツ軍がモスクワに到着するのが遅れたのはなぜか?長くなりますので、理由はいくつかありますが、簡単に書きます。ソ連の南には、油田やら資源を得られるエリアがあります。ヒトラーは資源を確保するため、きちんとそういう重要拠点を奪って進軍せよ。と命令しています。しかし部下の中には首都のモスクワさえ落とせば、ソ連全体の士気が低下し、ソ連軍は崩壊するはずだから、先にモスクワに行った方が良いという案を持つ人もいた。なんだかんだ言っても、ヒトラーが部下の言う事を聞く耳を持つはずがないです。ドイツ軍がモスクワに途中で、スターリングラードという街を落としたかった。しかし、ソ連軍はその逆で、スターリンの名を冠したスターリングラードを落とされると、そのショックがソ連全体の士気を低下させる要因になることを恐れて、スターリングラードの街の死守を命令します。スターリングラードの戦いで、両軍、ものすごい消耗戦を繰り広げます。ドイツ軍は、その消耗戦の後、東に向かいます。軍の兵士の数、弾薬・兵器の数、いろいろなものが不足している中での、モスクワに向けて東に進むわけです。そういった事なので、怒涛のごとく進軍してきたドイツ軍というよりは、正規軍の本体であっても、消耗したなかでの進軍なので、非常に厳しい状態であったと思います。その厳しい進軍の中、映画に出てくるドイツ戦車は、あまりにも装備が整いすぎかな?と個人的には思います。ドイツ軍は戦闘に出せる戦車の数も相当減らされ、機械化されていない兵隊が徒歩で進軍することも多かった。ドイツ側の補給ラインも伸びきっていて、食料もそうだし、こんごやってくるソ連の冬将軍の寒さへの備えもぜんぜんやっていませんでした。ガソリンなどの燃料も底を尽きはじめているので、ドイツ軍の主力の進撃スピードも、かなり遅くなったのは間違いないです。そういった中で、映画で描写されているドイツ戦車が、ものすごい種類の部隊が移動してきたか、のような絵は、個人的にはいただけなかったなあ。そしてドイツ戦車、輸送車が1列になって道を堂々と走っているのも、胡散臭い。草原の中の視界が良い平地で堂々と走っていたら、当ててくださいと言っているようなものです。映画の中では当然、すぐに被弾して走行不能になっていました。それと、ドイツ軍ご自慢の急降下爆撃機Ju87もソ連軍めがけて飛んで来ます。そして塹壕などの陣地に爆撃していきます。ドイツ軍のJu87は、航続距離が短い。ドイツ軍はソ連領内の飛行場を奪って進軍しますが、必ずしも陸軍と同期していたわけではなく、ドイツ軍の飛行場が取り残され、陸軍だけ進軍するケースもあった。ということは、飛行場ははるか後方にあるんだけど、陸軍を支援するため、長距離移動して、また飛行場へ帰るということも、当たり前にあります。この映画のように、航続距離が短いJu87が、何百km先の飛行場からやって来て、またその飛行場に戻るのも大変だったのではないか?逆に言えば、最前線に送る爆撃機は十分に確保できなかったのではないか?俺はそう思います。それと、空爆するシーンで、急降下爆撃機Ju87が、7~8機くらいなかあ。。飛んで来ました。爆撃機を飛ばす時は、戦闘機とのセットで飛びます。爆撃機は鈍重ですから、敵戦闘機とドッグファイトができない。したとしても、運動性能に差があり過ぎるのですぐ落とされる。だから戦闘機と爆撃機はセットで飛ぶのが常識。映画では、ドイツ軍の戦闘機は1機も出てきません。さらに、この逆。ソ連側の防御に高射砲が1個もありません。首都を守るため陣地を敷いたのなら、高射砲は必要です。ドイツ軍の爆撃機が来たら、爆撃されっぱなしです。爆撃されっぱなしで良いんですか?迎撃する陣地に、高射砲がないなんておかしい。さらに言います。モスクワ側の飛行場に、ソ連の戦闘機が何機かいるはずです。首都モスクワを防御しようとしているのに、モスクワ近郊の飛行場に戦闘機が1機もありませんって、いうことはあり得ない。常時飛べる機体が何機あるかは知らないですが、首都防衛なんだから最低10機20機くらい、どこかの飛行場にいるでしょう。迎撃のためのソ連軍の戦闘機が1機も出て来ない。これまた不思議すぎます。陸上の戦車と野砲の戦いのみなんですか?しかもこんな(上記に書いたように1列に並んで撃ってください的な)単純な戦闘のみなんですか?史実に基づいて作った映画だと誇張していますが、こんな戦争聞いたことがないし、偽りを記録した映画であると声を大にして言いたい。史実というのは、モスクワを守ったという意味では史実である。しかしその描きかたにガチで難あり。これを見て満足した人は、ほぼいないと思う。お金を出して見る価値なし。


2022年02月10日木曜日Thursday (Thu.)
なぜか社会人になってから、PDCAを回せとしつこいくらいに教育されます。学生の時は、PDCAという言葉は聞いてないにしても、前回の失敗の反省をして、次にやる時には、それを改善しろと何度も言われた。 ライターの名前は忘れたが、webニュースというか記事でPDCAを回さない方が良い。ということを書いている人がいた。その人が言いたいのは、過去に起こったことは変えられない。未来の事を考えたところで、誰もわからない。従い、今目の前にある事をやろう。という事を言っている。100%賛同できないんだけど、自分の行動や思考を思い出してみると、過去の失敗にとらわれ、未来の事を不安に思う。まさに、その人が言っているデメリットの方を繰り返している自分がいる。PDCAを鵜呑みにしてはいけないのは、今回理解した。PDCAの訓練をやらされてきたので、体に染みついているが一旦、リセットしたいという気持ちはある。どうやったら、その場所へ行けるのか?疑問は続く。


2022年02月27日日曜日 Sunday (Sun.)
以前このHTML内でもWANDSの上杉昇と織田哲郎の話を書いたかと思います。書いてなかったとしたら、これから書く話が見えないので簡単に書きます。織田哲郎の作曲のスタイルがものすごく好きで、Aメロはエイトビートのバッキングが似合う王道のコード進行。Aメロは曲の初めなので、民衆を引き付けるものが必要なので、その通りの役割をしている。良い気分でAメロが終わったら次はBメロ。Bメロは転調・転調当たり前のような、若干無理があるような奇抜なコード進行。ちょっとおかしいんじゃないか?くらいの変則的なBメロなんですが、これはサビへ向かう準備のためのタメの時間なんです。タメとはバネなどを使い物を遠くへ飛ばすために、一旦縮めます。縮まってエネルギーを貯める。その次のサビで大爆発する。一旦タメているのでサビでの爆発力がハンパないものになります。その手法に乗って上杉昇の高音まで途切れず違和感を感じない、キレイでパワフルなヴォーカル。このように作られた当時のWANDSの曲は最高でした。大好きなのでカラオケで歌いたかったのですが、キーが高すぎて歌えませんでした。キーが高すぎで歌えない。しかし代替案として歌でない別のやり方を模索し、のちのギター演奏につながっていくわけです。ギターの話は横に置いておいて、人生で聴いた曲の中で上杉昇と織田哲郎のコンビの曲が一番好きです。その他、ZARDとかBOOWYとか影響を受けたバンドも多々あります。しかし、その中でも上杉昇と織田哲郎のコンビの曲がナンバーワンです。で、おれに、そうやって人生で一番になるくらい、そしてその後のギター演奏をYouTubeにUPしていくのにもつながるくらい影響された。上杉昇と織田哲郎のコンビの曲がなかったら、今の趣味も変わっていたかも知れないほど人生に影響があった。で、最近、上杉昇の近況報告的なweb情報を見ると、WANDS時代のいかにも日本人好きで売れそうなPOPな感じの曲は好きではなかった。イヤイヤやっていた。だから人気絶頂期にWANDSを辞めたといいます。上杉昇はもっとゴリゴリのロックをやりたかったと言っています。今、上杉昇は自分の信じるゴリゴリのロックの音楽活動をしていますが、今彼が爆発的に売れていないのは万人の好みの庶民好みの曲ではないからだということだと思います。万人受けが正しいのか?何が良いかなんて正解はありません。おれは、イヤイヤやっていた上杉昇がいなかったら、自分の人生が変わっていたかも知れないと思うと、人生のめぐりあいとか影響度とか、本当に不思議だなあと考えさせられます。次の話。ゲルダタローです。あの有名なキャパとともに仕事をやってきた人です。キャパと出会ってカメラを覚え、戦場の写真を撮り続けます。危険だから撮影を辞めるという選択肢を持たない人です。自分の好きな仕事だから、どこまでも貫いていく追究していく。キャパと仕事をやっていたので、自分の信念に忠実というか貪欲なところは全く同じです。ゲルダタローという名前は、途中で改名した名前です。そもそもは、ポーランドだかオーストリアだかの生まれで、ユダヤ系だったとの事。本名はその地域の人らしい名前でした。ドイツのヒトラーの軍事的な活動も活発になってきて、安全なパリに逃げていて、国籍など分からないようにするために改名したそうです。そういうところからも、こだわりを感じます。平和ボケした日本人、今のおれには想像ができないほどの強力な精神力というか、覚悟というかパワーを感じます。そもそもタローって何だよって思います。タローは日本語の太郎だと想像します。改名した後、タローと名乗るというだけで俺は、敬意を表します。国籍、国、民族にこだわらない、国がどこであろうと写真を撮る。自分の目を信じ自分の感覚を信じ、目の前に起きている事象・現象・空気感の一瞬を切り抜き写真という媒体を通じ、世界に発信していく。美しいものも悲惨な風景も何もかもが、自分が見ている現実・リアルである。目の前の現実をありのままに記録していくことは、究極の真理なんじゃないかなあと思ったりしています。フィクションではなく、歴史上にその人が存在した。というだけで俺は感動する。おれのような人間には、世界で評価されるこのような人の足元にも及ばないが、少しでも近づきたいと思う。ガチかっこいいと思う。


2022年04月12日火曜日 Tuesday (Tue.)
あまりにも理不尽で衝撃的な内容(パワハラ、イジメ、嫌がらせ)で、今無職になってしまった。さらに、この事により次の就職活動が困難に直面している。おれをこのような環境にさせた悪人連中のあまりにも幼稚なイジメは、今後、彼らの人生の中で罰を受ける事でどんどん狂っていき、最終的に全員不幸になれば良いと思っています。この内容は機会があれば、煩悩全開で詳しく書くだろうとは思いますが、今日はそれに関連するかも知れない。ちょっとした体験を書こうと思います。ここから。今日は羽田空港へ行き、飛行機の写真撮影をしようと思った。D1グランプリで設定を追究したCanonのマニュアル設定で飛行機を撮影したが、まったく絵になっていなかった。D1グランプリの車の躍動感を出そうと思い、流し撮り的な撮影をしたのだが、まったくもってお話にならなかった。次回、本気で撮影する場合にはもっと研究する必要がある。で、ここから、羽田空港の展望デッキにいた変なジジイについての話。羽田に着いたらやみくもに第1ターミナルの展望デッキに行った。前にも来た事があるが、こんな狭かったかなあ?と思った。それ以外の理由としては、逆光がすごくて一眼レフカメラはなんとかなったが、SONYのハンディカムの液晶画面では、まったく見えない。見えないから感で操作するしかなくて、なんかイヤだった。たぶん前に来たのは、第2ターミナルの展望デッキだったと思われ、第2ターミナルへ移動した。第2ターミナルの展望デッキは広い。目の前が海で、お台場のフジテレビや千葉の方がよく見える。前に来た時はB滑走路側に出たが、今回はD滑走路側に出てみた。程よい中間地点に空きを見つけて荷物を置き、Canonのカメラを構えていた。知らないおじいさんが、するするっとこっちへ寄って来て急に話しかけてきた。おれが、Canonのボディと500mmレンズを構えていたからだと思うが、カメラとレンズは、どこのメーカー?と質問してきた。ボディはCanonでレンズはSIGMAですと答えた。Canonのレンズは高くて買えないので、SIGMAです。と言った。高いとか関係なくて、撮影する設定を悩んだり工夫したりして、良い写真を撮るという事が良いことであると、そのおじいさんは言った。その展望デッキには、一眼レフとCanonの白いLレンズを付けた人も何人もいた。カメラの事を話したいのであれば、他にたくさんいるはずなんだけどおれに話しかけて来た。この場所は良いねえ。飛行機が離陸するところは見えるし、海が見えるし最高だね。私は70歳近いが、頭は子どもなので離陸するところ見て拍手してしまうよ。と言った。年齢関係なしに、そういう感動する心、純粋に楽しむ心は重要ですと、私は言った。70歳のおじいさんは、自分は健康だけが自慢。2万歩でも3万歩でも歩ける。100メートルを12秒で走れる。えっ?12秒ですか? 12秒台ね。と言ったが、12秒台後半だとして仮に13秒だとしても速すぎるのではないかと思った。こんな場所で急に話しかけて来た人に、12秒台ウソだろうと言ったところで意味ないので黙っていた。今まで体を壊したことがない。時々歯医者に行くくらいで、入院した事がない。70歳のおじいさんは、話し好きなんでしょうね。どんどんしゃべる。今まで営業をやってきて、自分は大学行ってないけれど、ダントツで1位だった。六大学を卒業した連中もいたけれど、プライドだけ高くて全然ダメ。仕事と勉強・学歴は関係ないですと、おれは言った。70歳のおじいさんは続けた。お客さんの前でプライド出してはダメ。わからないから教えてください。これ教えてください。と何でもくらいついていく努力・熱量が大切であると言った。そして、おれは、仕事はドロ臭い事が大事、勉強・学歴はほとんど使えない言った。この滑走路は離陸だけだけど、着陸はどこ?ああ、風向きで使う滑走路を変えるので、ああ、あそこ着陸体勢に入っていますね。(B滑走路にお台場の方、東側から進入して来ていました)羽田はもう何十回も来ているんでしょう?写真は何千枚も撮ったんでしょ。ええ、まあ、でもボクは横田基地とかで戦闘機を撮影する方が多いです。横田基地か、最寄り駅は何ていうの?牛浜駅です。牛浜ね。はい。立川で乗り換える青梅線の駅です。写真は自分で現像するんでしょ。いや、デジカメなので現像はしません。デジタル一眼レフでもRAW現像というのがある。しかし、この70歳のおじいさんは、カメラの事を知らないと何度も言っている。RAW現像の事を言っているとは思えない。印画紙に焼き付ける、昔ながらのアナログ式の現像の事を言っていると思う。いやあ、デジタルなんで、下手な鉄砲数撃ちゃですから。。。。単なる趣味なので。。。。70歳のおじいさんは、プロはそれで食べて行かないといけないので難しいよね。だけど、プロも何百枚、何千枚と撮影してその中の1枚が傑作となるんだから、プロと言っても私は、プロでもたいしたことはないと思っている。 そのカメラ重いんでしょ。重いです。何kgくらいあるの?えーと、たぶん2~3kgはあると思うのだが、とっさに数字が出てこなかったので、カメラを70歳のおじいさんに渡した。重いねえ。はい。重いです。この重さで撮影するのがイヤになる人もいます。この重さを感じながらも、撮りたい写真を撮るという気持ちがないと撮れません。そうだよねえ。。。。。あなたは、何歳?40歳?56です。ああ、あなたは良い趣味を持っている。35歳くらいに若く見えます。70歳のおじいさんが言う、こういう趣味を持って人生を楽しむことが大事です。出世なんかしたところで、体調崩してしまったら終わりだし、趣味を楽しむことが自分を若々しく保つ秘訣。良い趣味を持ったね。ありがとうございます!70歳のおじいさんが言った、どういう写真が好きなの?着陸体勢に入って、徐々に速度を落として高度を下げて、少しずつ旋回しながら滑走路の直線の延長線上に機体を合わせて行く感じが好きです。。。。。。この話は10~20分くらい?しゃべったかなあ?おれは飛行機を撮影しに来ているんだけど、正直、この70歳のおじいさんの話が長い。。。。と半分思っていた。。。。ああ、今飛行機が着陸体勢に入ってきた!(B滑走路の方に進入して来た)と70歳のおじいさんが言った。撮らないの?撮ります。撮ります。2~3枚撮影したが、距離が遠すぎて画像にシャープさがないのと、周りの空間面積が多すぎて、機体が小さいので使うとしたら、トリミングしないと使えない。というような事を説明した。ああ、こっちの滑走路離陸するよ。撮らないの?撮ります。撮ります。私はCanon一眼レフを構えて離陸する飛行機へ向ける。その70歳のおじいさんは、今まで俺の右側にいたが左側に移動し、どんどん出入口の方へ歩いて遠ざかって行く感じがした。最後に大きな声で、おにいさん!がんばってな!と言った。私は先程の離陸する機体を追いかけている最中だったので、 70歳のおじいさんの声しか聞こえていない。そして、なんとなく自然に撮影中に離れて行ったので、別れの挨拶をしていない。離陸する機体を撮影し終わって左側の出入口を見たが、70歳のおじいさんの姿はなかった。見えなくなるのも速いなあとは思ったが、100mを12秒台で走るのであれば、そのくらいの時間ですぐ見えなくなっても不思議ではない。最初は、70歳のおじいさんが話し好きで、話しが長くて、撮影をしたかったのに我慢して会話していた。急に70歳のおじいさんがいなくなると、急に寂しさを感じるというか、なんか温かみというか余韻を感じる。おにいさん!がんばってな!という最後の言葉が妙に耳に残った。最初は話好きな単なるおじいさんだと思っていたが、今思うと、この最後の言葉、おにいさん!がんばってな!を言いたかったのではないか?今おれは、いろいろな信じられない理不尽な事があり過ぎて、無職である。70歳のおじいさんが言っていた事を思い出すと、自分の今の状況にあまりにも当てはまる。社会に出たら学歴とか関係ない。仕事はドロ臭くやる事が重要。会社で出世したところで、人生としてはあまり意味がない。健康でいつまでも自分の趣味を極めていくことが、人生にとっては重要であり幸せである。この言葉が今の俺の心にしみる。。。。さらに思い返せば、写真を自分で現像するのか?という質問は70歳としては、あまりにも無知過ぎる。90歳、100歳の人がボケてしまってデジカメを知らずに、昔の現像する写真しか記憶がないならわかる。しかし、自分で現像するの?という言葉は、70歳にしては、違和感がある。私はこの違和感を抱きながら、ひとつの仮説を考えた。神様が、このタイミングで現実のおじいさんか、自分のご先祖様か知りませんが、羽田空港で自然に会話するように仕向け、今、理不尽なできごとで無職になったが、そんな事は人生のうちでたいした事はない。自分の趣味にこだわり自己満足になったとしても、そっちの方が人生幸せである。おにいさん!がんばれ!と励ましの言葉を聞かせてくれたのではないか?おれは、きっと何かの力が働いてこのような巡り合わせ、出会いを設定してくれたと理解している。今これを書きながら涙が流れてくるのは、そういう意味があるからであると思う。今日は良い経験をしたなと思う。今日は羽田空港に行って良かった。












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