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独り言のページ15
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いてもタダなので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、世の中の矛盾というか理不尽というか何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。



2021年1月20日水曜日 Wednesday (Wed.)
今回のコロナの件で、2回目の緊急事態宣言が出て、世の中いろいろ不満や疑問が出ている。明らかにおかしいので、私も毎日のようにmixiで悪口や文句を連投している。その中で三浦瑠麗氏の記事を見た。三浦瑠麗氏の熟女美脚は良い目のこやしになっている。学者であり美脚の持ち主というのはあまりいないように思う。貴重な存在である。まあそれは置いておいて、ネットに自分の考えを書いている?記者が取材したのかも知れないが。以前のラサール石井の件よりも長文になっていて、説明もわかりやすい。さすが、三浦瑠麗氏は学者だけあって、文章が簡潔で的を得ている。こんな事を俺が言わなくてもわかりきった事であるが、プロは違うなと感心した。おれは、本気で三浦瑠麗氏の意見に賛同する。愚かで無能な国会議員と関東周辺の県知事の仕事ぶりについて、もっともだと思う。単にステイホームを連呼するだけで、事前にやることはあったはずなのだが、放置し今更感もあって、すでに遅しである。たぶん、のらりくらりやって時間稼ぎをすれば、そのうち自然に快方に向くだろうという無責任で曖昧な仕事ぶりである。放置していて自動的にうまい方向へ行くのであれば、国の指示は必要ないし、感染病の専門家もいらない。そして、三浦瑠麗氏の最後の方で述べている部分が最も心を打った。文章の前の方は、普通の人なら無能な政府関係者のことはさすがに気付くよね。で最後の章では、自分の人生、自分の暮らしを、国が言う通りに監視・管理をすることは、さすがにおかしいと断言している。コロナ騒ぎも一種の非常時だし、有事ではある。しかし、国民がそこまで抑制されるのはおかしい。そして、そのひとつ上の段落で言っている、罰則の定義がおかしい。ということも同じレベルで言いたい。罰則のバランスがおかしい。それほど重罪に設定しないと運用できないのか?何から何まで政府はトンチンカンなのだが、やはり専門家がわかりやすくポイントをまとめてくれると、市民は理解しやすい。三浦瑠麗氏は、かっこ良いわーー。で、次の話題。土屋圭市の話題。2021年の正月に土屋圭市と自動車評論家の人とGTRに乗りながら対談というか、昔話をするというYouTubeの企画があった。私は最初から最後まで全部見た。土屋圭市といえばAE86でのデビューとかサーキットでのドリフト(派手ではない速くコーナーを曲がる技)が有名だが、上のクラスにて日産GTRで抜群に速くて、日本で敵なし世界で敵なしであった。R32-GTRである。おれも当時スカイライン系でR32というものすごくかっこ良い車が出てきたという印象があった。R32は今見てもガチかっこ良い。土屋圭市はもう60歳を越えていて、一般の市民であれば単なるジジイなのだが、若々しい。それを保っているのが良い意味での少年の心、ガキの精神だと思う。一般人は良い歳してウンヌン。と言いたくなる年齢だと思うが、今でも昔話をしながら闘志は昔のままだなあと感じて嬉しいし、これがモチベーションを保っている秘訣なんだなと思うし、自分もいつまでもじゃじゃ馬のガキでいたい。このYouTubeの中での土屋圭市のセリフでガチ感動したセリフを書いてみる。当時のフェラーリ目じゃないよ!ポルシェ上等!何?AMG上等!!と当時R32が外国のスポーツカー、高級車、スカイラインの値段の何倍もする価格の車をぶち抜いていた頃のテンションでしゃべっていた。土屋圭市は、値段とか外車とかブランドとか関係ない。速いものを安く作ってあぐらをかいている高級車に勝負する。そして勝つ。これが当時たまんなかったんだろうなあと思う。おれもまったく同じ考えで、海外の高級車とかブランドとか関係ない。そういう車は欲しいと思わない。安くて速い車が日本にあるなら、それに乗る。単にそれだけのこと。ジジイになってもガキの心を持つ土屋圭市を見習って、今後もぶっ飛んだおっさんを俺もめざしたいし、維持したい。ついでに今日思い出した過去のつまんない思い出を書いてみる。子どもの頃、ルパン三世というアニメがあった。泰子はどこから聞いたのか?ルパン三世のアニメは子どもには見せてはいけないエロ描写があるというのを聞いたらしい。ルパン三世って、日本の中ではメジャーなアニメだし、泰子が隠そうとしたり見るのを禁止したところで、いろいろなメディアで紹介されているし、子どもはどこかでその情報を見ることになる。そうなるに決まっているんですね。泰子の努力では隠しきれないんですが、かなり頑なにテレビ見るのを禁止していた。しかし、最後の最後はなし崩し的に見ていたんですね。で、今思えばですよ。ルパン三世のアニメがエロかったとしても、地上波でテレビ放送やっているわけだから、AVビデオじゃないんだから、過激なものはないですよね。基本見せても良いと思うんですね。で、今回俺が言いたいのは、テレビドラマで殺人事件があって、刑事が捜査して犯人を捕まえる的ななんとか、ミステリー劇場みたいなテレビって当たり前にいっぱいありますよね。おれね、殺人事件の犯人自首したり犯行を供述したりするとき、殺人はダメなんだけど、自分の恨みが強くて殺したとか、憎いから殺したとか、自分の犯行を良いことじゃないけれど、あいつは死んで当然だ。みたいなセリフを言いますよね。子どもの頃のオレは、死んでも仕方ないと言う犯人の気持ちに寄り添ってみたんですね。そうしたら、犯人の正当性みたいなものを若干感じることができて、本当に悪いヤツは死んでもかまわない的な考えが定着したんですね。小学校の頃ですね。なので、今思うとルパン三世はエロいかも知れないけれど、まあアニメだから架空の話だし、事件性はないですよね。でもサスペンス劇場というのは、実際に犯罪は起きる可能性があったりしますよね。実際に起きた事件を参考にしたドラマとかもありますし。それは、サスペンス劇場の方が見せてはいけなかったんじゃないかなあ?っていまは思っているんですね。子どもに犯罪を犯したとしても悪人を成敗する殺人は許される。。。的な。。許されないのはわかっていますが、何か心の奥では仕方ないこともあるよね。って思ってしまった。泰子の教育しつけは、まったくもって、トンチンカンであったという事例であります。おれ犯罪心理学という学問をしらなかったが、お金があり余って本気で勉強したくなったら、大学に入りたいという気持ちもある。やりたい事があり過ぎて、自分の人生は体が1つなので非常に苦慮しているというのが現状です。あれもこれもやりたい。


2021年02月02日火曜日 Tuesday (Tue.)
野口英世という人について書いてみる。野口英世は、学校の図書館には必ず置いてあった。お札にも顔が出ているので、世界のエライ人という認識であった。モーレツに研究熱心で、忍耐強い、粘り強いという人だったらしい。研究論文は捏造はしなかったとしても、自分の論文の間違いや、こういう問題点があるかも知れないという部分を覆い隠す。という感じになっている。悪意をもって問題点を隠すのではなく、自分が正しいというエネルギーが高すぎて、自分自分が間違っているかも知れないという思考を遮断してしまうんだろうなあと思う。脳が思考を自動的にシャットダウンしてしまうのだから、あまり罪悪感もない。そして貧乏な農家の家に生まれて、世界でビッグになる!的な野望を持ち、なりふりかまわずの行動で、周りの人を振り回し翻弄しながら名声を上げていく。貧乏人がいつかビッグになってやる。研究が苦しくても忍耐・粘り強く続ける。誰よりも早く論文を発表したいという欲求。この辺は、オレの性格と良くにている。オレは世界的な何かをしたわけではないが、生き方・考え方はまさに自分を見ているかのように感じる。早く論文を出したい、内容が仮に不完全でも今出したいというのは、アセリと恐怖と短気という感情からです。科学者としては普通、感情に左右されずにタンタンと論理的に仕事を進めることが望まれているが、野口英世は個人的感情に左右され、その勢いが勝って、いくつもの間違った論文を出していく。本当にその気持ちよくわかります。なんて言うんですかね。やっぱ、何が仕事の、何が人生の原動力か?というと、自分に対する負の評価を回避・払拭する、世の中を見返してやる。負のパワーを前進するエネルギーに変換するところが似ている。2021年の今日、野口英世は、医学の教科書には載っていない、単なる過去の歴史上の人物という扱いとなっている。周りを翻弄し、世界を翻弄し、大騒ぎしたあげくに医学者とは認められていないという結果になってしまっている。少年のような純粋な、純粋過ぎる心をもったがために起こったと思う。おれも自分の好きなこと、あきらめられない事があって、それに妥協すると自分自信生きている価値なしと、自分で本気で判断します。で、このような判断をする自分は間違っているとは、全く思わないというところに自分の信念がある。この信念を守ることこそ、自分の生きる道であると再確認した。野口英世も自分の黄熱病の研究を否定され、自分の論文が紙クズになっていくことを自分自信認めたくはなかっただろうし、それが否定され世の名のスタンダードになってしまった時、ああ、自分の生きて行く道、誰にも負けないというパワー、何もかもが消失したんだろうなあと思います。本気で野口英世の事を自分自信だなあと思います。


2021年02月03日水曜日 Wednesday (Wed.)
ダミアン浜田陛下が改臟人間たちを率いるメタルバンド、Damian Hamada's Creaturesというグループを偶然に聴いた。あの有名な聖飢魔Ⅱのギタリストのダミアン浜田陛下がプロヂュースしている。詳しく調べていないが、書き込みを読むと、グループに適した人材を集めてバンドを結成。ダミアン浜田陛下は、直接弾いていない。各メンバーは、かなりうまい。プロなのだからうまいのは当たり前であるが、メタルの曲のポイントを熟知しており、その特長をいかんなく発揮し、ものすごい技量の持ち主ばかりである。ギメタルと言えばターの音が響くのだが、ものすごく重厚で響きがあって、とにかくかっこ良い。そして、ビックリしたのが、ヴォーカル。女性である。女性のメタルのヴォーカルは、現状でも何人かはいるが、女性のメタルのヴォーカルを凌ぐというか、とにかく声が出ているし、メタルギターとの相性が良い。歌がうまいのは当然といえば当然。さらにびっくりなのが、容姿。Fukiという女性ヴォーカルがいるが、美人スタイル良い。そして歌がうまい。人気が出て当然である。しかし、このDamian Hamada's Creaturesのヴォーカルは、スタイル太めで、容姿もそれほど。。という感じではある。しかし声が良い。さっきも言ったがメタルのギターに良く合う。容姿スタイル関係なく音楽の能力で選ぶというところに敬意を表したいと思う。最近、容姿重視で20人も30人も揃えて、歌が下手で声量がなく大人数で歌うことでカバーし、写真集などの売り上げなどが好調というグループが多い。歌手であり音楽のプロとして歌うため、その能力重視で選んでいる。そしてデビューしたばっかりなのに、注目されるバンドであるということ。 もちろんダミアン浜田陛下の作ったバンドだという、宣伝もあるが、実力がないとここまで評価されないと思う。音楽を職業にしている人は、音楽が最高の状態でお客さんに届けば良い。それが一番大事。ダミアン浜田陛下節が良く出ている曲で、ミディアムテンポで、濃厚で重厚なギターが鳴るものすごく完成された曲が多い。メタル曲というと16ビートが必須条件と思う人もいるかも知れないが、何でもかんでもテンポを速くすれば良いというものでもない。ミディアムテンポで視聴者にじっくり音を聴いてもらうという感じで、なんか、音楽の基本というか根本を主張していると思う。これが真のミュージシャンなんだろうなあと思う。感動した。


2021年03月20日土曜日 Saturday (Sat.)
ネットに公のカウンセラーが言っていた言葉が心に残ったので書き残します。ある女性がカウンセラーに相談してきた、あるコーナーでの話。30歳過ぎて独身で、母親から泣いて頼まれたという。孫の顔を見せて欲しいと泣かれた。その女性は自分が親の言う通りにできないことにより、後悔し自分を責めていた。カウンセラーの名前は忘れたが、その人の回答は、子離れ、親離れをせよというもの。自分の人生なんだし、親の言う通りに生きる必要はない。自分が納得できることをする。周りのみんなが結婚するから、自分も結婚しなければいけない。というルールはない。思い通りに生きてください。という解説の中で、衝撃の言葉があった。自分は親に産んでくれと言った覚えがない。お前が勝手に産んだんだろう。というもの。一般的には、親不孝だとかバチが当たる的な認識ではあるので、おれもこの言葉を言いたいのだけれどこの言葉を使うのは、ちょっとためらう。しかし、公の場でカウンセラーが言っているので、使っても良いという認識に立つと、自分の気持ちも楽になる。おれは、長男だからしっかりしろとか、我慢しろとか、いろいろ言われてきた。子どもの頃から疑問であった。なんでおればっかり。。。戦国時代じゃあるまいし、長男が家を継ぐというのはない。100歩譲ったとして、自営業であれば、八百屋を継ぐタバコ屋を継ぐ、というのは仕方ないとしても、サラリーマンの子どもの長男が何をしろというのだ。今の時代、そんなルールはない。なので俺は大きな声でいいたい。オレは産んでくれと頼んではいない。長男として、1番目に産んでくれとも頼んではいない。さらに、俺は美人のお姉さんが欲しかった。全て自分の要求とかけ離れた状況の中で、親から一方的に言われるのは、苦痛でしかたがない。この件を弟に言ったら、時代だから仕方がないと言われた。時代だから、時代のせいにすれば何でも許されるのか。今2021年なのだが、戦国時代の家督相続や世襲体制、家長制度のようなものをいつまで引きずっていることこそ悪である。と強く言いたい。このクソが。。。。次の話題。脳科学者の中野信子さんが本を出していて、その一部がネットに紹介されていた。男性が女性を選ぶ時、容姿を重視する。女性が男性を選ぶ時、容姿重視と言っている人も、フタを開けてみると容姿端麗じゃない場合が多い。なので、男女の異性の選び方は、それぞれ特長があるという話しである。その中で、おれが面白かったのは、男性は容姿でもなくおっぱいでもなく、ウエストが細い女性を求めているんだそうです。ウエストとヒップのなんとか比という何%というのがあって、細い人ほどIQ値が高い。したがって、細い人を探している。という話しであり、おれは、この説にドンピシャ・どストライクである。さらに、結婚相談所に行くと、美人の30歳とブスの20歳では、ブスの20歳の方を薦めるらしい。若い方が良いのだろうか。おれは正反対で、30歳過ぎの熟女を絶対的に希望します。もっと言うと、30歳過ぎの熟女でウエストの細い美人を希望します!!2021年の世の中では、美少女巨乳みたいなのが流行しています。ネットの広告でエロを表現する際、美少女巨乳だっかりですし、AVビデオも巨乳というジャンルが人気です。しかし、前述のようにウエストが細い熟女希望であります。おれはこの件に関しては、世の中の主流と外れていて本当にうれしく思います。車にしても今ミニバン、ワンボックス、SUV、ハイブリッド、電気自動車が主流です。しかし、そんな車はまったくいりません。そういうふうに、世の中の主流から外れている。独自のこだわり、独自の理論で、世の中に流されない玄人の目で世の中を熱く語り、新しいものイコール良いものと鵜呑みにしない強い精神力をもって、対応していけるという自分自信の再確認になりました。周りに左右されない。隣の人と同じ車に乗らない。みたいな若干違う感覚を持つことで差別化できるという、本当にうれしい限りです。これからも、このこだわりを胸に刻み、一歩ずつ前進していきたいと思います。今日は、2件の有意義な内容を記載できたと、本当に喜んでいます。


2021年04月18日日曜日 Sunday (Sun.)
旭川の中学生のイジメの記事をネットで読んだ。あらすじをここに書く気はない。読み終えて、怒りと涙が出てきた。イジメを実行している集団のメンバーは、あいつは勝手に死んだから何も感じないと言うし、それはAがやったから、Bが言ったから、Cが命令した。自分はその場にいたが、関与していないとか、まあ、よくも責任逃れをするもんだなあとガチで思う。更に先生も学校の校長も教育委員会も警察も、本格的に動いていない。特に先生は、単なる子供の一時的な行動で、そのうちなくなる的な楽観的な考えを持っているように感じた。おれは取材した記者じゃないので、本当のところは知らんが。イジメが軽度だからスルーして良いというルールはない。そして今回の場合悪質度はかなりヤバイ領域でマックスだと思う。子供が携帯で簡単に写真撮影、動画撮影ができることで、犯罪が深刻度を増している。俺の時代なんて、動画やら撮影するツールなんかなかった。高度で便利なツールを手にして、人間は不幸になっていくように感じます。で、話を戻して。その人の精神状態とか耐性とか性格とか、それぞれ条件が違うわけだから、何事でも放置すべきではない。今回中学生が1人死んだのだが、誰も責任を追求されていない。ただただ、死んだ中学生が貧乏くじを引いた感じ。日本でイジメのニュースはよく聞くが、仮に本人が死んでも責任問われないし、死んだもん勝ちの真逆、死んだもん負けである。苦しんで苦しみ抜いて、そのあげくに死んだ中学生は何だったんだろうと、本気でガチで疑問に思います。で、この中学生は、何度もママ死にたいと、情報を発信しています。しかし、どうしたの?と聞くと、何でもない的な会話になり深い内容に入っていかない。さすがにイジメの後半に入ってきて、ママもかなりヤバイと感じて、転校するのだが、それまでに受けた心の傷が深くて回復しなかった。包丁で手を切りましたという物理的な傷は消えます。見えなくなります。精神的な傷は、心の奥底に蓄積され、見えないのでいつまでもそこでくすぶってしまいます。回復が難しいんですよ。俺も本気で死にたいと思う時期がありました。何のために生きているのか、わからなくなり、静岡駅の新幹線の線路に飛び込みたいと何度も思った。さらに、静岡県は富士の樹海も近いので、行こうと思えば行くことは簡単であった。当時、俺が死にたいと言ったら、死なないでくださいと、明示的に明確に言われたので、死なずに今日に至っています。死にたいと言ったら、まず明示的にそれを否定し止める。この事が大事だと思います。当時おれが死にたいと言ってから、約7年が経過しました。今俺が生きているのは、家内のおかげです。次に別の話。今この時間にファンキー中村さんの怪談を聞いた。今日の話は怪談ではなく、心温まる話だった。ファンキーさんは北海道生まれ。私も北海道生まれ。年齢も1~2歳くらいしか離れていない。車好きな趣味も見ている。今日の話は、ファンキーさんがブルトーザで土を移動させていた時、コロボックルが命を救ってくれたという話し。私も北海道生まれなので、コロボックルは知っているが実際に見たことがない。そして当時の俺は、不思議な話、心霊の話、都市伝説などは信じていなかった。目の前にあるこの世界が1つあるだけで、パラレルワールドもないし、あの世とかそういうものを信じていなかった。興味もなかった。私が北海道にいる時にコロボックルを見なかったのは当たり前といえば当たり前である。その後、時間が経過し今2021年のコロナで大騒ぎしている日本。神奈川県に住んでいる。私は若い時、目に見えない世界をあまりにも信じていなかった。なんか、そっち側の世界の人に悪いことしたという罪悪感もあり、今までの反省も込めて、不思議な話、心霊の話、都市伝説などを信じている。ガチ信者になった。だからと言って、何か見えるとか不思議な話があるということはない。人生で2~3回は不思議な事を体験したが、普通の人であれば、そのくらい経験はあると思う。霊感があってガチで感じるということはない。だけど、やっぱり人間の知らない世界、科学では解明できない世界は存在するのだと思っている。子どもの頃からファンキーさんのように、純粋な心を持っていたなら、今頃怪談師としてファンキーさんの隣に座っていたかも知れない。


2021年04月19日月曜日 Monday (Mon.)
最近、YouTubeで良く見るんだけど。自分の車に付けたドライブレコーダーに撮影された、あおり運転の動画。かなり多い。それだけ世の中でガチ、頭が狂った変態野郎が大勢いるということ。今コロナで騒いでいる最中で、医療スタッフは大変だと思うが、国も自治体も有効な手を打てず、1年が経過してもまだ先が見えない。総理大臣や知事が飲食店自粛とか外出自粛とか、毎回同じことの繰り返し。1年前と同じセリフ。もう飽きたわ。そういう苛立ちの気持ちになるのはわかる。しかし、それを車の運転に影響が出るようになっては困る。殺人の武器にもなるし、自分の車が壊され傷付けられるかも知れないから。で、今回ここに書いた理由。オレは2014年にNECネを辞めた。急激に貧乏になったので、GDB-Eインプレッサを売った。今も車を買える維持することが不可能なほど貧乏である。しかし、これは俺を見守ってくれている神様または、過去の霊とか何か関係があるように思えてきた。俺が仮に毎週のように千葉へサバゲに行っていたとして、どこかでクソ野郎のあおり運転に会うかも知れない。遭遇したら俺は短気なので、すぐにテンション上がってしまって、攻撃されたらやり返す。目には目を倍返しを。という標語が頭に血がのぼると同時にインプットされる。そうなると、警察沙汰になるかも知れない。自分の車を装甲車に見立てて犯人に突撃していくかも知れない。自分の命や車の損傷など、本当にバカバカしい結果になる可能性もある。それに巻き込まれないようにするという意味で、車が買えない収入をもう7年間も継続させられているんだろうなあと感じるようになってきた。車を持っていないのだから、車同士のケンカに参加できるはずがない。という発想。私のご先祖様か神様かは知らないが、事故を起こさないためにおれの性格を見抜いて、よく考えられた作戦だと思うわ。さらに言えば、おれはオートマは絶対に乗らない。従い、レンタカー屋で車を借りたとしても、ファミリーカーのオートマなんかクソ乗る気がしない。そういうことまで考え抜かれた作戦とは、恐れ入りましたわ。


2021年04月23日金曜日 Friday (Fri.)
怪談師の匠平さんの怪談、自分の体験談を聞いて自分の事を思い出した。匠平さんは自分の自転車に乗っていて、映画のETのように空中に飛んで、目の前に電柱が迫ってきた。とっさに自転車を前方へ放り投げ自分はその反動で、逆側に飛んだ。その後、肘の骨を折ったという話しです。私の話。以前書いたかも知れないが、この機会に書いてみる。3年くらい前ですかねえ。私は郵便局の2輪4輪の配達の仕事をやっていたんです。その日は朝から雨が降っていた。午後の配達のために郵便局を出た。速達とかレターパックとかは、優先して届ける必要があるので、一番にレターパックの赤いヤツを配達することにした。その住所の家に直で行くことにしました。その家は山の上にあるというか、坂の上にあります。坂の突きあたりまで行くと一戸建てが何軒か建っています。その左側の家は最近建築したもので、ガチの新築です。その家の左側も新築です。新築なので目立つし、自分の記憶には鮮明に残ります。その坂というのが、50mくらい?いやもっと?70mくらいあるかと思います。かなり勾配が急なんです。正直、この急な坂の上に家を建てて、仕事で帰宅する時、ものすごい急な坂を上るパワーが必要になり、立地は最悪だなあと個人的には思ってました。郵便局のバイク、もちろんスーパーカブで原付の免許しかないので50ccです。バイクで行くと坂なので、斜めにバイクを止めることになり、不安定な感じもあり危険なので、自分は歩いてもしくは走って上っていたら、先輩に怒られました。時間短縮のために、どこでもそうだが、家の前まで行けるところまでバイクで行けと言われていました。おれは時間よりも安全性重視でいきたいと思っていたので、反発していましたが、何度も注意されていましたので、仕方なくバイクで走って上るようにしていました。そんな中、今日は雨降りです。急な坂で雨なので危険なのは、当然です。だけど、また怒られるのはイヤ(先輩と同僚がたまに俺の配達エリアに来ることがあるんです)なので雨の中、エンジン全開で坂を上っていきました。その坂の頂上が目的の家です。ピンポーンを押して、家の人が出てきて、荷物を渡しサインをもらってさあバイクに乗ろうとした。。。スーパーカブにまたがり、キックでエンジンをかけた。エンジンがかかった。バイクは前が上向きの状態で、自分の後ろが坂の下方向になる。次の瞬間、バイクが後方へズルズルと滑り出した。自分の背面方向、坂の下方向へ滑っていく。直線的にバイクが滑っていく。エンジンかけてはいるが、クラッチは繋がっていない。あわてて右手のフロントブレーキと、右足のリアブレーキをフルブレーキングした。しかし、高速道路のハイドロプレーニング現象と同じで、こんな濡れた路面でフルブレーキングしたら、止まるはずもないのだが、その時はバイクを止めようとして必死で、全力で右手と右足でブレーキをかけていた。しかし、バイクはそのままズルズルと坂を滑っていく。不思議なくらいに曲がりもせず、直線でまっすぐに滑っていく。さすがに5m、10m、15mと滑っていくと、加速もついてきてどんどんスピードが上がっていく。このまま滑っていくと一番下まで50mか70m行った先は、T字路になっていて、向こう側が優先道路なので、一時停止する方は、こっち側である。ということは車かトラックが来たら、激突するなと頭をよぎった。50m、70m滑って、車かトラックに激突したら死ぬなと思った。このまま直線的に、T字路まで滑って行くのをなんとかしなければいけないと思い、とっさに、急激にハンドルを切りとにかく別方向へ向けようとした。その時案の定、バイクは七斜めになり、横になり加速もついていたので、自分は宙に浮いた。次の瞬間、アスファルトの上にゴロゴロ転がった。バイクは倒れ横になって、止まった。後ろにつけている郵便物を入れる赤い箱は、バイクから外れた。自分が宙に浮いたとき正確に覚えているわけではないが、アスファルトから1mくらい浮いて飛んでいたと思う。1mの高さから人間が落ちたらかなりの衝撃が来るはずである。 おれも、その衝撃が来るであろうと思い、自分自身その衝撃の備えた。しかし、柔道の受身をするような感覚で、柔らかくアスファルトに落ちた。背中?左肩から落ちた。なので着ていたカッパの左肩は破れた。当然痛かったのだが、あまりの衝撃のなさに、あっけにとられてしまった。おれ、今どうなった?と自分の体の動きが理解できなかった。その後、携帯電話で郵便局に電話し、軽トラックに別のバイクを乗せてきてもらった。郵便物を入れる赤い箱を付け直して、別の場所へ配りに行った。その後は怒られたりしたが、それは特に問題ではない。俺が特に強調したい点は、かなりのスピードで転倒し転がったにもかかわらず、痛さはあまり感じない。カッパもほとんど破れていない。ヘルメットもあまり傷がついていない。あまりにも無傷過ぎて、何が起きたんだ?と疑問に思うことばかりであった。さらに、後日回想してみると、滑り出しの最初の瞬間が、妙におかしいのではないか?と考察した。雨とタイヤの摩擦の関係で滑って、真後ろに動き始めた。その時は無我夢中で気付かなかったのだが、よくよく考えてみると、バイクを止めていた場所は、若干後ろに傾斜していたかも知れないが、エンジンをかけるキックをしただけである。その少しの衝撃で、あんなに勢いよく真後ろに滑り出すか???あまりにも、直線的にキレイに真後ろに滑っているため、誰かが引っ張たと考えられるかも?と思うようになった。あの勢いは、誰かに引っ張られたと考えた方が、自然なように感じるようになった。だって、滑り出したその瞬間、ほんの1cm、5cm動き出した時には、もう、バックするのはおかしいと思い右手右足で、フルブレーキイングしていたはず。坂の頂上なので、勾配はそんなにきつくないんですよ。俺も当初は右手右足での、フルブレーキイングで止まるであろう、という感覚が確かにあった。しかし、どんどん真後ろに引っ張られて、自分の頭の中には、高速道路のハイドロプレーニング現象が浮かんだが、そもそも動き出しが急過ぎた。見えない何かが引っ張っていた。真後ろなので、仮に目に見え見えのバレバレの妖怪だったとしても、後ろなので、前を向いているオレには、見えないのは変わらない。そして、転倒したあとの体へのダメージが少ないこと。これも、ふわっと何かに包まれた感も正直あったような気がする。あれは何だったのだろうか???


2021年05月01日土曜日 Saturday (Sat.)
本当の最後としたい。と書いたのだが、また思い出してしまって書いてしまう。貞男の文章の体に気を付けて良い家庭を築いて下さい。という部分。良い家庭を築くのは全く関係ない。じゃあ、俺は良い家庭を築いていないのか?と問いたい。おれは、お前よりもよっぽど良い家庭を築いている。お前は一歩間違えば家庭崩壊につながるような危うい状況であるといいたい。泰子が意見が違う場合でも反対をせず黙認しているから平穏にいられるのだ。そして、人生を生きていくのと良い家庭を築くのはあまり関連性がないのだが、何だから知らないが混同していて、ポイントがズレている。今までポイントがズレていることを何度も指摘してきたが、これだけのヘンテコリンな思想・思考をもっていて、世の中で生きてきたことを思うと、不思議でならないし、自分がマトモに生きてきたという変な自信につながってしまって、まったく正論が通じないへなちょこな脳みそになり、それが正しい議論をすることの弊害になっていると思うし、バイキンマンだと思う。


2021年05月07日金曜日 Friday (Fri.)
泉美木蘭さんという作家のネットニュースというか、コラムなんですかねえ。これを読んだのでつれづれに書いてみる。小梅太夫と結婚していて、今は離婚している。どんな人なんだろう?と見て見たら、作家であった。小梅太夫の芸風が強烈で下品なので、その人、本人の性格や私生活に完全にイコールじゃないにしても、その流れでどうしても見てしまう。その奥さんは至って冷静かつ聡明な文章を書く人であった。資本論について書いてあった。包摂という言葉で表現できるのだそうで、私はネットで調べてみたが、説明を読んでも理解できない。そもそも文系の大学に進むつもりはなかったので、こういう学問学問した分野は苦手である。で、まあ要するに噛み砕いて簡単に書くと、成果主義、効率を重視、利益を追求する。そのために、労働者は、資本家にそのエネルギーを吸い取られる的な内容かな?と自分なりに超訳した。今のコロナのリモート勤務もその延長であり、人間らしさ人間の情などが失われていくと言っている。その説明の中に、寅さんの映画が例に出ている。下町の人情あふれる職人気質の街で、情熱的に熱く生きる寅さんの世界とは逆で、職人の技術は機械化され、誰でも作業ができる仕事に変化し、個々の特徴など問題にしない世界。そういう時代になった。そして今後も加速して行く。と言っている。実に整然とした論理で書いていて、反論する部分はない。その通りに進んでいくのは理解した。そして、今後、どんんどん進化していくと、どうなるのだろう?と悲しく、恐怖感もあり、本当に怖い時代が来るなと本気で思う。今日見た長編の夢について書こうと思う。ここ1〜2年同じような夢を見る。まったくイコールではないが、物語の設定や周りの風景などは、気持ち悪いくらい似ている。気持ち悪いと言っても夢の内容は特に何も異常なところはない。しかし後味の悪い感じが残る。自分は、ある旅館というかホテルにいる。なんとなく雪山にスキー旅行に来ている。友人は何人かいるが、基本的に知らない人。しかし夢の中では、よく知っている関係らしい。会社の同僚同士のようなグループで旅行に来ている雰囲気がする。スキー場に行き楽しんで宿に戻ってくる。スキーで遊ぶシーンはそれほど長いわけでもなく、すぐに通り過ぎる。その後、なぜかその場所が会社のオフィスになる。オフィスも知らない場所でその場所にいる社員も知らない人なのだが、その場は知り合いという設定になっている。そのオフィスから別の場所へ引っ越すという設定になっていて、ダンボールに荷物を梱包する。会社なので女子社員もいるが、知らない人です。そんなこんなで、なんとなく大広間もあり結婚式場っぽい雰囲気もあります。男も女もスーツのような感じで、今どきのラフなオフィスカジュアル風の服ではない。その後、風呂に入るとかトイレに入るとか、いろいろ物語が進行していきます。風呂は男風呂に入り、女風呂につながっているというような変なことも起きます。その後、トイレも大人数用のトイレだったり、外にある利用人数が限られている、簡易的なトイレも出てきます。いろいろ物語が進んでいき、コンビニなのか?駄菓子屋的な店か?店の店員がおばちゃんで、何かを買う場面も出てきます。電車に乗り自宅へ帰らなかればいけない、自分の家は川崎なので、その方面に帰りたい。しかし、途中までしか行かないので、途中下車しバスやら何やらに乗ったりします。乗り換えるのだが、それが正しい乗りかえかどうか?も不明なのだが、夢の中では目的地に行けるはずである、という変な思い込みだけでやみくもに進んで行きます。モノレールのような変な線路も見えたりしますが、やみくもに進みます。ある場所に到着する。それは自分の家ではなく知らない会社のビルです。今日は、そこの最上階に多くの人がいます。どこかのトンネル工事をするために工事の作業員が集合していて、作業服ヘルメットに着替えています。知らない作業員が1人、2人話しかけてきます。あの工事現場に行く、じゃあ俺たち先に行っているねと言い、どんどん先に行かれてしまう。急いでその後に続きたいのだが、工事現場の場所が分からず、うろうろする。いきなり、この最上階では、紅白のリハーサルをやりますということになる。そういえば、NECネの樋口部長がいたのは覚えています。紅白のリハーサルには和田あきこが来ていました。その辺の椅子に腰掛けていて、何か会話を交わした内容は忘れた。今気づいたがそこは、ガラス張りのスタジオが向こうに見える、NHKホールが下に見えるような作りで、こっちが調整卓、指示卓のような感じになっていた。そのリハーサルを横目で見つつ、次の部屋に移動する。机がいくつか並んでいて、簡単に言えば、何かの試験会場のような並びである。自分の席に着き、何かを待っている。何か?はよくわからない。次々に目まぐるしく変化していく。丸井のどこかの店舗のエスカレータにいたと思ったら、自分は渋谷の坂を下っていく。しかしその坂は渋谷ではなく、見た目は国分寺市の国立駅に向かう坂である。その後も目まぐるしく展開する。高層ビルのエレベータに乗り、知らない階で降りる。女性社員が、セブンイレブンか?何かのコーヒーを持って、廊下を歩いている。知らない人。知らない場所。夢の中ではそれなりに長編としてつながっていたと思われるが、起きてみると断片的でチグハグである。そして、まったくイコールではないが、このような夢は、かなりの回数見ている。何が言いたいのか?不明であり後味が悪い夢である。


2021年05月08日土曜日Saturday (Sat.)
今日、古今亭志ん朝の落語、芝浜をYoutubeで見た。古典落語の代表的な作品で、日本人なら誰でも知っている。あらすじは書くつもりはない。この落語は有名なので、過去に2~3回は見て聴いているはず。最後は夫婦の感動のシーンになっていくのも聴きながら、これから来る来ると思って聴いていた。最後は泣くねえ。これ泣かないヤツがいたら日本人じゃないね。またまた、同じ繰り返しになるのだけれど、家内に感謝しなければいけないなあって思うよ。昔から聞いていて当時は何も考えていなかった。しかし今は考えるようになった。これはいつもこのHTML内で言っているように、NECネ時代、昔はそこそこお金持ちであった。なので、この魚屋のように貧乏人ではなかったので、完全に他人事であった。なので関係ないという位置づけでの感動であった。しかし今聞くと究極の貧乏人の経験の中でのこのストーリーですから、自分にズバリ置き換わっているわけです。自分が情けないから、奥さんの器量で困難を乗り越えるみたいな、共通する部分はあります。今後生きていくためには、食べていくためには、どうすればよいか?ということを考えてくれるクマさんの奥さん、イコール家内であるとすぐに関連付けられる。この俺も江戸時代の魚屋のクマさんのように、どうしようもない商売人だった、というか過去形ではなく、今でもどうしようもない。のだなあとつくづく感じる話であった。


2021年05月09日日曜日Sunday (Sun.)
今日寝ている時に不思議な事が起きた。そんなの寝ぼけたからとか、勘違いとか言われるかも知れませんが、自分はそのつもりはないので書きます。最近、2週間前くらいからかなあ?寝る前によく眠れるリラックスする音楽を流しています。YouTubeの長時間の音楽。今日の例で言えば、夜の0時過ぎ、、20分くらいに寝た。YouTubeの音楽は、8時間の音楽を流して寝た。夜中、何時かわからないが目が覚めた。完全に目が覚めていて、ベッドの周囲を見回した。特に変わったこともない。その時、音楽が聞こえなかったんですよ。仮に寝て3時間くらい経過していたとしても、8時間の音楽ですから、聞こえるはずなんです。まあ、パソコンなり何かのちょっとした事で止まったのかなあ??って軽く考えて、また寝たんです。で、朝6時に目覚ましが鳴って起きた。その時には、音楽が鳴っているんです。昨日の夜中に起きた時は、音楽は聞こえなかったが、今音楽が鳴っている。途中で止まって、また再開するはずはない。パラレルワールドというか、別の次元に迷い込んだ可能性もある。人間の睡眠について、医学的にはっきりわかっていないので、寝るということは特殊な何か、特殊な世界に導かれる何か?があるのかも知れない。寝ぼけたとか、夢だったとかそういう意見は受け付けていません。


2021年05月25日火曜日Tuesday (Tue.)
今回は文句ではない。参考で後で見返した時、こんな事を考えていたなあって、思い出す感じになれれば良いかな。オレは、昔からある事に疑問を持った場合、その1点について深く考えすぎる。だから、全体像はどうでも良くなるという性格である。このHTMLにも書いているが、臥薪嘗胆という漢文を読んで、なんで薪なのか?嘗なんで胆なのか?と考え込んでしまい、この話はどうでも良くなってしまうという事例です。それ以外にも、グリとグラのお父さんとお母さんがいないのは何故?とか、11匹の猫の絵本では、この魚を食べずに、仲間の待っている場所まで持って帰るはずなのに、途中で全部食ってしまう。ここで食って良いのか?さらに陸で待っている仲間には、何と説明するのか?みたいな疑問と怒りと戸惑いなどが絡みあい、このストーリーは正しいのか?世の中のルールを子どもに教える本ではないのか?など、頭の中が疑問だらけになります。で、お笑い芸人のナナフシギの吉田さんという人がいるんですが、電車の中での高校生の会話に疑問を持つとか、まあ、いろいろ気になるらしいです。オレは、この動画を見て、俺と共通の部分がある。。。この辺を考察してみると、吉田さんもおれも、その内容に疑問を持ったり、何かを考えてしまうというのは、ガチ真剣なんです。なんなら自分の人生を生きていく上で、この部分を保留にして進むことができない。というほどガチでこだわっている。この内容にこだわりを持たない人生はあり得ない。自分でなくなる。絶対に譲れないんです。吉田さんの内容を聞いて、100%賛同できないものもあります。そういう時、おれは第三者の目で冷めて見てしまいます。なので、吉田さんと俺以外の一般民衆は、グリとグラがどうなろうと知らんという冷たい目で、きっと見ているであろうと思うと、かなり寂しいです。そのことに気づいてから何か複雑な気持ちになって来たのは事実です。しかし、この思考をやめると、おれが俺でなくなる。人生を放棄したくらいのショックがありますので、おれは死ぬまでこの不思議な思考をやめてはいけないと思っています。


2021年05月29日土曜日Saturday (Sat.)
ジャーナリストの堀潤さんが解説する新型コロナ対策日本は太平洋戦争の教訓を生かしきれず、という記事をたまたまネットで見つけました。自画自賛するわけではありませんが、私も同じような内容をmixiに書いています。世の中の人ってこのポイントに気づいている人って少ないんじゃないかな?と勝手に思っています。内容を簡単に書くと、太平洋戦争に突入する前、有識者を集めて専門家会議を行って、戦争をしたらどうなるか?みたいなことをまとめさせた。その会議の結論は、最初は勝っているかもしれないが、アメリカの技術力・工業生産力・物量に押されて負ける。という内容であった。東條英機を総理大臣とし、いろいろな案を模索していくが、最終的に1941年12月8日の真珠湾攻撃に突入していく。このHTMLのどこかに書いたと東條英機という人物の能力のなさ、というかまとめることはできるが、先陣を切って複数の人の上に立って上から目線でまとめていく、指示していく統率力など、リーダーとしての力がなかったと書いた記憶がある。東條英機は横に置いておいて、専門家が戦争をやると負けるよと言っているのに、戦争をやって負けた。コロナも似ているなあと感じています。病院のエライ医者などが集まり専門家としての意見をまとめている。過去の流れでも、感染が拡大すると言っているのにGO toなんちゃらという特別券をばらまいた結果、感染者が増えた。緊急事態宣言を出して、また緩和して、また緊急事態宣言を出すという、トンチンカンな事を連発している。自分が飲食店の経営者だったらどう思うのだろうか?そんなことはおかまいなしで1年以上も変な命令を繰り返している。オリンピックが始まるが、この状況では一般国民として常識的に、開催しない方が良い。選手にとっても日本国民にとっても、中止がいいんじゃね?的な方向性だと思うが、お金持ちや政治のエライ人たちなど開催したい人が、強引に突き進んで、そのままなし崩し的にオリンピックに突入すると思う。突入した後で、こういう対策が不十分でした。とかいろいろなお粗末な結果が見えてくるんだろうなと思っています。過去にこのHTMLにも書いたように、飲食店の若い人がコロナで仕事を失って自殺した事例も書いた。末端の弱者は無視され、オリンピックのような華やかなイベントを実施していくのを見ると、弱者はいつまでもどこまで行っても弱者であるなあと深く感じる。


2021年06月04日金曜日 Friday (Fri.)
大坂なおみのニュースが世の中で盛り上がっているので、自分なりに気づいた事があるので、書いてみる。大坂なおみさんが言いたいのは、何度も同じ質問をされたり、私が疑念を抱く質問を受けたりすることが多く、私を疑うような人の前には出たくない。というもの。この文章を読んで自分の事に気づいた。ハッ!!とした。私もこの何カ月間は、上記と同じような状況であったなあと思う。そしてその度に精神的にヘコミ、睡眠不足や不調をかかえながら、フラフラになりながらイヤイヤ通っていた。自分に疑問を持つ人、ほぼ100%理解していないであろう人との言葉のやり取りは、かなりきつかった。そして大坂なおみのように、その場に立つことを拒否したかったけれど、自分の場合は、大坂なおみさんのようにスーパーガールでもなく、ただの平凡なおっさんなのでコロナ騒ぎの世の中をうまく渡っていけない。自分の場合は我慢しながらダマシダマシいるしかないと思う。ということを大坂なおみさんの言葉を通じてやっと気づいた。今までは苦しくて苦痛でどうしようもなかったんだけど、自分がそういう状況に置かれていると認識するだけで、少し楽になった。しかし問題が解決したわけではないので、苦しい日々は継続するが、なんとかダマシダマシ続けるしかない。次の話題。私が子どもの頃、親から五体満足に産んであげたのだから感謝しろとか、幸せであると300回くらい言われていた。当時は子どもなので気付かなかったが、今ならキチンと考察ができると思って、何十年か振りに考えてみた。まず、五体満足という言葉の意味である。家内からは、五体満足の定義をしっかりしないと話が始まらないと言われたので調べてみた。実はいろいろな意味がある。東洋医学では筋・脈・肉・骨・毛を呼ぶ。ようは、筋・脈・肉・骨・毛がどこも欠けることなく生まれてきた。という意味。その他に仏教では、頭・腕・足・胴・心の5つを指している。まあ要するに、大まかに言って、体全体を指す意味であるというふうに説明されていた。ここでおれは言いたい。仮に仏教の解釈をした場合、心も満足であり、心が良い状態で生まれてきたという受け取り方ができる。ここで俺は言いたい。オレは心を満足な状態で産んでもらっていないと強く主張したい。この世でこんなに苦労させられるほど、周囲との心の基準が違うということは、五体満足とは言えない。五体満足ではない。五体満足で産んであげたということではないと、強く言いたい。強く主張し、強く反論したい。お前は間違っているぞと。なので、ここでも貞男と泰子の脳みそのズレを確認したことになる。この2人に向けて送る遺書兼核爆弾級の手紙には、そう書いておく。子どもの頃に受けた教育の何もかもが間違いであったという事実をぶつける、また新しいネタが増えてしまった。これでもか、これでもかと書いてきたが、ついに五体満足という言葉も撃沈したかと思うと、2人とも、もはや救いようのない暗黒の世界に行ってもらうしか方法はないと言いたい。これが最後だと思いいたい。いちいち遺言兼核爆弾級の手紙に追記するのは正直、めんどくさい。しかし、深堀りすればするほど、当人のおれがびっくりするほど、化けの皮というか、付け焼刃というか、イツワリの理論をぶつけていたんだなあという結果になっている。今後もこのような発見がないことを願う。追記がめんどくさいからだ。


2021年06月06日日曜日Sunday (Sun.)
三木大雲の怪談説法は時々聞いている。中にはどうでも良い話などもあるが、心に残る話・心に突き刺さる話などは、考えさせられるしやっぱり良い事を言うなと感心させられる。今日は怪談説法の知識人という話。依智不依識の言葉の説明。知識に依らず知恵に依って生きる。という意味。詳しく書きませんが概要はこんな感じ。息子さんには国立大学へ行け、勉強しろ、知識を蓄えろ。息子さんには、知識を持っている人間こそが優れた人間だとだからお前も優れた人間になれとずっと育ててきた。ところが息子さんは国立大学卒業後引きこもりになった。その霊を見てから自分の中に、大切なものを勉強してこなかったんではないかなと思った。もしかしたら息子に大切なことをひとつ教え忘れてきたのかもしれない。そんなふうに感じた。その後、息子さんの引きこもっている部屋のドアの前で、大きな声で息子さんの名前を呼んで、今までおとうさんが悪かった。お前はお前で優れた人間なんだと声をかけた。その日の夜から息子さんは引きこもりをやめて、家族3人で夕飯を食べて生活をしていると話しをしていた。現代の世の中に知識の豊富な人は、昔と違って増えました。いわゆる知識人という人ですね。学校の先生が知識人だった、また昔はお坊さんが知識人であった。現代は、みなさん知識人。ところが、仏教の中に、依智不依識という言葉がある。これは、知識に依らず知恵に依って生きる。というふうにお経に書かれています。もちろん知識があって越したことないですよ。たくさんのことを言っていることは、立派で優れたことだと思うんですが、果たしてそれで、人類は幸福になれるのかな。そう考えたときに、知識だけでは私難しいように思います。知識がなくても人に親切にすること。あるいは、知識がなくても人を傷つけずに生きる人こそ、優れた人間であると思う。知識人が増えるということは素晴らしいことなんですが、その反面、論破をするとか、知識の劣っている人をバカにするようになってしまっては、世界は乱れてしまうんじゃないかなあと思う。どうか知識だけではなく、知恵というものを加えて欲しい。ここまでが三木大雲の話。この話を聞いて私はピンときた。また貞男の話である。貞男の人生や考え方生き方がおかしい間違っていると幾つか指摘してきた。無理にアラを探しているのではなく、たまたま思い出す。さすがに人間なので、そこまでディスるネタもこれで尽きたかと思いきや、まだまだあったので、逆にこっちの方が驚いている次第である。貞男はやはりクソなんだなあと改めて認識する次第である。勉強しろ勉強しろと本当にうるさかった。2~3年前の年賀状には、人生は大切だから小山大学へ行けと書いてあった。このHTMLのどこかに書いてあったと思うのだが、50歳過ぎて大学へ行って何をするのか?お金持ちの道楽で大学へ行って遊ぶのならまだ理解できるが、貧乏で大学へいく貯金なんかない俺に行けという神経は何?貧乏なのを無理して、仮に借金でもして大学を卒業したら、どうなるの?その後、ものすごい大金が入ってくるの?勉強・学問・成績が良ければそれに越したことはない。しかし、上記の三木大雲の話のように、勉強だけできても人生で大事なものを自分は忘れてきた。ということになる。この怪談説法に出てくる主人公とまったく同じ。勉強・勉強。だから息子は自分の部屋に引き込もりになる。勉強・勉強と言っていた貞男の前で、おれが自分の部屋に引きこもってしまうくらいのリスクがあった。はず。と考えると、おれは人生を切り開く力は弱いが自力で社会人として生きているから、この話の息子のように、引きこもらなくて良かったね。引きこもらなかった俺に、貞男は感謝しろ!くらいの勢いで言ってもおかしくない。おれは本気でそう思う。さらに言いたいのは、三木大雲の話の主人公は、最後の最後は自分に欠けたものに気づいて、自分の息子に謝りに行く。ここは貞男にない部分。貞男は自分が悪くても自分では絶対に認めない。謝らない。おれは人間的にヤバイ部分だと思います。その部分がおれも少し引き継いでしまっているので、本当に迷惑だし、こんなDNAを仕込まれてこの世に生まれさせてくれたことに、抗議の意を表明したい。ガチで表明したい!要するに、他人を思いやれない。他人の心に優しく寄り添えない。他人の心を平気で傷つける。この貞男の悪行は地獄のエンマ大王に指摘され、必ず地獄へ落ちていくであろう。それもまた自分がやってきた事、自業自得というものである。今思い出したので、ついでに書く。半年前くらいに、妹からお父さんはもう高齢で弱っているから許してあげてね。でもダメだよね。的なメールが送られてきた。俺は許さないよ。だって高齢で弱ったから許すって、何?って思いますよね。高齢で弱ってきて許されるのなら、世の中の人の全員が、時間が経過すれば許されるってことになりますよね。さすがにその理論はないですわ。九島さんも貞男と話していて不快に思ったことも何度もあった。おれが記憶している最大のものは、羽田空港への送迎を自主的に九島さんがやっていて、気をつかって何か話題を振ったら、逆ギレのように反論されたっていう話しは強烈だったわ。他人の心の中を気にせず口に出すんですね。また繰り返しになるが本当にクソだし、他人の事を考えて思いやって、行動しなさい。発言しなさいと言っていら泰子の真逆。おれはその真逆の人と結婚し長期間一緒に過ごし、今でもふじみ野の一軒家で不自由な思いをしている泰子に本気で疑問を投げかけるわ!なんで?!としか言いようがない!!怒りが爆発しどんどん変な方向へ行ってしまうので、この辺で終わりにます。


2021年06月19日土曜日Saturday (Sat.)
昭和脳って本当に怖いよなあって思うことを改めて実感したので、書いてみる。おれがいつも感じている世の中の矛盾というか勘違いがネットで的確に表現してあったので、ああやっぱりね。と思った。おれは正しいと再確認した。良い子ほど人の喜ぶことをしなさい。とか、人を怒らせてはいけませんみたいなのを真に受けちゃうんですよ。で、人を怒らせてはいけませんって、悪いヤツが怒って言ってきたら、それを全部従うっていうことになっちゃうんですね。お金くれよ。お金くれないと怒るぞって言ったら、じゃあお金あげますみたいになっちゃうんですね。人を怒らせてはいけませんとか、人に親切にしなさいというのは、相手が親切であるとか、相手がいい人であるという前提である。そうじゃない人に対しては冷たく当たるべきであるっていう現実を教えなかったりすんです。日本の道徳って。キレイごとの道徳の場合って、みんながいい人だから人を疑うなんていうのは良くない。みたいな事を言うんですけど、残念ながら世の中って悪いヤツもいるんです。なので悪いヤツがいるという前提で悪いヤツには騙されない方がいいよね。ただ相手がいい人だったら、自分もちゃんと親切で返そうねとか、相手が困っていたら、ちゃんと手助けするべきだし、相手が良い人だったら怒らせたらごめんなさいと言うべきである。次の話題。貞男が遅刻しないので良い人であるという遠藤チヨさんの言葉であるが。遅刻するしないは関係なく、その打ち合わせに行って、その会議の問題が解決できれば良いと考える人が多いみたいです。昭和平成令和と来て、今の若い人達はあまり罪悪感を持たずにそう言っていますねえ。基本的に遅刻はダメなのはみんな知っています。だけどその結果問題が解決できたり、成果が出ればいいじゃんと思っている。おれは昭和バカだから、会社が始まる1時間前に行って、席に座っていることが正しい。正義である。美しい。と思っている。始まる時間のジャストゼロ分だったら良いが、仮に遅刻1分であればマイナス1点とか点数制にしたら、あいつはマイナス30点だとか、おれはプラス100点だとかなんか、自分が優秀なように見える。おれはプラス100点だからアイツよりエライみたいな。でも仕事が全然できない。会社から見れば、早く来てもプラス100点でも何でもなく、遅く来たマイナス50点が仕事の成果を出しプラス300点に達するというのが会社なんですね。なので、おれはいつもマイナス点です。自己肯定感が低いのでそうしたら良いですか?みたいな質問がネットに出ています。世の中的に自己肯定感って低い人が多いのかなあって思っています。自分の得意分野で戦ってください。周りの人が得意でなければ自分はそこで1位になれます。という回答になっていた。じゃあ、自分の得意分野で戦えない人はどうなるんですかね?たぶん、お先真っ暗なんでしょうね。本当に世の中疲れます。


2021年06月23日水曜日Wednesday (Wed.)
今日は、ネットニュースなど考えさせられる興味深い内容が盛りだくさんである。久しぶりに長文になるが書いてみる。このHTMLはSNSではないので自分の意見を自由に書けるスペースであるため頑張って書いてみる。最初は、蓮久寺住職三木大雲の怪談説法の話。蓮久寺住職三木大雲の怪談説法を時々聞いている。今日は朝生という話し。ついつい感情的になって相手を責める事がある。相手を悪く言うことがある。そのような時は、言替えと言って、申し訳けなかったなあという気持ちで、心の中で手を合わせて謝る。心からの謝罪で打ち消すことができる。悪い言葉をつい言ってしまったら、手を合わせて謝って欲しい。 言葉はもちろんのこと、地球環境も同じ。自分の周囲にあるもの全てが生きているもの。みなさんも是非、そのようにして生きてください。という話し。なんですが、自分が悪いと言ったら謝るという通常の人間が行うべき事ができないのが貞男。そんなに専門学校へ行きたいのか!サラリーマンになれ。とか、ホワイトカラーになれとか。俺は自営業の方が70歳80歳まで仕事ができるので、良いんじゃないか?と子どもの頃に疑問に思ったが、あの剣幕だし、頑固なので自分の言ったことを修正しないし、聞く耳を持たないので言う気すら起きなかった。その言葉とその一連の流れ・生き方が罪であると強烈に思ってる。俺は絶対に許さないし、相手は謝る素振りもない。まあ、そういうヤツは地獄へ落ちろ!と思う次第である。この悪口は当然受けるべくして受ける人物貞男に向けている。貞男はそれだけ罪深いのである。おまけで泰子も同罪ね。犯人に協力し同時に犯罪を犯す人は同罪と呼ぶ。次の話題。財務省の決裁文書の改ざんに関与させられ自殺した、近畿財務局の赤木俊夫さんが職場に残した、赤木ファイルが開示された。奥さんの雅子さんは、夫の書き残した文字もあり、どんなつらい気持ちだったかと胸が詰まる思いだった。国家公務員として責任を感じ後世のために残したものと思うというような事を言っていた。奥さんはこの証拠文書で、国への抵抗・反抗・抗議を強力に実施していきたいという意気込みを示している。この赤木ファイルは、500ページもある書類である。500ページの資料をまとめるってすごい。性格的に細かくて繊細だと思う。そして大マジメ。完璧主義。とストレートに思う。サラリーマンは、マジメに仕事をやることが美学であると言われていると認識している。マジメというのは、それを通り越すと、上司の言う事に盲目的に従うという、次のステップに行くような気がする。赤木さんは国家公務員。エリートである。一生懸命勉強して国家公務員になって、エリート街道を歩いてきたと思う。自分が信じたエリート街道の最終結末が54歳で自殺するとは、想像しなかったであろう。おれも同じ。エリートではないが、一部上場企業で自分の生活を犠牲にし、馬車ウマのようにバカ馬になって社畜として働いた。若い頃の苦労は買ってでも何とか?言うことわざがあるので、その言葉を信じた。昔の人は賢いはずだ。きっと何か良いことがあるはず。今、この身をボロボロにしながら苦労すれば、老後はきっと明るいはずであると信じて歩いてきた。その結果が、地獄への1丁目である。さんざんコキ使われて、雑巾のようにボロボロになり捨てられる。 自分の人生を犠牲にして体と心の苦痛を感じながら生きてきて、今の時点では明るい未来なんてない。何もメリットはなかった。若い頃の苦労はという、昔の人が考えたことわざも完全なウソっぱちだったし、ウソっぱちだと気づいた年齢は48歳であった。赤木さんは54歳なので、人生の半分で気づいてしまい、お先真っ暗で自分の人生を恨んだと思う。自分もまったくその通り、世の中は夢も希望もない。暗いし悪だしみじめだし苦痛であると、50歳頃に知ったところで何ができる?赤木さんも絶望したと思う。自分の信じていた安倍総理とか、上司とか財務省のエライ人から文書改ざんを指示されたことで、あまりにもショックがでか過ぎて、死んでしまった。悩みもあったかも知れないが、おれはショック死に近いと思う。自分の信じているものや頼りにしているものから裏切られたショック。おれはショック死だと思っている。これに似た残業のし過ぎの過労死というのもある。これは電通の高橋まつりさん事件が大きく報じられ、労働基準法が厳しくなり、残業時間の制限のラインを守るようになった。残業時間というのは、数字で出るのでわかりやすい。体感的であるが最近は残業のやり過ぎの過労死のニュースはあまり聞かない。しかし、赤木さんのような精神的な闇は数字で表現できない。数字で判断できないからことそ闇が深く、上司やエライ人はこっち側の手を使うことはよくあるんじゃないかなあと思う。次の話題。同調圧力の正体の著者、同志社大学政策学部教授太田肇氏が、コロナをきっかけとした数々のハラスメントの横行、同調圧力が一層強まる社会に警鐘を鳴らす。というネットニューすを読んで感じるものがあったので書いてみる。副反応のリスクだけではなく、ワクチン接種を強制したり、拒否した人が差別的な扱いを受けたりするワクチンハラスメントが横行しているという。もっとわかりやすい事例では、自粛警察やマスク警察を思い出すと思う。自粛・不要不急というのは、主語は自分である。これは以前、パチンコ屋が自粛要請に応じない場合、知事が店の名前を公表するという事態があった。自粛なのだから自由だるはずだと、おれはその時思ったが、世の中は違う反応を示した。いつの間にか周りから自粛を強要されて他粛になってしまっている。要するに、この国では自分と他人とが区別されず、同一視されてしまう。俺は、最近のネット社会の闇が深く関連していて、根が深いと思っている。SNSで良く言われる、ネット社会の闇の不寛容社会である。SNSで相手の言う事に賛同できない・同意できない場合に相手を打ちのめすという方法を取る。自分が正義であり相手が悪である。正義のヒーロは、何を言っても許される。正義の神の声を代弁しているだけである。悪人はお前であるから、コテンパンに叩いて再起不能なまでに地獄へ奈落へ落としても構わないという思考である。なぜ、そうしたことが起きるのか?日本人が暗黙のうちに強い共同体意識を共有しているからである。そのため、いつでも日本人としてみんな同じように振る舞うべきだという発想になる。自分達と異なる存在は排除しなければいけない。はみ出し者は許さないという発想。脳科学者の中野信子さんだったかあ?日本国民は、農耕民族である。畑を耕し野菜を植え、水田で米を育てる。というのは、隣近所の共同作業であるため、周囲の結束が強いというような事を言っていたような気がする。日本国民は外国から見ればマジメで統率力があって、一致団結して物事を解決していく特別な国民性に映るらしい。コロナ騒ぎが長期化し、現状は出口が見えない状態であり、さらに精神状態も長期化のために平時より不安定となっている。他人の言動に干渉することが当然であるがごとく批判する風潮が蔓延しないように個人個人、注意していきたいと願いたい。


2021年06月30日水曜日Wednesday (Wed.)
ネットでギターの動画を見ている中で、たまたまBOOWYの曲のここが良い。というような紹介をしている人がいたので見た。10曲紹介していて、ここのフレーズが良い。かっこ良い。布袋寅泰さんは天才である。とい感じの動作。何の曲かは忘れたが、最初5フレット?次12フレット?次19フレット?まで登っていくこの音が良い。エモいと言う言葉を使っていた。確かに今聞いたこのフレット移動の音は、神フレーズだと思うしエモいという言葉がかっちりハマる。エモいというのはエモーション、エモーショナルの事で、感動・感激という意味で前から歌詞などに多用されているので、認識していたし理解もしていた。しかし、今回の動画を見て、単に良い。かっこ良い。という表現ではなく、エモいという表現をすべきであると確信した。たまたま動画の中の人はギタリストなので、ソロの部分を切り取ってエモいと言っている。私は前から言っているように、ソロや速弾きを弾きたいとは思っていない。コード進行が美しい曲というところで自分が感じた曲をチョイスしている。このコード進行ば美しくチョイスした曲は、実は自分的にエモいと感じてチョイスしていたことに、今気づいた。コード進行の中で、さすがに、ここからここにコード進行してくるのが、かっこ良い。エモい。そう感じる曲は多いのだが、一例を挙げると、Mary's BloodのReady to Goという曲のサビ。これがたまんない感じです。E-C#-A-Bmという流れなんですが、EからC#に入っていくところがゾクゾクとする。これがエモいコード進行である。かっこ良さ。エモさがハンパないわ。


2021年07月02日金曜日 Friday (Fri.)
今日はこんなに書くつもりじゃなかったのに、結構な文字数を書いてしまった。少し前に、1年か2年前くらいに、ニノさんという番組で二宮和也の友人を探してあげる的なテーマで何週かに渡ってゲストを呼び、二宮和也が気にいったらOKというのをやっていた。その企画の中で新宿2丁目の怪しい自分の友人を連れてきた、ヴォーカルのコーチというか、音楽の先生が来て大騒ぎになったことがあった。その人の名前は忘れたが、歌の教え方が面白くて笑ってしまった。本当にタマタマなんだけど、最近、Youtubeでその人のチャンネルを見てしまった。それも、俺が今一番押しかというくらいの好きな曲。遠藤正明のButterflyを教えていた。ニノさんの番組のように教えかたは、面白かったのだが、俺的には気に入らない部分があったので、自分の思込みと意気込みを語りたいと思う。途中の指導は省略し、サビの部分から。無限大な夢の後の何もない世の中じゃあそうさ愛しい思いも負けそうになるけどStayしがちなイメージだらけの頼りない翼でもきっと飛べるさこの部分全部サビなので、普通は全開で歌うと思うのだが、この人の指導は、単に全開で歌ってはダメ。頼りない翼でもという歌詞があるために、ちょっと切なく歌うべきである。と説明していた。もちろん強弱をつけて、頼りない翼でもの部分は切なくもの悲しい感じと言っている。しかし、本家オリジナルの遠藤正明の歌いかたは、全開も全開。この人は高い音は出るし、音量もでかいために、できる限り全開で歌うぜという人なんです。Butterfly以外の歌もほぼ同じです。でもこれが、遠藤正明の良い部分です。俺は絶対に全開で歌うべきだと考える。頼りない翼というのはワンコーラス目である。ツーコーラス目は忘れた。ここはあえて調べるほどのことでもない。歌詞の日本語につられて、歌う雰囲気情緒的な味を添えるのは、演歌だけで良い。俺の中では、Butterflyは、ペガサスファンタジーと並んで、アニソンの1位2位を争う曲である。それもノーマルではなく、メタルアレンジが一番合う。コード進行が簡単で弾いてかっこ良い。 こんな贅沢な曲はあるだろうか?くらいの勢いである。ちなみにいつも言っている通り、俺はリズム感ないので、16ビートはNG。ペガサスファンタジーの16ビートのメタルアレンジって結構多いのだが俺は弾けない。あくまでも8ビートでの話。なので、とにかく、Butterflyはサビだろうが何だろうが、全開で歌う。NEMOPHILAというバンドがカバーしているのが、8ビートでメタルアレンジで一番かっこ良い。NEMOPHILAのヴォーカルも全開で歌っている。メタル曲で全開で歌わない人はいない。NEMOPHILAというバンドがカバーしているButterflyが今は最高の曲である。お気に入りである。ちなみにNEMOPHILAがペガサスファンタジーをカバーしているが、16ビートなので無理なんですわ。メタルアレンジかっこいいのにねえ。。。次の話題。書くつもりはなかったのだが、今日たまたま陸軍の特攻隊の話をテレビで見たので、ついでに書いてみる。一般的にテレビでアメリカの艦艇に特攻していく昔のフィルムに出てくるのは、だいたい零式艦上戦闘機。ゼロ戦。である。あれを見ていて、大昔から疑問があった。昔このHTMLファイルのどこかに書いたかも知れないが、このエリアは自分の自由の場所なので、あえて書く。アメリカ艦艇に突撃するゼロ戦を見て違和感を感じるのは、当たってもそれほどダメージを与えられないこと。当たると当然爆発はします。だけど、船を沈めるところまではいかない。というか1機当たったくらいじゃ、ちょっと火災が起きるだけである。運よくそこに(船の上に放置されていた)航空機用の燃料があったり、爆弾があったりすると、誘爆して大火災になる可能性があるが、何もない場所に1機ぶつかっただけでは、船が沈むほどのダメージがない。当たった映像を見ればわかります。ゼロ戦は限界まで軽量化されていますので、すぐにヘナヘナって感じで折り紙のようにすぐ崩れそしてバラバラになります。航空機の体当たりは、それほどダメージが与えられないというのは、軍の高官もみんな知っていました。だけど若い搭乗員を特攻へ行かせ、何千人も命を落としました。前置きがすごく長くなってしまったんですが、海軍はゼロ戦が(それ以外にもあるが)有名。陸軍機は、ゼロ戦に対して九七式戦闘機か一式戦闘機の隼が有名である。こっちも同じでボディーの鉄板(特殊合金ですが)はペラペラ。ゼロ戦と同じなんです。特攻をするコースの基本は、高硬度から急降下して、海面すれすれを飛んで敵の船に当たるというもの。スピードも出るし、海面すれすれというのは敵の弾幕がなるべく当たらないというのと、船の喫水線に近い部分に当てたい(沈没させるためになるべく低い位置)という意図があります。しかし、現実は厳しいです。アメリカも特攻をさせないために必死ですから、弾幕はここぞとばかりに、ガンガン撃ってきます。その弾幕をかい潜って相手の船に到着するというのも至難の業です。それと、ゼロ戦は急降下をして600km/h出ると空中分解します。陸軍機の隼なども同じです。空中分解するギリギリの速度で突入し、相手の船を目指すので、そもそも特攻は死ぬ気で行っていますが、相手の船に辿り着く前に撃墜されることが多いです。調べればわかりますが、別に調べませんが、確か成功率は、5%とか10%とか、そんなものだったという記憶があります。要するに無駄死になんですね。無駄死になんだけど、世の中的にあまり言えないので、成功率はあまりテレビなどでは言いません。若いパイロットが自分の命をかけて戦って、戻って来れませんでした。という心情的な部分を集中して語られます。確かに心情的な部分は大事です。人間性という意味では、血の通う人間が死を覚悟して最後の力をふり絞って英霊となられました。というのは事実だし、かわいそうだというのは理解できる。しかし、俺は成功率に注目したいと言いたい。ほんの5%だか10%の成功率ということは、ほとんどは、最初に記載したように、敵の弾幕によって撃墜されてしまっている。または、敵の戦闘機の迎撃に会い撃墜されたとか、そういうことになる。あまり成果が出ない事を、精神論で敵の船にぶつかって行けば必ずや自分の仕事は達成できるみたいな?具体的には、ここに参考本がないので正確な文言は今書けないが、頑張れば報われる的な指導の仕方があったことが、一番悔しいと俺は思う。気合を入れて頑張れば必ず成功する。というような風潮は嫌い。ある程度の目安・基準があって、実行すれば6~7割成功しますよ。というくらいじゃないと、上の人は指導してはいけないと信じています。当時日本は沖縄も落とされ、本土決戦を残すのみで後がなくなっていたので、仕方ないと言えばしかたない。じゃあ広島と長崎に原子爆弾を落とされる前に、自分の実力を知り相手の実力を知り、できないものはできない。できないものは逆立ちしてもできない。降伏すべきだったんだろうなあと思う。やめる冷静さ。引く冷静さが人間には必要なんだろうと思う。


2021年07月08日木曜日 Thursday (Thu.)
都市ボーイズのYoutubeチャンネルを時々見ている。彼らの目の付けどころは面白いと感心することも多いです。ガチで全部が全部感心するわけではないですし、普通に驚くくらいではあまりこのページには書かない。今回は彼らの考察を聞いていて、ついつい笑ってしまったのでここに書いてみようと思う。今回見たコンテンツは、放送事故。何個かの事例を紹介しています。その中で笑ったのが、将棋の番組。囲碁とか将棋の対戦をテレビで放送していますが、実際に戦っている人とは別に、離れた場所で解説する人がいます。だいたい男1名女1名です。将棋7段とか8段とか、それなりにそこそこ有名で、そこそこ勝っていて上位の段を持っている人が出てきます。実際には本名を言っていますが名前を忘れたので女性をAさん、男性をBさんとします。途中経過はよく知りませんが、都市ボーイズ早瀬さんの説明ではこうなっています。勝負している本人の手ではなく、外野にいるAさんBさんが、別の手を予測するみたいな質問だったような感じです。Aさんが、その手は大丈夫ですか?それで行けますか?という質問をした。Aさんは若干疑問視したように、おれは感じています。それに対してBさんが答えます。この手がダメであれば、私はAさんをあきらめます。と言った。スタジオ中。。。変な沈黙と空気が流れた。。。スタジオ全体が固まったそうです。女性Aさんは何も言わず沈黙。将棋と関係ないAさんへのプロポーズをぶっ込んで来たんです。これがダメなら私は将棋の棋士を辞めます。という言葉を言うのかと思いきや、変則系をぶっ込nできた。今仕事中だし、なんで今なのと都市ボーイズの2人も言ってました。ここから都市ボーイズ2人の考察です。Bさんは将棋の勝負師なので、かなり先の手を読んでいる。食事に誘ってデートして、いろいろな事を経てプロポーズするのが本当なのだが、先の先を読み過ぎて、急にプロポーズを言ってしまった。という内容です。じゃあ将棋の棋士は、みんなせっかちなのか?という疑問もわきますが、何手先を読むかが、彼らの仕事であるから、その通りに実行したという説明ですね。で都市ボーイズの次の考察は、Bさんがぶっ込んできたその手に対し、Aさんは何をしたか?答えは手を打たなかった。というもの。そして更に彼らは言った。その次の次の何手も先を読んで回答するならば、付き合って別れました。という結末になる。じゃあこの流れをまとめてみると。Bさんは、これがダメならAさんをあきらめます。するとAさんは、2人は付き合って別れました。的な超速攻恋愛物語が完成するわけです。あなたは、超速攻恋愛物語について来れるであろうか?それでは、また。


2021年07月16金曜日 Friday (Fri.)
鈴木保奈美と石橋貴明が離婚したというニュースがあった。当初有名女優とお笑い芸人ということで、話題になった。その後、うまくやっているように見えた。2人ともそこそこテレビに出ているし、仕事も家庭の順調に見えた。しかし、内部的には、一緒に生活していくというより、鈴木保奈美も最近、ドラマ出演多いので、2人とも自分の能力を発揮し、別々の仕事をやっていく。ということなんだろうねえ。こういう話題になると、いつものクセが出てくる。貞男と泰子の話である。世の中の夫婦って、子育てがなくなったら基本、離婚したくなるのかなあ???サラリーマンが、会社を定年して離婚する定年離婚というのは良く聞きます。鈴木保奈美と石橋貴明が離婚したと聞くと、みんな、そうなんですねえ。そうなるのなら、おれは別に結婚しなくても良い。と本気で思います。 おれ、ガチ本気なんですが、オヤジとオフクロが、まあほれて、好きで出会って結婚して子どもが生まれる。だけど、どこかのタイミングで相手がキライになるんですよね。でも、子育てがあるから離婚できないんですよね。子育てが終わらないから離婚できないってことは、原因が子どもにあるわけじゃなく、親にあると強く言いたい。だって、親が子どもを産むんでしょ。子どもが自分で勝手に生まれてくるわけじゃないよね。さらに、子育てが終わったから、離婚するんですよね。自分たちの重い荷物がひとつなくなった、肩の荷が降りたから離婚するんですよね。その重いに荷物は、そもそも自分達が作った荷物なんですよね。生まれてきた子どもには、何も罪はない、責任はない。おまえらが原因を作ったんでしょ?で、そこから先、、お前を育てるために離婚せずに我慢してきた。 育て終わったから。。余計な仕事である子育てという仕事が終わったから。。離婚する。おれは、そう受け取る。余計でめんどくさくて、手がかかり大変である、そういう重荷を手離したから身軽になった。そう考えると、おれは、オヤジとオフクロによって生命をもらったが、この世に生まれてきて良かったのか?生まれなくても、生まれても、どっちでも良かったのか?おれが、この世に存在することで、世の中の人のために貢献しているのか?貢献していないのならば、オヤジとオフクロに歓迎されていない感もあるし、さらに社会に貢献していないことで自己肯定感が低くなり自分を責めることにより、正直存在自体が不要であると言われている。と感じる。非常に息苦しく苦痛と不快である。この不快感ってわかりますかねえ。この生き苦しさ理解できますかねえ。俺のココロは、ガチでそういう意味に受け取る。ここからは、いつもの決まり文句。おれ、産んでくれって頼んでないし、長男で生まれたい、一番最初に生まれたいと言ってない。なんなら、もついでにもっと言うのなら、美人のお姉さんが欲しかった。のに、おれが先に生まれた。なんか、オヤジとオフクロに振りまわされた、翻弄された人生であると認識する。なんで??好きじゃないならば、結婚しなくても良いし、子ども産まなくても良い。人生、全員が結婚しなければいけないというルールはない。おれ本気で思います。流されて結婚したとしても、どこかで間違えたと思ったら、そこでストップをかけるべき。 ズルズル流されていくと、いつの間にか俺のような不幸な人間が完成している。。。ことに気付く。 そして、前の繰り返しになるが、五体満足に産んであげたとか、育ててあげたとか、恩着せがましい言葉を人生で1000回聞かされている。彼らは、自分の言い分を言い張り。こっちの言い分を聞く耳を持たない。毎回思うのだが、どのような切り口で行っても、最後はやっぱ考えがズレている連中だよね。というところに結論が行き着く。→→→→→→この文章はmixi日記を多少アレンジした内容です。ここから若干付け足しです。以下、mixiの文章の締めくくりは以下に記します。 ガチでこのような過激な締めの文章なんだけど、76viewも見てくれて、7人もイイネを押してくれています。批判意見は1人も出ず、みなさん賛同してくれたんだなあ。。。結構、世の中の人は言いたくても言えないんだなあ。。。おれは、それほどかけ離れた考えでもない。ということがわかって逆にほっとしている。mixiで反対意見を言う人もいて、過激に攻撃してくる人もいる。そんな中で、共通意見を共有できたことは、おれにとって有意義であった。。。この文章を書いている俺は決して社会からはみ出した人間ではなく、一般的な考えを持っていると認識した。。。。貢献していないのならば、オヤジとオフクロに歓迎されていない感もあるし、正直存在自体が不要であると言われている。俺のココロは、そういう意味に受け取る。おれ、産んでくれって頼んでないし、長男で生まれたい、一番最初に生まれたいと言ってない。なんか、オヤジとオフクロに振りまわされた、翻弄された人生であると認識する。なんで??好きじゃないならば、結婚しなくても良いし、子ども産まなくても良い。人生、結婚しなければいけないというルールはない。おれ本気で思います。


2021年07月18日日曜日Sunday (Sun.)
下北沢について書きます。島田秀平の怪談めぐりというYoutubeはたまに見ている。名前は忘れたがお笑い芸人がゲストに来て怪談というより不思議な話を語っていた。その話。下北沢は月に1回だけ街にモヤがかかると言っている。そのモヤがかかる時、ふだん人通りが多い街なんだけど、人が急にいなくなるという。語っている笑い芸人は、モヤのかかる時にラーメンを食べたいと思い、あるビルの一室にある、ラーメン屋に入った。カウンター席だけのラーメン屋で、大将は青い顔色で元気がない。いらっしゃい、とも言わない。向こう側に女性の客がいるのだが、足が透けていて見えない。ラーメンの値段が200円。置いてあった新聞の年が1950年代であった。ラーメンを注文したのだが、大将はわかっているか、いないかもわからない。青い顔で無言で作業している。出てきたラーメンは、基本味がなくて、かなりまずかったと言っている。気持ち悪いので、急いで家に帰ったという。下北沢の月に1回だけ街にモヤがかかることを、大竹まことさんにも言ったが大竹さんも、 モヤの事は知っていたと言う。下北沢は、芸人を目指す人とか演劇を目指す人、ミュジシャンを目指す人など、自分の思いを背負って来る人が多い。みんな熱い思いを胸に、この場所に来る。その熱い思いを抱いて引き寄せられる何かがある。と語っている。そしておれの話。不思議な話でもないんですが、こんなにエライ目にあった。という話を書く。以前どこにもこの話は残していなかったように思うので書く。タクシー会社にいた頃。下北沢に行きたいというお客さんが乗ってきた。 乗せた場所は覚えていないが、代々木とか新宿あたりだったように思う。3人くらいの外国人だった。日本人は外国人を見分ける能力がないと思うのだが、おれも同じ。適当に言うとジャマイカ系のミュージシャン的な人であった。ミュージシャンであれば、下北沢に行きたいのはよくわかる。が、代々木とか新宿からであれば、電車に乗った方が早いんじゃね?と正直思った。俺は人生で下北沢に行ったことがない。若者の流行の先端と言われるし、おしゃれな店もいっぱいあると言われているが、小田急線ってまったく縁がないので乗らない。だから1度も行ったことがない。カーナビをセットした。広い道をずっと真っすぐ行く。そして途中で左に曲がれば下北沢の駅。広い道は環七だったと思う。カーナビで曲がる交差点に来たので、左に曲がった。もうその先は踏切で、その左側が駅。普通のお客さんだったら、どこで止めますか?と聞く。この人達は外国人なので、聞いたところで、細かく説明はできないだろうし、外国人で観光客であれば、今ここに来たのが初めてなので、聞いたところでわからない。しかし、おれも下北沢駅に来たのは初めてなので、まったわからない。余計な親切心で左に寄って、駅前、入口に止めますか?と聞いてしまった。お客さんは、はいと言った。おれは駅前のスペースに車を止めた。お客さんをおろして、よく見たら、その場でユーターンできる空間がなかった。バックするか、または、その先左に曲がって商店街の中を進むか、2択であった。素直にバックすれば良かったのだが、おれは左に曲がり商店街の細い道を直進した。これが後悔の始まりであった。まず道が狭い。竹下通りの道より狭いと思う。さらにヤバイのが、店の商品が道に陳列してあり、狭い道を更に狭くしている。タクシーの車幅ギリギリである。最初は人が歩くよりも遅く、超慎重に徐行していた。しかし、このままだといつ出られるかがわからない。なので、店の陳列されている商品にかすっても良い。どうにかなる。という根拠のない割り切りで、20km/hくらいのスピードで走った。そこそこ速いスピードで走っていたが、不思議と店の展示品にひっかかることはなく、とりあえずなんとか店の密集区間を出た。その先、交差点があり、もちろん環七に出るわけなので、そっちの方向へ行きたい。しかし、工事関係の通行整理のおっさんがいて、こっちは行けない、右に行けと指示する。行きたくないのだが、そっちしか行けない。その先、あまり覚えていないが、ほぼ道なりにこっちだろうなあと思う方へ走った。そうしたら、工事現場のモロ中心部というか、もうその先は工事車両しか行けない。要するに一般車両は通行止めになっている。おいおい、これ何だよ。と思った。適当に道なりに来てこれかよ。かんべんしてくれよ、クソが。オレは仕方なくその場でユーターンするしかなかった。しかし、そのスペースはものすごく狭かった。分の車の頭を左に切って前ギリギリまで攻めた。と言っても実質50cmか1mくらいしか余裕がない。ギリギリで止めて、今度は、ハンドルを左に切ってバックで車のケツギリギリまで動かす。とは言っても、さっきと同じで、余裕なんかなくて、実質50cmか1mくらいしか進めない。そのギリギリの場所で止めて、今度はハンドルを左に切って、頭をギリギリまで責める。こんなにギリギリを攻めているので、切り替えし2回に1回くらいは、一度車を降りてあとどれくらい進めるか、を確認して、また乗って、というのを繰り返した。もう何回きり返したかわからない。20回か?30回か?長時間粘って、やっと車の頭が出口の方を向くようになった。前を見るとランドクルーザーのような一般車が、おれと同じように迷って、この変な行き止まりに来ていた。ああ、あいつも来たのか。ここから出るのは、かなり大変だよと思ったが、別にそいつに協力できるわけもないので、その場から出た。もうエライ目にあった。もう二度と下北沢には行かない。













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