2020年11月8日 日曜日Sunday(Sun.)
なんかまた書きたくなったので連投です。芸能人が漢字を読み間違えたので、おバカねえ。みたいなネット記事を見た。いやあ、今の時代感じの読み方なんてわからなくても生きていけますよ。芸能人ではなくて、まず自分のはな話しから書いてみる。IT系の仕事をしているのでIT系の資格取得をめざしていた。情報処理なんとかという資格。IT系と言っても情報処理系は不得意で、仕事に直結しないので、真剣に勉強できなかったし、正直分野範囲外の内容が多いので、覚えるのに苦労した。何回か受験したが、気持ち的に及び腰というのもあり合格に至っていない。その中で、平文というものがある。読み方は正確にはヒラブン。しかし、参考書で勉強していた時、ヘイブンと読んでいた。試験に合格するだけなら、ヒラブンでもヘイブンでもどちらでも良い。そのものが何かがわかっていれば読み方はテストの問題に出ないからである。これが一例。要するに、世の中的に正しく漢字を読めなくても良い。と思っている。しかし、最近の若者の言葉で、ナニナニじゃなくねえ?という否定の否定のような変な活用をする言葉はいただけない。あの言い方は否定の否定なので質問系が遠回りしている。ストレートにナニナニです。と言えば、相手にしっかり聞こえるし、相手に伝わりやすい。で、本題はここから。ネットに書いてあったのは、今はやりの言葉のコロナ禍。禍というのは、不幸とか良くない事を表現する言葉らしい。このコロナ禍をコロナ渦・うず・と読んだ芸能人がいたらしい。それは間違っていると記事の中で言っている。しかしおれは、ネットで指摘している方が間違っていると言いたい。コロナという単語は、新型コロナ感染・コロナウイルスの事である。それに禍を追加し、世の中でコロナウイルスで大変な不幸・不況になっているという言葉になる。単に合体させて作った単語であって、コロナと禍を切り離しは可能である。この2つの単語には、何の関連もない。なので、その芸能人が、コロナ渦・うず・と言ったとして、その人の気持ちを推測すると、コロナウイルス感染で、世の中が大変なことになっている。人々は、ウイルスの猛威にさらされ、病魔の渦に巻き込まれたように、ものすごい苦境に立たされているという意味で・うず・と言った。とオレは理解をしている。比喩なんですね。この日本人的情緒を読めない作家やレポーターや記事を書く記者、その他ライターなどは、想像力が乏し過ぎて悲しいとオレは思います。さらに、おれはSNSで、5回くらいあえて、コロナ鍋・なべ・と書いた。漢字の字が似ているのと、上記のような比喩とジョークを組み合わせて自分で作った言葉である。この意味は、ごった煮の鍋のように、なんでもかんでもという意味で、老若男女問わず、国籍も人種問わず、コロナウイルス感染により、日常的な活動を奪われ、苦痛の日々を送っている。ごった煮の鍋のように、なんでもかんでも一緒にまるごと、悲劇・不幸に陥れたという意味が込められている。コロナのあとに禍の字がつくのが正しいと主張している連中は、想像力が乏しく頭が固いヘンクツ者であると、自分で吹聴して歩いていると言っても過言ではない。今日はこの辺にしておく。
2020年12月11日 金曜日Friday (Fri.)
東条英機の番組を見て、昔の事や自分の親の世代の考え方などを考えるきっかけとなった。以下、番組の中で語られていた言葉を書いてみる。まず、東条英機が首相になって、太平洋戦争に突入していく際に、エライ人が会議を何度も開催し、それも長時間の会議をやって戦争するかしないかを決める場面の3つの選択肢が出ます。その選択肢の中に、目の前の戦争を回避し臥薪嘗胆をしながらチャンスを待つという言葉があった。おれは、高校生の時の漢文の教科書に臥薪嘗胆があり、その内容を勉強していて疑問に思った。ということを以前書いている。東条英機が太平洋戦争に突入する直前に、この言葉を使っていたと聞くと、日本国にとって大きな契機になる場面で使われた言葉であり、かなり重いものを感じた。そして、それを日本の高校生に知って欲しいという意味で、漢文の教科書に載っているんだなあと理解した。しかし、このように理解できたのは、1億人日本国民いる中で、おれ1人だけのような気がする。要するに優越感に浸れるのである。次に番組の中でのコメントを書いて行く。日本人の負けパターン。これまでも行きがかり依存、経路依存というふうに経済学の用語では言いますけれど、過去にこだわって日本人は負ける場合が多い。中国と戦争しているのに、あんな人口の多い国。さらにアメリカという世界最強の国とぶつかろうと。同時にですよ。正直、国策としては大きい絵はむちゃくちゃなんですよ。シンガポールに手を出すわけですから、イギリスも同時に戦うって話ですから。
これはね。陸軍という飼い犬が怖くて外にいるライオン鉄砲を放つような話。冷静になって考えれば、そりゃあわかるんですけど、1年先とか石油の話とか、狭い範囲でこの問題だけ解決すると考えるとこういう結果が出ちゃうと。あとでなら何でも言えるよという視聴者の方がいらっしゃるかも知れないけれど、歴史や裁判所っていうのは、あとで検証するのが仕事であるから。我々はこれはもう絶対やらなきゃいけない作業なんですよ。先の戦争のイメージを大きく変える必要があると思いますね。例えば大臣が自分たちの部門の利益しか追究しなくて、結局それを総理大臣がうまくまとめられなくて、統合権力がなくてですね。一般的なファシズムだとか独裁国家というイメージとは違う形で、我々は戦争に突入しちゃっているんですね。更には今でも本当に解決しているのか?っていう問題ですよ。
たまたま状況が悲惨な状況じゃないから、大きな事が起きていないかも知れませんけれども、今の政府を見ても状況をよく見てコントロールして前に進めていると思えない事がたくさんありますし、個々の組織、企業だとか大学でもいいしそういう組織でも、我々が主体的に決定して物事を進めていると思えない事が多いんですよ。結局、状況に流されてどんどん選択肢が狭ばまってきてしまって、まあ、みんなの意見を聞いて両論併記のまま物事が進んで行くことが多い。この問題に切り込まなければ私たちは本当に戦争の教訓を今に活かしたということになっていかないだろうなと思いますね。これやっぱり長い歴史を見ていく上で、教訓も含まれていると思うんですよ。歴史上の人物を見ていたらやっぱり、優秀な軍官僚の負けパターンがあるような気がします。それは何かって言うと、前提条件が誤っていたり怪しい場合、大きな国の計画、大きい絵を誤った前提で描く。石田三成も東条英機と同じような負け方をしていると思うんです。関ヶ原の合戦も、家康よりもたくさん人数を集めて、それで、山の上に並べて包囲したら勝てるって前提なんですけど、実際には動かない軍隊がいて前提がきかなかったわけですよね。一見、頭が良くて理論的な優秀な人が考えるものっていうのは、いくら能力があったとしても、それの前提があいまいであるかどうか。あいまいな前提に立って、国民全般の生死が多くかかわるような決定はできないっていう事が非常に重要で、私は前提チェックということがですね。これが非常にあらゆる大きな計画を行う上で重要なんじゃないかなあ。ここから自分の親への考えを書きます。東条英機が首相になった時泰子が生まれています。その何年か前に貞男が生まれています。その何年か前は東条英機は中国にいて陸軍憲兵のボスをやっていた。映像を見るとものすごく古いし、こんな大昔に生きていたのか?と思うと歴史上の遠い人って感じです。しかし、時代は昭和ですから、江戸時代とか明治時代とかでもなく、ある程度最近の出来事なんだなあと思います。こう見ると怖いよね。東条英機と自分の祖父祖母の年齢と同じくらいなんじゃないかなと思うと、歴史って近い時間でも記憶からは遠ざかっていくようなそんな気がします。あの古臭い、軍服を着た東条英機と同世代ということになると、自分では想像のつかない大昔にタイムトリップしたような感覚さえ覚えます。こういう軍国時代に生まれ育った人は不幸だよねえって思います。東条英機だけでなく、日本の国全体が戦争に突き進む空気感があったと言っているので、そういう空気感を肌で感じている人と感じてない人との会話は、まったくかみ合わないよねと思う。しかし許しているわけではなく、かみ合わないのなら、かみあわせるように努めるのが人間の心理だと思う。歩み寄らないのは、やっぱどこまで行っても悪であります。時代だからしょうがないよねと政至が言っていたが、時代は理解したが、意固地になっているヤツらはやっぱ許せないです。悪口を書くと疲れる。ということで今日は軽めに締めくくっておきます。
2020年12月14日 月曜日Monday (Mon.)
大昔、2年~3年前かそいれ以上かも知れません。当時感動した言葉があったので、メモを残していて、たまたま見つかったので書いてみます。過去の未練がある人は過去に戻りたいと思って。未来に不安がある人は未来に行きたいと思っていると思います。けれど、なんだかんだ今を変えれば過去も未来も変わると思います。不思議な事に過去の出来事は変えられないですけれど、その後悔やトラウマに対する感情は、今考えかたを変えたら自然と見え方が変わってきますよね。この先の未来の不安も、今動けば自然と不安に対する気持ちが変わっていきます。ボク的に昔があって今があるというより、今があって全てがあるという考えかたが好きなので、過去のトラウマや未来への不安で今を苦しんでいる人たちは、それらを受け入れた上で、今を生きてください。人生いつでも遅くないし気持ちは一瞬で変わるし、そうすれば人生も一瞬で変わります。ただ、今に集中して生きてみると、世の中自然とうまくまわっていきます。
2020年12月22日 火曜Tuesday (Tue.)
上に書いた、今を変えれば過去も未来も変わるという、内容につながるかな?と思って今日は書いてみる。大昔、慣れない静岡県で、1人ぼっちで伊豆から浜松まで時には岐阜まで、まあ、それ以外にも、いろんな所に障害対応に行かされて泣いていました。当時、大きな荷物を持っていました。でかいスーツケースは35kg、自分のカバンが3kg、保守品のダンボールなど2kgとか3kg、5kgとかありました。電車での移動が死ぬほど大変なんです。静岡県の知らない駅で、ホームから階段を下りて改札に向かうという場面でした。階段の段数は多かったです。田舎の駅なので、他に客もいない。自分ひとりがその階段を降りようとしていました。当然自分の荷物が重いので、進行方向へ向かって大きく力を入れます。その方向は、もちろん階段の降りる方向です。その瞬間、この階段を転げ落ちるほどの力で下方向へ体が傾きました。おれは、その時、このまま落下するかもと、本気で思いました。静岡の田舎の知らない場所で死ぬのかな?というのも頭をかすめました。その時の感覚的な話なんですが、もう落ちる。もうあと1mm傾いたら落ちる。落ちる落ちないの髪一重のところで、ホーム側に戻った。本当に紙一重で落下せずに済んだ。当時は、何も考えていませんでした。危険なので注意して降りようと、深呼吸して落ち着いて降りた。時間がないとか遅刻するとか、そういう事を考えないようにした。で、今考えると、あの時、自分をホーム方向へ戻してくれたのは、守護神なのか?ご先祖様なのか?それは知りませんが、ここでこいつを殺すわけにはいかない。という判断があったのかなあ?と思います。当時は、仕事はきつかったですよ。眠れないし重労働だし、時間に追われるし、何もかもがイヤだった。しかし、唯一収入だけは、かなりの大金をもらっていました。1か月20万円の買い物を平気でやっていました。お金だけは、無限にわいてくるか?のようなそんな錯覚さえありました。一部上場企業にいたら、誰もお金に困らないと思います。しかし、今この2020年の12月コロナ騒ぎで世の中が激変している時代です。派遣切りとか、倒産とか、おとなも子どもも自殺人数が大幅に増えている暗黒の時代です。おれもガチで派遣切りにあったし、6月末から7月末までガチで無職になった。8月にある会社に拾ってもらったのだが、あれがなかったら、例のイヤだった静岡県の富士の樹海に行っていた可能性は十分にある。で、ガチで無職になり、ガチで銀行の残高がゼロになるという経験をした。だからこそ、今、貧乏人や社会的弱者の気持ちが理解できる。静岡に行きっぱなしで、出張費で毎月大きく黒字になって、高額なものを買っていた当時では考えられない。なんというんですかね?自分は世の中とか、人生の勝者であるみたいな考えは心のどこかにあったんですかね?それを正すために何者かが、田舎の駅の階段で紙一重で助けて、後に来るコロナ騒ぎの中で人生を見つめ直せ的なこと?を言いたかったんだろうなあ?と思います。静岡の地獄の何年か後に起きる、コロナ騒ぎの中で何者かが教えたかった伝えたかった事って、これだったのかなあ?って、今本気で思います。
2020年12月23日 水曜Wednesday (Wed.)
昨日、こんなこと書いたんですが、ファンキー中村の代々続く家のお墓をなくしてしまうという話しを聞いて、あえて書きます。ご先祖様は、代々続く墓を守って欲しいと思っているとは思います。しかし、今目の前にある現実が厳しすぎて現実のリアルな生活を維持することだけで精一杯であり、その次の事に目がいかないというのはあると思っています。自分の生活がギリギリ可能なくらいの収入しかない場合、やっぱお墓とか別の事に意識がいきませんし、意識がいったとしてもどうしようもできません。お墓参りをしないで、草ぼうぼうになってという話しをよく聞きますが、自分の生活でいっぱいいっぱいの時に、お墓の草ぼうぼうは、どうしようもありません。そういうことを言うと、バチ当たりとか、いろいろ批判をする人がいると思いますが、コロナ騒ぎで派遣切りとなりガチ無職になり銀行の残高もなくなっている時に、他のことを考える余裕ってありますかね?おれは無理です。生活が裕福な人でないと無理です。そういう意味でも、今のコロナ騒ぎで更に人間不信とか、いろいろな関係がドライになるとか、希薄になるとか、もう世の中がそういう方向へ進んでいるので人間の力で止められることはないと思っています。もう制御不能なレベルなんじゃないか?と思っています。
2020年12月27日 日曜Sunday (Sun.)
上記に今を変えれば過去も未来も変わる。と書いた。その事について具体的な事が脳をかすめたので書いてみる。俺が国分寺市立第二小学校の2年の時、確か下校しようとして校庭に出た際に、空の上からサラリーマンになるな。という言葉を聞いた。小学生の俺に未来の俺の言葉が届いた瞬間である。小学2年生にサラリーマンになるな。という言葉は理解するのは難しいだろうし、そもそも言葉が短いので、仮に大人が聞いたとしても、本当の意味を汲み取ることは無理である。まあ、そのまま時間が経過したのだが。。。それを踏まえて、未来でも過去でも自分の声が届くということであれば、もっと分かりやすい情報を送れば、より分かりやすくなる。そのため、過去の小学生の自分に以下のメッセージを送ろうと思う。1度通じたので、2度目も可能なはず。自分は集団生活に適していない。自分の性格は芸術家である。何ごとにも中間・中庸で可も不可もなく、そつなく平均的に均等に仕事をこなすのは無理。自分はこれは自信があるとか、この仕事をやっていると、時間も忘れて没頭できること。それを将来自分のために探求して欲しい。一部上場企業とか従業員8千人とか、世の中の人が評価する項目で判断しないで欲しい。お前は芸術家である。なので、自分が夢中になれる何かを探してそれを極めてくれ。それがサラリーマンになるな。という意味である。今を変えれば、過去も未来も変わる。絶対に通じるつながる、と信じてこのメッセージを発信したい。
2021年1月4日 月曜Monday (Mon.)
たまたまネットで見たのだが、ラサール石井が三浦瑠麗に対して文句を言っている内容だった。三浦瑠麗ってどこかで聞いたなあと思っていたら、以前、番組に出てきた美脚の人妻熟女40歳学者さんでした。ああこの人は前にコメント書いたことがあると思ってよくよく確認したら。私の考えは、ラサール石井が言っていることに反対で、三浦瑠麗が言っていることに賛成でした。三浦瑠麗になんとか味方になってあげたいと思っていたのだが、無理やり味方につくことではなかった。おれは、三浦瑠麗が言っていることは正しいと思うし、ラサール石井は間違っていると思うのだが、こうやってネットを仲介しながら、直接対決せずに間接ボディーブロー的な撃ち合いをしていて、なんだかガキのケンカのようだなと思う。このように、コロナ関連で正しい対応か?間違った対応か?とか、Aさんは正しい。Bさんは論点がおかしい。というように自分の意見を言いっぱなしにすることって多いですよね。なんだかねえ。。人間のコミュニケーションが形を変えて、歪んできているように思うんですよね。戦国時代はネットがないから、逆に敵の間者が街中でわざと悪い噂を流すなどをしていた。街には文字が読めない人もいるので、声に出して発音してわざと流布させる手法が取られたと言われている。なんか、こっちの方が人間らしくて、アナログ的で趣もあるし、どうせやるならこっちだよね。と思う。2021年なんだけど、これから人間はもっと変な方向へ進化して行くんだろうなあと思うと、寂しいと言わざるを得ない。
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