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独り言のページ14
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いてもタダなので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、世の中の矛盾というか理不尽というか何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。



2020年08月18日火曜日Tuesday (Tue.)
自分の進路・就職について子どもの頃に思っていたことを思い出したので、また書いてみる。子どもの頃は、1年に2回くらい羽田空港に行き飛行機に乗っていた。祖父祖母、親戚などが北海道にいるので、帰省するためにかなりの回数乗っていた。飛行機の窓から見ていつも見ていた光景がある。飛行機を地上で誘導するスタッフがかっこ良いと思った。手を上や横に向けて飛行機の機長に指示するスタッフである。晴れの日だけではなく、雨の日でも寒い日でもやっているのがかっこ良いと思った。こういう仕事かっこ良いなあと思った。それから少し時間が経過し、アメリカ軍の空母の知識を持った時も、その気持ちが加速した。空母のカタパルトに乗った戦闘機のパイロットに指示するスタッフである。はやり羽田空港の時と同様に、手を上や横に振ってサインを送る。手を下に勢いよく下げたら、カタパルトが動き出す。カタパルトが押し出す瞬間。戦闘機が出撃する瞬間に、パイロットへの指示を出すという、超かっこ良い仕事だと思った。これは自分はぜひやりたいと本気で思った。その後のオレの進路・就職については、散々書いているので、ここでは書く必要はないが、みんなが知っている通り、専門学校へ行くな。ホワイトカラーになれ。の言葉を生真面目に守った結果、日本のIT大企業に入ってしまう。飛行機を誘導するスタッフになるためには、何の勉強をすれば良いか?大学?専門学校へ行けば良いか?なんて知らない。今も知らない。今はネットで検索すればすぐにヒットするが、今検索したところで後悔がより深く鮮明になるため、その情報は必要ない。あえて検索しない。ただ、いつも言っているように貞男が専門学校へ行くな。ホワイトカラーになれ。ということを強要したことで、子どもなりに判断して、飛行場の誘導スタッフになれないなあと気づいていたことは確かである。進路の芽を摘まれたとオレはここでも言いたい。で追加。飛行機に乗っている時、貞男か泰子にあの誘導している人の仕事をやってみたいと言った。その時、雨が降っていたか、冬だったようで、あの仕事は寒くて大変だからやめた方が良い。というような事を言われたことを覚えている。しかし寒い仕事かも知れないけれど、あの人は現実に仕事としてやっているし、見た目もかっこ良いし本気でやりたいと思っていた。今言っても貞男と泰子は忘れたと言うだろうけれど、その後の高校3年生の専門学校事件と合わせ技で、進路の芽を摘まれたとここで強調しておきたい。


2020年08月28日金曜日Friday (Fri.)
あるテレビ番組を見ていたらある人が簡単に断る。昭和の人は簡単に言わないが、今の人は断ったり、言いにくい事でも思ったことをすぐに言う。ああそうか。と思って、ここに書きたいと思います。俺が職がなくて就活していた時に、運よく面接に呼んでくれる会社も何社かあり、ありがたく面接に行ったものだ。正直、その後面接に行くのが恐怖になるのだが。その理由はあとで。面接に行くと、前の会社を辞めた理由は?と聞かれる。こんなに大変なこと、人間の生活じゃないような過酷な労働だったんです。と言っても信じてくれないんですね。前の会社の悪口を言うな。とか言われてショックを受けた。悪口ではなく説明なんですね。こんなにひどい労働条件でした。という説明と、文句と、ネガティブな事も全てごちゃ混ぜにして受け取る人が多い。面接官はそんなに情報収集が下手なのか?と本心クソと思います。やる気があるけれど、過酷な現場ではモチベーションを保てない。だから辞める。それを信じてくれないの一般人です。それは、自分がそういう過酷でギリギリの仕事をした経験がない。または、経験が少ない。浅い。と思う。で、これは、このHTMLの中で別でムカついて怒っているのでこれくらいにして、次に言いたい。今日言いたいのは、すぐにやめる。と思われるのが悔しい。おれは結構頑張り屋で、頑張り屋過ぎて自分をボロボロにするまですり減らして、死にたいくらいになるタイプなんですね。辞めるのと180度違う次元にいるんですよ。頑張り過ぎてどこで辞めたら良いものか?わからず自分の体よりも仕事に穴を空けてはいけないとか、そういう変な事を気にする。なので、自分としてはその都度、地獄へ落されるんですね。面接で自分は我慢強くねばり強いので、めったなことでは辞めません。と言うんだけど、信じてくれないんですね。NECネxxxを28年間勤務した実績があるけれど、これでは信用してもらえないのか?といつも落ち込んでいました。だけどね。今どきの若い人が来てすぐ辞めるのを見ていて、応募してくるヤツは仕事がきつくてすぐ辞めるっていうイメージがあるんですよ。たぶん。そのイメージがあって、おれが何度も我慢強いと言っても信じない。おれは世の中の軽い、すぐ辞める連中を恨みます。だって、自分が信じてもられない理由が、過去に採用した若い連中の言動げ原因だとすると、おれ何も悪くないのに、そのとばっちりを受けていることになりますよね。やめて欲しいです。あのねおれマジメなんです。マジメすぎて、会社に電車事故で遅刻するとき、タクシーに乗って定時に間に合わせるというマジメバカなんですよ。そういうマジメバカは仕事をマジメにやるに決まっていますよね。成果が出るでないではなく、マジメの部分だけの話です。なのでキツイ仕事でも継続しようとします。あのね。今の令和の世の中。こういうマジメバカって、あまりいないみたいなんですね。なので、信じてもらえないんです。おれマジメに生きているのに何で??といつも思うことがあります。泰子はマジメが良いと言っていましたが、今の時代、マジメバカは絶滅危惧種なので、数があまりいないし、周りが信じてくれない。だから苦しくなる。マジメバカをやっていてメリットはまったくないと断言します。おれ、むかし話の悪いジジイにさせてください。どうかよろしくお願いいたします。


2020年09月15日火曜日Tuesday (Tue.)
最近Youtubeで、車の動画を見ています。最新の車はミニバン、ワンボックスばっかり。車高が高くボディーがでかいものが動く際にキレイに加速、効率的に減速、安全にコーナーリングができるはずがない。できるのなら、F1カーはワンボックスになっている。また、ハイブリッド車だけではなく、ガチ電気自動車なんかもメジャーになってきている。エンジン音がしない。振動もない。マフラーがない。もしくは見えない。エンジンの音と振動で今、走っている状況が把握でき、それがドライバーの運転の判断になることがあるが、何も聞こえないので急に情報を閉ざされた世界に迷い込んだ、それくらいのインパクトと恐怖感と、不思議感と、不信感とイヤイヤ感がある。ようするに、楽しい要素が全くない。100点満点のテストで0点をつけてしまうレベル。おれは、買うどころか、レンタカーを借りたり、シャエアカーなどを乗るとしても、自分の人生で完全に乗りたくない車である。で、そういう世の中なのだが、Youtubeで、スポーツカーに特化してていたり、懐かしい旧車に特化していたり、素人なんだけどそういうレビューをする動画がいくつかあるというのを見て嬉しく思う。今思ったのだが、プロの自動車評論家なんかは、スポンサーからこの新車をレビューしてくれみたいな仕事をもらってやる場合もあり、自分はキライなんだけど、スポンサーなので変な事も言えないし、良い車ですと言うしかない。選択支がない動画もたくさんあると思う。素人だからこそ、嫌いなものも好きなものも、ストレートに表現できるのが良いと思う。その動画のレビューも若い人だったり、女性だったりして、今自動車を買わないような人たちがかっこ良い車をレビューし、好きで乗っていいて、さらに乗りながら、こんな面が楽しい。ステアリングが良い。サスペンションのタイヤの接地感が良い。コーナーリング時しなやかにロールしながらしかし、快適にオンザレール感で爽快に走り抜け、それは低重心であるからであるとか。。。踏んだ時のターボの加速感がハンパない。ブレーキの踏んだ感が良い。マフラーからの排気音がたまらん。自分の思いのままにあやつれるとか。エンジンのトルク感がすごく良い。。。。等々。。。。燃費どうのではなく、走っていて楽しい。体に感じる、五感に感じる情報がとにかく楽しい。走っていて楽しい。という評価をしているのを見ると、本当に自分も欲しくなるし、そういう楽しみかたをしている若者も世の中にいるんだなあと思える。絶滅危惧種ではあるが、まだあきらめてはいけない。まだまだ、何十年かは継続していくという希望が持てる。そのことがうれしい。


2020年09月16日水曜日Wednesday (Wed.)
前から思っていたのだが、親に関する文句が多くてこっちの話題になかなか入れなかった。Steamっていうゲームがあります。オンラインゲーム、ポリゴンゲーム、あと特にミリタリー系のこの3部門で最高峰だと思います。MODも充実していて、やりごたえ満足感は最高だと思います。しかしPCでやるゲームなので、PCのスペックがそこそこ高性能でないと、タイムラなりいろいろな問題で、100%楽しめないんじゃないかなあ?って個人的に思っています。おれも昔2000年くらいかなあ?もしかしたら、その前1998年とかくらいから、オンライン、ポリゴンゲームにあこがれて、Steamじゃなかったかも知れないし、その頃Steamがあったか?どうかも覚えていないんですが、日本製のゲームが少なかったので、PCで海外のサイトからダウンロードしてきて、ゲームしていました。しかし、ゲームをダウンロードしただけで動くものもあれば、動かないものもある。説明を読むと、どこかのサイトで、なんとかというファイルを持って来い、パッチではなくて、アプリの一部のモジュールみたいな感じのものとか、そういうのを探し、見つからない場合もあるし、見つけてもちゃんと動かなかったり、exe起動後xxのファイルが足りませんとか、メッセージが出たりして、どんどん海外のPCゲームへの熱が冷めていった。やる気があるんだけど、ある程度の技術知識がないと遊べない。さすがにイヤになって、じゃあ、PlayStationの方がいいじゃん。ということになる。PlayStationは、そのOSそのハードに特化して開発しているので、ゲームが起動しないということはない。バグがあっても、かなりの頻度でアップデートが出る。安定して遊べるのはPlayStationであると思っている。今持っているのはPlayStation4だが、年末にPlayStation5が出る。当初PlayStationは、PCを買うよりは本体が安いというのもあり、安価に遊べる子どものおもちゃであったが、PlayStation5は、とんでもない高額になると予想されている。ゲームも世の中でここまで認知されると、ハードが高額になりPC同様に気軽に遊べなくなるのがイヤだなあと感じる。


2020年10月04日日曜日Sunday (Sun.)
三木大雲の怪談説法というYoutubeがある。これを見て少し考えが変わったので、ここに書いてみる。もとは怪談なので、まあ、悪い人がいて呪いをかけたり殺したりする話なんです。その中で、人間にとって一番簡単なことは何ですか?という質問がある。怪談の中の登場人物は答えられない。その答えは、人間にとって一番簡単なことは、人を恨むこと、悪口を言ってみたり、 非難批判することである。そしてさらに、人間にとって一番難しいことは何ですか?という質問がある。これは、人間にとって一番難しいことは、人をほめることであると言っている。これを聞いて心がはっとした。オレは人間にとって一番簡単なことを繰り返していた。ものすごい上の人になりたいとは思わないが、さすがにこの低レベルの人間だとしたら、ヤバイよねえ。と思う。三木大雲は法華経であり、その教えは、還著於本人。恨みも善いことも悪いことも業となって本人の元へ還ってくる。これは一般的によく言われること。良い事をするとそれが自分に返ってくる。悪い事も同じ。他人を呪う恨むと、それが自分に返ってくる。自分も苦しくなる。だけどそれでも良いので、呪いをかける人もいる。やっぱり人生平和が良い。善い想いを出すか悪い想いを出すかは、個人に託された修行である。と言っている。オレは修行とか試練とか訓練とか、そういうのが嫌いなんですね。なので、人生は修行であるというのは基本的にイヤなんですが、やっぱり悪人よりも善人の方が良い。そして、それは個人に託されている。ということ。何をするにも個人の考えに沿っている。やっぱ良いことをやった方が良いです。今まで悪い事をしてきた人は、許されるのか?という質問には、罪証隠滅経という言葉を言っていた。心を入れ替えれば、悪い事は許されます。後からでも許さるるということ。これは、やっぱ、人生苦しいより良い方が良いからね。なので、貞男と泰子の悪口を散々言ってきたが、今回をきっかけにして、もうやめた。ただし完全に許したわけではない。だけど、怒りを継続させるのはやめた。完全に許していないが、継続して攻撃はしないという意味。許していないので、人間にとって一番難しいこと、相手の良いところを褒めることは、基本しません。笑。だけど悪口はここで終わりにします。次に、三木大雲が言っていた、貧乏神と疫病神の話。三木大雲が若い頃、貧乏だったのと病気にかかっていて、ものすごく苦労したとい話。その後いろいろな人に助けられて、今は満足した生活を送ることができる。水道の水、電気、ガス、食べ物、住む場所などいろいろなものに感謝できるという話。これは、俺は自分に当てはめると、こうなると思う。NECネッxxxという一部上場企業にいて、世の中的にはそこそこお金持ちであった。希望するものは、ほぼ何でも買えた。しかし、今その何分の1かのお金で生活している。趣味も全部できないし、買いたいものもほぼ買えない。食事も贅沢できないし旅行にも行けない。このパターンは、三木大雲の逆パターンなんだろうなと思う。今まであまりにも贅沢し過ぎてきたので、空の上で見ているエライ人が、これはいかん。もっと節度をもった生活をさせるべきと判断したんだろうなと思う。人間はそういう大きな力に抵抗できませんから、その運命を受け入れるしかないです。もとのお金持ちになりたい気持ちはある。しかし、天の神様の采配がないとそうならない。おれは地上のアリだから。天の神様が許してくれるまで。


2020年10月26日月曜日Monday (Mon.)
岡田准一司会のプロファイルという番組がある。スターリンの番組を見た。ヒトラーは興味があるので、関連するものはよく見ているが、スターリンは興味がない。ドイツvsソ連戦で戦った。大粛清をしたくらいにしか認識がない。しかし、解説のゲストにナントカ国際研究家三浦瑠麗という人がいて、見てみたいと思った。あとでわかったのだが、40歳熟女人妻であり、その歳で脚を大胆に見せるスカート、ワンピースを着ているため、モモ・脚を見せる。見る側も楽しい学者です的な立ち位置なんだなあということを知った。プロファイラーの画面から出てきたエロ周波数により、俺はそれをかぎ取っていたんだなあと認識した。さて、この番組でスターリンの狂気の人生を知り、あのヒトラーでさえ、スターリンとその側近は全員病気である。そうでないと説明がつかない。と言っている。それほど強烈であるということ。生まれたのはロシアではなく、ちょっとはずれたなんとかの田舎街で、貧乏であったという。ヒトラーもドイツではなく、ミュンヘンだったと思う。詳しくないが、ミュンヘンという街は、ドイツ本国ではなく、オーストリアとかあのへんの国境というか、チェコスロバキアとか、いろいろな国の言語などが混ざり合う、要するに田舎街であったという認識。なので、首都モスクワで生まれました。首都ベルリンで生まれましたというのではなく、田舎街で生まれて劣等感もあり、しかし、田舎街の下層階級の生活の苦しさをバネにして、首都へ行き、自分はこの国を建て直す。みたいな野心に満ちた心というのは、2人に共通していることだなあと思う。スターリンの事で知った内容を全部書くと時間とかいろいろな問題があるので、今日は強烈な1点を書きたいと思う。みなさん知らない人がいないくらい有名なスターリングラードの攻防戦。ドイツ軍は首都モスクワを目指して東に向かっていた。その途中にスターリングラードという街があった。その北か東側に川があった。名前は忘れた。その川を越えて進めば、そろそろモスクワへの進軍が決定的になるというか、そこを突破されるとソ連軍の士気も下がり、ソ連軍として大変なマイナスになるので、なんとしても、スターリングラードとその北か東側の川を渡らせてはいけない。死守すべきと思っていた。ヒトラーは独ソ不可侵条約を結んでいたのでソ連に攻撃した。それ以外にもヘンテコな軍が混乱するような命令を発している。モスクワにストレートに向かわず、油田地帯に寄り道をしたり、撤退を許可せず死守命令を連発。冬将軍が見えてきた時期でも軍に冬服を配っていないとか。。。まあいろいろあるんですが、そういう混乱というか、ヒトラーのよくわからない方針に付き合わされて兵士もイヤ気がさしてきたんじゃないかなあ?って思っています。で、前置きが長くなったのだが、スターリンの名前をがある重要拠点スターリングラードの守るため、スターリンが命令したのは、秘密警察を自分の軍の後ろに配置し、逃げるソ連軍の兵士を殺すというもの。やっぱソ連軍がソ連軍の兵士を殺すって、おかしいですよね。ヒトラーの死守命令もかなり厳しいが、自分の国の兵士を後ろで撃つって何???と思いますよ。スターリングラードの戦いは本当に泥沼で、一進一退。まさに消耗戦。ソ連軍の死者20万人のうち秘密警察に殺されたのが、1万3000人なんだってさ。いやあさすがに狂気としか言いようがないわ。スターリングラードは、なんとか死守し、結局、ベルリンに突入し、ベルリンの市街戦をしていたのはソ連軍である。最後の最後だけ見れば、ソ連軍ってすげー強いじゃん、みたいな感じになる。終わりよければすべてよし。みたいに見えるからね。おれがイギリス、アメリカだったら、イヤだね。苦労してノルマンディー上陸とかやってきて、最後の最後に良いところを持っていかれた。みたいな感じになる。絶対にそう見える。そういうのもあって、社会主義国というのもあって、イギリス、アメリカとは仲良くできないんだろうねえ。。。しかし、戦争に勝ったので、民衆はスターリンをほめたたえるわけです。2020年の今でもスターリンがやった事は正しいと思っている人が半分くらいいるらしい。なので、日本の北方領土の話で、今住んでいるロシア人にインタビューしても、ここはロシアの領土であると主張するというのは、こういうところから来ているんだろうなあと思う。俺たち戦争に勝ったんだから、前ら日本の領土は英雄スターリンのものだ、イコール俺たちのものだ。みたいな。。。


2020年11月4日水曜日Wednesday (Wed.)
トランプ大統領の話し方についてネットに記事が載っていたので、その事について、さらに、自分の考えなど少し書いてみる。トランプ大統領の話術を記事通り書くと、かなり長文になってしまう。なので、超簡単にポイントだけドン!ドン!と書きたいと思う。優れたセールスマンは物を売るのではなく、フィーリングを売るのだそうだ。ロジックではなく、感情を高揚させ、その気にさせる。という意味。圧倒的な熱量と盛りでエネルギーを最大限に注ぎ込む。内容が間違っているとかは、もはや関係なく、エネルギー全開で話をする。日本人は特に遠慮しる控えめにするというのが美学であるという、世界に通用しない習慣があるため、世界では声がでかい方が勝つ。言っている内容はあまり関係ない。教養があったりエリートだったりすると余計に、ガサツに下品に大声で言うことが困難になってくる。ここでドイツのあの人と比べてみる。感情を高揚させるという話術は、ヒトラーに似ている。ヒトラーの歴史に興味があるので、ヒトラーについては結構知識は仕入れている。しかし感情を高揚させるしても、手法は異なる。ヒトラーの方は、若干美学も重要だと思っているんじゃないかなあと思う。民衆を興奮させるにしても、下品な手法は使わない。確かゲッベルスだったと思ったが、軍隊の行列。整然とした行進。タイマツを燃やした現像的な空間の演出をして、ヒトラーの熱血演説を効果的にする。民衆の感情を自分の意のままに操る。ライティングや音響にこだわる、コンサート会場の演出にも似ているかも知れない。 要するにここで言いたい事は、人に何かを言う伝える、その人に自分の意見を聞いてもらいたいときには、控えめな美学を振りかざしても、誰も相手にしてくれない。仮に小さい声でしゃべったとしたら、お前は話を聞いて欲しくないのか?と問われるに違いない。おれは、日本の偏った世界に通用しない遠慮する美学を子どものころから教育されてきたから、今でも一歩引いた立場で俯瞰することが多い。それは他者から見ると、やる気がない覇気がない、ように見えるみたいであり、マイナスイメージを植え付けるようである。やはり今のこの成果主義・グローバル時代を生抜いていくことが厳しいということなんだろうと思う。追加で書いてみる。同じ日本人なので遠慮することが美学だから理解できるでしょ?的な空気感で接していても、当時正直あまり効果がなかった事例を書いてみる。小学生3年くらいだったと思うが、自分の意見を聞き入れない人がいた場合、反論したいのだが説明が長くなったり、相手の反発がさらに強化される事が容易に予想される場合、不本意ながら相手の指示に従うようにしていた。相手の指示通りに従うことで、めんどくさいんだけど、相手との論争は避けられるわけで、そのように逃げる手法をメインに使っていた。このため本気で反対勢力に対応ができないまま時間が流れていった。基本的に言い争いは不毛だったり、不快になったりする。要するに良い気分がしない。良いことは何もない。なので避けていた。このスキルは、2020年の55歳の今でもまったく変わっていない。なので、自分の反対勢力と関係を持つのが最高にキライな人間である。まず、そこがこの文章後半のポイント。ここから若干、話がそれていくのだが、おれはガチで続きであると信じている。ガチで上記文章からの続きである。ファンキー中村さんの怪談の中に、富士の樹海でのサバイバルゲームをやる話がある。そこで友人のHさんが、急に霊にとりつかれて泣きながらしゃべる場面がある。そのセリフ。おれは、楽になりたくてここへ来た。だけど楽になんかならなかった。1人でこんなところにいて寂しいよ。息子の名前を呼び泣く。という話がある。この話をストーリーの表面だけ取り上げてみる。生きるのがイヤになり楽になりたかったので、富士の樹海に来た。そして、この場所で自殺したのだが、1人で寂しくて自分の家に帰りたい。自分の息子の名前を呼びながら泣く。帰りたいたい。助けて。という内容であるが、この流れでは、自殺はしてはいけないって感じる人が多いと思う。現に、この主人公の幽霊は後悔して泣き叫んでいる。しかし、おれが言いたいのは、1人で寂しいから泣いているのか?もしそうだとしたら、おれ的には、わずらわしい他人がいなくて、逆にスッキリすると言いたい。おれは変態だというのは本人が一番認識しているし、周囲にも認識している人はいる。子どもの頃から他人と感覚が違っていて、非常に苦労・苦痛・困難を感じてきた。他人に合わせようとすると、完全に合わないので、誹謗中傷とか文句を言われる。じゃあ、他人に合わせる必要ないじゃん。自分は自分の道を行けば良い。と開き直るとまた、誹謗中傷とか文句を言われる。ああ言えばこう言う的な感じなのだろうと思う。おれは、この無限の繰り返しをやってきて、いささか疲れている。というか疲れきっている。この苦痛・疲労感を感じられない人は、この話にクビを突っ込んで欲しくない。おれ的には、どっちでも良いから、楽な方にしてくれないかな。と思っているが、精神的に休まるときはほぼない。従い、富士の樹海でひとりぼっちになることは、周囲の人間関係を断つという意味では最高の環境であると言える。それと、以前このHTMLのどこかのページにも書いたが、生身の人間は食べないと餓死する。そのために、働いてお金をもらないといけない。幽霊ならば食べ物はなくても一応生きていられる。このサバゲの霊のように、自殺しても生きているのと同じ感情、同じ感覚を持っていることなので、比喩的に、仮想的に生きているという表現をあえて使った。この世は、生きていくために必要なお金が高すぎる。賃貸の家ならその賃貸費用だし、自分の家であっても、固定資産税というものがある。そして、毎日の食事費用もなんだかんだ、かなり高いと思う。世の中で言われている、老後の生活のために必要な金額は2000万円だという。そんな貯金なんてあるはずない。今、目の前の毎日の生活で苦しんでいるのに、老後の2000万円の事なんか考える余裕なんてない。若いころ自分を犠牲にして、周りに苦言を言われながらも、苦しみながら一生懸命働いてきて、老後の年金の金額がビたるもので、生活が苦しくなっていく。何のために生まれたんだろう?何のために生きてきたんだろう?という疑問にたどり着く。本気でこの疑問は死ぬ最後の最後まで解けないんだろうなと思いながら、疑問を感じ苦しみながら、目の前の毎日を生きている。


2020年11月6日金曜日Friday (Fri.)
デンジャー・クロースという映画を見た。ベトナム戦争映画は好きで、今までいくつも見てきた。デンジャー・クロースは、実話なんだけど、正直そこまで高揚感はなかった。しかし、最近ベトナム戦争映画、それ以外の戦争映画がめっきり減ってしまったので、映画を制作し、見ることができるだけでも良しとしなければいけないのかなあ?とも思っている。デンジャー・クロースを見ながら、昔の事を思い出してきた。それは何かと言うと、昔のベトナム戦争映画、プラトーン、フルメタルジャケット、地獄の黙示録、ワンスアンドフォーエバー、チャーリーモビックのなんとか、ハンバーガーヒル、もっとあったかも知れないが今はすぐに出てこない。。。などの映画を見ながら、若い頃思っていたのは、一般の下の階級の兵士、要するに一般民衆、市民の人は、いつも理不尽な事に遭遇すると、本気で恐怖さえ感じていた。戦争に行って敵に殺されるという恐怖感ではない。自分の軍隊の上官の言動が怖い・恐怖であると感じた。敵なんかより自軍の上官が怖いのである。戦争だから理不尽な事はいくらでも起きる。個人の命よりも軍全体・国全体の存続を優先する。そのため目の前に敵兵がたくさんいるので、無線で増援を要請しても却下される。とか、敵中突破し基地へ帰還でよとか、まあその時その時で、理不尽なミッションを言われる。そういう命令を聞くたびに、サラリーマンでも会社命令として、こんな事あるのかな?と思ってビクビクしていた。しかし、いつも話題に出る貞男と泰子は、楽観的というか何も考えていないのだと思うのだが、自分達は一般市民なんだけど、世の中のエライ人、上の人は変な命令をしないはず、みたいな変な思想を持っていて、その家族の中にどっぷり浸かって生活していたもんで、どんどん危機感が薄れ、いつしかオレは最下級の一般市民なのだが、大丈夫みたいな脳みそに洗脳されてしまった。実際は大丈夫ではない。戦争だろうがサラリーマンだろうが、上下の階級差があるのだから、理不尽さは絶対にあるのである。世の中はそういうふうに昔からできているのである。そういう危機感を手離してしまった事を後悔するとともに、あの貞男泰子を恨んでいる。本気でガチで恨んでいるが、ここでは恨む話が主ではないので、すっ飛ばして話をどんどん先に進める。そういう理不尽な命令があるんだよという事を、ベトナム戦争映画を通して一定のレベルで勉強できたということは、自分自身評価したいなと思う。それと、それを警戒することを手放した事の人生のリスクと、実際に地獄へ落ちてしまった今の境遇を、後悔と書けば簡単なのだが、カンタン過ぎる言葉では満足しないこの俺がここにいる。悔しい、惜しい。本当にもったいなかった。そして全く関係ない別の話題。今、電気自動車とかハイブリッド車とかが流行していて、内燃機関で走る車しか興味ないので、さらにイヤ気がさすのだが、車の走る音が静かなので、歩行者が気付かないことが多々あるので、あえて車のスピーカーから音を出して歩行者に知らせているという、驚きの事実。外についているスピーカーからわざわざ音を出して走行している。。。??おかしいよね。さらに、その音を止めた場合、車検に通らない。音色も勝手に変な音に変更すると、車検に通らないというもの。益々、電気自動車なんか乗る気がしないって感じです。おれは絶対に買わない。まったくもっていらない。鉄クズだね。で、話はここから先に進んでいく。電気自動車って、ガソリン燃やして排気ガスが出ないから、地球に優しいって一般市民は思っていますよね。これね。おれ、今年コンビニとかのレジ袋有料化って実際されたけれど、プラスチックごみの大半は、ペットボトルとか他のものなんですよね。レジ袋が仮にゼロになったとして、それ以外のプラスチックごみが95%とか96%とか97%とか残っているんですね。これって、たぶん一般市民の人知らないんじゃないかな?ああ、おれ地球に良いことやっているな、と勘違いして生きていると思う。で、ここで、さっきの電気自動車の話と接点が出てきます。電気自動車は確かに、排気ガス出しませんよね。しかし、家のコンセントで充電できるんですよ。だとしたら、家の電気代が増えますよね。それが微々たるものだとしましょう。その家の電気は、東京電力とかが発電している電気ですよね。あの3-11東日本大震災の時の事があったので、日本の原子力発電所はどんどん停止しています。その足りなくなった電気をどうしていると思いますか???火力発電所をどんどん稼働させて、電力を増やすことをやっています。なので、今、あの3-11の地震の前と後では、火力発電の数がどんどん増えて、石油や石炭を燃やして発電所の煙から有害なガスや、地球温暖化のガスを大量に出しています。これって、一般市民の人は知っていますか。知らない人って多いと思います。電気自動車だからイコール、エコだと信じ切っている人って多いんじゃないですか。おれは、そういう人はオツムがめでたいなと思います。実際にデータを取って調べたわけではないですよ。でもね、火力発電所が増えて、有害なガスを出しているので、車の排気ガスとどっちが多くて、どっちが有害で、どっちが地球温暖化に影響するのか。という比較をしようとか、考えてみようとか、調査してみようとか、そういう一般市民の人っていますか。たぶんいないですよね。まず、疑問に思っていないから調べたい・勉強したいというスタートラインに立っていないんですね。そもそもオレは、内燃機関の車しか乗る気がないので、地球温暖化問題は二の次ですから、別に調べません。今回の新型コロナウイルス感染問題も、国や専門家が言うから信じているんですが、そのデータが改ざんされているかも知れないし、プロパガンダみたいな感じで、情報操作されているかも知れない。〇〇かも知れないと危機感を感じている人が、いったい何人いるのでしょうか。国が言うことはウソが多いですから、国が言うから信じるというのは、国から見ていつも言うことをきく犬と同じですから、扱いやすいわけですよ。それが行き過ぎると、太平洋戦争のようなウソだらけの大本営発表になるわけです。今日のところはこれくらいにしておきます。


2020年11月7日土曜日Saturday(Sat.)
ここ2~3日で都市ボーイズのあるYoutube動画を見た。最初に結論を書くと、マルチタスクで仕事をするヤツはダメで、シングルタスクが良い。マルチタスクは効率が悪い。さらに記憶力などの低下などもあると、最近のネイチャー誌に掲載している専門家の研究成果を説明していた。俺が会社に入社し、最初の頃は、シングルタスクで仕事を行っていた。そうしたら奥平課長がコンピュータのように、順番に処理することしかできね-----的な批判の言葉を浴びせられ、かなり落ち込んだ。その後、マルチタスク化に挑戦するが、そもそも得意じゃないことをするのだから、仕事の効率が上がるはずもなく、余計にあせってミスをし墓穴を掘る始末。その際、同じように能力が低く使えないというような言葉を浴びせられる。しかし、最近の研究でシングルタスクが人間仕事の仕方として正しいと認識された今でも、実は過去のトラウマを抱えていて、マルチタスクに手を出し、失敗してミスを犯し、批判される日々である。あの奥平のおかげで、仕事をするのをあせるようになり、その結果ミスをする。そして今もそのトラウマが消えない。あの時のお前の言葉で、おれは何十年も苦しんでいる。ほんの少しではあるが、おれの人生の邪魔をしてくれた余計な生物という位置付けにさせてもらう。俺が石油王になった暁には、まあ、ボロクソに反抗させてもらう。そして次の話題。子どもの頃、101匹のネコというような絵本があった。たぶん日本人ならほぼ読んだことがある本なんじゃないかなあと思う。その本のストーリーは、ネコが大勢船に乗って、海へ航海に出る。ある場所で、大きな魚を捕獲する。船に大きな魚が積んである挿絵が強烈で今も覚えている。ロープで船にぐるぐる巻きに固定。この魚は食べてはいけない。陸の仲間のところに持っていくまで、食べてはいけない。とリーダーのネコが言う。全員、その事を了解する。その後、夜の闇だか霧だか、忘れたが、視界が遮られてしまう。そして、その次のページに衝撃の事実が。闇だか霧だかが晴れたら、船の上に載っていた魚が骨だらけになっている。要するに船の乗務員のネコが食べてしまったのだ。おれは、子ども心にショックを感じた。これは食べてはいけない。陸の仲間のところまで持っていかなければいけない。と言われ、その事に同意したはずが、闇が明けたら全員食っている。なんで???おれはルールを守らないヤツはキライだ。そして、この絵本は、なぜ食べるのを禁止していたにもかかわらず、食べてしまったのか?理由の説明がない。全員に食べても良いという指示が出たなどの説明がない。食べても良いという指示がなくて、なぜ食べたのか????なんで???オレは、その疑問を2020年の今も引きずっている。みんなで同意したルールは破ってはダメ。ルールを破った全員に天罰が下るはずである。ちなみにおれが1匹のネコだとして、自分は船に乗っていて、食べるなの指示で我慢し続けていたところ、他の全員で食ってしまって、その惨劇を見たおれは、ショックで海に身を投げていると自分で想像する。おかしいでしょ。食ってしまった理由は書いていないが、食べてしまった理由を本を読んだ本人が推測せよというのなら、今言えることは世の中には理解不能な理不尽なことがあるよということなんだろうが、おれは一切許さない。だって、決まったこと指示された事を、勝手に破るんですよ。あり得ない。おれは許さない。怒りがこみあげてくる。この事を家内に聞いたら、子どもの頃そんな事考えたことがないし、今もそれほど感じない。ああ、そうなんだあ----的な感じでそれほど重要ではなく、こだわるほどの事でもないと言われた。軽く流せる性格って楽だから良いと思う。うらやましい。おれは、小学生の頃、よく考えろとか、もっと集中して何が問題なのかを検討し、次にどう生かしていくか?などのような言葉を浴びせられたと記憶している。こんなに厳しく言われてきたので、さぞ大事な事項なんだろうなと理解して、苦しくても深く考えるように実践してきた。しかし、その実践が仇になるとは、当時のおれは知る由もない。そういうふうに強要・強制・教育してきた大人を恨ませてもらいます。そこまで深く考える人はいない。だから無駄な努力であり、自分の人生を狂わせた要因でもある。これは断固断言しておく。これを断言しておかないと死ぬに死ねない。


2020年11月8日 日曜日Sunday(Sun.)
なんかまた書きたくなったので連投です。芸能人が漢字を読み間違えたので、おバカねえ。みたいなネット記事を見た。いやあ、今の時代感じの読み方なんてわからなくても生きていけますよ。芸能人ではなくて、まず自分のはな話しから書いてみる。IT系の仕事をしているのでIT系の資格取得をめざしていた。情報処理なんとかという資格。IT系と言っても情報処理系は不得意で、仕事に直結しないので、真剣に勉強できなかったし、正直分野範囲外の内容が多いので、覚えるのに苦労した。何回か受験したが、気持ち的に及び腰というのもあり合格に至っていない。その中で、平文というものがある。読み方は正確にはヒラブン。しかし、参考書で勉強していた時、ヘイブンと読んでいた。試験に合格するだけなら、ヒラブンでもヘイブンでもどちらでも良い。そのものが何かがわかっていれば読み方はテストの問題に出ないからである。これが一例。要するに、世の中的に正しく漢字を読めなくても良い。と思っている。しかし、最近の若者の言葉で、ナニナニじゃなくねえ?という否定の否定のような変な活用をする言葉はいただけない。あの言い方は否定の否定なので質問系が遠回りしている。ストレートにナニナニです。と言えば、相手にしっかり聞こえるし、相手に伝わりやすい。で、本題はここから。ネットに書いてあったのは、今はやりの言葉のコロナ禍。禍というのは、不幸とか良くない事を表現する言葉らしい。このコロナ禍をコロナ渦・うず・と読んだ芸能人がいたらしい。それは間違っていると記事の中で言っている。しかしおれは、ネットで指摘している方が間違っていると言いたい。コロナという単語は、新型コロナ感染・コロナウイルスの事である。それに禍を追加し、世の中でコロナウイルスで大変な不幸・不況になっているという言葉になる。単に合体させて作った単語であって、コロナと禍を切り離しは可能である。この2つの単語には、何の関連もない。なので、その芸能人が、コロナ渦・うず・と言ったとして、その人の気持ちを推測すると、コロナウイルス感染で、世の中が大変なことになっている。人々は、ウイルスの猛威にさらされ、病魔の渦に巻き込まれたように、ものすごい苦境に立たされているという意味で・うず・と言った。とオレは理解をしている。比喩なんですね。この日本人的情緒を読めない作家やレポーターや記事を書く記者、その他ライターなどは、想像力が乏し過ぎて悲しいとオレは思います。さらに、おれはSNSで、5回くらいあえて、コロナ鍋・なべ・と書いた。漢字の字が似ているのと、上記のような比喩とジョークを組み合わせて自分で作った言葉である。この意味は、ごった煮の鍋のように、なんでもかんでもという意味で、老若男女問わず、国籍も人種問わず、コロナウイルス感染により、日常的な活動を奪われ、苦痛の日々を送っている。ごった煮の鍋のように、なんでもかんでも一緒にまるごと、悲劇・不幸に陥れたという意味が込められている。コロナのあとに禍の字がつくのが正しいと主張している連中は、想像力が乏しく頭が固いヘンクツ者であると、自分で吹聴して歩いていると言っても過言ではない。今日はこの辺にしておく。


2020年12月11日 金曜日Friday (Fri.)
東条英機の番組を見て、昔の事や自分の親の世代の考え方などを考えるきっかけとなった。以下、番組の中で語られていた言葉を書いてみる。まず、東条英機が首相になって、太平洋戦争に突入していく際に、エライ人が会議を何度も開催し、それも長時間の会議をやって戦争するかしないかを決める場面の3つの選択肢が出ます。その選択肢の中に、目の前の戦争を回避し臥薪嘗胆をしながらチャンスを待つという言葉があった。おれは、高校生の時の漢文の教科書に臥薪嘗胆があり、その内容を勉強していて疑問に思った。ということを以前書いている。東条英機が太平洋戦争に突入する直前に、この言葉を使っていたと聞くと、日本国にとって大きな契機になる場面で使われた言葉であり、かなり重いものを感じた。そして、それを日本の高校生に知って欲しいという意味で、漢文の教科書に載っているんだなあと理解した。しかし、このように理解できたのは、1億人日本国民いる中で、おれ1人だけのような気がする。要するに優越感に浸れるのである。次に番組の中でのコメントを書いて行く。日本人の負けパターン。これまでも行きがかり依存、経路依存というふうに経済学の用語では言いますけれど、過去にこだわって日本人は負ける場合が多い。中国と戦争しているのに、あんな人口の多い国。さらにアメリカという世界最強の国とぶつかろうと。同時にですよ。正直、国策としては大きい絵はむちゃくちゃなんですよ。シンガポールに手を出すわけですから、イギリスも同時に戦うって話ですから。 これはね。陸軍という飼い犬が怖くて外にいるライオン鉄砲を放つような話。冷静になって考えれば、そりゃあわかるんですけど、1年先とか石油の話とか、狭い範囲でこの問題だけ解決すると考えるとこういう結果が出ちゃうと。あとでなら何でも言えるよという視聴者の方がいらっしゃるかも知れないけれど、歴史や裁判所っていうのは、あとで検証するのが仕事であるから。我々はこれはもう絶対やらなきゃいけない作業なんですよ。先の戦争のイメージを大きく変える必要があると思いますね。例えば大臣が自分たちの部門の利益しか追究しなくて、結局それを総理大臣がうまくまとめられなくて、統合権力がなくてですね。一般的なファシズムだとか独裁国家というイメージとは違う形で、我々は戦争に突入しちゃっているんですね。更には今でも本当に解決しているのか?っていう問題ですよ。 たまたま状況が悲惨な状況じゃないから、大きな事が起きていないかも知れませんけれども、今の政府を見ても状況をよく見てコントロールして前に進めていると思えない事がたくさんありますし、個々の組織、企業だとか大学でもいいしそういう組織でも、我々が主体的に決定して物事を進めていると思えない事が多いんですよ。結局、状況に流されてどんどん選択肢が狭ばまってきてしまって、まあ、みんなの意見を聞いて両論併記のまま物事が進んで行くことが多い。この問題に切り込まなければ私たちは本当に戦争の教訓を今に活かしたということになっていかないだろうなと思いますね。これやっぱり長い歴史を見ていく上で、教訓も含まれていると思うんですよ。歴史上の人物を見ていたらやっぱり、優秀な軍官僚の負けパターンがあるような気がします。それは何かって言うと、前提条件が誤っていたり怪しい場合、大きな国の計画、大きい絵を誤った前提で描く。石田三成も東条英機と同じような負け方をしていると思うんです。関ヶ原の合戦も、家康よりもたくさん人数を集めて、それで、山の上に並べて包囲したら勝てるって前提なんですけど、実際には動かない軍隊がいて前提がきかなかったわけですよね。一見、頭が良くて理論的な優秀な人が考えるものっていうのは、いくら能力があったとしても、それの前提があいまいであるかどうか。あいまいな前提に立って、国民全般の生死が多くかかわるような決定はできないっていう事が非常に重要で、私は前提チェックということがですね。これが非常にあらゆる大きな計画を行う上で重要なんじゃないかなあ。ここから自分の親への考えを書きます。東条英機が首相になった時泰子が生まれています。その何年か前に貞男が生まれています。その何年か前は東条英機は中国にいて陸軍憲兵のボスをやっていた。映像を見るとものすごく古いし、こんな大昔に生きていたのか?と思うと歴史上の遠い人って感じです。しかし、時代は昭和ですから、江戸時代とか明治時代とかでもなく、ある程度最近の出来事なんだなあと思います。こう見ると怖いよね。東条英機と自分の祖父祖母の年齢と同じくらいなんじゃないかなと思うと、歴史って近い時間でも記憶からは遠ざかっていくようなそんな気がします。あの古臭い、軍服を着た東条英機と同世代ということになると、自分では想像のつかない大昔にタイムトリップしたような感覚さえ覚えます。こういう軍国時代に生まれ育った人は不幸だよねえって思います。東条英機だけでなく、日本の国全体が戦争に突き進む空気感があったと言っているので、そういう空気感を肌で感じている人と感じてない人との会話は、まったくかみ合わないよねと思う。しかし許しているわけではなく、かみ合わないのなら、かみあわせるように努めるのが人間の心理だと思う。歩み寄らないのは、やっぱどこまで行っても悪であります。時代だからしょうがないよねと政至が言っていたが、時代は理解したが、意固地になっているヤツらはやっぱ許せないです。悪口を書くと疲れる。ということで今日は軽めに締めくくっておきます。


2020年12月14日 月曜日Monday (Mon.)
大昔、2年~3年前かそいれ以上かも知れません。当時感動した言葉があったので、メモを残していて、たまたま見つかったので書いてみます。過去の未練がある人は過去に戻りたいと思って。未来に不安がある人は未来に行きたいと思っていると思います。けれど、なんだかんだ今を変えれば過去も未来も変わると思います。不思議な事に過去の出来事は変えられないですけれど、その後悔やトラウマに対する感情は、今考えかたを変えたら自然と見え方が変わってきますよね。この先の未来の不安も、今動けば自然と不安に対する気持ちが変わっていきます。ボク的に昔があって今があるというより、今があって全てがあるという考えかたが好きなので、過去のトラウマや未来への不安で今を苦しんでいる人たちは、それらを受け入れた上で、今を生きてください。人生いつでも遅くないし気持ちは一瞬で変わるし、そうすれば人生も一瞬で変わります。ただ、今に集中して生きてみると、世の中自然とうまくまわっていきます。


2020年12月22日 火曜Tuesday (Tue.)
上に書いた、今を変えれば過去も未来も変わるという、内容につながるかな?と思って今日は書いてみる。大昔、慣れない静岡県で、1人ぼっちで伊豆から浜松まで時には岐阜まで、まあ、それ以外にも、いろんな所に障害対応に行かされて泣いていました。当時、大きな荷物を持っていました。でかいスーツケースは35kg、自分のカバンが3kg、保守品のダンボールなど2kgとか3kg、5kgとかありました。電車での移動が死ぬほど大変なんです。静岡県の知らない駅で、ホームから階段を下りて改札に向かうという場面でした。階段の段数は多かったです。田舎の駅なので、他に客もいない。自分ひとりがその階段を降りようとしていました。当然自分の荷物が重いので、進行方向へ向かって大きく力を入れます。その方向は、もちろん階段の降りる方向です。その瞬間、この階段を転げ落ちるほどの力で下方向へ体が傾きました。おれは、その時、このまま落下するかもと、本気で思いました。静岡の田舎の知らない場所で死ぬのかな?というのも頭をかすめました。その時の感覚的な話なんですが、もう落ちる。もうあと1mm傾いたら落ちる。落ちる落ちないの髪一重のところで、ホーム側に戻った。本当に紙一重で落下せずに済んだ。当時は、何も考えていませんでした。危険なので注意して降りようと、深呼吸して落ち着いて降りた。時間がないとか遅刻するとか、そういう事を考えないようにした。で、今考えると、あの時、自分をホーム方向へ戻してくれたのは、守護神なのか?ご先祖様なのか?それは知りませんが、ここでこいつを殺すわけにはいかない。という判断があったのかなあ?と思います。当時は、仕事はきつかったですよ。眠れないし重労働だし、時間に追われるし、何もかもがイヤだった。しかし、唯一収入だけは、かなりの大金をもらっていました。1か月20万円の買い物を平気でやっていました。お金だけは、無限にわいてくるか?のようなそんな錯覚さえありました。一部上場企業にいたら、誰もお金に困らないと思います。しかし、今この2020年の12月コロナ騒ぎで世の中が激変している時代です。派遣切りとか、倒産とか、おとなも子どもも自殺人数が大幅に増えている暗黒の時代です。おれもガチで派遣切りにあったし、6月末から7月末までガチで無職になった。8月にある会社に拾ってもらったのだが、あれがなかったら、例のイヤだった静岡県の富士の樹海に行っていた可能性は十分にある。で、ガチで無職になり、ガチで銀行の残高がゼロになるという経験をした。だからこそ、今、貧乏人や社会的弱者の気持ちが理解できる。静岡に行きっぱなしで、出張費で毎月大きく黒字になって、高額なものを買っていた当時では考えられない。なんというんですかね?自分は世の中とか、人生の勝者であるみたいな考えは心のどこかにあったんですかね?それを正すために何者かが、田舎の駅の階段で紙一重で助けて、後に来るコロナ騒ぎの中で人生を見つめ直せ的なこと?を言いたかったんだろうなあ?と思います。静岡の地獄の何年か後に起きる、コロナ騒ぎの中で何者かが教えたかった伝えたかった事って、これだったのかなあ?って、今本気で思います。


2020年12月23日 水曜Wednesday (Wed.)
昨日、こんなこと書いたんですが、ファンキー中村の代々続く家のお墓をなくしてしまうという話しを聞いて、あえて書きます。ご先祖様は、代々続く墓を守って欲しいと思っているとは思います。しかし、今目の前にある現実が厳しすぎて現実のリアルな生活を維持することだけで精一杯であり、その次の事に目がいかないというのはあると思っています。自分の生活がギリギリ可能なくらいの収入しかない場合、やっぱお墓とか別の事に意識がいきませんし、意識がいったとしてもどうしようもできません。お墓参りをしないで、草ぼうぼうになってという話しをよく聞きますが、自分の生活でいっぱいいっぱいの時に、お墓の草ぼうぼうは、どうしようもありません。そういうことを言うと、バチ当たりとか、いろいろ批判をする人がいると思いますが、コロナ騒ぎで派遣切りとなりガチ無職になり銀行の残高もなくなっている時に、他のことを考える余裕ってありますかね?おれは無理です。生活が裕福な人でないと無理です。そういう意味でも、今のコロナ騒ぎで更に人間不信とか、いろいろな関係がドライになるとか、希薄になるとか、もう世の中がそういう方向へ進んでいるので人間の力で止められることはないと思っています。もう制御不能なレベルなんじゃないか?と思っています。


2020年12月27日 日曜Sunday (Sun.)
上記に今を変えれば過去も未来も変わる。と書いた。その事について具体的な事が脳をかすめたので書いてみる。俺が国分寺市立第二小学校の2年の時、確か下校しようとして校庭に出た際に、空の上からサラリーマンになるな。という言葉を聞いた。小学生の俺に未来の俺の言葉が届いた瞬間である。小学2年生にサラリーマンになるな。という言葉は理解するのは難しいだろうし、そもそも言葉が短いので、仮に大人が聞いたとしても、本当の意味を汲み取ることは無理である。まあ、そのまま時間が経過したのだが。。。それを踏まえて、未来でも過去でも自分の声が届くということであれば、もっと分かりやすい情報を送れば、より分かりやすくなる。そのため、過去の小学生の自分に以下のメッセージを送ろうと思う。1度通じたので、2度目も可能なはず。自分は集団生活に適していない。自分の性格は芸術家である。何ごとにも中間・中庸で可も不可もなく、そつなく平均的に均等に仕事をこなすのは無理。自分はこれは自信があるとか、この仕事をやっていると、時間も忘れて没頭できること。それを将来自分のために探求して欲しい。一部上場企業とか従業員8千人とか、世の中の人が評価する項目で判断しないで欲しい。お前は芸術家である。なので、自分が夢中になれる何かを探してそれを極めてくれ。それがサラリーマンになるな。という意味である。今を変えれば、過去も未来も変わる。絶対に通じるつながる、と信じてこのメッセージを発信したい。


2021年1月4日 月曜Monday (Mon.)
たまたまネットで見たのだが、ラサール石井が三浦瑠麗に対して文句を言っている内容だった。三浦瑠麗ってどこかで聞いたなあと思っていたら、以前、番組に出てきた美脚の人妻熟女40歳学者さんでした。ああこの人は前にコメント書いたことがあると思ってよくよく確認したら。私の考えは、ラサール石井が言っていることに反対で、三浦瑠麗が言っていることに賛成でした。三浦瑠麗になんとか味方になってあげたいと思っていたのだが、無理やり味方につくことではなかった。おれは、三浦瑠麗が言っていることは正しいと思うし、ラサール石井は間違っていると思うのだが、こうやってネットを仲介しながら、直接対決せずに間接ボディーブロー的な撃ち合いをしていて、なんだかガキのケンカのようだなと思う。このように、コロナ関連で正しい対応か?間違った対応か?とか、Aさんは正しい。Bさんは論点がおかしい。というように自分の意見を言いっぱなしにすることって多いですよね。なんだかねえ。。人間のコミュニケーションが形を変えて、歪んできているように思うんですよね。戦国時代はネットがないから、逆に敵の間者が街中でわざと悪い噂を流すなどをしていた。街には文字が読めない人もいるので、声に出して発音してわざと流布させる手法が取られたと言われている。なんか、こっちの方が人間らしくて、アナログ的で趣もあるし、どうせやるならこっちだよね。と思う。2021年なんだけど、これから人間はもっと変な方向へ進化して行くんだろうなあと思うと、寂しいと言わざるを得ない。














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