2020年06月21日日曜日Sunday (Sun.)
貞男は、自分は子どものために最良の進路を示したと、たぶん自負していると思う。それは思い込みの自己満足に過ぎない。専門学校へ行っても良いと言われれば、自動車整備の専門学校へ行って、自動車いじりの仕事を本気であやりかたった。自動車いじりは、貞男の言うホワイトカラーではなく、ブルーカラーになってしまうので、ダメなんだなあと、子どもながらに、親に言う前にあきらめていた。子どもだから、何でダメなんだろう?って考える余裕も経験もない。親が頭ごなしにダメというからダメなんだ。それしか考えられない。いまなら、それは間違いであると強烈に反論できるが。で、自動車整備の資格を取って、自動車メーカーの販売店の整備スタッフになることもできる。さらに、最近、世の中が見えてきて強く思うのは、街中にある、個人経営の小さい、自動車整備工場みたいな会社。あれをやりたいです。めちゃくちゃやりたい。自分の好きな車を一日中整備、触っていられるのは楽しいと思う。それに、一部上場企業のように、うるさい社員を縛るルールもない。個人経営だからある程度個人に任せた、ゆるい感じだと思う。さらに、スバルや三菱のメカニックで、運がよければWRCの現場で働ける可能性もある。WRCの現場で働けるなんて自動車ファンの夢です。世界の一流ドライバーの側で仕事がきるんですよ。ドキドキワクワク最高です。そして、整備士であれば自分の車の整備とか、簡単な改造とかできます。自分でオイル交換するとか、ちょっと調子悪いなと思ったら、部品買ってきて自分で修理するとか。今も車関係の仕事をしたいなあと思いますね。街の自動車整備工場で良いから是非やりたい。自動車整備士になりたかった。しかし、ブルーカラーになるな!との変な言いつけを守ってしまったせいで、自分の進みたかった進路をつぶされたという事例です。今考えると本当に悔しいし、あの根拠もない強引な決めつけ、本当にクズだなとつくづく思う。
あのね。これは、テレビドラマで良く見る、中学生や高校生が、お父さんお母さんの人生じゃない。私の人生だと言ってケンカするシーンあるでしょ。あれと同じだと思ってもらっては困る。勘違いしないで欲しい。それは反抗期で親の決めた進路に行く気がなくて、行けと言われて、決めたられた大学の医学部とか、法学部とか、に行く前に抵抗・反抗しているのとは、別次元ですから。あくまでも、自分は、貞男の言うことが正しいはずである、と信じて来た結果がこれで、騙された、裏切られた感がハンパないんです。もう終わったことだけど、その時、騙していたヤツを許せない。という単なる怒りの気持ちです。今までの貞男の言動を見ていたら、これは理解できないとは思います。理解できようと、理解できなかろうと、俺には関係ない。40年後、50年後に世の中の真実を尽きつけられた、俺の苦しみのパワーを、全開に浴やがれ。と言いたい。もはや理解されたいとか、そういう次元は超えている。思い知れ。死にやがれ。
2020年06月27日土曜日Saturday (Sat.)
都市ボーイズのYouTubeが好きで最近聞いています。そのなかで、クリスタルGというラップの曲が注目されている、はやせさんいわく、感動するというか、ものすごい共感する名曲であると絶賛している。世の中のラップのプロも絶賛しているとのこと。歌詞の内容は、33歳で大学の医学部をめざし勉強する。予備校でA判定。受験したが結果は落ちた。テレビのニュースで、合格点に達しているにもかかわらず、落とされたというニュースが流れる。大学へ質問しに行ったが、これは不正じゃないと言い張る。という内容。世の中には年齢で落とされるというのは、よくあります。これは差別になると思いますので、決して正しいことじゃない。仮に33歳の総理大臣の息子が受験していたら、採点せずに合格させるだろうねえ。。。そういう世の中なんですよ。今リアルで、アメリカの黒人差別デモが流行していて、世界中で差別反対のデモを行っている。差別はおれもキライだし、誰に聞いても正しいものではない。そんなのわかりきっている。。。が、実は年齢で差別、性別で差別、容姿で差別、とか、仕事の能力とは関係なしに差別される。おれも、転職活動していて、これだけの大きい仕事を過去にやってきました。やる気はあります。と言ったところで、年齢で落とされたと思われるものはいくつもある。さらに、本人のおれに向かって、50歳だと厳しいよ。とか本音を言う人もいます。そりゃあ若い方がいいとは思うよ。でもね。1人採用しようとして、同じ能力で30歳と50歳いたら、まあわからんでもない。しかし、採用若干名となっていて、まだ枠があるはずなのだが、50歳を保留または落として、30歳が応募してくるのを待つ。という感じの案件もいくつもあった。おれは別に落とされても良いのだが、その理由があいまいなのがイヤだね。このHTMLに過去に書いたか?忘れたが、インターネット申し込みも含めて250件、求人に応募したが、半分以上6割か7割くらい、落ちましたの連絡もないよ。年齢でナメているとしか思えないよ。えーと、別に無理に採用しろというのはないです。ただ、これから日本は、どんどん高齢化社会になっていきます。老人を採用しないまま、会社の自分側もいつの間にか老人になっていく。その時、年齢で落とされた人の心の傷の痛みがわかるんだろうな。その時わかっても、その本人も、おれも、時間が経過しすぎていて、今さら感しかないよね。それが、日本のやり方なら、おれは100歳まで行きるとか言う気はさらさらない。どんどん差別され虐げられていくのがわかっていて、そこに進んで行くか?いや行かないね。世の中が俺を必要としないなら、いつも言っているが、いつでも消えてやる。
2020年07月01日水曜日Wednesday (Wed.)
貞男の事で怒りを燃やすのはイヤだったんです。何も考えないようにしていた。しかし、この事を昨日思い出し、書かずにはいられないので書く。昔、いつ頃かは忘れたが2014年2015年くらいだったと思う。おれは、貞男の埼玉の家に行き、コンビニの店長やろうかなあ?って言ったことがある。2014年頃は、貞男の頭はおかしいとは思いつつも、だましだまし付き合いはやっていた。その時の貞男の反応ははっきり覚えています。あんた、バイトや部下の人を使えるの?指示できるの?みたいな、上から目線のバカにしたようなセリフ。どうせできっこないじゃん的な言い方。おれは正直、向いていないですよ。そんなの自分でわかってます。だけど生きるのであれば仕事をやって行かないといけないし、いろいろ自分でも悩んでいたんです。喜んでやるわけじゃないけれど、生きるために仕方ないけど、やるかみたいな感じです。昔一部上場企業にいた時、労働組合側の主任の役職だったので、管理職にはなれないとは思っています。そして自分にも向いていないし、上司もそれをわかっている。そして、昔2010年頃に貞男が台湾だか韓国だかの旅行で買ってきた、とんとん拍子に出世しますように、という1万円のボラれたお守りを思い出す。おれは出世したいとは思っていないし、言葉に出したこともない。貞男からも聞いたことがない。そして急に、とんとん拍子に、の出世のお守りを買ってくる事自体が、ショックというか衝撃的だった。出世するということは、部下の指示命令をすることですよね。その事とコンビニの店長をやろうか、と言った俺に対する、バカにした上から目線のあの言葉。まったく筋が通らないですよね。なんというんですかね。チグハグ感満載ですよね。そういうふうな何を言っているか?わからない筋が通らない。一貫していない。そこが最高にイヤなこと。どうせお守り買うのなら、健康のお守りとか、オールマイティーなお守りの方がいいと思いませんか?健康だったら誰にでも通じますよね。出世って誰にでも通用しませんよね。その誰にでも通用しない、ピンポイントのお守りを急に渡す、このことが貞男のコミュニケーション術のクソなところです。自分自身の考えだけで突っ走る。自分の考えを他人に押し付ける。押し売りをする。最低だね。あんたの考えで地球は回っているのではない。こういう場所に記録すれば記録するほど、クソ野郎を実感するよね。今まで育ててあげたから感謝しろ、とかそういう言葉は反則さからね。感情に訴える言葉であって、筋が通る話じゃないから。感情に訴えて感謝しろ感謝しろと、言うことほどクソでみじめなものはないね。悲しいくらい低レベルなヤツだよね。
2020年07月04日土曜日Saturday (Sat.)
メンタリストダイゴのYouTubeを見た。もちろん、ダイゴの動画は毎回、大学のエライ先生の研究を、わかりやすく砕いて話しをするので、ダイゴ本人の理論ではない。転職する人の失敗事例みたいなヤツ。与えられたInternet Explorerを使い続けるのが、転職が多くなる。Google Chromeなどを使う人は、自分で工夫する人なので、ひとつの会社にいるんだってさあ。これ、自分の考え思想とは、まったく違うんですねえ。おれは与えられたInternet ExplorerではなくGoogle Chromeなどを使うタイプ。仕事でも、マニュアル通りにやります。でも、仕事が遅かったり、怒られたりするので、効率的にスピードアップはできないだろうか?と考え、自分なりにカスタマイズします。そのカスタマイズされた手順書を上司とかが見て、ルールに沿っていないと怒り出すパターンである。自分なりに前進しようとし、工夫するんだけど、その加工/工夫が過激だったり、度が過ぎることもあり、周囲の人に認められない変人扱いされる。その加工/工夫が過激だということは、それだけこの仕事をもっと良くしたやるという熱量の多さから起因している。その熱量の多さを肯定せず、小手先の内容を注意・指摘・批判する。おれは、おれの能力に着いて来れない人が多くて、毎日疲れているのである。こういう人の気持ちって、世の中の大部分の人はわかんないんですねえ。与えられたInternet Explorerを使う人、転職が多い。転職が多きということは仕事で壁にぶつかって、すぐに辞めてしまう。という説明。転職するヤツは、我慢強くない、壁にぶつかりすぐ辞める。このフレーズを聞くと怒りと悲しみを激しく感じますね。壁にぶつかって、すぐやめているのではなく、分析の結果乗り越えられないと判断されたから、という理解が得られないのは、本当に悲しい。寂しい。検討しているんだよね。でも、ある程度我慢して頑張ったけれど、自分でこれ以上無理というところまで追い詰められていたんです。ここで言いたいのは、電通の高橋まつりさんの過労死の自殺の件。結局自分で抱えられなくなって死んだ。仕事って死を命をかけてやるべき事なのか?生活をするためにお金をもらいたいから、やっていて、それがうまく行かなくなる場合もある。死んでまでやれって言うのか?世の中、こういう風潮だから、俺なんか一部上場企業を途中で辞めた、バカもの。みたいに、企業の面接官、採用担当者に映るんだろうなあ。ホントに、自分が悪ければまあ、仕方ないです。みんなそれほど苦労したことないんでしょうね。自分が楽して生きてきたって、普通誰も認めないし言わないですよね。たいした事していないのに、自分の苦労話・自慢話が大好きで、延々としゃべっている人もいますよね。人類の共通意見というか共感できる感覚は、みんな一緒のようで一緒じゃないんですね。日本人なら、おおかれ少なかれ、みんな一緒という考えを持っているヤツほど、他人を理解しないし、自分勝手だし、他人を非難する。本当に暮らしにくい世の中だべーーーー。
2020年07月14日月曜日Monday (Mon.)
新型コロナウイルスに関して、前から思っていた事を書いてみる。まずは、豪雨の話から。豪雨でがけ崩れが多発して、家が流されたり大変な災害が起きている。台風でもないのに、大きな災害がいろいろな場所で起きていて、毎日、災害のニュースが途切れない。俺の考えは、こういうふうに物理的に破壊されたら人間の力ではコントロールできないでしょ。がけ崩れを止めようとしても無理だし、現実に目の前で起きている倒壊を止めることはできない。こういう事はある意味、あきらめがつくんですよね。人間の力ではどうしようもないので。これを踏まえて新型コロナウイルスの話をしていく。新型コロナウイルスは、中国の武漢からスタートしているので、中国の生物化学兵器として見ることができると思う。中国は否定するでしょうけれど、研究所もあるし、兵器とみることが普通だと思う。で、新型コロナウイルスに感染したら危険ではあるが、他の生物化学兵器に比べて死亡率は低い。高齢者や喫煙者や糖尿病など疾患がある人を除き、入院してちゃんと治療すれば治る。しかし、新型コロナウイルスに感染したかどうかを確認する検査を受けようとしただけで、会社の人に感染者扱いされる。夜の繁華街に行っていないのに、繁華街で遊び歩いているからだと決めつけられたり、海外に遊びに行っているからだと言われたりする。別に自分は普通に生活していて、マスクも着用しているんだけれど、たまたまどこかで感染してしまうっていう事ありますよね。ウイルスは目に見えないので、いつ感染するか?なんて誰にもわからない。たまたまなんですよね。そのたまたま感染した事を、極悪人のように言われて、お前の生活行動が悪い、みたいに攻撃されるって、クソな世の中だなあと思います。じゃあお前は感染しないっていう自信とその根拠はあるのか?と問いたい。これって、たまたま自分は男に生まれて、男尊女卑を言うヤツとまったく同じ。たまたま自分は被害に会っていないので、その偶然をさも自分の能力でそうなったみたいに自慢するヤツと同じ。新型コロナウイルスに感染するかどうかなんてわからないのに、自分は善で感染したアイツは悪であると決めつける。ここで何が言いたいのか?この文章の最初に言った、豪雨で家が倒壊した流されたっていうのは人間の力ではどうにもならない。しかし、新型コロナウイルスに感染して差別されるのは、人災だと思うんです。たまたま病気になってしまったのは、しょうないですよね。今ニュースで見た20代の女性は、職場にいられず会社を辞めたそうです。仕事を辞めて今は無職となった。その人の人生まで狂わすのは、新型コロナウイルスではなくて、人間の心だと言いたい。このウイルスの特徴は、人間不信のオプションが付いていることである。人間を疑心暗鬼にさせ、あいつは悪魔であると決めつける、何も悪いことしていないのに、死へと向かわせる、悪魔払いとか魔女狩りに似ている。心理的効果は抜群に優れている。魔女狩りって100年前200年前のヨーロッパなどで行われていて、その時、民衆は悪いことをしていると思っていない。悪魔とか魔女を退治して何が悪い。みたいな民衆・群衆心理に扇動された心理現象なんですよね。今2020年で、悪魔とか魔女は信じますか?と聞いたら、そんなのいないと答える人が多いと思う。魔女狩りなんてバカげているし、昔の人の妄想や勘違いで起きたと言うと思います。おれは、それと同じであると言いたい。新型コロナウイルスに感染した人は、罪はないんです。悪魔狩り魔女狩りの罪のない人と全く同じなんですね。人間って本当に怖いです。これが正義だこれは悪だと決めつけたがる。中野信子先生が言う、正義を振りかざし悪をこらしめると脳内にドーパミンが出て快感を得るのと同じであると俺は言いたい。これを俺に当てはめたら、仕事が少しくらいできないからと言って、批判誹謗中傷差別される俺の気持ちってわかるか?オレは罪はないと思っているが、周囲がそういう心理状態になり、自動的にその人を追い込むんです。人間の心理って本当に怖いです。おれ人生で何が怖いって?幽霊も怖いことは怖いですが、リアルの人間が一番怖い。正義感を振りかざし最終的には、戦争だって何だってやってしまう。理想の世界って何だろうなあ??って最近特に、強く疑問を持つ。おれはこの世界で生きていく自信がない。イジメ・差別などの心って100年たっても200年たっても300年たっても変わらないんだよね。で、ついでにもうひとつ言いたい。ソーシャルディスタンスという言葉。この言葉って乱暴だよね。そもそもの意味は、新型コロナウイルスに感染しないように、人と人と接近しないでね。適当な距離を保とう。というものなんです。しかし、英語でいきなりステーキのように、いきなりソーシャルディスタンスと言ってくれちゃったもんだから、社会的・集団行動の中で重要視される距離ですよみたいな感じで使われている感じがあります。ソーシャルスキルっていう言葉ってありますよね。世の中で社会で集団生活の中で生きていくためのスキルっていう意味ですよね。まあ協調性とか、集団行動で重要視される要素ですよね。それを、ソーシャルディスタンスという言葉によって、あたかも距離を短くする連中は、社会適合性がない悪人であるとレッテルを貼るような言葉になっていて、本気で怖いと思っている。距離を詰めるだけで、人間じゃない、人間失格、悪人である。と言われ方をするのは、さすがに人権侵害ですよね。上記に書いた悪魔狩り、魔女狩りにも似た思想だと思います。本当に人間は怖いです。ソーシャルディスタンスって英語にすると、新型コロナウイルスに感染に感染するしないは、全く関係ないですよね。ウイルス関係なく人間性の否定になる。ウイルス感染に中止しましょうって呼びかける言葉であれば、感染注意適正距離とか、感染しないための距離とか、安全間隔とか、そういう言葉で良いと本気で思います。今回の新型コロナウイルス関連で、人間不信とか人間の心の中の根本の悪、みたいなものを強く感じ取った事例だなあと本気で思います。罪のない人に対して、誹謗中傷非難差別イジメをするのはやめよう。おれは本気で叫びます。
2020年07月19日日曜日Sunday (Sun.)
今日は自分のことを思い出しながら、世の中の親がいかに何も考えていないかについて書きたい。親の心子知らず。子の心親知らず。という言葉がある。親の心子知らず。というのは、昔から語り継がれていることわざとみたいなもの。子どもは、親になってみて初めて気づく。という意味。子どもは年齢が若いので、親の年齢になりかつ、子どもを指導する立場になってみないとわからないというのは理解できる。でもね後半の子の心親知らずって、おかしいですよね。たぶん後世の人が追加してしまった言葉だと思うんです。おれ子どもの頃からこれ、おかしいと思っていました。大人は全員100%子どもを経験しているわけです。なので、子ども心を知らないというのはNG。オレは子どもの頃から、そんなのあるはずないし、仮にあったとしてもおかしい。記憶が飛んでいる人としか思えないと思っていました。貞男や泰子に昔の事を聞くと、そんなのわすれたと簡単に気軽に言う。高齢だしまあ若干あまく見ても、50%くらいは覚えているだろうよ、と思います。質問することについて、ほぼ100%忘れたと言う。自分の親とか関係なく、世の中の人はこのように簡単に、子どもの頃の貴重な経験、自分が若い頃の貴重な経験を忘れてしまうのか?あまりにも簡単すぎやしないか。そういう流れで、子の心親知らず。という言葉が生まれてきたと思う。そう思うキッカケは何か?というとテレビで、自分が親で子どもの育て方がわからないとか、子どもの発達や教育に悩みがあるという相談を聞くタイミングで思うようになった。先生に聞くより、まず自分が子どもの頃、親に何をして欲しかったか?世話を焼かれてうっとおしいかったとか、いろいろあると思う。一緒に遊んでいると仮定し、この場面であれば、子どもは何を望んでいるのか?どうやって遊んでもらうとうれしい、楽しいのか?自分の子どもの頃の記憶を遡って、俺は実施するようにしていた。育児の先生に聞く前に、まず自分の心に聞いてみる。なんでもわかんない。わかんない。だから教えてくれというのは、お前は何も考えない動物なのか?自分が子どもの頃に感じた自分の脳の記憶を信じて、自分の目の前にある、子どもとの遊びコミュニケーションに役立てようと思わないのか?おれは、その脳みそを動かす行為をしない親は駄親だと思う。駄親ダオヤという言葉は、今この場で自分で作った。ホントださい。自分の子どもの心に問いかけ、本能に聞く、人間の本心に問いかける、みたいなそういう行動行為ができないんだなあ?情けなく悲しい。ああ愚かだ。自分が子どもを経験しているにもかかわらず、まず自己解決しようとしない人がいかに多いことか?と嘆いてやまない。俺としては当たり前の事なのだが、なぜできない。なぜやらない。なぜやろうとしない。人間として終わっている。サヨウナラ。
2020年07月26日日曜日Sunday (Sun.)
また思い出したので記録しておく。今まで貞男のこのエピソードは書いていないので書いておく。内容はいつものごとく、何も考えずに自分の意見を通す強引でひとりよがりなコミュニケーション方法。相手が何を思うか?どんな風に受け取るか?を踏まえたうえで発言することができないという能力。いつ頃かは正確には覚えていないが、2017年とか2018年くらいだったと思う。新宿の美濃吉という料理屋で食事をしようと誘われた。貞男、泰子、おれ、家内アンド子どもの5人で食事をした。その中で、おれがYouTubeにアップしているんだという話をした。そしたら泰子が、見てみたいと言ったのでパソコンあてにURLを送った。そのURLは、YouTube動画の表紙であり、その中のリンクをクリックすると、動画個別のページへ飛ぶ。きっと貞男、泰子はリンクがわからないだろうなあと思い、パワポで画面の説明を書き、ここをクリックすると、そのページへ飛ぶというイメージ図を描きメールに添付した。その結果、貞男から来た返事のメールは、動画を見ることができない。やり方がわからないというものだった。まず、第一にそこで、情けなく思った。パワポでイメージを描いて説明しているのだが、その意味がわからず、動画のリンクにたどり着けない。まあ、昭和の太平洋戦争時代の人だから、インターネットはわからないと言えばそれまでなのだが、説明ファイルを添付してわからないという、ものすごく情けなく思った。そこまで落ちぶれたのか?貞男よ。パソコン持っている意味ねーーよなと思った。そしてさらに、第二のショックが来た。その表紙ページには、自分はプレイステーションのソフトを40個持っています。ギターの動画とゲームの動画をYouTubeにアップしているからよろしく、というようなテキスト文章が書いてあった。その文章を読んだ貞男は、ゲームなんかしていないで、資格取得の勉強をしろ。という注意の文章をメールで送ってきた。おれは、趣味で、動画をアップしてこんな感じで楽しんでいますよ。という報告をして、それに対して、全面的に賛同しないまでも、ああこんな動画やっているんですね。みたいな反応をしてくるものだと思っていた。というより、まあそれが通常の反応というか、若干社交辞令のようになるかも知れないが、楽しんでいるのねえ。くらいのテンションで返信が来ると思っていた。しかし、実際は、楽しいはずの趣味に対して、そんなことやっていないで資格取得の勉強をしろという、あまりにもあさっての方向のコメントを返信してくる。このズレた反応は何なんですかね?あんたに共感を得て欲しいという気を起こしたのが間違いだった。自分の趣味の報告をして、批判されると良い気分はしないでしょ。勉強することはたぶん正しい事なんだけど、その正義を振りかざして趣味を否定非難するヤツは本当に頭がおかしいとしか言いようがない。その批判の言葉を受け取った人が、どんな思いをするのか?考えているのか?たぶん考えてない。考える能力がないのだと思う。昔、泰子に、相手の気持ちを考慮して、言いなさいということを1000回くらい言われて育った。その泰子の言葉通りに実行していたら、言葉を言う前に考え過ぎて、何を言って良いのか?わからないくらい、頭で悩む人間になってしまった。ここでこれを言ってもいいのか?悩んで、返事に時間がかかる。黙ってしまう。ようになってしまった。逆に自分は謙遜して遠慮した発言も多くなった。遠慮することは、美しい言動であるから実行してもかまわないと自分で思うようになってきた、。このために俺は、世の中で発言しにくくなり、孤立していく。これは泰子のせいである。さらに、泰子は相手の気持ちを考えて、発言せよということを1000回言っているが、その配偶者である貞男が、そのまったく逆で、相手の気分を害しても何をしても、考えずに発言し、人間関係を悪化させる特技を持つという、私はまったく信じられないことが起こっている。なんで?自分の考えと違う事をする人と結婚するのか?その事により、生まれた子供は、貞男の変な言葉の攻撃にあい、また、貞男と泰子の言う事の違いにより混乱する。この環境が良いはずがない。あと、貞男の変な事例を忘れないように書いておく。貞男は、60歳を過ぎていろいろな会社を経験した。いくつかの会社を経験しているので、その会社を辞めるタイミングってありますよね。だいたい退社当時、その職場の人の前でこれからやめます。お世話になりました。という簡単な挨拶しますよね。その時、貞男は、この会社の悪いことや改善していくべき内容を、職場の人の前で言ってやったと言って、自慢顔をしていたことを覚えている。これは、まったくもって、頭がおかしい人がやることである。これからこの会社を辞める人が挨拶で、この会社の悪いところを言ったところで、受け取った人はどう思うか?気分を害するに決まっている。貞男がこの会社で、その悪いところを改善していって、その成果が出てその結果について、報告なり考え方なりを語るのであれば、少しは気持ちはわからんでもない。しかし、会社を去る際の、会社の悪いところ宣言は、貞男本人は正しいことをしてやったぜみたいにご満悦なのだが、頭がおかしいと思わないこと自体がおかしい。こういう人が人生は大事だ。あんたの事を思って育てた。教育してきた。と言っても何も説得力がない。ハリボテの人生だと断言する。
Copyright© 2015-2025 hideki hayashi's web site All Rights Reserved.