独り言のページ11
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いてもタダなので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、世の中の矛盾というか理不尽というか何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。
2019年09月05日(木) Tuesday (Tue.)
久しぶりに思いついたので、メモ書きしておく。あとで本格的に書く。親のしつけの方法で、親の言うことを何も疑うことなく信じ、従うようにしてまう、そういう教育をするヤツ。それは、周りの連中からイジメられたり、いじられたり、とにかく、扱いやすくからかいやすいので、そういうキャラになってしまう。ということに気づいた。例えば、キャラが濃いヤツは、あいつを怒らせたら怖いとか、間違って殺されるかも知れないという恐怖感もあって、あまり追及しないし放置される人がけっこういる。おれの隣にいた、10歳年上の石塚さん。この人普段はニコニコしているんだけど、何か急に機嫌が悪くなって怒鳴りだす。こういう人は、基本、会社でもいじられない。事件が起こりそうになると、誰かが止めに入ったり、なんとか穏便に済ませようとする。だけど、おれなんか、いいように使われ、いいようにボロボロになりながら、でも、我慢してニコニコしている。ああ、こいつ、ニコニコしているからイジメても大丈夫だとか、厳しい仕事をやらせても、ある程度は忍耐力があるから、なんとかしてくれるだろう、というのがある。決して優秀だからというわけではない。さっきの石塚さんは、そんな仕事イヤだ、とはっきり断るタイプ。なので、周りもそんな難しく厳しい仕事は、まない。おれだから頼まれるのである。無理を承知で、こいつならやってくれる。と、そういうふうにナメているから、ある程度のオーバーワークもふっかけてくる。その行き着く先が、このオレだよ。このクソが。親がこんなに、都合よくなるように子どもを育てたばっかりに、大人になっても、都合のよい、ただのバカが出来上がってしまった。ほんとクソ。最近幼児虐待死のニュースが多い。本当に苦しくて、かわいそうなのだが、最近考え方を変えた。おれは、幼児虐待死で死んだほうがよかった、と思うようになった。自分が信じる、親から虐待を受けるのは、つらいよ、苦しいよ。だから死亡しても魂は浮かばれない。あの世で自分のおとうさん、おかあさんへの未練や思いが強く成仏できない。しかし、上記のような、ニコニコしていいように使われかたをして、一部上場企業を辞めざるを得なくなり、やめて貧乏になる。高齢になり、食うすべもそんなに大きな選択肢はなので食うものもなく、空腹で孤独死したとしよう。そこでも、苦しみがあるわけです。じゃあ、そんな晩年になるまで我慢して、やっぱり苦しい人生でしたと言う結末よりも、幼児虐待で、幼児の時期に死亡した方が、はるかに苦しむ期間が短い。そっちの方がよかったなあと、今、思い返すと本気で思う。おれをこんなに偏った、変なジジイにしたのは、貞男と泰子である。他人のせいにするなという人もいるが、オレは他人のせいにする。子どもの頃、自分はイヤだったけれど、親は自分より歳を取っているし、人生の正解を言っているに違いないと、思って、イヤなんだけど、自分を曲げて親に付き合ってきた。それが、今は、これだよ。不正解を植え付けられて育った。その結果がこうだ。おれ、本気で言うよ。貞男が強引に自分の考えを押し付けなければ、専門学校行くなとか、ホワイトカラーになれとか、言わなければ、全然別の人生を歩んでいた。絶対におれは、そう思う。ヤツらに、ねじ曲げられた。本当にくやしい。クソが。
2019年09月21日(土) Saturday (Sat.)
前から変だ変だと思っていたんだが、日本語って、日付けの読み方を、ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、ようか、ここのか、とうか、と言いますよね。大人はこれが当たりまえで、子どもがテストとか間違えると、怒ったりしますよね。だけど、実際の会社での仕事の会話の中では、来月のむいかに、とか、ようかに、、、とかあまり言わない。ろくにちね。とか、はちにちね。とか、数字をそのまま言う習慣がある。これは、聞き間違いになると、重要な会議とか、商談とか、いろいろアポを無駄にしないための手段である。日本語って、やっぱ、おかしいよねえ。なんか日本語は情緒があるとか、英語より表現が豊かなので、難しいとか言われていると思うのだが、もっと英語のようにストレートに言うことが、今の国際社会のメリットであると思う。湾曲した表現は、他人に伝わりにくい。なんか、日本人に生まれて来たくなかったと思う瞬間である。
2019年09月23日(月) Monday (Mon.)
少し前に、自殺についてのYouTubeを見た。三木大雲さんのではなく、男女2人で解説するもの。右側の女性はグラビアアイドルか役者なのだろう、DVD販売のリンクを張っていた。男は別として、美人の女性に、口説かれる(霊にことや自殺の説明という意味)と、ああ、そうかなあ?と思ってしまうのは、人間の原点に訴えているからなのか?確かに美人なんだけど、それ以外のマジメな話をしたい。自殺をするのは、良いか?みたいな議論って、世の中によくあります。自分で死ぬんだから自分の勝手だろう。という人がいますが、冷静になって、自分がマジメに考えれば、自殺は自分の勝手ではなく、たぶん、悪いことなんだろうなあというのは、想像できる。他人を殺すな、殺人はダメと教育されるが、自殺はダメと本気で教育されない。人間の原点として、自殺はたぶんダメなんだろうなあと、みんな気付いているからだとオレは思っている。で、このYoutubeには、自殺をした人、ほぼほぼ100%後悔しているから、やめた方がいいです。スライムのレベル1のヤツが世の中に放り出されて、逃げ惑うからやめろ。という言い方をしている。このYoutubeの細かい解説はするつもりないので、もっといろんなこと言っていますが、省きます。知りたい人は、自分で勝手に見てください。で、確かに、弱い霊として、霊の世界に放り出されたら、ボスキャラがいぱいいますので、逃げ惑うでしょうね。その解説の中で、悪い連中に食べられて、存在を消される。という文言があった。オレは聞き逃さなかった。逃げ惑うのはさすがに厳しいが、存在を消されるのであれば、それで良い。というか、それを希望する。人間界は、お金がないと生きていけない。お金で食べ物を買い、食べて生き延びる。死の世界はどうか?知らないが、このYoutubeでは、食べることに対する説明がなかった。きっと、食べないと死ぬというのは、霊の世界ではないのだろうと理解した。なので、最悪、餓死することはない。しかし、上記のように、逃げ惑うスライムになってしまう。死亡がないのであれば、永遠に逃げ惑うので、この苦しみもまた、大変なのだが、その先に存在を消されるという究極の道があるのならば、それが一番手っ取り早い。存在がなくなり、どこかの世界に行って、輪廻転生で、誰かの生まれ変わりで、また、この世に出てくる。人間かも知れないし、虫かも知れない。死の世界を詳細に語る人は、あまりいないし、その世界を覗いて帰ってくる人もたくさんいる。しかし、今、現実を生きている人は、疑問・不思議・詳細は不明、ということになると思う。なので、このへんで結論を書きたい。生きている人にとって、別の世界はリアルに100%に感じることはできない。なので、この部分は、半信半疑であり、確定することができないと理解している。それと、仮にスライムとして逃げ惑うとしても、どこかのタイミングなのか?どこかの場所なのか?何かがトリガとなり、存在を消されるフェーズが必ず来ると思われる。というか、そう仮定した方が、理論的だし納得できる。だとすると、そこにたどり着けば、次の存在になるか?また、別の何かにかるか?とにかく、前世の記憶や昔の都合の悪いことをリセットされて、どこかに送り込まれる。パソコンのHDDを初期化するようなもんだろう。、輪廻転生、生まれ変わるはずである。だとしたら、自殺もそれほど悪いものではないように思うのである。ここで結論を、自殺は悪い悪いと言うが、そんなに悪いもんじゃないんだろうなあ??と思う。これは、今、現在の研究の成果であり、今後変化する可能性もある。週末に追記する。いつも自分の考えを反芻するくせがあり、もう少し、こう書きたいという修正案が出てくる。で、もう、ここから書き出してしまう。自殺した人のほぼ全員が後悔している。しかし、ほぼということは、少数派は後悔していないということであり、その内容を聞いてみたい。しかし、その情報を得るには、普通ではあり得ないので、どうしても聞きたい。聞かなければならないというのは、ない。少数意見でも貴重な意見はあるはず。世の中の大部分が、賢くない人だった場合、賢い少数の人が勝ちである。どこでもあり得ることではないが、真田信繁の例では、大阪冬の陣で、大阪城を出て積極的に迎撃すべきであると主張した。しかし、大阪城を出るのは愚策であると、大勢の人が反対し、籠城に決定した。その際、真田丸を作り、防御ではあるが、攻める敵を積極的に攻撃し、鉄壁な防御とする作戦が見事にはまり、徳川軍に大損害を与えている。徳川家康は、真田丸を取り潰し、外堀、内堀をつぶし、結局丸裸にしてしまう。徳川家康が取り潰しの最優先としたのは、真田丸である。真田丸がいかに強敵であったかがわかる。そして大阪夏の陣で、堀を埋められたため、撃って出るしかない。真田信繁は、徳川の本陣へ3度も肉薄した。徳川家康が、ビビるくらいに迫った。しかし3度目は、大軍との衝突で消耗していて、ついに敗れた。これを見ても、夏の陣でも徳川家康へ肉薄したのは、真田信繁であり、最後の最後まで、あの天下人、徳川家康を窮地に追い込んだ。従い、ひのもといちのツワモノと言われる。なので愚策を言う人数が大勢いても、愚策は愚策。ということで、必ずしも大勢の意見が正しいわけではない。なので、自殺を後悔しない人は、何か特別な理由があるはず、その特別な理由を知れば、自殺を推奨する何かが見えてくるのではないかと、考えている。死ぬ前の私の今の人生でも、大勢の意見に賛同したくないことはたくさんあります。このホームページでも何度も書いていますが、車のAT車が良くてMT車がダメという話。そして、ハイブリッド車や電気自動車を買わない連中はダメだみたいな風潮がある。オレは逆にガソリンエンジン車の加速やパワーや、シフトチェンジ時の楽しさは、絶対に譲れないし、車を運転するのは、AT車の方が楽だよ!と大声で、他人を批判する連中は正義を振りかざした、愚か者と呼びたい。MT車の運転が楽しくて乗っていることの何が悪い。何も悪くない。これ以外にもたくさんあるが、このへんにしておく。
2019年10月22日(火)Tuesday (Tue.)
今日は、申し訳けないなあという、めずらしい事を書きます。国分寺市立第三中学校の時、クラスに女性でゲリというあだ名の人がいました。オレは直接は知らないのですが、小学校の時だか?忘れたが、その人が教室でウンコをもらした?か?何かでゲリというあだ名がついたそうです。そのあだ名が付いて定着した頃に、あとでおれは知って、クラスの男子はゲリと言って、まあ、ようはいじめです。この言葉を繰り返していたのと、その人の近くに接近するのを嫌がったり、まあ、今思えば、ものすごいいじめだったように思います。中学生だし、まあ、そういうふうにクラスの女子をいじめたり、からかったりする年齢だし、その時は普通かなあ?と思っていた。年月が流れて、今もう何十年も経過し、今、学校でいじめだとか不登校だとか、まあ、いろいろな問題が出てきている。集団になじめなくて自殺する生徒も多いです。そういうニュースが流れて、はっと思い返すと、あの時のイジメは、すごかったなあと思うわけです。おれ自身は、特に活発な子どもではなかったので、イジメっこというか、ガキ大将のように責めたり命令したり、暴力を振るったりしなかった。しかし、周りがゲリとからかっていたのを、笑っていた。傍観者であった。じゃあ、今ならかばえるか?というと、かばえないのだが、あの時の雰囲気から、自分はただおもしろそうに、見物していた。その後、自殺をしかねないような苦痛を味わったのではないか?など、反省点も多い。今、何十年も経って、はじめてイジメって、こういうもので、受けた人はかなりのショックと心の傷など、いろいろなダメージがあったのだろうなあ?と想像する。あの人は中学校を卒業して、どうなったのかなあ?さすがに自殺はしていないよねえ。と、若干心配になったりする。外国でもイジメ?というか差別かなあ?差別はあると思う。黒人への差別とか、そういう、明らかに差別とは違う、日本風のジメジメしたイジメというのは、なんとなく、救いようのない悪ふざけのように感じて、遊びの度を越した言動に、心が少し苦しいというような気持ちになることがある。
2019年11月01日金曜日Friday (Fri.)
今日は、平日なんだけど、書いてしまいたい気持ちです。今週末に休んでいる時に、追加したり修正したりしたくなるとは思いますが、まずは書きます。2005年とか2006年くらいだったと思います。死ねばいいのに。死ねばよかったじゃんという記録。正確に時期は記憶していません。当時、自分の記録というか、その事実を残しておきたいと思い、テキストで書いて親だったか?誰かに見せたような気がします。今はその文章は、どこに行ったかは不明。正直、オレは嵐の中、障害対応2件も行かされて、苦痛だし、そういう悪い環境の中で障害対応に行かせる、業務をやらせる会社的にはどうなんだろう?という疑問を投げつけ、さらに、そんな俺はかわいそうだし、こんなに頑張っているんだという自慢もあり、とにかく、あまり良い意味ではなく、悪い意味で、自慢したい、脚光を浴びたい、ほめられたい、みたいな感じでした。ちょうど、この頃は、例の俺の会話に出てくる、一部上場企業の中部支店にいた。そこで主任をやっていて、保守・障害対応とか、まあそれ以外の仕事もやるが、駆け付け保守をやっていた。主任だから誰も現場に行けないと、自分が行くはめになるわけです。損な役回りで、ちょうど悪いタイミングで主任になってしまったなあと思っていましたよ。で、その時、愛知県方面に台風が来て、今回の台風15号や台風19号のように強烈であった。しかし、今回よりは、勢力は弱かったのだろうと思う。しかし、その中で障害対応に行かされた。夜中だった。たぶん22時か23時頃だと思う。西春だったかなあ??近くにある、朝xxxx聞社に行った。たぶん、激しい雨風なので、天井とか、壁とかから?どこかで水が入ったのか?装置が壊れて、PKGを交換した。交換が終わって、家に帰ろうとしていた時、車の中で携帯が鳴った。時間は午前1時とか2時だと思う。最初は行きたくないと断ったような気がする。記憶はあいまいだが、しかし、行けと言われ、大府にある、住xxxx機に向かった。名古屋市内から、さすがに遠いですよ。詳しい道は知らないんだけど、とにかく、南へ行こう。海岸線沿いの道とか、適当に行けば、大府への看板があるはず。と思い、カーナビで大府を設定することなく、適当に走っていた。港区っていうんですかね?港の方、水族館の方へ行ったら、カーナビではその向こうに道があるはずなんだけど、目の前は、水があふれて道がないんです。それほどの大雨です。まじかよ。とオレは、ひとり言の文句を言い、少し北側周りで、東に向かうことにした。カーナビは画面で現在地を表示させ、適当に東に行けばなんとかなるだろうと思って走っていた。途中雨風は強いけど、無理すれば車で走ることは可能。しかし、通常の県道だか国道は、それなりに水没していて、たぶん30cmくらいは溜まっていたと思う。なので、水をかき分けながら船のように道路を走る。少しくぼんだ道は水深が深い。そんな場所に信号機があったりして、赤信号だった場合、前に進めない。かなり車も浸かっているよなあ。という感じはしていた。しかし、車の内部にはまだ浸水していない。しかし、マフラーが水没したら、マフラーを水が逆流してエンジンが水没し、車は死ぬ。車を水没させたら会社は、車を修理または買い替えるなどの要求を聞いてくれるだろうか?などの心配をしていた。自分が死ぬかも知れないということは考えていなかった。そして、この車はマニュアルなので、止まっている時、サイドブレーキを引き、クラッチを切り、アクセルを踏めば、排気ガスは外へ向けて流れる。水がマフラーを逆流しないように、常にエンジンを回し、過度にアクセルを抜かず、一定の回転を保つようにしていた。前を行く車は、きっとAT車だろうから、信号待ちの場合エンジン回転数を維持できず、水没するだろう、ざまあみろ、などと、知らないアカの他人に対し、優越感を抱きながら、後ろについていたことを覚えている。その後、どんどん明るくなってきて、夜が明けてきた。ヤバイ。駆け付け2時間で着かない。と思った。そして、大府市内に入り、ついに、車の渋滞のように動かなくなった。説明すると、車は故障したのではなく、川のように流れる道路の上で、車が渋滞になり、まったく進まなくなった。オレは、コールセンタ?コンタクトセンタ?に電話を入れ、これ以上進まないことを報告。そしたら、向こうの担当者も、進まないのであれば仕方ない。と言った。ここまで、寝ずに来ているわけだから、どこかで寝たい。近くにデニーズだったかなあ?ファミレスがあったので、その駐車場に止めた。ファミレスに入るつもりはない。ただ駐車場で寝たかった。エンジンを切って寝た。何時間か経過し、目が覚めた時は、かなり明るかった。雨はやんでいたように思う。会社に行く必要があるとか、障害対応の現場に行く必要があるとか、もう、このものすごい環境の中で、バカまじめなもんだから、会社に電話し状況を説明。住xxxx機の大府工場へ向かうこととなった。すでに、道は車が流れていた。時間は朝の8時くらいだったと思う。そして、大府工場に着いて、いつもの工場の駐車場に車をとめて、勝手知ったる、住xxxx機のビルの地下へ向かう入口に立った。あれ????地下へ行く階段がない????あれれれ???よく見たら、地下は、完全に水没し、地下へ降りる階段が見えない。ようするに、1Fのフロアの床のラインが、そのまま水なので、地下が見えないってこと。おれは携帯電話でコールセンタに電話し、状況を報告。現場に入れないと言った。じゃあ、戻って良いとの指示が出た。おれは昨日、ずっと寝ずに運転してきているので、さすがに家に帰りたかった。会社に出たか?自宅に戻ったかは、正直覚えていない。バカマジメだから仕事をしに、会社に行ったのかも知れない。バカだねえ。で、その報告を携帯でしていると、住xxxx機の工場の通路がありますよね。工場と工場の通路が、一段低くなっているんですね。そこ一帯が水没しているわけです。なので、そこを消防の船に救助され乗せられて、社員がこっちに向かってきているんですね。これは、河川地帯のベトナムとか、タイだかどこかのメコン川とか、あんな感じで、通路は全部水路なんです。船が行き交う光景を見て、笑いそうになった。そして、おれは住xxxx機の大府工場を去った。2019年の台風15号とか19号の被害を考えると、社員を障害対応で現場に駆け付けさせるということ自体、信じられないよね。障害対応に駆け付けた社員が、死ぬかも知れないですよねえ。今回の15号や19号のように。。。なので、今回の台風で、車が水没し死亡したとかニュースで聞くと、おれが前にいた会社は、どんだけリスク管理をできていないのか?ということについて、頭にくるしムカつく。で、その時、死ねばいいのに。死ねばよかったのに。。。ということが、今、2019年になって記憶がよみがえってくる。その当時、おれは5000万円の生命保険に入っていた。給料がそこそこ良かったので、生命保険をたくさんかけ、自分が死んでも家族には、まあ、そこそこのお金を残して生活できるようにしておきたかった。なので、死亡時5000万円。さらに仕事中なので、労働災害。さらに、夜中、嵐の中強制的に現場に行かせた、というリスクマネジメントができていない、ウンヌンの原因により、1億円もらえたかなあ???なあんて、妄想を抱いている。1億円もらえたら、家族に1億円残せたら、死んだことに意味があった。本当に良かったと思えるのではないでしょうか?今、台風19号15号の災害ニュースを見て本気でそう思う。あの時、愛知県で生き残ってしまったもんだから、今こうやって貧困にあえぎ趣味もろくにできず、空気を吸って水を飲んで生活する、安土桃山時代や江戸時代の水のみ百姓と同じじゃん、と思わずにいられない。なんで助かってしまったのだろう?死ねばいいのに。死ねばいいじゃん。死んだ方が良かった。自殺はなかなか勇気がいるものであるが、自然災害は、向こうからやってくる。避けようのない猛犬、イノシシのようである。事故死で他殺でもいいんだけど、そっちの方が良かったんですわ。今日は、そういうお話でした。それでは、バイバイキン!!
2019年11月01日土曜日Saturday (Sat.)
なんか書きたいことが出て来たので書きます。今から30年以上前の話。友人がカキが好きと言ったんですね。その時、オレはカキが嫌いと言ったんですね。その文章とか会話の流れは正確に覚えていません。しかし、他人に失礼な態度とか、誹謗中傷的なことを言ったつもりはないです。その時、友人が怒りだしたんですね。カキが好きな人に、カキが嫌いって言うのは、とんでもないヤツだ、とか、イヤなヤツである、というような事を言われた。まあ、その時は、若かったし、言い返す言葉も見つからなかった。しかし、今は完全に言えます。カキが好きな人と、カキが嫌いな人って、別に単にカキについて180度見方が違うだけであり、何を言っても自由なんだろうと思う。お前はカキが好きなんですね。オレはカキが嫌いです。という現実、事実を言っているだけ。カキを食うなとは言っていない。そうやってマイナス面として受け取る脳みその構造が、逆におかしいんじゃね?と思うわけです。好き嫌いは本人の自由。食べる食べないのは自由。という立場に立つと、普通の会話のように思えるんですね。カリカリするなよ。ちょっと説明不足で、言い足りなかったので補足する。最初にカキを好きだと言ったのは、その人がメインで主役と思っていないか?実はカキが好きな人が主役だなんて、誰も思っちゃいなし、そんなルールはない。逆にカキが嫌いなヤツが主役でも良いと思う。ようするに、どっちでもないってこと。好きな人が正しいというルールもない。なので、好き嫌いが、まったく正反対だが、正義も悪もないってこと。どっちが上も下もない。そういう原点に返れば、この問題はすぐ解けると思う。
2019年11月07日木曜日Thursday (Thu.)
大昔、自分のおじいちゃんが生きていた頃、日本は太平洋戦争をやっていた。ちょうどその年齢の人は、戦争に行っている年齢だった。でも自分が、幼稚園とか、その頃は戦争が終わり平和であったが、おじいちゃんは2人、普通に生きていた。子ども心に、なんで戦争に行っているはずのおじいちゃんが、ピンピンしているのか?戦争に行って帰ってきたとは聞いていない。完全に戦争に行った気配がない。聞けないよねえ。で、今、幼稚園の頃から50年くらい経過し、やっと謎が解けた。1人は陸軍の軍人で大尉だった。そしてもうひとりが、ある会社の工場長をやっていた。その頃、嘆願書みたいな書類を書いて、この人は、この会社や世の中に必要な人だから、徴兵しないでください。みたいなものを書けば、徴兵されずに済んだと聞いた。まず大尉の方だが、南方の前線基地に行けばさすがに危険である。なので、日本国内で軍用列車の担当をしていた。それも、上官が日本国内で陸送を担当させると決めたらしい。お願いしたのか?勝手に決めたのかは知らないが、どちらにしても、上官からの指導が甘いなあと感じる。正直、おれはショックです。武士道を重んじる日本帝国陸軍の将校であれば、潔く戦地に赴くべきだろうなあと思う。そして、工場長の方。これも嘆願書を依頼したのか、上司が勝手に書いたのか?は知らない。しかし、半分失礼になるが、工場長って別に誰がやっても良いと思う。要するに代わりがきくということだろうと思う。理由をつけようと思えば何で書ける。正直、甘えているなあと感じる。このホームページに、真田信繁のように正々堂々と正面から戦うのが美しいと何度も書いた。そのような美学を望んでいる孫としては、いささか判断基準が適当なように思う。今50年後のおれは、かなりさみしい思い。悲しい思いが正直残る。で、次の話題。これも反省系の話かなあ。おれが、一部上場企業にいた時、当然、協力会社を使っていた。発注業務や現場での指示、作業後の清算処理とか5~6年やっていた。まあ、その時は、自社の仕事で人数が足りないので、人を増員して対応するということをやっていた。派遣やら請負やらいろいろな協力会社が入り乱れ、業務をこなしていった。正社員よりは、派遣請負社員は単価が安く、いいように使われる。まあ、おれは、現場で彼らがやる気をなくさないように、同じチームの一員、チームワークで仕事をやっていこう、という雰囲気でずっとやっていた。しかし、時が過ぎ、今自分が派遣会社のさらにその下請けで、給料も安いし、労働条件も厳しい経験をして初めて、ああ、協力会社として、使われるのは、気をつかってもらっても、やっぱ、条件が違うので一緒というふうに感じられないよね。というのが20年後に理解できた。この20年後、理解させるために、おれを、このような環境に置いたのか?運命さん?という気がしてならない。現場で使っていた若い衆も、さらにその下請けの人もいた。商流が多段になることは珍しくない。おれも今、多段であるが、自分がもらっている給料と、上位会社がもらっている売り上げを比較すると、どのようになっているのか?お金のことは、何も明かしてくれない。明かさないということは、その金額を聞くと、本人がびっくりするからなんだろうなあと、勝手に想像している。世の中の厳しい環境が理解できたので、次は、世の中の大金持ちの経験を、是非積ませていただきたいと言いたい。
2019年11月19日火曜日Tuesday (Tue.)
通常はこんな週の中途半端な日は忙しいので書きませんが、思いついたので書きます。ヒトラーユーゲントの番組を見ました。さながら新興宗教の洗脳のようで、ああいう狂気の時代もあったのか?と正直、びっくりすると言うより、あれだけの人数の人がみんな同じ方向を向き、同じ指導者、神を信じ、突き進んでいた時代があったとは、とても信じられない。これを踏まえて、自分の考えを書く。日本人もそうだが、ドイツ人もまた、マジメなのだろうと思った。先生や上司のいう事をきく。そして、自分の担当する仕事だったり、業務とか、何かを達成することができれば、自分も満足するし、相手も満足する。団体心、一体感というか、チームの中の団結が強いんじゃないかなあ?アメリカ人のことは詳しく知らないが、概ね、団体より個人主義のような気がする。ドイツや日本は、優秀だと思われている指導者の配下に付けば、何か良いことがあるかも?ある意味、長いものに巻かれろ的な考えにも通じると思う。アメリカは、自分の能力を発揮していくこと、それを周囲に見せ、認めさせ、自分がトップになっていくというストーリーが美しいと感じているんじゃないかなあと思う。ドイツと日本はマジメなんだけど、マジメ過ぎるんですね。何でも、やり過ぎるのはデメリットなんですね。私のこのHTMLの文章を読んでいる人は、わかると思います。マジメ60点の人よりマジメ80点の方が良くて、マジメ100点の方が良いに決まっている、という考えに走ってきて、現在に至る。もちろん、親の行き過ぎた偏った、教育のせいで、という注釈が付きますが。でも、世の中、100点では生きていけないんです。中途半端に50点とか、それくらいでのらりくらりするのがいいんです。で、ここで少し話が変わります。2019年の日本って、不況だし、世の中閉塞感もあるし、貧乏で高学歴の教育受けられないとか、まあ、そういう悪循環の世の中なわけです。で、ここで言いたいのは、過去に戦争とか、いろいろ誤ったことをやってきた。日本の指導者が正しいと思って、支持し、協力し、自分の命も投げうって、いろいろなものを犠牲にしてきた。マジメ人間だからこそ、そこまで、忠実になれるんですね。天皇は神である。とか、ヒトラーは神であるとか、言われると、それを信じて、守ることが美しいと思い込む。思い込みが激しくなるような気がします。マジメの度が過度になると、その傾向はもっと過度になっていく。なので、2019年の今、無職の若者は多いし、フリーターだの何だのと言われて久しいです。国のエライ人が何か言っても、心に響かない。それも、過去に変な集団的な心理のごまかしとかあったので余計に敬遠してしまう。どうせ頑張っても仕方ないとか、たぶんそういう風潮ってあると思うんです。別に大学卒業して、ブラブラしてもいいじゃん。みたいな。頑張ってもあほくさい。みたいな。冷めた目で見るというか、自分は自分、他人は他人、どんどん多様化してしまう。その多様化も、過去に集団で間違ったことをやってきたので、個人主義、個人の趣味、個人の都合が、極端に加速していく。おれは、そんな気がするんですよね。今の若者の心理はよくわかります。どうせ頑張っても。。。というのは、止められないような気がしますね。。
2019年11月23日土曜日Saturday (Sat.)
今日もまた、ヒトラーの関連です。ナチスドイツって、昔からのアーリア人の伝統の血を重んじて、ユダヤ人迫害で有名であります。そもそも日本人は海があるので、純日本人が多いように思われていますが、朝鮮からとかロシアからとか、フィリピン方面とか、まあ、いろんな人が出入りしていますので、純正と言っても、どこか純正なのか?区別がつかないと思っています。その話の流れで、ヨーロッパの話に移します。ヨーロッパって基本的に陸地がつながっています。イギリスは海があって、ドイツから遠かったので、バトルオブブリテンの時に、なんとか有利な条件に持っていけたというのもありますが、イギリス以外は基本、陸地です。なので、生粋のアーリア人とか、そうでないとか、さらに区別がつかなくなると思っています。なんとか地方の北に住んでいるとか、南だとか言っても、さすがにあいまいです。そのあいまいさを、ユダヤ人差別という国家的な虐殺につなげる、という発想は、私には理解できない。殺人はダメなのは、みんなわかっています。だけど、ユダヤ人のみを殺すっていうのは、ただ目の前の人間を殺すことより、何倍も困難だと思うんですね。この意識の根本が理解できないんですよねえ。当時のドイツはヒトラーに洗脳されて狂気の国であった。それは、わかります。じゃあ、ユダヤ人を殺す場面で、何を基準にするのか?自分がユダヤ人として誇りを持っている人は、ユダヤ人と堂々と名乗ると思います。そして、ドイツ兵に殺されます。お前はユダヤ人か?と質問された、という証言をよく聞きます。ユダヤ人ではないと答えて、殺されずに済んだという人の話も聞きます。えっ???何が判断基準なのか?こんなあいまいで良いのか?1940年1950年頃は、いまのようにDNA鑑定も普及していません。テレビなどで、ユダヤ人を大虐殺しました。というストーリーは、何百回も聞きました。じゃあ、何を基準にしたのか?というのは、一度も聞いたことがありません。科学的根拠として、正しい判断をして生か死の判別をした、という話はいっさい聞いたことがない。聞いたことがあるのは、医者が、頭のサイズを測り、目と目の間の距離を測り、耳のサイズだの鼻だのを測定し、理想的なサイズになっているのか?を調べたと聞いています。それって、科学的じゃないですよね。頭のサイズが、若干大きいとか若干小さいとか、耳が大きい、目が離れているっていうのは、個人差ですから。。。。まったくもって、ナンセンス。このナンセンスを国家の判断基準にしていたんだから、大虐殺をしましたという歴史より、判断基準があいまいなのに、あいまいな条件で選ばれた人を殺した、という、そっちの方が、おれは、驚きであります。戦争なんだし大虐殺なんて、どこの国でも行います。殺人はダメだけど、世界じゅうの指導者は戦争好きだし、世界で戦争はなくならない。そんなことより、あいまいな条件で選ばれた、何百万人の人が平気で殺されるという異常さ、集団洗脳というか、誰も疑問に思わない、おれは、そっちの方が何倍も怖い。世の中、戦争はやってはいけないんですが、そんなこと幼稚園児でもわかります。そういうピンポイントのことじゃなくて、大勢の人が同時に洗脳され、それもあいまいな理論というか、理論とも言えないような情報にふりまわされ、それを信じ切って何も疑わない。いやあ、さすがに、おかしいでしょ。おれ、そっちのほうの報道に注力して欲しいと本気で思っています。そっちの議論の方が、人間の根本にかかわると思いませんか。絶対に根本に決まっています。
2019年11月26日火曜日Tuesday (Tue.)
週の半ばの平日には、あまり書かないのですが、今日思い出したので、書いておきます。また、マジメバカ・バカマジメは、損をするという話です。マジメというか、お人よしなんでしょうけれど、誰かを猛烈に責めたり、追究したり、押し付けたり、できないので、まあ自己完結するしかない。他人に当たるなとか、まあそんな親の教育もあって、こんなしょうもない人間になってしまった。その結果を単に文字にするだけです。で、何の話かというと、電車です。通勤電車って基本満員ですよね。通勤時間帯にすいている電車なんか、あるはずがない。さらに、急行に乗ると、速いからみんなその電車に集中します。当たり前です。で、目的地まで行かない途中の駅、具体的には三軒茶屋で急行は、止まって、さらに渋谷へ向かう。電車のアナウンスにもある通り、今乗っている人は、降りる人のために一旦ドアから出て、その人の流れが終わったら、ホームで待っていた人と同時に、動き出して乗りますよね。それがマナーだと思うし、マジメだから、人の邪魔にならないように、ちゃんと降りていました。ある時、一旦ホームに降り、じゃあ自分が乗ろうとしたら、満員でドアギリギリまで人間がいて、入れなかったんです。電車の発車のベルが鳴りますよね。鳴っているからあわてて、その人間を押して、なんとかすき間を作って、ドアの閉まる最後の瞬間まで、もがきますよね。あのね、どんなに強烈な力で押しても、人間がびくともしないんです。そのうち、発車の時間になり、ついに、電車のドアが閉まる。おれ、1人がホームにとり残されたわけです。何?それ?クソですよね。クソ。今まで急行に乗ってきて、渋谷に行きたいのに、なんで三軒茶屋で降ろされるのか?マジ、クソだよね。マジメにドアの外に降りて、通路を譲っているから、こうなった。バカを見ます。どんなに叫んでも、電車は待ってくれない。自分の意思は完全に無視される。こんな非情なことってありますか?世の中、冷たいし、その中でみんなで協力しあいましょう。。なんて、キレイ事言っていると、このように取り残される。完全にバカ。なんで三軒茶屋駅で降ろされるのか?なんで、無駄な時間待たされるのか?おれ、何か悪いことしたか?してないよな。世の中の流れは、理解したよ。甘く見たらナメられる。なので、電車の中で人間にぶつかろうが、何が起ころうが、断固として車内に残るべき。どんなに、もみくちゃにされても、吹っ飛ばされても、車内にいるべき。優しい心で譲り合い。。。なんて思ったら、ホームへ放り出され、置いていかれるだけ。クソでも良いから電車の中に留まるべき。どうせイヤな思いをするなら、電車のなかでもみくちゃになって、渋谷に行く方がマシ。遠慮とかそういうのナシ。優しい心でおじいさん、おばあさんに譲り合いを。。。なんて思っていたら損する。これだけは絶対に忘れてはならない。
2019年11月30日土曜日Saturday (Sat.)
今日は、またちょっと毛色の違う話題。CPU Intel Core i7メインのデスクトップPCがあるのだが、サブ機として、Lenovo Ideapad 320を買った。たぶん5万円くらいだったと思う。CPU Intel Core i3だし、遅いのは覚悟していたが、遅すぎて使いものにならない。本当にまったく使えない。マイクロソフトOfficeを入れていないにもかかわらず、ダメダメ。少しの間、封印していた。もうちょっと使い勝手のよいLenovo ThinkPad X270 CPU Intel Core i5を買った。7万円くらいだったかな。さすがにi5だからなんとかなるだろうと思っていた。速くもなく遅くもなく、しかし、ちょっと重い処理をすると、少しの間、応答なしになる。さすがにノートだし、i5だし仕方ないよね。と思っていた。ネットで、X270やX280をSSDに改造した例が載っていて、簡単にできそうなので実行した。本当に簡単であった。SSDにして、かなり速くなった。待ち時間が、それほど気にならないレベル。それでも、メモリが4Gしかないので、やっぱ遅いよね。と思い、ネットで検索したら、簡単にMemory DDR4 4G→16Gにできると書いてあった。なので実行してみたところ、かなり速くなった。かなり速いと実感できるほど、体感速度は速くなった。おおげさに言えば、CPU Intel Core i7メインのデスクトップPCと、同等くらいの体感スピードがあるように思う。で、その後、Lenovo Ideapad 320のHDDをSSD化した。こちらもかなり速くなった。期待値以上の効果はあった。そして、メモリがオンボード4Gで交換できないとメーカー仕様には書いてあるが、DDR4メモリの空きスロットがあるとネットに書いてあった。なので、X270から外した4Gを320に増設し、合計8Gにした。これでもかなり速くなった。なので、私が持っているデスクトップPCがもし壊れても、サブで買ったノートPCは、次のメインになり得る存在となると思っている。約10万円の爆速のLenovo ThinkPad X270 CPU Intel Core i5 Memory DDR4 4G→16G HDD→SSD。それと、約7万円の爆速のLenovo Ideapad 320 CPU Intel Core i3 Memory On bord 4G +Memory DDR4 4G HDD→SSD はかなりお買い得であったなあと満足しているところである。
2019年12月18日水曜日Wednesday (Wed.)
水曜日に書くのはめずらしいかな。今思いついたので、過去の繰り返しになるかも知れないのだが、おれ的には、少し内容が違うと思うのであえて書く。オレをこのように貧困に追い込んだのは、例の宇式だと以前書いた。ぶっ殺すリストにも入れると書いた。その罪の重さは別に変わっていない。そいつを呪って、殺そうと思いついたが、呪いって自分も苦しめる、作用反作用のようなものなんだよね。呪術的なものは、何らかの代償を払う必要がある。というのは、世の中の人は、だいたい知っている。しかし、それを知ったのは、おれは、かなり遅かった。人生の後半になって知った。あのさ、こういう大事なものは、小学生、中学生の時に学校で教えてくれないかなあ???おれ、いつも書いているが、教科書を覚えれば、立派な人間になれると思っていた、オヤジもいつも勉強だ、資格を取れと、千回くらい言っていた。しかし、呪術的なことをやると、何らかの代償を払うって、教えてもらっていない。そっちの方が人生にとって、大事だと思うんだよね。あのう、いつも思うんです。人生にとって大事なことは、優先順位をつけて、教育して欲しいんですね。おれ、そんなの知らなかった。誰も教えてくれないし。自分で気づくものだと言うのならば、仮に自分で気付かない、気付けない人は、どうするんですか?ということを聞きたい。大事なことがわからない。そのままジジイになる。それは、自己責任なのか?おれは、知らん。知らないから自己責任と言われても、知らん。そういう人は、世の中で不要だから死ねと言うのならば、それでも良い。死ぬ場所を与えてくれと言いたいが、それも自己責任と言われると、さすがに、生きるでもなく、死ぬでもなく、この中途半端感は?何?と本気で疑問を持つ。
2019年12月20日金曜日Friday (Fri.)
趣味に特化した説明のページがあったと思ったが、なかったので、ここであえて、まとめて書いてみます。
<今持っている銃と過去に買ったことのある銃>
東京マルイ XM-177E2 Air cocking、
東京マルイ Colt M933 Electric、
東京マルイ Colt M733 Electric、
東京マルイ M4-RIS Electric、
東京マルイ M4-A1 Electric、
東京マルイ M4-S-SYSTEM Electric、
KSC M4-CQB-R Gas blowback、
東京マルイ H&K MP7 Electric、
東京マルイ H&K MP5 R.A.S. Electric、
東京マルイ H&K MP5クルツA4 PDW Electric、
東京マルイ 1911CUSTOM Desert Warrior Gas blowback、
東京マルイ 1911CUSTOM FOLIAGE Warrior Gas blowback、
東京マルイ Glock G17 CUSTOM Tancollar-Earth Gas blowback、
東京マルイ Glock G26 Gas blowback、
東京マルイ M92F Gas blowback、
東京マルイ Colt M16-A1 Electric、
東京マルイ Colt M16-A1 Air cocking、
東京マルイ Colt M16-A2 Electric、
VFC SCAR Electric、
東京マルイ Beretta M92F Electric、
東京マルイ USP Electric、
東京マルイ Beretta M93R Electric、
東京マルイ 1911 Gas blowback、
マルシン 排莢式 cz75 Gas blowback、
マルシン 排莢式 Glock G17 Gas blowback、
KJW cz-P09 Gas blowback、
KSC 1911CUSTOM STI Gas blowback、
東京マルイ SIG P226 Gas blowback、
東京マルイ M&P9 Gas blowback、
東京マルイ 40S&W Gas blowback、
東京マルイ Beretta Px4 Gas blowback、
東京マルイ Beretta M92F-A1 Samurai-Edge Jill Valentine model Gas blowback、
東京マルイ Beretta M92F-A1 Samurai-Edge Albert Wesker model Gas blowback、
東京マルイ Beretta M92F-A1 Samurai-Edge Barry Burton model Gas blowback、
CyberGun FNX45 Tactical Gas blowback、
Crown model Colt Python Air cocking、
KJ Works Glock G19 Air cocking、
KSC STI VIP3.9 Stem 7 Gas blowback、
Crown Model Bodyguard 380 with Silencer Air cocking、
東京マルイ Desert Eagle 50AE Air cocking、
東京マルイ Desert Eagle 50AE Electric blowback handgun、
東京マルイ SOCOM Type Mk23 Air cocking、
東京マルイ Cz75 Air cocking、
東京マルイ USP Air cocking、
東京マルイ Colt M1911A1 Government Air cocking、
東京マルイ Glock G17 Air cocking、
東京マルイ SIG Pro SP2340 Electric blowback handgun、
東京マルイ Sturm Ruger KP85 Electric blowback handgun、
東京マルイ 1911CUSTOM COMBAT DELTA Electric blowback handgun、
東京マルイ Beretta M92F Electric blowback handgun、
東京マルイ 東京マルイ パイソンPPCカスタム 4インチステンレスモデル
Canon EOS 70D 【APS-C】、
Canon EOS 6D mk2 【FULL-SIZE】、
Canon EFS 55-250mm 【APS-C】、
Canon EFS 18-55mm 【APS-C】、
SIGMA 18-300mm 【APS-C】、
Canon 70-300mm IMAGE STBILIZER 【FULL-SIZE】、
Canon EF LENZ 50mm 1:18 STM 【FULL-SIZE】、
SIGMA DC 50-500mm APO HSM OPTICAL 【FULL-SIZE】、
ニーアオートマタ、
信長の野望・創造、
THE SHOW18、
アンチャーテッド海賊王と最後の秘宝、
シャドウオブザトウームレイダー、
バイオハザードリベレーションズアンベールドエディション、
バイオハザード5、
バイオハザードオリジンズコレクション、
戦国BASARA皇、
WRC5、
WRC6、
V-RALLY、
プロ野球スピリッツ2019、
GRAN TURISMO SPORT、
デビルメイクライ4、
アンティル・ドーン、
DiRT RALLY、
DiRT4、
RORY McILROY PGA TOUR、
ライズ オブ ザ トゥームレイダー Rise of the Tomb Raider、
コール オブ デューティ ゴースト Call of Duty: Ghosts、
コール オブ デューティ ワールドウォーII Call of Duty: WWII、
ブラボー・チーム Bravo Team、
サドン ストライク 4 SUDDEN STRIKE 4、
バトルフィールド4 Battlefield 4、
アセットコルサ アルティメット・エディションAssetto Corsa Ultimate Edition
2019年12月26日木曜日Thursday (Thu.)
メンタリストDaiGoのYoutubeを見た。いい人から脱する方法という動画。他人の依頼を受け自分を犠牲にするような良い人という人がいますが、これは、自分が苦しいだけで、尽くしたその人からは、あまり良い評価が得られない。そんな内容です。自分の周りには、おひと良しを使う人ばっかりが集まり、消耗するだけで良いことはない。いい人は自分は他人にお願いごとをしない。なぜなら他人に頼って迷惑をかけたくないから。これは、俺の心の動きとまったく同じ。単なるいい人で終わる。自分はこれだけ尽くしたのだから、きっとあの人は、自分を大事に持ってくれているだろう、というのはただの一方的な勘違いで、お互いにギブアンドテイクをやって、初めて双方向の関係が成立すると言っている。まさに会社での俺の行為と一致する。迷惑かけたくないから、苦労しても自分で実施する。ただただ我慢する、ただ忍耐あるのみ、という生き方は間違いであると、いま気付く。単純に周りに使われるだけのつまらないなんでも屋であれということを、自分の親に深く刻まれたように感じる。迷惑とかじゃなくて、適度に周囲に働きかけ、程度にギブアンドテイクできる性格になりたかったし、そのような教育を親や学校の先生に教えてもらいたかった。無駄な人生を送ってきたのだなあと、改めて感じます。
2020年01月01日水曜日Wednesday (Wed.)
年末に一気に放送していた、石原さとみのアンナチュラルを、途切れ途切れだけど、一応見ていました。男尊女卑の会話が出てきます。私は好きで女に生まれてきたわけではありません。というセリフ。みんな同じ事を思っているんだろうな、という事が理解できて嬉しいです。女は感情的になる。という言葉も、人間なんだから感情的になるのは正しい。と言っている。これは、原作者か脚本家か、監督かは知りませんが、そう思っているから、ぜひセリフとして表現したいという意図があると思います。なので、我々はロボットではない。感情を持った人間である。というのが、正解であると信じています。話し合いや議論の場で、感情的になりすぎて、会話が成り立たないのはNGです。しかし、常に冷静でいなければいけないのではなく、自分の気持ち・感情を加味して、今後自分はこんな事をやりたい、とか、あんたは許せないとか、自分の気持ちをブレンドするのは、ありだと思っています。
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