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独り言のページ10
何かに対して、文句というか世の中の矛盾みたいなものを単に書いていこうかなと。
mixiの日記には、かなり偏った内容も書いていて、あれが本音なのですが、こっちにも書いてみたいなあと思いました。
どこに書いてもタダなので、徒然なるままにという感じです。
独り言のページを始めたのが、2018年7月。まず、生きている事、世の中の矛盾というか理不尽というか何でこうなっているのだろうか?
生きて行くことに抵抗感があり、中途半端じゃなくて本気で悩んでいるので書いてみます。



2019年05月07日(火) Tuesday (Tue.)
私がmixiやっているのは知っていると思うが、今日、またムカつく話があった。マイミクさんのコメントである。マイミクさんのコメントがムカつくのではなく厚生労働省というか政府ですかね。日本国に文句を言いたい。この日記のような垂れ流しの文章のどこかのページに、我慢をすることは必ずしも良いことではないと訴えてきた。それは俺がバカマジメということもあるが、忍耐である。頑張れ。どこまでも耐えろ。根性を見せろ。我慢できないヤツは弱い。すぐに物事を放り出す。飽きやすい。忍耐力がない。この精神に対して文句を言ってきた。忍耐の限界はひとそれぞれであり、電通の高橋まつりさんのように、おかあさんにも頼ることをせず、自分でなんとか耐えて持ちこたえようとして、最後の最後まで自分の力を使い切って死亡した。過労死である。自分が死んだ経験がないのだから、どこまで行けば自分が死ぬか?その限界を知ろうとするのは困難である。オレは酒がキライだが酒と同じで、どこまで飲んだら記憶をなくすか?どこまで飲んだら二日酔いになるか?酒なら多少失敗しても、あとで何とでもなる。人生は何ともならない。引き返せないものに対して忍耐が足りないと他人を責めるのはやめようよ。あいつは精神が弱いからだ。とか、そういう抽象的な計りで他人を批判するのはやめようよ。批判されると思うと誰にも相談できず、自分で抱え込んで抱えきれなくて、最後の時を迎えるわけですよ。で、前置きはこれくらいにして、厚生労働省への文句を書きます。小学生の道徳の教科書に、Aさんが運動していて骨折してしまいました。怪我をしているにもかかわらず、Aさんはみんなのために無理を押して、試合に出場してエライです。みたいなストーリーがあるとのことです。これは、けしからんですわ。小学生はまだ自分の体の事を判断できる年齢ではないです。なので、これを読んだ俺のようなバカマジメの生徒がいたら、骨折しても頑張って試合に出ることが良いことであると学び、その通り実行するでしょう。仮に、親が、骨折しているから学校を休みなさい。とか、試合は休みなさい。と言われたとしますよね。自分は頑張って出たいのに、親が自分の気力・勇気・頑張りを否定した。みたいに受け取られかねないし、クラス名とからも実際に言われなくても、あいつ、骨折して逃げた。とかバカにされ、からかわれ、イジメられるネタを作っているようなものです。そのイジメ怖さに、Aさんは精神的に病んでしまい、結局学校へ行けなくなってしまいます。誇張ではなく、オレは本気でそう思います。病院の先生なら骨折の軽度、重度はわかりますが、小学生はわかりません。なので精神的なものも同じ。この程度のイジメなら大丈夫で我慢すべきである。というそんなレベル感、そんな測定方法なんかないからね。体罰的な物理的な暴力、外傷があればわかりやすいですが、心理的・内面的なものはわかりません。他人が見てわからないものだからこそ、もっと慎重になるべきだと思うんですよ。だけどこの国はいつまでたっても進化しない国だよねえ。以前も書いたが、セクハラ、パワハラは加害者の意見は関係なく、被害者がイヤだと思ったらダメだなんですよ。その場でセクハラ、パワハラ確定なんですよ。その場ですよ。現行犯逮捕みたいなものです。そこを、あいつは我慢が足りないとか言うのはナンセンス。でも、そのナンセンスを認識させ、世の中に広めようという教科書が存在すること自体びっくりもんです。これがいち教師の判断というのではなく教科書に記載してあることに大きな驚きと憤りとやるせない気持ちが沸き上がってきて、本気で怒りが収まりません。この気持ちどうしたら良いですかねえ。クソが。


2019年05月11日(土)Saturday (Sat.)
パワースポットとかパワーストーンなど、スピリチュアルな話をしている秋山眞人さんの動画を見て、半信半疑だったのだが、騙されたと思って実行してみたところ、理不尽な言動を繰り返すわけのわからないサイコパスのイヤな事を反芻することがなくなり(というか減った)、睡眠を害していた想像・妄想がなくなった。気持ちが軽くなった。秋山眞人さんが夢について解説しているが、自分の先祖やさらに、大昔の記憶・記録・歴史やいろいろなメッセージを伝えているとのこと。夢については、2000年に開設した夢の日記帳のホームページが自分なりに考えていた、夢のお告げと同じ考えだと思う。サラリーマンとして比較的安定していたので、夢の日記帳は、ある程度定常作業というか、記録することがあまり苦にならなかった。しかし、その後、人間として生きる事に対する苦痛・苦悩・違和感などが先行して、夢を記録することを実施しなくなった。そして、今回、夢の大作を見たので書いてみる。本来であれば、表側の玄関である入口側のページに書くべきだろうと思うのだが、もはや、このホームページは、きまぐれなリンクをどんどん張り管理できていない。なので、今さら昔のページに戻ることはあまり意味がないなあと感じるため、ここに書いてしまう。それと登場人物の苗字は本名を書いたところでもはや過去の人なので書いてしまう。うんこを背中に付けている。背中はけっこうリアルに粘土質を感じていて、背中にへばり付いている。ファンキー中村さんが出てきた。このへんは正直細かいことは忘れた。サバゲをグループ何人かでやっている。廃工場の中でやっている。インドアでサバゲをやっている雰囲気。なぜか、この数人でサバゲ場の休憩所にいて、涙のお別れの挨拶をしている。このサバゲチームを私が去ろうとして、みんなの前に立って挨拶をしている模様。以前、同じ職場にいた、そして定年退職した原田さんがいる。上口と2人でマンションの階段の上に登っていく。エレベータが近くにあったので、名古屋の星ヶ丘駅近くの昔住んでいたマンションのような雰囲気。そのマンションから離れて駅へ向かう。夢の中では星ヶ丘駅ではなく、自分の雰囲気では、天王台駅のような感じがする。天王台駅に向かっている。車道には車が走っていて、けっこう歩行者側に寄ってきて、ぶつかりそうになるので危ない。自分は路肩側によける。スピリチュアルな話をしている秋山眞人さんの影響で夢の記録を書き始めたが、夢を見た日は忙しくて、2日~3日経過した時に書いたら何もかも忘れていて意味がない結果となった。そして今日も夢の大作を見たのだが、あまり記憶に残っていない。きっと上記の夢のように、メッセージ性があることは確実なのだが非常に残念。夢を見てそれを確実に覚えていて、それを現実世界に役立たせるような人はきっと、その記録術・記憶術が確立されているんだろうなと思う。夢のお告げを受け止める器がないヤツは、やっぱ人生最後までタダの平凡なボンジンなんだろうなと思う。秋山眞人さんの話でパワースポットとか心霊スポットとか、いろいろな場所へ行く時の注意事項というのがあった。基本的に秋山眞人さんは、心霊スポットとか負の場所に行く事も否定しない、比較的肯定する派と言っていた。パワースポットと呼ばれるような負ではない場所でも、体調を悪くしたり良くない出来事が起きたりすることもあるそうでし。なので行くのは勝手だけど注意しましょうと言っていた。その話の中で特にこの言葉が気になった。自分が今存在しているのは、過去にいるご先祖様が1万人いるという話。ご先祖様が自分の子孫を脈々と残す、それの結果が今いるリアルな自分である。ということだってさ。戦国武将とかでもそうだけど、自分の家を後世に残すというのをメインにしている。上杉家、伊達家、毛利家、武田家、という家の考え方。豊臣家は秀頼で滅亡した。武田家も勝頼で滅亡した。徳川家が最後の最後に笑うことになる。歴史を学ぶとそんなに家を大事にしたいのか?と思うのだが、秋山眞人さんが言うには、自分の後ろに1万人の過去の人がいると聞くと、人生ってそういうものなのかなあ?とも思う。そして負の幽霊1人vs自分のご先祖様1万人と戦うのであれば、明るい1万人の方が強いに決まっていると言っている。なので、基本的に負けることはない。しかし、心理的に弱い状態で、負の霊に負けたらどうしよう、乗りうつられたらどうしようとか、弱気になっていれば、霊はそこにつけ込んで攻めてくる。霊の基本ルールとして、現実リアルな世界の人間を助けるということが決まっていると秋山眞人さんが言っています。現実のリアルな人間を驚かせようとか、そういうルールは霊にはない。だから、霊が出てきた時は、お前のご先祖様は、成仏できるように上へと導くべきであるので、それを強く念じる。負の気持ちを拡散させる行為をやめさる強い気持ちで接するというのが大事であると言っている。そして、自分のご先祖様1万人いるのなら、命を安易に絶ってはいけないんだなあと考えるようになった。昨日と今日では、その部分が一番違うと思う。しかし、そうは言いつつも、現実はきついし厳し過ぎる。以前にも書いたが、人生は修行であったならば、オレはそこまで高レベルの修行を要求・希望・依頼はしていない。そこのところだけは、断固主張しはっきり言わせてもらいたい。全員、平均的な能力を持っているわけではないし、能力の低い人だって大勢いる。犯罪を犯すような悪人は別として、悪ではないんだけど、平民の集団について行けない人もいる。そういう人は世の中、世界から遠ざかっていく感覚を強く感じる。いわんや、悪人をや。という言葉があるが、普通に見える平凡な人は逆に放置されやすい。放置され気にかけてもらえず、忘れられていつの間にか、集団から遅れていて、周りには誰もいなくなる。ひとりぼっちである。そういう冷たい環境をなんとかしてくれませんかね。そっちが修行という名前で、頼んでもいないのに強引に押し付けてくるのであれば、こちらはこちらで、条件を提示させてもらうし、その前提条件がなければビジネスは成りたたない。ビジネスをする事前の見積もり提示段階を通り越して、強引な環境に置くというのだけは、やめて欲しい。そこの部分だけは理不尽なのでやめて欲しい。本気でそう思う。       


2019年05月12日(日)Sunday (Sun.)
人間万事塞翁が馬の話しをしようと思う。が、まず最初に別の話題を。このホームページの基礎の基礎は、2000年に開設したのは以前書いた。開設した当時ではなく、1~2年経過した頃だと思うが、当時一方通行だったホームページの世界に、新しいインタラクティブという考えが持ち込まれた。読者はそのホームページの作者と感想を述べあったり、連絡を取り合うのは、別に設けられたメールからであったが、その画面の中にコメントが入るような、要するに掲示板と、今のSNSの初期の合体みたいなものだったように思う。それから思えば20年(未満だが)経過したのかと思うと月日の流れは速いものである。当時は自分もインタラクティブ化という流行語を追い求め、ひたすら当時のプログラム技術である、CGIというものを導入していろいろ試行錯誤をしている状態であった。当時は、そのコメントには、迷惑メールがたくさん入ってきていて、おもしろくなかった。たまにコメントがあっても、あまり読者と同じ趣味を共有するという感覚は得られなかった。正直インタラクティブは、期待したほどではなかった。その後、SNSが大ブレイクし、ホームページよりもSNSの過熱のおかげで、スマホにはウザイ広告がわんさか出るようになり、うっとうしくて仕方がない。SNSにも不寛容の連中が毎回のように入れ代わり立ち代わり、悪口を書くので、それに対応するのがイヤになった。その後は、低レベルのコメントは無視している。そこで、このページのように、自分が思うように、書きたいように書いてもコメント欄がないので、何も届かない。この静寂の方が心地よいと感じることは、今のようにどんどん新しい情報をとめどなく流し続ける社会への反抗というか、当てつけという感じがしている。この静けさは良いと感じる。で、次は 人間万事塞翁が馬の話。この言葉は、最初に人間、という言葉があるので、人間誰しも、こうなんです、みたいな意味になってしまって、先頭の人間は若干邪魔に思う。万人に当てはまる内容ではないと思う。ある特定の条件を満たした、優良な市民にのみ当てはまるものだと思う。これを語ると長くなるので、後日、気が向いてその時覚えていたら書く。前置きはとりあえず横に置いておいて、次に行きます。馬がケガをして戦争に馬を持っていかれなくて良かったね。という意味。で、今の俺を見てみると、一部上場企業をやめ急激に貧乏になり、サバゲができなくなった。なので、車も売り、自宅でお金のかからないギターを弾くことがメインとなる。サバゲを継続していたら、サバゲの方が好きなので、サバゲの合間にギターを弾くことになり、練習時間も少なくなるし、エフェクター等の研究もできなくなる。要するに、前の状態であまり進歩しなかったと言いたい。しかし、今はお金がかからないギターを弾いているため、弦の弾き方もある程度上達した。左手はコードのみであり、それ以上上級のテクを実施するつもりは全くない。しかし、右手の動かし方、ピックの当てかた、1弦1弦に当てるピックを操る感覚、それがかなりの上達を見せている。風呂でワイヤレススピーカーで聴いているときも、通勤の電車の中で聴く音も、かなり満足度が高い音になっていて、これは自分では100点満点をあげたい。そして自分が気に入って、さらに得意な曲は120点をあげたい。正直ここまでくるとは思わなかった。数年前の実力が10年継続すると思っていた。しかし、今は大満足。以前にも言ったが、私はカラオケが好きで、昔は歌っていたがキーの高い曲は好きなのに歌えないのが、きつかった。どうしても歌いたかった。そこで、ギターでカラオケ感覚で良いから弾きたいというのが最初。最終ゴールはギタリストになりたいわけでもないので、ギタリストに1歩2歩近づいた自分が超嬉しい。自分で言うのもなんなんだが、今はなんとなく、雰囲気はギタリストになっている。カラオケのつもりで始めたギターが、自分の想像以上の成果を見せている点に驚いているし喜んでいる。誰とか名前を挙げるわけではなく、一般論として、この年齢のジジイの趣味として、ロックやってます。とか、ギタリストの真似事やっていますというのが自分なりにかっこ良いなあと感じる。本気でかっこいいと、自分に酔っぱらう。この言葉を言うことが恥ずかしくない自分が、さらに拍車をかけて喜ばしい。何を趣味にしようが、何を主張しようが、何を語ろうが個人の自由である。世の中のこれくらいのジジイの年齢になると、日本酒を各地飲みあるきます。とか、温泉旅行が趣味です。とか接待ゴルフが好きです。パチンコ、マージャン。囲碁、将棋。まあ、いわゆる一般的なジジイの回答は、さすがにジジ臭い。そこが自分では明確な差別化ができていると、認識できるので、かなりポジティブな精神状態を保てる。自分はヤツらと違う。年齢はジジイだが心はジジイじゃない。見た目は子ども、頭脳は大人名探偵コナン。というマンガがあるが、見た目はジジイ、頭脳は子ども、その人はオレ。という自己紹介になろうかと思う。思い出すままに、どんどん書く。昔20歳代の頃、電車の中でおっさんが日本経済新聞を読んでいた。会社の管理職と思われる人、そうでない若い人も経済の情報を入手し、たぶん自分の仕事に役立てよう、みたいな感じだと思う。しかし、オレは読まなかった。読みたくなかった。読んだところで何を目標に読めば良いかもわからず、読んだ方が良いという一般論を押し付けられた感もあり、考えた末に読まないことに決めた。仕事に関する技術情報は当然、入手するし勉強もする。しかし、電車に乗っている時間も会社のために時間を消費するのはバカバカしかった。それでなくても、ネットワーク保守の仕事を何十年もやってきて、個人の人生をかな犠牲にして生きてきた。人生で、こんなに自分の人生を犠牲にして、他人のため会社のために尽くすのが正しいのか?自問自答した。この内容も他で書いた気もするし、書いていないのなら、今後気が向いたら書く。ハートランド・ラッセルの言葉にこいうのがあります。私たちが愛する人の幸福を願うのは当然です。しかし、自分の幸福を捨ててまでこれを願うべきではありません。というもの。さすがに、人生を棒に振らされた感がいっぱい。なので、今後は年金生活までの短い間ではあるが、今までのオヤジからの押し付けの人生や一般論的に、サラリーマンがやるべきこと、みたいのを無視し、反面教師として全面的に108度の方向へ舵を切っていく。


2019年05月15日(水)Wednesday (Wed.)
今日はグチっぽくない話。しげの秀一のマンガの頭文字Dが大好きで、最後48巻かな?まで読んだし、映画やアニメの作品も全部見た。少しのブランクを経てしげの秀一が投入した新作は、トヨタ86に乗って競争する、MFゴーストというマンガ。藤原拓海が育てた天才ドライバーが主役で、NAの新ハチロクで、外国の高級スポーツカーを抜いていく。という、まあ、頭文字Dに似ています。しげの秀一って、人間描くの下手ですわ。どんだけ下手なんだろう。しかしマシンは最高にかっこ良い。旧ハチロクもかっこよかったが、新86もかっこ良い。お金があれば買いたいと思わせる、NAで非力なんだけど、ライバルをごぼう抜きにしていく。頭文字Dのマンガ・アニメでも思ったんだけど、ドライバーって走りながら、あんなにひとり言いわないよねえ。とは思う。マンガだから心のコメントを文字にすると、ひとり言になってしまうというのもわかる。あれを観てから、おれも自分の車を運転しながらひとり言を言う。最初からひとり言は、多い方だった。頭文字Dのおかげで、ひとり言を言わずにはいられないくらいになった。頭文字Dは、藤原拓海が最初ボケているが、だんだんコツを理解してきて、上達していくという内容。、MFゴーストは、主人公が最初から天才で、運転が上手いという設定。今は5巻目。今後どうなるかはわからないが、最初から完成された天才なのかなあ?と思う。しげの秀一のマンガは、セリフが熱いのが多い。まだ5巻なんだけど、車好きには、たまらない名言が多数ある。車好きを熱くする言葉をしげの秀一は知っていて、そこを突いてくる。頭文字Dのマンガ読んでも興奮するし、頭文字Dのアニメを見たら、声優とユーロビートの融合のおかげで、DVD1本で必ず泣く。涙が止まらないバトルシーンが絶対にある。毎回泣いていた。泣きながら見ていた。それほど熱くなるセリフが、MFゴーストでも健在である。MFゴーストでもバトルシーンで何度も泣いた。かっこよ過ぎる。トヨタ86乗りて~~~。スバルのBRZと同じだと思うのだが、実は、どこか違いがあるのだろうか?知っていたら教えてくれよん。ああ、一応断っておくが、車好きと連発しているが、AT車、ハイブリッド車、電気自動車、ワゴン車、ミニバン車、ワンボックス車、RV車等々が好きな人は、ダメです。相手にしません。俺の感覚では、そういうのを車好きとは言いません。今自分の車が、ここに挙げた車種であればNGです。どうぞお帰りください。無理です。クラッチとアクセルとブレーキと、ギアチェンジの快感ってたまんないですよね。クラッチを切る、クラッチをつなぐ。その行為で車が前に進むわけですから、自分の操縦する戦闘機と同じです。エンジンの回転数を引っ張って、ガツンとクラッチをつなぐ。おれ、けっこう車に衝撃来る方が好きなんですよ。ガツンとクラッチつないだら、その振動が来て、おお、よくつながっているな。ここからアクセル入れていく。またエンジン回す。もうたまんないね。頭文字Dの文太のエンジンの回転数についての言葉・名言を思い出した。11000まできっちり回せ。これですよ。これ。かっこ良い。しびれます。、MFゴーストでも過去何回も泣いているんですが、5巻で言うと、富士山の火山灰が積もった滑る路面をかなりのハイペースで進むんですね。少しリアを滑らせながら、滑らせるのは計算済み。その角度でコーナーに入っていく。そしてコーナー出口。ようするにゼロカウンター。ゼロドリフト。最小限のタイヤの滑りと最小限の角度でクリアしていくんですね。それが最も速い。そして、火山灰の路面が終わる頃に、路面が滑らなくなってきた。そろそろ終わるな。と踏んでいてわかるんですね。タイヤやショックやダンパーなどから伝わってくる情報があるわけです。体に刻まれている感覚でわかるんですよ。こいつ天才だから。でも、オレは天才じゃないけれど、AT車じゃなくてMT車なら、路面の情報をつかむ感覚がわかりますよ。クラッチを雑につないだら滑るとか、雑にアクセル踏むと滑るとか。AT車よりも鮮明にわかります。このページの上の方に塞翁が馬の話を書いた。それに関連するかも知れない。昔、一部上場企業を辞めてとにかく仕事しなければいけないので、タクシーをやった。車はAT車だった。正直、おもしろくないし。慣れていないので、何度もクラッチ踏みそうになる。とにかく面白くないし、サスとショックがやわらかくて、足が踏んばれない。踏ん張らない。あんなクネクネした低剛性の車なんかで、良い走りができるはずもない。そんなの最初からわかっていたが、お金を稼がないと死にますから、生きるためですよ。でもその生きるための仕事も、自分に向いてないので辞めた。そのキッカケをくれたのが、やはり塞翁が馬なんじゃないかなあと思う。お前は、こんなショボイAT車に乗るような人間ではない。もっと楽しく走れる車に乗るべきである。と神が導いてくれたのかなあと、今になったら思う。だけど貧乏だから、今も車買えないけれどね。年末ジャンボ10億円当たったら、買うよ。基本中古だけど。ここで乗りたい車を発表する。FD3S、FC3S、S15、180SX、R34、R32、ランエボ3、ランエボ4、インプレッサ2ドア555・マクレーの頃のやつね。あと新車なら86、ロードスター。こっちは優先順位が下がる。


2019年05月16日(木)Thursday (Thu.)
音楽の専門的なことはわからないが、体感的に感じているので書いてみる。自分の好きなコード進行は自然な流れです。その中でも、自分が弾きやすい、ノリやすい曲があるのが、なんとなくわかります。コードが、E,B,C#m,G#mこんなコードが出てくるのが好きです。もちろん、Eb,Bb,A,Dmとかでも同じイメージです。E系、B系がノリ安い。何なんですかね?そして、いきなり話題転換。ギターをやっていたり、バンドやっていたりする人って、洋楽をバンバン聴きますよね。その楽曲のコピーをしたりしますよね。買うCDは、ほとんど洋楽ですよね。日本の曲をまったく聴かないわけじゃないんですが、比率として外国系が多いですよね。そんな人を何人も見てきました。で、そういう人が日本でメジャーデビューをすると、まず書き溜めていた曲だったり、新曲作ったりしますが、これは日本語の曲が多いですよね。ボクは、日本語のロックバンドの曲が好きなので、全然問題ないんです。でもね。自分達がアマチュア時代に聴いていた曲が、洋楽だとしたら、今アマチュアバンドの人に聴いて欲しいのかな?聴いて欲しくないのかな?その辺が前から疑問なんです。最近は、日本のロックバンドで、英語の曲を作る人も多くなっています。世界を目指しているバンドなんだというアピールなんでしょうね。個人的には日本語の歌詞にして欲しいです。


2019年05月19日(日)Sunday (Sun.)
前にも言ったかも知れないが、またグチのような話し。1年くらい前かなあ?赤坂見附の近くのある会社の求人募集があったので、面接に行ったわけです。ひと通り業務の話が終わって、話しが終わるようなタイミングだったので、精神的にも終わった感があり、かたずける方向に気持ちが動いていた。先方の管理職の人だと思うのだが、あなたの趣味は何ですか?という質問をしてきた。転職の面接で趣味の話しが出ること自体、あまり意味がわからないのです。仮に、何か知られてはまずい趣味があったとしますよね。その趣味を正直に言いますかね?言いませんよね。動物虐待します。とか言いませんよね。だから聞くだけ無駄だと思うのです。だけど、私は仕事も大事だが、趣味も大事。若い頃は自分の趣味を犠牲に、仕事優先で生きてきたが、これは後半になり、神様の采配が平等ではない差別があるとの判断により、方向性を変更した。そのことは、このホームページのどこかに過去に書いたはず。まあ、あとで暇だったら、老人のように同じ話を繰り返し書くかも知れない。で、その面接の場でも正直に言った。ウソがつけない性格なもんで。まず、先方の方に、趣味の話は長くなりますよ。と最初に言った。手短かにしろと言われたが、手短かにできないから最初に言っているのである。時間を短縮させるのであれば、私の趣味の紙を渡して、適当に読んでおいてください。ということにした。その紙の内容は、以前も説明した。そうしたら、向こうが食いついてきて、多趣味ですねえ。というところから始まって、いろいろな質問が飛び交う。手短かにしろとあなたが言ったのに、かなりの時間延長になってしまった。簡単な説明では相手が理解できず、少し細かい説明をしなければ話が通じない。ただし、ほんの少しの説明だと、相手が誤解しているようであり、非常にこっちの気持ちが不安になってくる。えっつ?何も知らないあなたが、今それを聞く意味がありますか?と言いたいが言えない。なので説明が、どんどん長くなる。しかし説明をしたところで、簡単に理解されない。面接の最後は、なんかちぐはぐな空気感になってしまった。だから、イヤだと言ったんですね。趣味の事を聞く時は、自分を基準にしないでください。あなたのように、私の事を多趣味ですねえ。と言うほど少ない人には、たぶん理解不能です。今後聞かないでください。聞いたところで意味ないですから。あなたのように、お酒が好きとか、ゴルフが好きとか釣りが好きとか、一言で終わらない人がいますのでご留意ください。それと、別件。転職の面接の話。大手町のある会社の面接。資格もたくさん持っていて、スキルも申し分ない。逆にスキルが高すぎて、この業務は退屈で暇になるんじゃないか。と言われた。CCNAの資格をせっかくもっているのに、Cisco機器のconfigは、まったく触りません。こんな豊富な経験をされている人はもったいない。他の仕事をやった方がいい。みたいな言い方。でも、私は仕事を欲しかったし、今は高スキルでも今後歳をとってくるので、平凡・平和な業務で定年までゆっくりさせて欲しい。ぜひこの仕事をやらせてください。と意欲があることをアピールした。スキルが上まわっているわけだから、もう合格したも同然だという感じで、喜びながら自宅に帰ってきた。合格の連絡を待ちながら、次の日仕事をやっていた。連絡がなかなか来なかった。大手町の会社であれば、大手町・丸の内のOLのお姉さんがたくさんいるのかなあ?なんて空想していたわけです。結局、その会社は落ちました。なんで?落とすんですかね?スキルが上回っているんですよね。厳しい仕事ではないため、年齢をとっても定年まで、ゆっくりさせてもらいたいと言ったのに、無視された。私は世の中で見れば、年齢は高いほうである。自分で言うものなんだが、過去のしごとはかなり、各種多様な高度な経験をたくさんやていると思う。その時代のIT最先端技術を吸収したエンジニア人生だったと言っても過言ではない。経験は申し分ないが、いつも年齢で蹴られる。なので、スキルが上ならぜひやりかった。こんなラッキーな仕事のオファーなんて、そうそう来るチャンスはない。その少ないチャンスをものにしたかった。が、ダメだった。けっこう落ち込みましたよ。スキルが上なのが何が悪いんですかね。何がダメなんですかね?世の中冷たいよ。なんで?やらせてよ。本気で世の中、わからなくなってきた。このグチを書くまでもなく、過去にいろいろな理不尽な事もあったし、さすがにもうないだろうな、と思っていたが、このような善良でマジメなな市民を地獄へ突き落とすようなことされると、本気で心が凍る。本当に何回、心が泣き叫べば人生の終わりが来るのか?人生の神はいつ気がすむのだろうか?この仕打ちって何ですかねえ。本気で神に抗議します。マジメに生きていれば、神が天国から見ていてきっと良い人生を送ることができるって、世の中で言われていますよねえ。何度も書いていますが、それはウソなんですよねえ。生きるのが苦しくてたまりませんわ。子どもの頃からバカ正直に生きてきて、本気でバカのクソ野郎のように、親の言うことを聞き、なるべく怒られないように過ごした。しかし、それは何の意味もなかった。逆にダメな人生の見本を実行してしまった。人生の半分以上を無駄にした。いや、これからは高齢者で、そもそも未来はないのだから、この働き盛りのオレを地獄へ突き飛ばす、最後のチャンスに実行しやがって、本当に他人の不幸がよく理解できるヤツだよな、と褒めてやるよ。人生クソ野郎ども。クソ連中ども。若干、文句を追加。文章の流れは連続しないが文句を書く。周りと自分の発想・判断基準等がなんとなく違うなあというのは、小学生くらいでなんとなくわかってくる。その周りとの摩擦みたいなものを起こす自分に嫌気がさすわけです。さすがに人間だから嫌気がさすわけです。で、次に何を考えるかと言うと、周りの人と同じような言動をすると、もしかしたら同類に見られるのか?と考えるようになる。他人の真似をするが、それが吉と出るか凶と出るか、マチマチなわけです。他人の真似をしても、その真似をする人が正しいのか正しくないのか?よくわからずに真似をする。特に社会人になった当初。社会人としての一般常識がないため、お客さんの態度を研究し、その真似をするというのもやってみた。クレームを連発するお客さんもいる。それはお客さんが悪いのでなく、トラブルを連発するネットワーク機器が悪いのであって、お客さんが悪いのではない。と解釈し、頑張って真似た。しかし、のちに、クレームを言いたくても冷静に分析し対応し、エンジニアの復旧作業の手伝いをするお客さんが、良いお客さん。その先に、良い人間であるということがだんだんわかってくる。周囲との摩擦を減らしたいのだが、試行錯誤している中で、さらに摩擦が増加したりして、もう、自分の判断基準を見失うことも多々あった。こういう時が一番苦しい。逃げ道がわからないから、逃げられない。最近はやりの言葉で、毒親というのがある。昔はこんな言葉はなかったが、公のwebニュース等にも出てくる言葉である。何かというと、要するに、簡単に言うと、子どもを死に追い込むとか、貧困に追い込むとか、不幸に追い込むとか、そういう連中を言う。webニュースには、そういう系の記事もたくさん記載されている。離婚だの不倫だの、という話題も多いのだが、最近は、親子関係が悪くなる、というキーワードが多く、それがはやりなのではないかなと思っている。その原因を自分なりに考えてみると、親は子どもよりもエライ。地位が上である。上から目線である。こういう脳みその腐りきった、昔の伝統を引きずっているガンコ者に多いと思う。子どもは、20歳になっても、30歳になっても、50歳になっても、いつまでも親の下の身分である。と思い込んでいる。バカだよね。子どもの頃は、仕方なく親の言うことを聞いて、家に置いてもらっているが、別々に住んでいるし、別にあんたの言う事聞きたくねーし。というのは、若者は思いますよね。ジジイ・ババアは思わないんですね。バカだから。いつまでも永遠の子どもなんですよ。アホだね。昔の言葉に、老いては子に従え、というものがある。昔のジジイ・ババアは、エラそうに、ことわざとか使って、いましめというか、教訓というか、説教するわけですよ。受験勉強しない子どもをしかって、光陰矢の如しだ。ぼーっとしていたら、来年になる。すぐ受験日が来る。とか。まあ、そういう感じでエラそうに言うわけです。しかし、老いては子に従え、というのは、老人に言っている言葉なんです。老人に聞けば、そんな言葉は知っていると言うでしょうね。知っているだけではダメなんです。実行しないとダメでしょ。老人は、それができないんです。なんでですかね?何かが邪魔しているんでしょうねえ。自分は昔、偉かったとか、役職が上であったとか、良い功績を残したとか、自分を英雄視するんでしょうね。過去の美しい自分に酔い、酔っぱらったあげく、目の前のものが見えなくなって、意固地になり、老いては子に従え、が理解できない。脳みそに入っていかないんでしょうね。脳に入っていかないので、仕方ないですよねえ。とはなりませんよ。それが、仕方ないのなら、若いから親の言うことを聞きませんでした。というのも仕方ないと認識して欲しい。都合の良いことだけを主張し、都合が悪くなると老人だからしょうがない、と言葉で言うかは別ですが、もう明らかにその空気感、ありありですから。で、webニュースの記事に書いてある、毒親を持つ子どもは、自分を育ててくれたのは、ありがたいと思っているんですが、どうも認識が違う。。。みたいな話をするんですが、おれは違います。そういうネジ曲がった教育を、何年、年十年継続しているわけで、その事自体が苦痛ですから。やめてください。本当に。感謝なんかしてませんよ。ネジ曲がった教育を、小学生と同じ考えをなぜ、50歳越えの人にぶつけるんですかねえ。おかしい、狂っている。このひとりごとのページのどこかにも書きましたが、ムカついているので何度も書きます。この世は苦痛だらけです。この苦痛を与えて欲しいとひとことも言ってません。産んでくれともひとことも言ってません。苦痛を感じるために生きているって、意味わかないですよね。苦痛で仕方ないんですよ。と言うと、エラそうに人生は苦しいから我慢、忍耐だ。と言うでしょ。これは過去に書いた文章にもありますが、そもそも苦しむための人生って何?やめてください。というのと、我慢、忍耐にも限度がある。あんたは、忍耐の限界を越えたことがありますか?オレは前に書いたように、限界がわからないので、限界を越えてしまって、もう廃人同様になって、電通の高橋まつりさんのようになる手前で、ギリギリ救われた。しかし、そのギリギリ感も理解できず、我慢が足りない、と批判することしかできず、それを継続的に繰り返すことしかできない、単純脳の方がよっぽど悲しい存在だと思いますねえ。この文章の意味が理解できないなら、人間終わっています。


2019年05月22日(水)Wednesday (Wed.)
YouTubeにUPしている曲について、昔は各リンクのページに細かい感想や、グチや苦労話や、言い訳けなど書いていたが、4月でリスタートしたので、何もなくなった。ここに書くのは表現の自由なので書いてみる。そもそもギターをやっているのは、カラオケが好きなんだけど、キーが高くて声が出ない。好きな歌をなんとかしたい。という発想から来ている。なので、コードしか弾かない。というかコードしか弾けない。1970年1980年頃のバンドブームの時に目覚めた。まず第一に織田哲郎作曲。の曲。Aメロから8刻んでガンガン行く。Bメロは若干スピードダウンし転調に入る。そしてサビにうまくつなげる。サビは、もうこれでもか。というくらい。大爆発する。このパターンのビーイング曲が最高だし、今も好きだし、この曲がきっかけである。で、本格的に整理というか整備してきたのが、MANISHと出会ってから。MANISHはとっくに解散していた。そのため、CDの中古も安く買えた。そこから本格的に整理しはじめた。MANISHは当然バーニング。織田哲郎節は最高。ZRARDもWANSもかっこ良い。その流れで川島だりあを知った。PINK SAPPHIREというバンドがキーとなっている。ギターを弾くには、コード譜がないと弾けない。音楽の能力がないため、コード譜が作れるはずもない。その前までは、歌謡曲の本を買ってきて、見ながら写していた。あとはネットで検索するとか。だけど、PINK SAPPHIREって、正直知名度が低いのでP.S. I LOVE YOUという曲くらいしかコード譜がない。どうしても弾きたかった。なぜか?曲は至って普通のJ-ROKに若干、歪を増やしたギターが入るくらいのロック感。メタルでもない心地よい歪感が良い。それと、弾く段になったとき、早弾きとか、そういうテクニック系の演奏がほとんどない。バッキング重視で、とにかくメインとなるベース音を中心に、リズミカルに進行していく。ハイテクを使わず、地味にバッキング重視、っコード進行重視の曲なので、弾く側にとってはかなり難易度が低い。とは言ってもプロなので、私はそこまで達していないが、要するに素人でも、頑張ればそこそこ弾けるんじゃないか?と錯覚させるようなところが良い。で、そのコード譜をどうしたか?河合楽器のバンドプロデューサー5というソフトを買った。とにかく耳コピができないヤツには、こう飛び道具が必要。体験版をダウンロードし、、PINK SAPPHIREの気に入った曲を6~7曲くらいコード譜を作った。その時は、継続して使うとは考えていなかった。PINK SAPPHIREがひと段落すると、また次の曲をやりたくなる。耳コピは無理なので、当然バンドプロデューサー5の出番になる。なので正式に購入した。これは買ってよかった。当たりである。今まで約35X16=560個くらいのコード譜を作った。当初はこんな大規模なものを想定していなかった。今その紙ファイルを見て、過去の歴史とともに自分でもびっくりしている。その後、HEAD SPEAKERを知る。ド真ん中のロック。このバンドも早弾きとか連発するバンドではなく、基本的な基礎・土台をしっかりやっていく、それがこのバンドの特徴だと思う。ギターの歪も好きだが、聞き込むと実は、ドラムの打ち方がかっこ良い。メリハリがあって、その場の曲の流れに激合っている。その部分に、その打ち方をするのか。けっこう盛り上がる。かっこ良い。テンション上がる。今は、自分の中では、中原めいこがブームになっている。鏡の中のアクトレスは、当時テレビの歌番組で見ていた。あまり気にしなかった。今聞くと、イントロから入るギターの歪音がかっこ良い。当時の歌謡曲としては、かなり力を入れたギターアレンジだと思う。かっこ良い。今の本音としては、もっと激しい歪にして欲しかった。それと、金子美香というのもブーム。高橋研がプロデュースしていて、その間のアルバムが良い感じ。高橋研と言えば、戦国自衛隊の映画に出演し、曲も多く映画の中で使われている。スクリーンに雨が降るというバラードが、一番好き。高橋研は、その後、中村あゆみで一躍有名になる。翼が折れたよりも、もっと良い曲がアルバムにはたくさんある。その高橋研プロデュースの金子金子美香。当時はあまり知らなかったが、古き良き時代のJ-POP(ROCK風味)という曲。高橋研は単純なコードを使い、単純な流れなので非常に簡単で弾きやすい。コードチェンジもそれほど多くない。なので、コード進行に注意しなくても弾きやすいので、思い切り頭の中をからっぽにして、なんというんですかね?条件反射で弾いているというか、苦にならない。自然に曲への没入感が増す。雑に弾いても、まあなんとなくコードさえ合っていれば、いいんじゃね?くらいの勢いで弾いている。こういう曲は楽しいね。バンドのライフとかで、ギターリストが楽しそうに弾いている気持ちが理解できます。で、金子美香の曲で一番のお気に入が、ひとりぼっちのチルドレン。あっ。ここでひとこと。この曲のタイトルって何?と思う人もいるかも知れません。が、意味ないです。特に好きなのは、歌詞にアーアーとかウーウーとか入っている曲ありますよね。あれって、子どもの時に疑問だったんですが、意味ないです。曲としてうまくつなげるために、歌詞としては入っていないが、なんとかして、その流れをメロディアスな形で持って行きたい。展開したい。その苦肉の策であると、個人的には考えています。なので意味ないです。でも逆に考えると歌詞の文字数の制限も何もないわけですから、自由なんですね。制限なし。なので、音を上にあげようが下に下げようが、勝手なんです。なので、アーアーとかウーウーとかの部分は、コード的にも自由に開放感のある流れが来ることが多いです。だから好きです。金子美香の、ひとりぼっちのチルドレンがまさにそれ。サビのアーアーとかウーウーの部分は、コードAとDの繰り返し。行ったり来たり。なので、簡単すぎますよね。なので、注意する必要がないわけです。なので、ノリ側に集中できます。なので楽しいわけです。こういうの大好物です。中村あゆみの、ひとりぼっちのジョニーE.という曲があるんですが、その曲の流れで自然にできた曲だと思います。歌詞を追究してはいけません。PINK SAPPHIREの部分で言うのを忘れていましたが、誰かのレビューで詩が幼稚というコメントがありました。詩も曲も良ければ良いに決まっています。だけど、そんな完璧な曲ってあまりないですよね。なので何を重視するか?曲ですね。音楽重視です。気分がノル曲。歌詞はどうでも良い。いつも言っているが、歌詞は、ドレミファソと歌えないので、仮に言葉を付けているだけであり、意味はないです。意味を考え出すとループ構造となり、頭が痛くなりますので考えてはダメです。今、2019年、令和元年です。最近の曲は、イントロがかっこ良い。その流れでAメロ突入しないで、Aカペラちっくな、ベースだけとか、ドラムだけ。Aメロの2回目繰り返しで、ドーンとギターとか歪系が入ってくる。みたいなのが多いです。で、サビはなんとなく流れてしまうみたいな。その流れから、今は日本語の言葉1つ1つに対し1つの音を、確実につけていく曲が多い。歌詞の詞を重視して、より聞かせたいのでしょうが、まあ、どうでもよくて、その部分で曲が停滞してしまうので、歌詞の意味を考えずに駆け抜ける曲が好き。なので、本気で最近の最新曲は、まったくダメダメです。最新の曲は新しいから良いと、実は昔思っていたんですが、音楽芸術は、昔も今も関係ない。良いものは良い。悪いものは悪い。そう思います。最新が良いと思う、昔の会社の後輩が勘違いしていた話を思い出したので書きます。こんなの書いていると、次に書きたいテーマにたどり着けないんですが、とりあえず書きます。車でAT車の方が良いと主張する人がいた。MT車は昔で古い。AT車は新技術であるから良い。と言い張っていた人がいた。それは誤りでございます。AT車は人間が楽をしようとして、さぼりたいから開発したものである。そんな楽をしたいのか?と聞くと、楽をしたいと言う。オレは楽をしたいヤツは、車を運転するなと言いたい。渋滞の時、運転大変だから。と言う。なぜ渋滞前提で車を買うのか?確かに東京は渋滞が多い。だからと言って、それをめんどくさがっていたら、峠道、ワインディングを走る時、つまらないでしょ。車を買う目的が入れ替わっていて、本末転倒である。そういう本末転倒の人とは会話をしたくない。で、話を曲に戻す。なので、曲はとりあえず、歌詞は聞かない。曲がかっこよければ良い。ノリが勝負である。と言いたい。PINK SAPPHIREの部分で言い忘れた。かなりかっこ良い王道のコード進行なので、甲乙つけがたい。良いのだが、ちょっと雰囲気が違っても、良い曲をここで紹介する。PINK SAPPHIREのFrom Me To Youという曲。サビの部分で、メチャクチャずっと夢を追い続けてね不安な夜もあるけど。。。の部分。テキストで表現難しいが、あえて書く。Dmメチャクチャずっと夢をC#追い続けてねCB7不安なE夜もあるけど。。。とこうなる。C#がミソである。ここで、ガツンと何かがはじけたような、軽いショックを受ける。C#は曲の進行にバリバリ合っているし、良い音がする。良い音の質感。とにかくこの曲のサビをギターで弾くと最高にテンションが上がる。これ以外にも本当にいっぱいありますが、キリがないので、ここで列挙できません。で、話題転換。ネットワーク系のエンジニアは、技術を極めてそのミッションを実行したあと、ドキュメントの更新というのをやる。これをやらないと、今何の回線を削除したか?追加したか?機器を追加したのか?管理できなくなる。ドキュメント更新は重要な仕事です。その文章をしつこく、1か月も2か月も指摘・注意しする変人がいるんですねえ。その当時はがんばって要求に答えないといけないなあと思っていました。今になってみると、おれはイヤがらせだったと認識。わかれば良い適当な文章は困りますが、ある程度まとまっていれば良しとしますよね。普通。文章の粒度が合っていない。と厳しく指摘し、何度も直される。自分の過去に書いた人の文章だって、おかしいものもあるのに、そいつらは放置で、今のことだけをずっと指摘し続ける。おれは、本の校正屋かと思うくらい、毎日文章だけを書く仕事をやっていた。今は別の現場にいるのでそんなことはないが、その変人がいる場所では、その変人の指示が正しいと認識され、調子に乗っているもんだから、やめないんです。ずうーっと注意します。エンジニアの仕事じゃないよね。優先すべき仕事はまだ他にある。仕事の優先順位を決められない人がチームのリーダーをやっているって、おかしいと思います。チームとして進捗をさせて、前進すべきなのに、文章の校正で足踏みしているわけですから。その後、エライ人が2人チームの支援というか監視役みたいになって見るようになったら、その校正を厳しく言うのをやめました。やっぱ、ヤツはおかしいです。ぼくは、ここまでくるとイジメだと思います。こんなことでは、自殺しませんが、若い新入社員とかは、ぼくは文章を書く小説家ではありません。みたいな気持ちになると思います。それを世の中が許しているということを思い出す度に、胸があつくありムカつきます。


2019年05月30日(木)Thursday (Thu.)
今までグチとか、自分のキライなタイプとか、理不尽な目にあったとか、人生で好きな上司に会ったのは少数、とか書いてきたが、今、ガチで気づいた。ひらめいてしまったので書いてみる。自分の人生とか仕事の仕方とかに影響されたのは、T谷社長だと確信します。つい2~3日前に、T谷社長の夢を見ました。特に、怒られるとか、褒められるとか、何もなくて、あの夢の意味は何だったのだろうと疑問に思っていました。その夢の意味は、これだったと思います。あの当時、私は主任になっていませんでしたので、ただのヒラ社員です。社長から見てヒラ社員は最下層の人間。その相手に、怒鳴ったり威圧したり、そういうのは一切ありませんでした。仕事のミスをした時も、おだやかに、ミスだと指摘して来ました。私は仕事のミスで怒られている感覚がありませんでした。あの時は、なんて楽な仕事だろうと思っていましたが、さすがに若かったし、バカでした。そのバカを相手にすると、その最上位にいる社長の威厳というか、なんですかねえ、ヒラと同じ土俵では戦えない。オレは、お前のような低レベルな土俵では戦えない。オレは、そこまで、レベル下げて向き合えない。だから、軽くミスを追求するだけ。そんな気がします。このように対応されたことは、俺の人生の中に刻まれたように思います。普通、こんな経験ってないですよね。今思うと貴重で贅沢だったように思います。で、T谷社長の訓示・講和を録音して、文字におこしてHTML化し、社内に公開していました。あの仕事は、耳から言葉が入ってくるし、それを言葉にするので、脳みその中に沁み込んできます。文字おこしは、かなりの時間を費やしていました。仕事はパイロットと同じで滞空時間と同じだ。というのも当時は、驚きだったし、この会社はフィールドワーク、現場で働く人、現場でリーダーになる人を採用している。そもそも管理職候補を重視していない。とか、こういう事って普通、言いにくいですよね。でも自分の意見をはっきり言う。今までの社長が言うこと、言ったこと、言わないであろう、普通は言わないじゃん、とか関係ないんですね。リアルに現実を見つめて、間違っていたら修正する。という手法なのかなあ?間違った判断をもとにすると、その実行も間違える。現状把握は、正直にリアルに、良いことも悪いことも浮き彫りに、さらけ出す。かっこ悪いから、ここは隠しておこうという気持ちが働くと、変な方向へ行く。そんな仕事の方法を伝授してもらったように思います。こう書くと、自分がエラそうに聞こえるので、内容を追加します。T谷社長の秘書が俺の同期のSさんなんです。Sさんは入社した時は伝送事業部。T谷社長は、もともと無線系、無線事業部だった。事業部の枠を超えて、秘書になった経緯は知らない。当時、なんでかなあ?と思っていて、聞けませんでした。今思うと聞いておけばよかった。なので、そういう社長という全然レベルの違う相手と仕事をすることにより、なんか、自分自身、この仕事をしながら吸収しなければいけない。と無意識に思っていたのかも知れないなあ。今になってそんな感じがする。で、急激に書きたくなったので書く。NHKの歴史の番組で、戦国時代の真田ブランドについて語っていた。大河ドラマの真田丸は全部見たし、かっこよ過ぎる。これが男の人生、生き様だよなあと思う。あこがれ、感動する。大河を見て、特に後半は毎回放送の度に泣いた。何度も涙した。で、バングラデシュで麻の生地でバッグを作ることを夢に見て、現地に行った山口さんという人の話が重ね合わされた。真田信繁も大阪城の冬の陣、夏の陣を見てもガンコですよ。それと同じで、山口さんもガンコです。自分の人生の哲学である。それを曲げたら、人生とか、自分自身とか、いろいろ違和感が出る。自分の信じる道を行く。貫く。かっこいい。女性だからとか、性別はまったく関係ない信繁とまったく同じ思考である。以前にも何度も書いていると思うが、力を出す。とか、パワーの仕事は男が強いに決まっている。そんなの小学生でもわかる。しかし、起業し、そのビジネスをうまくまわして、軌道に乗せていくパワーは、腕力は関係ない。脳みその作りと、さっきの哲学が動かすのだろうと思う。何度も言うが、脳みそがおかしい、狂っている、思考がおかしい、世の中に存在していることに疑問。。。などなど、変な男もたくさんいる。男が身分が上で女が身分が下なんて、決まってないし、女をバカにするヤツほど、能力が低い。自分で何もできない。その典型が俺のオヤジだ。真田信繁は、徳川に寝返りを誘われていた。そうでしょうね。最強軍団が敵にいるんだから、誘いますよ。だけど、真田信繁は断固拒否。徳川家康の本陣へ突撃。2度、本陣の防御を破って、家康は肝を冷やした。家康は、真田なら絶対に来るとわかっているし、真田なら徳川の厚い守りも破られて当然と、本心で感じていたと思う。家康をここまで、苦しめたのは、歴史上真田しかいない。誘われて断るのは、さきほどの山口さんも同じ。生地を加工したことにより、自分の付加価値がある。単に、生地を売ってくれという企業がいて、単に売れば良いし、大規模だったらしいのでお金は儲かる。しかし、そんな付加価値のないビジネスはイヤだと言う。自分の存在価値。そこにはやっぱ美学がある。真田信繁と同じで、徳川家康の誘いに乗れば楽なのだが、自分の美学が許さない。そこは絶対に譲れない。そこを譲ると、自分が仕事をやる意味、生きている意味、いろんな疑問がわき、たぶんやめるんだろうな。甘い誘いに喜んで乗るのが、俺のオヤジだ。俺とはやっぱ、180度違うから何もかもが合わない。なんで、こんな安易に流される親なんだろうと、本気で思う。そして、その180度行く俺に対して、批判を浴びせる。やっぱ頭おかしいわ。人生はひとそれぞれでしょう。強制的にエラそうに言うのがおかしい。狂っている。ステレオポニーの曲で、Blowin'in the windというのがある。歌詞に、差し出される景色は少し魅力的だけど、みんな全部私の欲しいものじゃないのよゴメンナサイね。というのがある。基本J-ROCKは歌詞を聞いていないのだが、やっぱ、こういうポイント、ポイントで気になるよね。日本語なんだから意味わかるでしょ。これが洋楽であれば、さっぱりわかんないでしょ。学校の先生や世の中的には、もっと上を目指して行け。とか、適当な場所で妥協するな。自分の理想を胸に頑張れ。とか、前向きに生きることは素晴らしい。とか、あるべき姿は何だ。それに向かって、前向きに生きろ。とか、そういう言葉を言われますよね。そういう教育をされますよね。だけど、なんだかんだ、適当なところでいいんじゃね?とか、一部上場企業に入社したから、まあ、そこそこ努力すればよい。仮に同期や周囲の後輩に、出世とか収入とか待遇とかで、抜かれたとしても、こんなもんでいいんじゃない?と妥協せよ。周りの社員が、間違った事をしていたり、上司が明らかにおかしい、間違っていたり、パワハラやセクハラをされたり、辞めたくなるけれど、一部上場企業は福利厚生が良いから、辞めるなというヤツがいる。それは、俺のオヤジだ。ということは、わかりやすく言うと、間違いとかパワハラとか、ぎりパワハラまがいとか、判断基準はあると思うのだが、ようするに、長い物には巻かれろ、と言いたいんですね。自分の本心、自分の信念、自分の哲学に照らし合わせて、違うと思っても我慢して受け入れろ。という、自分を曲げろという教育をしているのであります。さすがに、これ、おかしいでしょ。理想を追いかけて、自分の信じる道を行くんじゃなかったのか?本当に寂しいし、こういう人生を送れという、ジジイはクソだと思います。仮に、クソな事を言うのであれば、子どもの頃から、人生はダマシ合いである。騙されたフリして、相手の懐に入れ。自分の心にウソをついてもよい。この世の中には、理想なんかない。適当に長い物には巻かれながら、フラフラ浮き草のように、自分の信じるものを騙しながら、ごまかしながら行くのが正しい道である。そう教育してくれたなら、そっちのほうがよかった。中途半端に人生を美しく生きろ、などと教育されるだけ邪魔で、うっとうしいし、寄り道周り道になる。貞男クソ。貞男の悪いところを挙げればきりがない。次は男尊女卑。ステレオポニーは女性バンド。何度も言うけれど、性別関係ないから。男尊女卑を公に言うし、自分の子どもの前でもはっきり差別を表現する。やっぱオヤジはアホ。それと自分の仕事の付加価値。自分の存在感を測るパワーって言うんですかねえ。その価値観を持っていないと突き進めない。とか、そういう気持ちって、世界70億人全員にあると思うんですよ。これがないヤツは屍であるので、まあ、相手にしない。存在価値なし。という言葉で締めくくりたかったのだが、いろいろ湧いてきたので書く。まず上記にある山口さん。バングラデシュに行って、最初はうまく行かなかった。知り合いもいないし、ツテもないし、いきなり行ってうまく行くわけがない。日本人って、私、バングラデシュに行ってビジネスをやる。と宣言したとしたら、真っ先に止める国民性だと思います。そんなことやっても仕方ないとか、やっても無駄とか、無理とか、うまくいくはずがない。とか批判するばかり。その人がそっちの方向へ行こうとするのを止める。と、何が良いか?次に来る言葉はいつも決まっている。ほうら、あの時、私の言うことをきいて、バングラデシュに行かなくて良かっただろう?と言うんです。良かったか?よくなかったかは、行ってみて、行った自分と、行かなかった自分を比較しないとわからないんですよね。そもそも行かなかったのに、結果が確認できていないことに対して、良かっただろう?というのは、単に自分の想像であり考えの押し付けである。これが俺のオヤジの典型的攻撃。日本に生まれて良かっただろう?と子どもの頃100回ぐらい聞かされた。その頃は子どもだから、わけがわかららず、そんなものかなあと思っていたけれど、今は絶対に違うと言える。で話を戻す。で、知り合いも誰もいないところで、山口さんは最初は成功しなかった。失敗の連続で、毎日へこんでいた。そりゃへこむよ。普通の人なら、たぶん、ここで日本に帰る。そして、バングラデシュに行くなと、ろくでもないアドバイスをした友人が、イバリ、勝利宣言をする。だけど、山口さんは違った。彼女は何を考えたか?全ての選択しを試したのだろうか?と自問自答する。そもそも人間が、何かのミッションを達成しようとしたら、2~3パターンは考えると思う。それがダメならやめようと思う。しかし、全ての選択肢を試したのか?というキーワードが出てくること自体、脳みそが冷静である証拠である。あっちもダメ、こっちもダメと行き先を妨害された場合、脳みそは冷静になれない。ダメ、ダメばかりの思考になり、よけいCPUが空回りし、パニックになり、イヤになってやめてしまう。それが、普通の人。全ての選択肢を試したのか?という言葉を聞いて、おれ、テレビ見ながら泣きました。涙出ました。この孤独な戦いの中で、どこへ進んでもダメ、袋小路であると思い込むところを、一歩こらえて、他の選択肢を考える。かっこ良過ぎる。こういう冷静でクールで、CPUの回転も速くて、例を出せば、少し違うかもしれないが、羽生さんの将棋とかも何百、何千通りを脳みそで計算して答えを出している。天才じゃないとできない。素人は脳みそをそれだけの回転数にそもそも達しないし、仮に達したとしたら、オーバーヒートする。回転する熱で破壊される。絶対にそうなる。繰り返しになるが、オヤジが信じる男尊女卑とは、まったく根拠のない愚の骨頂である。ということは明らかであると言いたい。で、次の話題。私の仕事の仕方。やはり単に漫然運転で仕事をやっていては、ダメで、オレは生きていくためには、差別化が必要だと思っている。エラそうに聞こえるが書いてみる。ここはおれのエリアなので、ここに書くことはおれの自由である。このページのどこかに書いたかなあ?今の現場に入って世界観が変わった。周りの人は英語は話せる。英語のメールは書ける。ITエンジニアの高度・上位の資格をとにかくたくさん持っている。その時点で、歯が立たないことは明かである。学歴とか資格はひとつの物差しであり、人間の価値を決めるものではない。とは思っているが、これだけ高級ブランド(英語や上級資格など)を揃えていると、人間的にも冷静に話してくれる人がいるというのも今回、勉強になった。オレは、自分で言うのもあれだが、現場たたき上げITエンジニアだと思っている。高級資格は持っていないが、数多くの修羅場を越えてきたので、そこそこ度胸もついたし、知識もそこそこある。なので、現場では最強だと思っている。現場というのは、ITエンジニアの技術も必要だし、肉体労働も同時に必要という場面で、最大に発揮できる。なので、頭脳だけでは勝負できないんですね。ITエンジニアの技を体を動かすことによって発揮する。なので、この現場では頭脳は、最初から白旗を挙げている。そんなエリアで戦っても勝ち目はない。勝ち目はないというか、そもそも戦い、戦争にならない。ブッシュ大統領が仕掛けたイラク戦争のように、一方的に攻め込まれ、あっという間に死亡フラグが立つ。同じ土俵で戦わない。それが鉄則。自分優位の差別化をはかる。それしか生き残る道はない。じゃあ何か?ひとことでいうと、秀吉の美濃大返しです。と言いたい。これは何か?普通の武将ならば、信長が死んで急いで戻ってきても、何十日はかかる。それを早くする。そこには秘訣がある。事前の準備と、実行した後、いかに無駄をはぶきスピードアップに集中するか?秀吉の場合は、優秀な石田三成がいますから、計画通りに事前準備し、実行されたら他に何も考えず、そのミッションコンプリートだけを目指す。余計なことを考えてはいけないんです。目の前のミッションに集中する。おれも、いま、この方法を実践中。頭脳はダメなのでかしこい人に指示を仰ぐ。指示が出たら、あとはやるだけ。いかに早くやるか?ここであて名前を出しますが、出しても誰もわからないと思いますので、書きます。松本さんという人がいて、それをやるなら1週間かかると言ったとします。それを自分は、半分の日程でやる。早くミッションが終わるので、次の仕事を依頼される。この繰り返しで、信頼を勝ち取る。松本さんはさぼりのプロフェッショナルです。最初にこの仕事は、1週間かかると言ったとします。仕事をやっていく中で、このペースでいくと、早めに終わっちゃうかなあ??というのがなんとなく見えてきますよね。その時、松本はサボるんです。休憩をたくさん入れてサボります。一生懸命にやっても給料は同じ。という。そんなに急がなくても良いです。あなたのペースでやってください。といつも言います。だけど、給料は一緒じゃないんですね。やって認めてくれる人がいれば上ります。信長と秀吉の関係です。それから、そんなに急がなくても良いです。あなたのペースでやってください。といいながら、おれのペースを下げようとするが、あんたが言う、遅いペースというのは、俺じゃなくて、あんたが頭の中で考えている、さぼりのペースにおけるスピードなんですね。なので、おれのペースじゃなくて松本のペースときちんと言い直して欲しかった。しかし、彼は今の職場にはもういない。余計な事を言う人がいなくなって、シンプルでよかったと思う。松本は正直邪魔だった。さぼりたいヤツは、同じ考えの人と群れてください。おれのそばには、いらない。要するに、驚きなんですよ。秀吉の攻撃も、遅くくると思っていて、急に目の前に敵が来るわけですから、あせるわけです。あせった方が負け。精神状態が混乱していて、勝てるはずがない。当たり前です。なんでもそうだと思います。頭文字Dでも、そんな時代遅れのハチロクで勝負になるかあ??みたいになって、走り出したら、ああっ!コーナーで詰められている。何が起こっている!とだんだん、勝利の女神から遠ざかっていくわけです。あのハチロクは何をやった!?クソッタレが!あのハチロクが速いわけがない。しかし、実際にはハチロクは速い。想定外のことが起きると、人間パニクります。これは、秀吉の美濃大返しと同じ。相手が想定していない速さという意味では、もうひとつ書きたいことがある。野球の世界です。バッターが打って、外野までボールが飛んでいって、走者は2塁まで行けば2塁打。3塁まで行けば3塁打。当たり前です。足の速い人。福本だったかなあ?が言っていました。2塁で止まるか、3塁まで行くかは、1塁と2塁の間を走っている時に決めると言っていた。ボールの行き先を見て外野手の走りとか見て、一瞬で判断する。ダメだと思ったら、2塁で止まる。じゃあ、3塁に行く時は?という質問で、3塁に行けるとは、あまり思わない。しかし、確率が50%、50%くらいなら、2塁ベースを思いきり右足で蹴って、3塁まで向かう。福本ほどの足を持っていても、走るか走らないの判断は、確率が50%、50%くらい。絶対に楽勝なスリーベースはない。ということですよね。福本は、3ベースが一番面白い。2ベースは面白くない。と言っている。走塁の神様でも、2塁ベースを蹴るの判断は半々。半分賭けもあるという意味ですよね。そこでアウトになれば、ベンチから怒られるし、セーフになれば、良い判断で走ったということになる。アウトとセーフは紙一重であり、その実行時には、賭けの要素もある。なので、おれの仕事の仕方も、若干無謀な部分もある。ここを乗り切れば、というふんばり所に、飛び道具を入れる。具体的には、深夜まで残業やって仕事終わらせて、終電なくなるのでタクシーで帰るとか。もちろんタクシーは、自分の投資です。賭けですから。これはわたしのやり方の一例ですが、どこかで飛び道具を使い、一発逆転を狙うとか、やはり秀吉的な美濃大返しの思想が含まれているよね。というのは、正直、そこまで自分を追い込んでやっているんだという自負もある。たかが仕事なんだけど、それをどう自分自身、自分個人を表現していくか?という手段に使っている。正直、この手法を使える上司、お客さんは少ないです。言ってみれば、なんでもありの無法地帯で、勝手にやっていると受けとられる可能性もある。可能性もあるというか、ほぼ嫌われる。しかし、俺の差別化の表現として、AさんとBさんとCさんとも違う、独自の戦法があるというのを見せたいですねえ。だって、ごく普通に仕事しているだけでは、他人と変わらない。いや、変わらないどころが、劣っているため。なんとしても、差別化、異色なにおいをさせたいと思っている。他人が戦えない土俵上で、自分の得意な手法で戦いたい。


2019年06月02日(日)Sunday (Sun.)
今、令和元年。不登校の生徒は40万人いるそうです。家庭両親の問題があるとか、集団生活の中で馴染めない、とか、勉強ができないからバカにされるとか、発達障害であるとか、理由はそれぞれではあるが、40万人もいる。まず第一に言いたいのは、今の学生は恵まれている。オレの子どもの頃は、学校へ行かない選択肢はなかった。このホームページに過去に書いてきたうように、自分の親がズレた感覚のために、相当悩んだ。反対意見を言うと否定される。相談したくてもできない。学校へ行かないことを選択すれば、今度は親からの圧力があることを理解している。じゃあどっちがマシか?親は血がつながっていて、関係が接近しすぎているので、逆にさらに息苦しくさせる。なので、学校へ行く選択をしていたんだろうなあと、自分の過去を思い返している。自分の時代に、不登校が許される環境があったら、どんなに幸せだったのだろうと思う。今も完全じゃないし、100点満点ではないけれど、まず、今のお前らは恵まれていると言いたい。なので、逆ギレに聞こえるが、まずお前ら、それに甘えるなというのが第一にある。その土台を忘れるな。で、そのうえで、なぜ俺の過去は、こんなに拘束・束縛されたものだったのだろうと本気で思う。その逃げ場のない環境と圧力で、自分の心がゆがんだよねえ。と本気で思う。ただのグチじゃなくて、本気で思う。その、ゆがんだ心が、今の俺の高齢者になった未来の俺を形作っている。こんな未完成で、ズレた大人、落ちこぼれの大人を形成したんだろうなあと思う。じゃあ自分自身の責任はないのか?と問われるかも知れない。しかし、学校や親の言うことに反抗する環境を許してくれなかったじゃん。オレは本気で強く言いたい。オレがお前らの言う道を外れていく選択肢を選ばせてくれたか?オレは、お前ら大人の示したレースに従うことが正しいと思った、から従った。イヤだけど、あえて従った。それが、悪いというのなら、それもまた、お前らの犯した罪だと思う。それを突きつけたら、お前らは、何って解答するか?何って言い訳けをするのだろうか?俺が思うに、たぶん答えられないと思う。しかし、この質問を突きつけられることすら理解できず、回答することさえも拒否し、回答する義務も、責任もないと言い出すのだろうなあ、と思うとさらに憤りを感じる。とにかく何もかもが、学校、親、時代に翻弄され、苦しみながら生きてきた。しかし、時代に翻弄されたと言うと、お前は翻弄されていないと言うんだろうな。太平洋戦争時代は、国民は時代に翻弄されていたが、今、令和元年の時代に生きるお前たちは、時代に翻弄されていないと言い張るだろうぜ。そのような低レベルの会話しかできない連中なので、今、自分達に向けられている課題・問題・過去の罪、いろいろなものが理解できていない。理解できていない者に、どんな言葉を言っても無駄。それは、不登校の問題をマスメディアから聞いても、何も感じないという、無責任動物のなせる業であります。何が問題かを知っていても知らないフリをする、放置する。このようなことは、学校で勉強するとか、不登校になるとかという事以上に、人間として許せない、やってはいけない事だと思うが、もはや、会話ができないために落胆し、無気力感と周囲の無関心感で、もう、何ごともイヤになっている。どんな言葉を使っても、この無念さは語れないのだが、たぶんヤツらは、そういう言葉を発すること自体、世の中の悪である。とレッテルを貼り、隔離し、それこそ、自分達とはまったく関係ない世界のもととして捉え、差別・批判していくだろうな。今後もずっと。


2019年06月15日(土)Saturday (Sat.)
この前、mixiニュース記事になっていたことについて書く。自分の結婚相手の旦那がつまらない。おもしろくない。と文句を言っている奥さんが多いという記事。まず、基本的な話から。戦国時代は、敵の武将と親戚関係を作るために結婚させられた。女性には拒否する権利はない。悲劇の女性はたくさんいるが、わかりやすいところで行くと、お市さんである。最後の最後は、柴田勝家と結婚し、北ノ庄城で夫と一緒に自刃する。いやあ、秀吉のうまい作戦に乗せられたとオレは思っている。秀吉は、信長の死のあと、どうしてもトップの座を奪いたかった、柴田勝家との不仲は前からであった。いろいろあの手この手で、お市さんと勝家とを結婚させ、まあ、世間体というか形式を整えました。という感じなんじゃないかなあ?と思う。で、最後の最後は、柴田勝家と最後のケジメというか、決戦になり、北ノ庄城でトドメを刺した感じかなあ。で、話を現代に戻す。なので、今2019年、令和元年の時に、親戚関係になり戦争を起こさせないようにするヤツはいない。なので、結婚相手は、自分が選んだとしか言いようがない。仮に、家長制度が今も継続していて、無理やり結婚という場合も少数あったとしても、それは、自分の人生であり、家長の人生ではない。無理やりならば、自決も辞さないという覚悟を宣言すれば、自体は変わる可能性もある。何にしても、いろんな言い訳があったとしても、最終決定者はあなたである。なので、そのあなたが選んだ人について文句を言うのであれば、まず、過去の自分を振り返り反省、見つめ直して欲しい。学校で習ったように、予習・復習の復習である。復習して、自分がわからなかったこと、良くなかったことを反省する。その反省を今後の自分に生かす。これは、人間として普通のことであります。mixiニュースでは、結婚はゴールではない。とか、隣の芝生は青いとか書いているが、それって、オレ的にはNGワードなんですわ。結婚はゴールではない。これは正しい。しかし、結婚式のスピーチやテレビのニュースで、AさんとBさんが長年の愛を実らせてゴールイン。なんて普通に言いますよね。日常会話に出てくること自体NGなんですが。おかしいですよね。なんでこんな言葉使うんですかね?まったく意味がわからないです。次に、隣の芝生は青いです。他人は良く見えるという言葉ですが、他人が良く見えるくらい、自分の家はダメダメなんですかね?俺的には、そうなった時点でアウトです。えっ??そんなダメダメの人と生活したくないんですけれど。そこまで自分の旦那がダメダメに見えたら、やめた方がいいです。自分の選んだ人が、そう見えたら終わりです。毎日生活できません。なので、mixiニュース記事に記載されている内容が、さっぱり理解できない。理解できないうえに、そんなにイヤなら、もう終わりです。と言いたい。なんて言うんですかね?世の中の人って、そんなに文句言いたいんですかね?オレは自分の家内のこと悪く言いたくないです。そこまで行ったら家族という関係は崩壊であります。世の中の家族の大部分が崩壊しているんですかね?そういう火種をバラまかないでください。うっとおしいし、そういう風潮であると思うと、こっちも憂鬱になりますよね。もっと精神的に明るく過ごしたいですよね。他人に暗いイメージを感染させないでください。


2019年06月22日(土)Saturday (Sat.)
また、書きたくなったので書く。NHKのプロヂューサーが強制わいせつで逮捕されたというニュースがあった。NHKのニュース番組で言っていなかったが、フジテレビのニュースをたまたま見たら、その内容をやっていた。半年前か1年前くらいにも同じような事があった。NHKの記者だか誰か?が過労死で死んだか?何か?そんな事件があった。そのニュースもNHKでは報道せず、民放では報道していた。NHKは公共放送をやりますとは言っているものの、やっぱおかしい。前からおかしいことは、このページで何度も書いたように思う。自分の社員とかその関係者が、悪いことをした都合の悪いことをしたら、報道しないというのは、報道なんとか法にあるように、公共性、平等、公平性、ウソの報道をしないというような法律。その法律に抵触しているように思う。これは、大昔の大本営発表と同じ。自分に都合が悪い事を隠す。最初は隠していたが、隠しきれなくなり、ウソを重ねることになり、終戦になって、とんでもない事を大本営が言っていたことに気づく。インターネットのない時代に、国民は情報を得ることは、新聞とラジオしかない。なので、情報操作が可能であった。今の時代は、あふれるほどの情報があり、いくつも重複しているし、報道したのか?してないのか?しらばっくれているのか?何もわからないままに過ぎて行く、あまりにもスピードが速い時代。なので、1人のプロヂューサーの犯罪を報道しないから?何か起きるんですか?と聞かれると、起きないかも知れない。でも、法律の理念に反することを平気でできる、組織体制というのが、旧式であり、非常に残念でならない。どこの国でも国が崩壊する情報は公開しない。日本は国が亡ぶレベルとか関係なしに、自分の組織や自分の会社を守るため、隠し事をするのが多いと思う。何度も書いているが、江戸時代という徳川幕府に従うことで、生き延びる選択をしてきた、国民性だよねえ。と本気でいつも思う。このような日本人の特徴については、いつも悲しく思う。


2019年07月25日(木)Thursday (Thu.)
最近、仕事が忙しくて、なかなか書けなかったんですが、疑問があるので書いてみる。ロシアの自動車って、全然見ないよね。。というのが疑問。ロシアって、今は、勢いがなくなってきたが、以前は、冷戦の時代と言われるほど、アメリカとソ連は、世界を2分していた。アメリカがやるなら、おれもやる的な勢いがあった。第二次世界大戦の時は、ドイツ軍のバルバロッサ作戦でどんどん西から侵攻され、先遣隊は、モスクワの近郊まで来ていたという。ドイツ軍本体は、スターリングラードを越えるか超えないか?くらいで、戦線が維持できなくなってきて、ロシアの押し戻しが始まる。これは、ヒトラーのソ連への侵攻は、東西を敵に回すという無謀な作戦だよねえ。というのと弱小イタリアの余計な参戦。そのため進軍が遅れ、冬将軍が来てドイツ軍の限界が見えたというのが原因だとは思う。しかし、強力なドイツ戦車に対抗するために、自国でT-34などの戦車を作り、戦闘機、爆撃機も作り、あの有名なAK47は、世界で一番売れている銃である。工業国だったはずのソ連が、いま、自動車を作らなくなったのはなぜか?ちょっとネットで調べたら、ロシアの自動車は、作りが雑で全然ダメみたい。そう言われれば、世界のモータースポーツの車種に、自動車もバイクも出てこない。よっぽど、ダメダメなんですね。韓国でさえWRCに参戦しているのに。ロシアってかなり落ちぶれた感があるなあ。


2019年08月31日(土)Saturday (Sat.)
最近、仕事が忙しくて、なかなか書けなかったんです。特に気になる話題もないので書かなかった。というのもある。約1か月書いていなかった。で、今日は、2件の内容を書いてみる。Yahooのニュースに主婦の文句みたいな記事があった。ネタりかだったと思うが、ネタりかは、10月だかで終了しますと書いてあったかなあ?で、その内容は、主婦の日常を描くマンガがあって、それは、主婦は忙しくて、旦那はだらだらして、休日は無駄に休んでいる。自分は子育てや家事があり、休日も休めない。男は休みやがって、けしからん。という内容。そのマンガの下に、コメントを書く欄があって、200~300件くらい書いてあった。全部は見ていないが、ざっくり、適当にナナメ読みをしたら、目を通したもの全部が、主婦は大変。旦那は楽。休日休めるし、子どもの世話、風呂掃除、食事の用意をしたとしても、手伝った感があって、おれは良い旦那である。という褒めて欲しいオーラが出て、けしからん。オーラとか関係なしに、おかあさんは家族のために、奮闘している。そして自分もフルタイムで働いていて、クタクタなのに、家事をやっている。そして家のローンを半分払っている。働いている条件は同じなのに、なんで女だけ苦労するのか?というグチと怒りが延々と書いてあった。グチと怒りの賛同意見以外の意見がなかった。よくもまあ、同じ意見をあれだけ、重ねるなあと感心したくらいである。同じなら、この人と同じ意見であります。と1行書けば済むはずなのだが。で、何が言いたいのかと言うと、そんなに不満があるのなら、やめれば良いと言いたい。世の中のおかあさんたちが、そんなに文句やグチを言っているのを知って、びっくりしたのだが、逆に、やめれば良い。離婚すれば良い。子どもがかわいそうだとする意見もあるが、子どもが1人の時に離婚しておけばまだ軽くて済む。子どもが3人いて、離婚するのは子どもがかわいそう。という意見は受付ない。なんで3人になるまで放置していたのか?を問いたい。イヤだったら辞める。辞める選択肢がないと、自分で選択したのなら、その環境で満足している、または、その環境でやっていくという決心をしたのだから、文句を言うな。で、さらに思うのは、そういう苦労や後悔や文句が多いのに、世の中で、なんとも結婚する連中が多いことよ。そうやって後悔があるのであれば、次回からは失敗しないようにアドバイスするべきだと思う。えっ?誰に?自分の子どもに決まっているじゃん。こういう後悔や失敗を繰り返さないように、次の世代に受け継いで欲しいと思わないのか?おれは受け継いで欲しいと思う。なのに、世の中に私は結婚したい。相手がいないのに結婚を最終ゴールにするヤツ。って、本気でおかしいと感じるようになった。相手が誰かわからないのに、結婚することだけ決める。って、正直、真剣に整理すると、頭がおかしいと感じる。おれは、今学生で大学4年生だけど、何の仕事に就くかわからないけれど、年収1千万円稼ぎます。と宣言しているのと同じ。何で??途中の経過がないじゃん。プロセスがなくて結果だけ存在する??あり得ないじゃん。そもそも筋道が通っていない。そういう理論を展開する世の中の連中に、異議を申立てない人たちがいるのも事実。なんかおかしいなあ。って感じます。スタートからゴールまで、理論的な思考回路ではない。やっぱおかしい。この場で、再度言う。おれの親の泰子の悪口なんだが、おれが中学生くらいの時、別に結婚しなくてもいいんだよねえ。と聞いたことがある。その時、結婚するのは自由だよっていう回答を期待していたが、その回答にびっくりした。泰子は怒り出し、結婚しなければいけないと言い出した。おかしいよね。でも、その時の中学のおれは、親が正しいと信じていた、大バカ野郎だったので、それを鵜呑みにした。さらに、このエピソードもこのHTMLに書いたと思うのだが、再度書く。小学校2年くらいの時、おかあさんは、お父さんと結婚してよかった?と質問した。オレは良かったよと回答するのかと思っていた。そしたら、あっちの人に結婚してください。また、あっちの人に結婚してくださいと、言ってまわれないでしょ。という回答であった。おれは、ポカーンとした。あれ?何が言いたいのか?ああ、おかあさんは、おとうさんと結婚したくなかったんだ。そして、今後悔しているんだ。と思った。小学生2年生だから、ここまでしか思考力はなかったが、いまであれば、そんなに後悔しているならヤメロと言うかも知れない。そんなこんなで、世の中には間違った選択をして、さらに間違ったまま突き進んでいく連中が、多いと言いたいわけ。あのさあ、世の中の大勢のおかあさんに言いたい。あんた1人の人生なら、まあ、どうでも良い。だけど、そこに生まれた子どもは選択肢がない。そうやって、イヤイヤの環境で生まれてきた子どもは、どうなるんですか?おれの人生のひとつの、きっかけというか、その事実を突きつけてきた。と思うと、なんか、やめたいのなら、やめれば良い。やめたいのに、なんで生んだ?みたいに疑問を持ちますよね。持ちませんか?オレは持ちますね。持って当然ですよね。そもそもイヤなんだからね。なんか、そう考えると人生って、何なんだろうなあ?って思いますね。お坊さんにも解決できない問題だと思いますよ。おれのこの疑問を情ではなく、ストーリーだてて説明してくれる人がいるか?いや、たぶんいない。説明してくれるんなら説明が欲しい。本気でそう思う。で次の話題。アクセルとブレーキが自動の車。最近の車のコマーシャルは、自動で運転するとか、自動でブレーキがかかるとか、何でもかんでも自動。そんなに自動が好きか?オレはキライ。自動なんて最悪。自分が運転する楽しみを奪われるんですよ。イヤです。前にも、ここのページに書きました。AT車は、楽なんだよ。と自慢そうに、威張って、エラそうに言う人がいた。運転するのは、お前じゃない。おれだ。楽とかじゃなくて、楽しいという感覚を大切にしたい。お前なんかに言われたくない。クソが。そして、その楽になりたい連中が自分の意思とは、まったく関係ない動きをするAIに感動し、それを買うという行為もまた、理解できない。で、さらに言うと、街中の通常の運転をアシストするよりも、F1でもGT選手権でもWRCでも良いんですが、ドライバーをアシストし、速く走ることができるのであれば、どんどんAIに仕事をしてもらって、今ここで加速し抜いていく、ここで、これくらいの舵角のステアリングとか、速く走るための高度なアシストをやるのであれば、もっと有効になると思うので、どんどん導入していって欲しい。






















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